先ほど朝刊を見ていたら、夕立があるかも知れないという。上空に寒気もあると、ラジオでもいっていて、今外を見ると、たしかにさっきまでの青空は消えて、雲に覆われ、その雲は積乱雲のようにも思えるもので、まだ完全に夏に戻ってはいない、あるいは今年の夏は、こうゆう感じで終始するのかもと思ったりもする。
また、何日ぶりかで、散歩道ともいえなくなった、昔に歩いていたその道を歩いてみた。これには特に問題はない。黄色いヒマワリが、まだあってそれは少し薄目の黄色をしたものと濃い目の黄色をしたものがあったと思ったが、今日見ているとほとんどすこし薄目の黄色い花が咲いていて、濃い目のものは一輪くらいしかない。
これを植えられている方も、タネを取っていてそれを播いているような気もしてきた。去年の色の薄いヒマワリは、青白かった。今の私に似ている。しかし今年のそのヒマワリは、色は薄いが、しっかりと背も高く花もたくさん付けている。
キカラスウリのあるところ、一時このキカラスウリの運命はどうなるか、危ぶんだが、今は形だけだがしっかりと生きている。なぜそうゆう表記になるかというと、なぜか今年はカボチャが大いに勢いづいて辺りにその蔓を繁茂させていて、今はもう実もない梅の木全体を、そのカボチャの蔓と大きな葉っぱとそれと花が覆っている。よって、キカラスウリは自分の居場所がないような状態になって、この後もここには変化がありそうである。
ここに登場したキカラスウリの花は、もうない。これはまー空き地にあって、運のいいものは少しだけ生き残っているが、ほとんどはきれいに刈り取られた。このあとも、実がなるところまでいかないと思う。今のところ上記の梅の木にからまるキカラスウリだけが、その後に実を付ける可能性を持っているが、書いたとおりである。
ご家庭の庭先に出されている花も見るが、今年はどうもよくない。かなりというかはっきりよくなく、その鉢も変えられたり、引っ込んだり色々。畑でもあり、花壇でもあるというところも、ことしは今はキバナコスモスくらいが咲いていて、ダリアなどもひどい状態。ここに、シジミチョウがいる。追いかけっこをしている。生存競争であり、自らの繁栄のためにこの作業が続くようだ。
ワンちゃんはというと、もうかなりその顔を見ていない。皆、涼しいところでお昼寝をしているようだ。アスファルトの道も、ワンちゃんの感じる温度は高い。せめて、もう少し雨でも、ただし適度な量で、そう祈らずにはいられない。歩いていて、風があって、今日もさほど気温は上がっていない。その点はよかった。しかし歩いていないから、大した距離でもない散歩も疲れるもので、子供が元気よく遊んでいるのを見ていると、うらやましくもあり、あっけらかんとした笑顔を見て、しかしこの先の環境というものも心配される。
ここにある、古木のカエデ。
この暑いのに、特にしおれることもない。枝はニョキニョキ伸びる。この木の年齢がいつも気になる。
この木に今は花はなく、よって水玉を作ってみた。風が結構あった。
水玉の花を作る木があったら、そうゆうことも考えたくなる、ことしの夏の前半である。
また、何日ぶりかで、散歩道ともいえなくなった、昔に歩いていたその道を歩いてみた。これには特に問題はない。黄色いヒマワリが、まだあってそれは少し薄目の黄色をしたものと濃い目の黄色をしたものがあったと思ったが、今日見ているとほとんどすこし薄目の黄色い花が咲いていて、濃い目のものは一輪くらいしかない。
これを植えられている方も、タネを取っていてそれを播いているような気もしてきた。去年の色の薄いヒマワリは、青白かった。今の私に似ている。しかし今年のそのヒマワリは、色は薄いが、しっかりと背も高く花もたくさん付けている。
キカラスウリのあるところ、一時このキカラスウリの運命はどうなるか、危ぶんだが、今は形だけだがしっかりと生きている。なぜそうゆう表記になるかというと、なぜか今年はカボチャが大いに勢いづいて辺りにその蔓を繁茂させていて、今はもう実もない梅の木全体を、そのカボチャの蔓と大きな葉っぱとそれと花が覆っている。よって、キカラスウリは自分の居場所がないような状態になって、この後もここには変化がありそうである。
ここに登場したキカラスウリの花は、もうない。これはまー空き地にあって、運のいいものは少しだけ生き残っているが、ほとんどはきれいに刈り取られた。このあとも、実がなるところまでいかないと思う。今のところ上記の梅の木にからまるキカラスウリだけが、その後に実を付ける可能性を持っているが、書いたとおりである。
ご家庭の庭先に出されている花も見るが、今年はどうもよくない。かなりというかはっきりよくなく、その鉢も変えられたり、引っ込んだり色々。畑でもあり、花壇でもあるというところも、ことしは今はキバナコスモスくらいが咲いていて、ダリアなどもひどい状態。ここに、シジミチョウがいる。追いかけっこをしている。生存競争であり、自らの繁栄のためにこの作業が続くようだ。
ワンちゃんはというと、もうかなりその顔を見ていない。皆、涼しいところでお昼寝をしているようだ。アスファルトの道も、ワンちゃんの感じる温度は高い。せめて、もう少し雨でも、ただし適度な量で、そう祈らずにはいられない。歩いていて、風があって、今日もさほど気温は上がっていない。その点はよかった。しかし歩いていないから、大した距離でもない散歩も疲れるもので、子供が元気よく遊んでいるのを見ていると、うらやましくもあり、あっけらかんとした笑顔を見て、しかしこの先の環境というものも心配される。
ここにある、古木のカエデ。
この暑いのに、特にしおれることもない。枝はニョキニョキ伸びる。この木の年齢がいつも気になる。
この木に今は花はなく、よって水玉を作ってみた。風が結構あった。
水玉の花を作る木があったら、そうゆうことも考えたくなる、ことしの夏の前半である。