暑さも少し衰えてと書いたが、その後またぶり返して、ヤッパリ暑い一日で終わりそう。
食べ物も買いにいかないとなくなってしまう。食が細くなる場合もあるが、少し食欲増進的な飲み物があって、これでそれでしばらくすると、そこにあるものは全部平らげることも可能であるが、少しだけ残すこともある。ご飯は少なめであって、これなどは一番最初になくなってしまう。その後に野菜の煮たもの、生野菜を食べたりする。
買い物に行く道筋にお寺がある。ここも少しだけにぎやかで、普段は見かけないヨチヨチ歩きのお子様も両親に手を引かれてその中へと進んでゆく。和やかな光景である。無論そこまでは車でやって来られる。駐車場がある。
それで、私は普段と変わらない買い物をする。パンだったりヨーグルトだったり納豆であったり。チラリと高級そうなブドウも見る。化粧箱に入っている。特にまだブドウはいらない。まだ何といっても真夏だし。でも、スーパでは、これが当たり前なので、他にはお花がある。それ以外にも色々ありそうで、しかし私は必要なものを買って帰って来る。冷凍庫にはかなりの食パンが詰まっている。それでも、またその食パンも買った。
お墓参り。こうゆうのは、昔の自分の環境でなかった。学生のころに、ここに遊びに来ていて、それで祖母とそのお墓というのに行った記憶がある。昔はここにも電車が走っていた。それで、確かその旧式の電車に揺られて二駅目かで下りて、少し歩いた。それから、ここはお墓のあるところだというのもわかって、祖母は草でも刈っていたかどうだったか、それから何をしたかもう覚えていない。
花とかがあったようで、お線香もあげたようだが、しかしその墓石に何と刻まれていたか見た記憶が、まずはない。そうゆうものを見るということもなく、祖母とまた帰りの電車に乗って帰って来たはずで、それが祖母の生きていた時代のお墓参りの思い出。
それから、かなり時代が流れて、いつしか祖母も祖父も亡くなった。それで、お墓参りというようなことに近いことをやった。草を刈って、それでお水を墓にかけて、その他には花は確か買っていった。それから、回りに生えていた草はどうしたかというと、途中でどこかわからないところに捨てた。これがなんだか傑作である。笑ってしまう。で、笑えないことがあって、そのお墓、
私が昔祖母と行ったところと違うような気がして仕方なかった。どうも、駅でいうと二駅向こうのはずで、今回のところはもう電車など走っていないが、それは電車で計算すると、一駅向こうのところで、昔の記憶と違う。これをずいぶんと不思議に思っていたが、それからまたかなりの年月が流れて、今がある。最近は、その一駅先にあるお墓にも行っていない。そこまで行くまでに、倒れそうな気がする。
それで、昔のお墓参りの場所と、これもかなり昔になるが、お墓の掃除にいったところの不一致に対して長く合点がいかなかった。が、よく考えたら、祖母の時代のお墓は、それよりも以前のご先祖様のものであった。それから、最近に近いときに墓掃除に行ったところの墓石には祖父の名が刻まれていた。これから考えると、お墓がころころ変わるというのも変だが、それが変わったという可能性もなくはない。何しろ、今に近いところのお墓には、祖父よりも前のご先祖様の名もない。お墓にはまったく知識はないが、こうゆうのは普通かどうか。
疑問に思っているのは、記憶の中のお墓の位置の不一致、ただそれだけだが。
それで、TVを見ると、朝早くから雨に打たれてもお墓参りをする方々がいらっしゃる。そうゆうことをしない、大体そばにお墓もないから出来ないこともあるが、環境で育った人には、なかなか理解できないものがあるようだ。
こうゆう話しもある。かわいがっていたネコが、長く生きていたが、最近すっと息を引き取った。それで、お墓も作ってお参りしてきました、という。なんだかわからないでもない。
シンミリした話しになってしまった。
時期はずれで、小さいガクアジサイの花が出て来て、それも咲きそうになかったが咲いた。で、その花もいつまでも付いているわけではなかった。
もやしのような色になって来た、と思ったのが二日ほど前。まだモジャモジャしていた。それが、
きれいさっぱりと、花は落ちて雨も降ったし、それでその後がやけにさっぱりしていて、こちらの方が新鮮に見えるから、植物というのも不思議なものである。
