津波とか、大津波などとまったく関係のない話しである。
あの映像を見ると、そうゆう機会が今でもたまにあるが、近くの
水田を見るだけでも、少し恐怖感を持ってしまう。
周りが田んぼというところはあると思う。それで田んぼに水が入ると
気温も少し下がる。この辺りが、まだ暖かさのない北陸の、あるいは
それよりも寒い地域の水田に顕著と思えるのだけど、何しろ他を知らない
ので・・・。TVで見る田植えの感じは昔はなんだか熱気があったと思う。
その田植えの前の水田は、水はあるがそれ以外はない。
ここに小さい波、さざなみがたったりする。
用水の流れも見ていると、酔わない限り、悪くはない。
ここに落ちないように充分注意しないとといつも思う。
その水面の様子というのも、なかなか面白いと思えるものもある。
このときは、さほど暑くもなく、また寒いとかいうこともなかった。
風があると、あるところで「さざなみ」。
場所が変わって、道の脇がもう水で一杯の田んぼ。吸い込まれそうなと
いうことを思うようになったのが老化。久しぶりにこの老化という言葉
を使う。実感すると使わなくなる。
波立つというのがわかって、水面に近く、低くカメラを構える。
かわいいものである。オタマジャクシもいてよさそうだが。いないか
どうか、判断はむつかしい。でも夜になると、カエルの鳴き声が大きくなって
今はちょっとやかましいかと思えるときがある。
無論冷たい水で、入るとすると震えるだろう。そうゆうことはまずはない。
いろいろなものが流れてくる、用水。ここに太陽光が反射する。
そういえば雪解けの水だった。
雨の様子。今日の午後。
今は先ほどより雨は弱い。気温はでも下がっていて、暖房がいる。
梅雨の空を思わせる。台風の影響があるようだ。
連休明けもかなり時間がたって、でも病院は込んでいた。
なるべく、早くいってそれでさほど悩ましいこともないので、自分で
解決しないといけないところも多く、いってみると、さほど話すことも診て
もらうこともなく、それを必要とする方に時間は使われていい。
つまり、さっさと出かけて、さっと診てもらって、さっと帰って来るというので
充分なのだが、
だがそうはうまくはゆかない。いくら頑張って早くいっても
どうしてもより早いという方はいる。仕方ない。で、ときに長いという人もおられる。
これもしょうがない。諦めるしかない。で、待合室は人で込んでくる。
なるべくなら静かなのがよく、さらにまずは家族でという場合だと、別にその話しを
聞いているわけでないが、聞こえるので、でも、まずは穏やかというべきか。
きっとこの待つという時間が長く感じられるのだろう。ときとして、どうも関係
なさそうな「方」同士が、話しをされるときがある。これも、程度問題だが、
あまり聞かないほうがいいと思えるときがある。耳栓があればと思う。
なんだか「いかにひどい状態かを話されているようなので、・・・」。
ようやく自分の番が来たときはホッとした。その後も込んでいる割にスッといった
ほうだが、ここの病院も少し前はもうすこしすいていたのだけど・・・。
あの映像を見ると、そうゆう機会が今でもたまにあるが、近くの
水田を見るだけでも、少し恐怖感を持ってしまう。
周りが田んぼというところはあると思う。それで田んぼに水が入ると
気温も少し下がる。この辺りが、まだ暖かさのない北陸の、あるいは
それよりも寒い地域の水田に顕著と思えるのだけど、何しろ他を知らない
ので・・・。TVで見る田植えの感じは昔はなんだか熱気があったと思う。
その田植えの前の水田は、水はあるがそれ以外はない。
ここに小さい波、さざなみがたったりする。
用水の流れも見ていると、酔わない限り、悪くはない。
ここに落ちないように充分注意しないとといつも思う。
その水面の様子というのも、なかなか面白いと思えるものもある。
このときは、さほど暑くもなく、また寒いとかいうこともなかった。
風があると、あるところで「さざなみ」。
場所が変わって、道の脇がもう水で一杯の田んぼ。吸い込まれそうなと
いうことを思うようになったのが老化。久しぶりにこの老化という言葉
を使う。実感すると使わなくなる。
波立つというのがわかって、水面に近く、低くカメラを構える。
かわいいものである。オタマジャクシもいてよさそうだが。いないか
どうか、判断はむつかしい。でも夜になると、カエルの鳴き声が大きくなって
今はちょっとやかましいかと思えるときがある。
無論冷たい水で、入るとすると震えるだろう。そうゆうことはまずはない。
いろいろなものが流れてくる、用水。ここに太陽光が反射する。
そういえば雪解けの水だった。
雨の様子。今日の午後。
今は先ほどより雨は弱い。気温はでも下がっていて、暖房がいる。
梅雨の空を思わせる。台風の影響があるようだ。
連休明けもかなり時間がたって、でも病院は込んでいた。
なるべく、早くいってそれでさほど悩ましいこともないので、自分で
解決しないといけないところも多く、いってみると、さほど話すことも診て
もらうこともなく、それを必要とする方に時間は使われていい。
つまり、さっさと出かけて、さっと診てもらって、さっと帰って来るというので
充分なのだが、
だがそうはうまくはゆかない。いくら頑張って早くいっても
どうしてもより早いという方はいる。仕方ない。で、ときに長いという人もおられる。
これもしょうがない。諦めるしかない。で、待合室は人で込んでくる。
なるべくなら静かなのがよく、さらにまずは家族でという場合だと、別にその話しを
聞いているわけでないが、聞こえるので、でも、まずは穏やかというべきか。
きっとこの待つという時間が長く感じられるのだろう。ときとして、どうも関係
なさそうな「方」同士が、話しをされるときがある。これも、程度問題だが、
あまり聞かないほうがいいと思えるときがある。耳栓があればと思う。
なんだか「いかにひどい状態かを話されているようなので、・・・」。
ようやく自分の番が来たときはホッとした。その後も込んでいる割にスッといった
ほうだが、ここの病院も少し前はもうすこしすいていたのだけど・・・。