雨が降る、ということが宵の時間のラジオで話題になるということは、これまでになくひどい目に合ったとか、あるいは泣くに泣かれぬような経験したという、方も多かったということだろう。普段は、お天気なんて何とも思っていない若い方々も、今年の今のお天気に閉口しているという感じである。
このお天気は、やっぱり気になる。天気予報を欠かさず見るようになる。朝の早いTVで、まずは確認する。早いといってももう日の出の時刻はとおに過ぎている。そのほうが、実際的である。雨か、これはどうする。こうゆうことを前日から考えている。土砂災害という言葉も耳にやき付いた。地震がやって来るという、地震予知警報というもの、名前はちょっと今ははっきり確認できないが、こうゆうのも頭の中にあって、その次に土砂災害の起こる可能性をも、意識しないといけなくなってくる。
後者のほうが、これは自分での判断も可能であっていよいよ、さてこの雨で今から行くところの道は、山道もありそうだが大丈夫だろうか、こちらは現実感がかなりある。地震だと、これはいかに逃げるかを考える、その一瞬だが、土砂災害の方は、自分で判断しないといけない。そうゆう自由度を持っている。これは、かなり困った問題である。心拍が急に上がってくる。
雨の場合、これもそう簡単に結果がわかる、っというものではないだろうけど、一日が過ぎ、いや半日でもいい、どうも今日はそうひどい雨はなさそうだと思う時間がある。今日などは、私はそう思った。特に土砂災害を意識したわけではないけれど。でも、もしかして強い雨があれば、それこそ二次的にその影響をこうむることにもなる。道が不通になった。ドコドコの道が冠水して通行止め。これは困る。道一つ不通になってもこれの影響は、回りに出る。まったくもって、安穏としていられない。
いやでも、空を見上げるときが多くなる。どうも、予想と違って午前は強い雨はなかったようだ。晴れ間も出てそれに気温は上がらなかったが、歩くと暑かった。これはもうすでに書いた。それでも、頭の上には真っ黒な雲があって、ここを中心に、より南は雲がどんどん押し寄せている。雲の渋滞があって入道雲が高く背伸びを始める。これは向こうの山では大雨が降っている。想像するのは簡単で、そのとおりのようである。これより北側は、何とも澄み切った青空もあって、なんだか体が半分ちぎられているような感じにもなる。心配性でもないが、明日は我が身ということがひしひし実感される。
幸いというか、ここ最近の大雨でひどい目に合ったというのは、まーないといっていい。ずぶ濡れにもならないし、もうすぐそこに落ちたと思う雷による被害というのも、ブレーカだか、漏電遮断器こそ働いて真っ暗にはなったものの、それ以外は見た目は大丈夫だ。大丈夫そうだ。何度か、ひどい目にはあったが、ほどほどである。浸水というのもない。去年は地震でもかなり揺れた。今年は、大雨。周辺での出来事のようで、なんとか自分が自分でいられる。
それでどうしたもこうしたもないが、なんだか今日は空を見ているだけでずいぶんと疲れたようで、このことを書いてみた。
雑草の世界。植物には、恵みの雨のようで、また木々や草があって雨水は、それに吸い込まれ、蓄えられ、あるものは地下にしみ込んでいる。
この植物が今生えていることが珍しい。いつもなら刈られている。だから今はどうなのか、わからない。名前はどこかで見ているはずであるが。
それで、いつものとおり参考にさせてもらっているところで、季節を頼りに、ここは植物の名前、言葉からそのものを想像していて、もしかしたら、カヤツリグサかもと、その言葉を思い出した。
カヤツリグサは、色々あるというか、種類も多く決定的にこれはこれ、といえるところまでいかない。
雨で出来た水玉と、この草の持つ特性というか直線的なものとカーブを交えた面で面白い絵になったと思う。こうゆう感触は肉眼で見る限りまったくわからない。
このお天気は、やっぱり気になる。天気予報を欠かさず見るようになる。朝の早いTVで、まずは確認する。早いといってももう日の出の時刻はとおに過ぎている。そのほうが、実際的である。雨か、これはどうする。こうゆうことを前日から考えている。土砂災害という言葉も耳にやき付いた。地震がやって来るという、地震予知警報というもの、名前はちょっと今ははっきり確認できないが、こうゆうのも頭の中にあって、その次に土砂災害の起こる可能性をも、意識しないといけなくなってくる。
後者のほうが、これは自分での判断も可能であっていよいよ、さてこの雨で今から行くところの道は、山道もありそうだが大丈夫だろうか、こちらは現実感がかなりある。地震だと、これはいかに逃げるかを考える、その一瞬だが、土砂災害の方は、自分で判断しないといけない。そうゆう自由度を持っている。これは、かなり困った問題である。心拍が急に上がってくる。
雨の場合、これもそう簡単に結果がわかる、っというものではないだろうけど、一日が過ぎ、いや半日でもいい、どうも今日はそうひどい雨はなさそうだと思う時間がある。今日などは、私はそう思った。特に土砂災害を意識したわけではないけれど。でも、もしかして強い雨があれば、それこそ二次的にその影響をこうむることにもなる。道が不通になった。ドコドコの道が冠水して通行止め。これは困る。道一つ不通になってもこれの影響は、回りに出る。まったくもって、安穏としていられない。
いやでも、空を見上げるときが多くなる。どうも、予想と違って午前は強い雨はなかったようだ。晴れ間も出てそれに気温は上がらなかったが、歩くと暑かった。これはもうすでに書いた。それでも、頭の上には真っ黒な雲があって、ここを中心に、より南は雲がどんどん押し寄せている。雲の渋滞があって入道雲が高く背伸びを始める。これは向こうの山では大雨が降っている。想像するのは簡単で、そのとおりのようである。これより北側は、何とも澄み切った青空もあって、なんだか体が半分ちぎられているような感じにもなる。心配性でもないが、明日は我が身ということがひしひし実感される。
幸いというか、ここ最近の大雨でひどい目に合ったというのは、まーないといっていい。ずぶ濡れにもならないし、もうすぐそこに落ちたと思う雷による被害というのも、ブレーカだか、漏電遮断器こそ働いて真っ暗にはなったものの、それ以外は見た目は大丈夫だ。大丈夫そうだ。何度か、ひどい目にはあったが、ほどほどである。浸水というのもない。去年は地震でもかなり揺れた。今年は、大雨。周辺での出来事のようで、なんとか自分が自分でいられる。
それでどうしたもこうしたもないが、なんだか今日は空を見ているだけでずいぶんと疲れたようで、このことを書いてみた。
雑草の世界。植物には、恵みの雨のようで、また木々や草があって雨水は、それに吸い込まれ、蓄えられ、あるものは地下にしみ込んでいる。
この植物が今生えていることが珍しい。いつもなら刈られている。だから今はどうなのか、わからない。名前はどこかで見ているはずであるが。
それで、いつものとおり参考にさせてもらっているところで、季節を頼りに、ここは植物の名前、言葉からそのものを想像していて、もしかしたら、カヤツリグサかもと、その言葉を思い出した。
カヤツリグサは、色々あるというか、種類も多く決定的にこれはこれ、といえるところまでいかない。
雨で出来た水玉と、この草の持つ特性というか直線的なものとカーブを交えた面で面白い絵になったと思う。こうゆう感触は肉眼で見る限りまったくわからない。