セミ時雨。セミが今日も騒がしく鳴いている。いっときこのセミの鳴き声と自分の耳鳴りが同じようで気になっていたときがあるが、そういえば耳鳴りについては忘れている。でも、たぶんそのうちまた耳鳴りを気にすることがあるだろう。
暑すぎて外歩きをする気もなく、眠気が去るとなるべくまた起きて、ということは昼寝もあった、そのうるさいともいえる、セミのいる木を見る。どうもモチノキに多いようで、このモチノキはこの辺りに多く、冬にもまず葉が褐色になることがない、広葉常緑樹である。何が原因で、このモチノキがあるのかよくはわからない。あちこちにあって、かなり大きいからずっと昔からあるのだろう。セミが、この木の太い幹やら、根っこからそのままの一番太いのにも止まって、結構な勢いで鳴いている。なんだか、かなりその皮は厚そうで樹液が吸えているのかどうかよくわからず、不思議な気もする。
モチノキというと、ネバネバしたトリモチのモチを思い出すが、この木からも取れそうで、しかしそれ専用のもう少し上等なモチがありそうで、このモチノキと似ている木は、比較的新しい住宅地の庭木にもなっているようだ。赤い実が秋になるのがいいのと、冬も緑があるのがやはり人気なのか。
もしも、セミがモチのことを知っていたら、この木の樹液を吸うだろうか。そのまま、ストローを射すとそのネバネバにくっ付いて取れなくなってしまうという悪夢を見るのではないだろうか。このモチノキに、あらゆるところにアブラゼミがいて、他にはツクツクボウシが少し。ちょっとツクツクか、あるいはミンミンゼミか見分けが付かない、そうゆうセミもいたが、何しろ少し暗く、木の影でもあってよくはわからない。ヒグラシなどもいそうで、もう鳴き声もあまり聞かない。
カエデの細目の枝にも、セミは止まっていそうである。
花を楽しめる木々の代表は、まずは春の梅だろうけど、他にはなかなか思い出せない。それで、食べものも目的でっというと、その梅があって、他にはユズがある。ユズはこの辺りが生育可能な最北端かも知れない。能登にも有名なユズの産物があって、それを考えるともう少し北まで生き延びることが出来そうだが、しかしユズも大雪で、厳冬の年などその状態は青息吐息であって、見ていて気の毒である。それでも、どうにか生育している。ユズも、昔はかなり食べたらしく、また貴重なビタミン源であったから、それは当然であろう。
この木のもう一ついいところは、ときにアゲハチョウを呼んでくれることで、しかしその誘引力は、ナンバーワンかというと、どうも違うようだ。もっと他の柑橘の木が、たしかアゲハチョウは好きなはずで、ここにあるユズの木にも時々来ているが、多い年は賑やかだがさほどこの木が好き、という振る舞いはないような気もする。しょうがなく来ているかのようだ。でも、このユズの木やはりないよりはあったほうがいい。それで、アゲハを呼んでくれるならゆうことなしで、この木も結構大きくなって、あるところまでゆくと切らないといけない。
チョウが特に好きというわけでなく、またカブトムシやらクワガタが好きというわけでもないが、まーいないよりはいた方がいい。後者はまずは樹液を出す木がないからほぼいない。で、たまにアゲハチョウやら、黒めのアゲハの大きなものが飛ぶ。アオスジアゲハも飛ぶ。これが、好きな植物、食草が一つでもあれば、結構楽しいというか、優越感に浸れる気もするが、ここはモチノキがあることで十分ということにしておかないと、セミ時雨もなくなってしまう。セミの鳴き声もこれまた貴重なものに思えてくる。
まわりの緑。しばらくはこうゆうもので、しのいでっと。
古木といっていいカエデ。色合いを見ると少し赤い、あるいは茶色系統の色もある。これは、春からそうだったのだろう。
日が当たって、ヤケヤケの状態にある。これは見かけは、まだ緑だけ。濃い緑のようである。