食べ物も買いにいかないとなくなってしまう。食が細くなる場合もあるが、少し食欲増進的な飲み物があって、これでそれでしばらくすると、そこにあるものは全部平らげることも可能であるが、少しだけ残すこともある。ご飯は少なめであって、これなどは一番最初になくなってしまう。その後に野菜の煮たもの、生野菜を食べたりする。
買い物に行く道筋にお寺がある。ここも少しだけにぎやかで、普段は見かけないヨチヨチ歩きのお子様も両親に手を引かれてその中へと進んでゆく。和やかな光景である。無論そこまでは車でやって来られる。駐車場がある。
それで、私は普段と変わらない買い物をする。パンだったりヨーグルトだったり納豆であったり。チラリと高級そうなブドウも見る。化粧箱に入っている。特にまだブドウはいらない。まだ何といっても真夏だし。でも、スーパでは、これが当たり前なので、他にはお花がある。それ以外にも色々ありそうで、しかし私は必要なものを買って帰って来る。冷凍庫にはかなりの食パンが詰まっている。それでも、またその食パンも買った。
お墓参り。こうゆうのは、昔の自分の環境でなかった。学生のころに、ここに遊びに来ていて、それで祖母とそのお墓というのに行った記憶がある。昔はここにも電車が走っていた。それで、確かその旧式の電車に揺られて二駅目かで下りて、少し歩いた。それから、ここはお墓のあるところだというのもわかって、祖母は草でも刈っていたかどうだったか、それから何をしたかもう覚えていない。
花とかがあったようで、お線香もあげたようだが、しかしその墓石に何と刻まれていたか見た記憶が、まずはない。そうゆうものを見るということもなく、祖母とまた帰りの電車に乗って帰って来たはずで、それが祖母の生きていた時代のお墓参りの思い出。
それから、かなり時代が流れて、いつしか祖母も祖父も亡くなった。それで、お墓参りというようなことに近いことをやった。草を刈って、それでお水を墓にかけて、その他には花は確か買っていった。それから、回りに生えていた草はどうしたかというと、途中でどこかわからないところに捨てた。これがなんだか傑作である。笑ってしまう。で、笑えないことがあって、そのお墓、
私が昔祖母と行ったところと違うような気がして仕方なかった。どうも、駅でいうと二駅向こうのはずで、今回のところはもう電車など走っていないが、それは電車で計算すると、一駅向こうのところで、昔の記憶と違う。これをずいぶんと不思議に思っていたが、それからまたかなりの年月が流れて、今がある。最近は、その一駅先にあるお墓にも行っていない。そこまで行くまでに、倒れそうな気がする。
それで、昔のお墓参りの場所と、これもかなり昔になるが、お墓の掃除にいったところの不一致に対して長く合点がいかなかった。が、よく考えたら、祖母の時代のお墓は、それよりも以前のご先祖様のものであった。それから、最近に近いときに墓掃除に行ったところの墓石には祖父の名が刻まれていた。これから考えると、お墓がころころ変わるというのも変だが、それが変わったという可能性もなくはない。何しろ、今に近いところのお墓には、祖父よりも前のご先祖様の名もない。お墓にはまったく知識はないが、こうゆうのは普通かどうか。
疑問に思っているのは、記憶の中のお墓の位置の不一致、ただそれだけだが。
それで、TVを見ると、朝早くから雨に打たれてもお墓参りをする方々がいらっしゃる。そうゆうことをしない、大体そばにお墓もないから出来ないこともあるが、環境で育った人には、なかなか理解できないものがあるようだ。
こうゆう話しもある。かわいがっていたネコが、長く生きていたが、最近すっと息を引き取った。それで、お墓も作ってお参りしてきました、という。なんだかわからないでもない。
シンミリした話しになってしまった。
時期はずれで、小さいガクアジサイの花が出て来て、それも咲きそうになかったが咲いた。で、その花もいつまでも付いているわけではなかった。
もやしのような色になって来た、と思ったのが二日ほど前。まだモジャモジャしていた。それが、
きれいさっぱりと、花は落ちて雨も降ったし、それでその後がやけにさっぱりしていて、こちらの方が新鮮に見えるから、植物というのも不思議なものである。