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色々な郵便物がある。電話関係がまずはある。これがないと、ネットも何も出来なくなってしまう。健康保険関係、これも多い。色々なものが来る。これもなかなか捨てられない。お医者さん関係もある。自分のやら、その他のものやら。これで、郵便関係は済んだだろうか、よくはわからない。お金が関与するもので、これはしばし取って置かないとというものは多い。過去のデータはやはり役にたつ。水道料だって、電気の使用量だって、この種のものも取って置かないといけない。しかしこれらは、特に机というか、PCの周りになければならない理由はない。それにしても、いろいろあり過ぎて相変わらず、綱渡り。
本とか雑誌はどうかというと、少し本を買うようになったが、また一時中断している。少しでも買っておいた方がいいと思うものは、やはり買いたい。でも、もう置く場所もない。雑誌の古いのを物置に移動させたりしつつ、少し場所を確保。しかしその場所も、新しい雑誌で埋まる。長く買っていたものは、ついに購入を諦めた。このあと、自分に必要な本は何だろうか。これもわからなくなってくる。
ネットである程度情報はつかめるが、それも適度な刺激になるが、最後はヤッパリ本ということになりそうだ。この考えは、なかなか変わらないだろう。本にしてしまうと、本当のところも見えたりする。最後は、やはり本だと思う。
しかしお金も限度、場所も限度、本屋さん巡りもむつかしく、ネットで本というのもなかなか、出来そうで出来ない。そのためPR誌を購入しているが、これだけでもずいぶんと「本」は出ていることがわかる。でも、本もPR誌ではわからないものである。本屋さんに行って、というのが一番だが、でもこの先流暢なことも言ってられないとなると、ネットで本ということも十分にある。
それにしても、場所がない。ちょっと動かせばいいはずのものが動かせなくなる。その力がない。階段を何往復出来るかこれも自分の体力がわかっているから、最初からやろうという気にもならない。暑い夏こそ、その時期かもとも思うが。
その他にも、色々捨てた方がいいと思うものがある。要らないものは数あまた、「そのうち役に立たない」ものばかり。
少し違うが、デジタルの写真のデータというものも、やたら溜まってゆく。これを見返すとなると大変であって、少し前に、よさそうなものを少し印刷して、と思ったが、その印刷までにずいぶんと時間がかかって、これも簡単に出来そうにないもののようだ。ある程度時間が来たら、いっそのこと1年分くらいのファイル、あるいはディスクそのものをフォーマットして、全部消してしまおうかとも思っている。また、新しいディスクを購入するのも、なんだか意味がないように思えて来た。そのお金を本の方にまわした方がよさそうだ。
このディスクのフォーマットはこれは意外と簡単にゆくはずで、新たな書き込み用だけなら、特にデータを完全に消すための乱数を書き込む作業も要らない。これまた、皮肉だなー。
捨てられません事情は、変わりなく、机の周りの色々なものはヤッパリ増えるし、それは減ることはなさそうである。
寄れるレンズで、というもの。
今に咲いている、もうおしまいに近い、時期はずれのガクアジサイの花。
寄ればいいというものではない、というもの。
寄ると、近付くわけで、心拍と同じリズムで、目の前のものは揺れるようで、これは難題、難問である。
このガクアジサイももうおしまいに近いが、こうゆうレンズを扱えるのも若いうちかなーと思う。少しがっくり来る。
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