最高気温が17℃台、で平年の最高気温は、というと21℃。
平年とかいうのはありえないというものだけど、指標にはなるもので
考えようで、それをどう使うか。
ここで書いているようなことに、意味があるのか、わかって
書いているのか、という気がしきりとするけど。
でもたしかに、5月はもう少し、暑いなと思えるときがあっていい。
手帳には、朝の室温しか書いていない。
ブログにどれだけ、気温の記録があっても、これを一つ見るのの
重さというのがあって、簡単に見ることも出来ないもどかしさ。
調子よくないと、なんでも八つ当たりしたくなる。で、もう止めよう。
でもこの気温が低いというのは事実だから、例えば「お米」のこととかも
気になってしまう。まさか冷夏とかならなければいいが。
熱中症も心配だが、程ほどの暖かさ、暑さが戻らないと心配にもなる。
今頃の花だと、もうコデマリとかの、ユキヤナギより一回りも
二回りも大きな、白い花が出て来ていいようだが、それもまだのようだ。
カエデの生長は今は元気を回復していると思える。これ、青い空に白い
ところは太陽の明るさだが、それとうまく調和していると思う。理屈。
タンポポの多くの花、冠毛を作っていて、これが飛ぶとみなタンポポ畑
になる。それ見たことかと思うのだが、どうしても、ハナミズキの白い花
に出てもらわないと恰好が付かないということにもなる。
4月の初めいや中頃、もっと遅くまで、葉っぱは出て来なかったカエデ。
今はフサフサとして、葉っぱは青空を泳ぐ感じでいる。
雲の白いものもあるが、それ以上に白いのは太陽のある位置。
これ、去年の秋に剪定。だから空に空間ありきで、きっと夏にも、カエデの
葉のすべてが空を覆うことはないのではないか。
ある御家庭の垣の下に、突然といっていい、現われた白い花。すでに
最低一度は出た。
タンポポだらけ。それが花のときは、辺りはタンポポの絨毯。今は冠毛で、
薄っすら白い。これを見ると自分の頭とかを想像。小さいお子さんが、これを
フッと吹くようなことがあるのだろうか。
少しだけ、昭和の時代を思い出させる。NHK-TV で、最近盛んに『新日本紀行』の
再放送をやっているようだが、ときにその瞬間を見ることがあるが、どうして
あんなに古びたように見えるのだろうか。それを生で見ていない時間も長いが。
ハナミズキの白。
ハナミズキ、晴れ上がった青い空。
ハナミズキ、その二。
ハナミズキ、その三。
ハナミズキ、その四。
ハナミズキ、その五。
ゾロゾロっと、その辺りを歩くこともあって、それでいえの外ばかり眺めるのは
なかなかいいものだけど。いかに低温状態が続いても、それなりに草は生えてくる。
草が生えるから、同じように花咲く草も、花咲く木の花も咲くわけで、それだけ見
ていると、たとえチョウチョの数は少なくてもまーしょうがないかとか、思えるのだ
けど、当然ながらあまり歓迎されない、草は生えてくる。
今年はスギナが辺り一面に盛んに生長して、その背の高さが結構ある。もう30cm
くらいになるものがあって、仔ネコも草はさほど好きでないらしく、ピョンピョンと
1mくらい飛んで、2、3回飛んで、食べ物のあるところ、ネコのテーブルにやって来る。
でも、ネコも草のソヨソヨとしているころはその辺りは好きで、また暖かさが恋しい
ときでもあったから、そこで日向ぼっこも出来た。今はその草を避けているようで
でもその中にいる。するとどこにもいないような感じになる。草原のネコはあまり
聞かない。
問題はそうゆうことではなく、この草をどうするか、ということで、今日も一日どう
にか無事に過ごせたとか思いながら、寝床の中で草、草、草をどうすると考えると
憂鬱にもなったりもする。草があるからとか言い聞かせながら、でも草はあるものは
刈らないといけない。
今年はタケノコがだめらしい。タケノコが出てこないというのである。
タケノコに今はあまり興味はない。なくても大丈夫で、今年は竹の芽がそういえば
出て来ていない。というのは4月の初めころから、心配してでもたしかにここのいえの
竹もその後も出て来ていない。これがどんどんと出ると、タケノコではなくなるし、
その小さいのはもちろん食べられるタケノコではない。
それが出ないので、安心しでも草は出てくる。花が出てくるから、草も出てきて、と
反芻し、草を憎むことも出来ずと繰り返し思って、それで眠ったようだ。