色々ゴチャゴチャある。夏は人も近づけないが、冬になるとこれが見事に雪をかぶるので、もっともそのときも寒くて近付かないが、こうゆうところにも色々な生き物がいるのだろう。
暑すぎて外歩きをする気もなく、眠気が去るとなるべくまた起きて、ということは昼寝もあった、そのうるさいともいえる、セミのいる木を見る。どうもモチノキに多いようで、このモチノキはこの辺りに多く、冬にもまず葉が褐色になることがない、広葉常緑樹である。何が原因で、このモチノキがあるのかよくはわからない。あちこちにあって、かなり大きいからずっと昔からあるのだろう。セミが、この木の太い幹やら、根っこからそのままの一番太いのにも止まって、結構な勢いで鳴いている。なんだか、かなりその皮は厚そうで樹液が吸えているのかどうかよくわからず、不思議な気もする。
モチノキというと、ネバネバしたトリモチのモチを思い出すが、この木からも取れそうで、しかしそれ専用のもう少し上等なモチがありそうで、このモチノキと似ている木は、比較的新しい住宅地の庭木にもなっているようだ。赤い実が秋になるのがいいのと、冬も緑があるのがやはり人気なのか。
もしも、セミがモチのことを知っていたら、この木の樹液を吸うだろうか。そのまま、ストローを射すとそのネバネバにくっ付いて取れなくなってしまうという悪夢を見るのではないだろうか。このモチノキに、あらゆるところにアブラゼミがいて、他にはツクツクボウシが少し。ちょっとツクツクか、あるいはミンミンゼミか見分けが付かない、そうゆうセミもいたが、何しろ少し暗く、木の影でもあってよくはわからない。ヒグラシなどもいそうで、もう鳴き声もあまり聞かない。
カエデの細目の枝にも、セミは止まっていそうである。
花を楽しめる木々の代表は、まずは春の梅だろうけど、他にはなかなか思い出せない。それで、食べものも目的でっというと、その梅があって、他にはユズがある。ユズはこの辺りが生育可能な最北端かも知れない。能登にも有名なユズの産物があって、それを考えるともう少し北まで生き延びることが出来そうだが、しかしユズも大雪で、厳冬の年などその状態は青息吐息であって、見ていて気の毒である。それでも、どうにか生育している。ユズも、昔はかなり食べたらしく、また貴重なビタミン源であったから、それは当然であろう。
この木のもう一ついいところは、ときにアゲハチョウを呼んでくれることで、しかしその誘引力は、ナンバーワンかというと、どうも違うようだ。もっと他の柑橘の木が、たしかアゲハチョウは好きなはずで、ここにあるユズの木にも時々来ているが、多い年は賑やかだがさほどこの木が好き、という振る舞いはないような気もする。しょうがなく来ているかのようだ。でも、このユズの木やはりないよりはあったほうがいい。それで、アゲハを呼んでくれるならゆうことなしで、この木も結構大きくなって、あるところまでゆくと切らないといけない。
チョウが特に好きというわけでなく、またカブトムシやらクワガタが好きというわけでもないが、まーいないよりはいた方がいい。後者はまずは樹液を出す木がないからほぼいない。で、たまにアゲハチョウやら、黒めのアゲハの大きなものが飛ぶ。アオスジアゲハも飛ぶ。これが、好きな植物、食草が一つでもあれば、結構楽しいというか、優越感に浸れる気もするが、ここはモチノキがあることで十分ということにしておかないと、セミ時雨もなくなってしまう。セミの鳴き声もこれまた貴重なものに思えてくる。
まわりの緑。しばらくはこうゆうもので、しのいでっと。
古木といっていいカエデ。色合いを見ると少し赤い、あるいは茶色系統の色もある。これは、春からそうだったのだろう。
日が当たって、ヤケヤケの状態にある。これは見かけは、まだ緑だけ。濃い緑のようである。
色々ゴチャゴチャある。夏は人も近づけないが、冬になるとこれが見事に雪をかぶるので、もっともそのときも寒くて近付かないが、こうゆうところにも色々な生き物がいるのだろう。