光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

夕焼けが美しい

2008-08-29 18:55:54 | 散策
  夕焼け、電気が付いているのかと思ったが、夕日の灯りでその場所が明るく、その色は電球と同じ。セミが今頃鳴き始めて、それから子供の遊び声も聞こえる。雨が降らなくてよかった。まだ明日もあさってもあるが、宿題は大丈夫かな。昔の自分の記憶は、はるか彼方に追いやられている。

  絵を書かないといけない。そうゆうものもある。このときはあまりどうのこうの考えたことはない。後に田んぼがあって、それは今の場所ではないが、そのある程度向こうに、少しだけ急な勾配がある、小高いところがあって妙な感じがした。そこまでは、平らな田んぼで、その先にまあるい山のような、丘のような、突き出たものがある。遠くのようで近い。その小さな高いところに行く階段もあった。そうゆうものを眺めていて、田んぼとそれから小高い山を書いて、描いて、それ以外は適当に色を混ぜて、塗りつぶした。
  生まれたところのかすかな記憶はあるが、そんなものはもうどこにも残っていないだろう。それから、今書いた小高い丘のようなものは、たしかある時間までは残っていて、しかしもういつの時代かは忘れたがその丘もなくなったような気がする。かなり長い時間、歴史の時代、その小高い丘はあった。しかし今にはるかに遠いが、あるときにそれはなくなった。そうゆうことが出来る時代になって、久しい。

  そんなに多くないところを移動して、その後昔に住んでいたところを見にというか、用があって出向いたり、遊びでいったりもした。ほとんどが、その当時のものをなくしている。まったく、変わってしまってどこにその面影があるのかわからないという、そうゆう印象が強い。学校もそうで、学校の建物そのものは変わらない。が、そのまわりの変化に昔を思い出すことはないといっていいほど、変わるものは変わっていた。しかも、その時間の差というのは高々5、6年である。これでは、もう愛着も何もない。ただただ自分の頭の中で、その当時の思い出はよみがえるだけだ。

  その意味でいうと、この辺りは、まだ変化は少ないといえそうである。昔の電車の走っていたところは、一時は自転車道みたいなものになり、その後知らぬ間に普通の自動車が走る道に変わってしまって、あっけにとられた。ポカンとするだけ、それでも、まだここは昔の駅だということは特定できそうだ。
  その電車の駅を下りると、ほどほどの道が続き一旦左に曲がった。その道は片方は田んぼがあったような気がする。お寺はその当時からあった。しかし興味はなかった。その細い道を次に右に曲がる。幅はずっと1mもない。その先に、少し広めの道があって、またその先は車も通ることのない、細い道が続いた。しかし、昔はこの道も大して長い、遠いという思いはしなかったが、今のほうが、その道を歩いているとやけに長く思える。なんでか知らない。
  いずれにしろ、多少の昔の面影はある。しかし、そのうちまったくなくなってしまうかも知れないと思う。どのくらい先かわからないが、何しろここに電車が走っていたことを知っている人も限られる時代である。茅の屋根のある家、さらには小川が流れて笹舟を流したことなど、みなもう誰も覚えていない。


  どうも、まったく何も思い浮かばないと、思い出話しか、あるいは脳の片隅でかすかに残っている、そうゆうものを引っぱり出すしかないようだ。それで、大きな蚊がいて、喰われていればまったく世話がない。


  田んぼの一部に水が溜まっている。




  浮き草がそこに出て来た。こうゆうこともあったかも知れない。田んぼには浮き草は付きものだし。




  少し角度を変えると、こうゆうところになる。この先かなり広いが、全体だとやはり草が生えている、休耕田という感じだ。




  再び、浮き草。もう少し寄ることが出来る。しかし、それをやると段差のあるこの田んぼに転げ落ちる危険性があって、止めた。何事も慎重にやらないと。  

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