平年とかいうのはありえないというものだけど、指標にはなるもので
考えようで、それをどう使うか。
ここで書いているようなことに、意味があるのか、わかって
書いているのか、という気がしきりとするけど。
でもたしかに、5月はもう少し、暑いなと思えるときがあっていい。
手帳には、朝の室温しか書いていない。
ブログにどれだけ、気温の記録があっても、これを一つ見るのの
重さというのがあって、簡単に見ることも出来ないもどかしさ。
調子よくないと、なんでも八つ当たりしたくなる。で、もう止めよう。
でもこの気温が低いというのは事実だから、例えば「お米」のこととかも
気になってしまう。まさか冷夏とかならなければいいが。
熱中症も心配だが、程ほどの暖かさ、暑さが戻らないと心配にもなる。
今頃の花だと、もうコデマリとかの、ユキヤナギより一回りも
二回りも大きな、白い花が出て来ていいようだが、それもまだのようだ。
カエデの生長は今は元気を回復していると思える。これ、青い空に白い
ところは太陽の明るさだが、それとうまく調和していると思う。理屈。
タンポポの多くの花、冠毛を作っていて、これが飛ぶとみなタンポポ畑
になる。それ見たことかと思うのだが、どうしても、ハナミズキの白い花
に出てもらわないと恰好が付かないということにもなる。
4月の初めいや中頃、もっと遅くまで、葉っぱは出て来なかったカエデ。
今はフサフサとして、葉っぱは青空を泳ぐ感じでいる。
雲の白いものもあるが、それ以上に白いのは太陽のある位置。
これ、去年の秋に剪定。だから空に空間ありきで、きっと夏にも、カエデの
葉のすべてが空を覆うことはないのではないか。
ある御家庭の垣の下に、突然といっていい、現われた白い花。すでに
最低一度は出た。
タンポポだらけ。それが花のときは、辺りはタンポポの絨毯。今は冠毛で、
薄っすら白い。これを見ると自分の頭とかを想像。小さいお子さんが、これを
フッと吹くようなことがあるのだろうか。
少しだけ、昭和の時代を思い出させる。NHK-TV で、最近盛んに『新日本紀行』の
再放送をやっているようだが、ときにその瞬間を見ることがあるが、どうして
あんなに古びたように見えるのだろうか。それを生で見ていない時間も長いが。
ハナミズキの白。
ハナミズキ、晴れ上がった青い空。
ハナミズキ、その二。
ハナミズキ、その三。
ハナミズキ、その四。
ハナミズキ、その五。
ゾロゾロっと、その辺りを歩くこともあって、それでいえの外ばかり眺めるのは
なかなかいいものだけど。いかに低温状態が続いても、それなりに草は生えてくる。
草が生えるから、同じように花咲く草も、花咲く木の花も咲くわけで、それだけ見
ていると、たとえチョウチョの数は少なくてもまーしょうがないかとか、思えるのだ
けど、当然ながらあまり歓迎されない、草は生えてくる。
今年はスギナが辺り一面に盛んに生長して、その背の高さが結構ある。もう30cm
くらいになるものがあって、仔ネコも草はさほど好きでないらしく、ピョンピョンと
1mくらい飛んで、2、3回飛んで、食べ物のあるところ、ネコのテーブルにやって来る。
でも、ネコも草のソヨソヨとしているころはその辺りは好きで、また暖かさが恋しい
ときでもあったから、そこで日向ぼっこも出来た。今はその草を避けているようで
でもその中にいる。するとどこにもいないような感じになる。草原のネコはあまり
聞かない。
問題はそうゆうことではなく、この草をどうするか、ということで、今日も一日どう
にか無事に過ごせたとか思いながら、寝床の中で草、草、草をどうすると考えると
憂鬱にもなったりもする。草があるからとか言い聞かせながら、でも草はあるものは
刈らないといけない。
今年はタケノコがだめらしい。タケノコが出てこないというのである。
タケノコに今はあまり興味はない。なくても大丈夫で、今年は竹の芽がそういえば
出て来ていない。というのは4月の初めころから、心配してでもたしかにここのいえの
竹もその後も出て来ていない。これがどんどんと出ると、タケノコではなくなるし、
その小さいのはもちろん食べられるタケノコではない。
それが出ないので、安心しでも草は出てくる。花が出てくるから、草も出てきて、と
反芻し、草を憎むことも出来ずと繰り返し思って、それで眠ったようだ。