少し暑いが、曇り空。風もまだ少しあるし、行くか行かないか、ここは行くべきだと思う。まだ、大した暑さではない。TVを、お昼のニュースを見ていると、子供さんが海辺で砂とたわむれている。幼稚園に行っているか、その辺りの年齢に思えて、これでは、多少はくたびれているが、曇り、何回も書くが、曇りで、風もあったので歩いてみた。
それにしても、なんとも解せないこの気温。どうにもならないものだが、水も蒸発するはずで、そんなものがたくさん空気中に存在することも考えられず、雨になって地表を少し潤すこともあっていいはずだが、その雨も降らない。いったい、海から蒸発した水はどこにいったのだろうか。海から蒸発して、海に戻ってしまったのか、その辺がよくわからない。それにしても、暑さは天敵にも思えるが、対処法はゆるいものではダメで、ここはまだ、さほど暑くないそうゆう時間に歩いた。なんだか、理屈っぽくていけない。
まず気が付くのは、あの元気なアジサイもさすがに弱っていること。特に日差しの強い、そうゆうところのものは、どうも水の恩恵にあずかることなく、その花弁は変色しているようで、見ていて少しかわいそうである。あれほど、どんなにひどい気候でも元気なアジサイと書いているが、そのアジサイに一点ではすまない陰りが見えている。雨に打たれて、その重い花を支えきれずに下を向く、そうゆうこともなく、アジサイの花弁は変色している。イネの生育状況は、どうだろうか。今は、あるところでは、地面から水を抜いている。それでも、乾いてはいない。だからイネは、順調に育っているようだ。
一汗かいて、信号で待つ間、風を浴びる。ここからしばらく影がない。でも、曇り空が基本。ときに、強い日差しがあるが、またそれは雲に遮られる。たらたら、汗をかきつつ、普通に歩いている。花はどうだろうか。
あるところに、毎年ヒマワリが咲いているが、これも人の手で管理されている。そのヒマワリは、まだ花を付けていない。これが水の不足のせいかどうか、でも、ヒマワリもこれからぐっと大きくなる、もののようである。なんでも、そのものの固有の時計があるはずだが、忘れていたが、ここにあるたくさんの、ツユクサの一つに花が咲いていた。しかしヒマワリは、まだ先のような気がする。
北風が通る道に出る。ゆるゆると汗は出ていて、シャツの下に水を含ませたタオルハンカチを首の辺りに巻いていて、しかしこれも体温と同じかそれより高そうである。ちょうど、中間辺りに、ようやくアサガオらしき植物を見つけた。そのアサガオはまだ花芽を付けていないようだが、もしこのアサガオが朝に咲いていても日中はしぼんでいそうだ。これはツユクサも同じのよう。アサガオで、肩で息をした。
ムクゲの蕾も出来ていて、その白いものが一つだけあった、蕾はたくさんある。それこそ、馬に食わせるほど出来るようであって、この花もアジサイと同じで、生命力の強いものの代表のようだ。これが、そのうち咲いてさらに秋も終わりという時期まで咲くのだから、恐れいる。道を歩いていて、しかしこうゆう植物が繁茂しているところが限られる、と言うことにも気が付くものである。大体に、ニョキニョキ出てくるものは、その出始めにあるいはもっと前から、散髪をされていて、それがなかなか目に入らないようになっている、ということが出来そうだ。
人のことはいえないもので、いつものことだが、後半に見ることになる、二人のワンちゃんの顔を見ることを忘れることが多い。その道が車が通る頻度が高いことがあげられるが、それだからじゃワンちゃんの様子も見ることが出来ないかというと、そうでもない。やっぱりしばしぼんやりもし、そのことを忘れていて、10mほど歩いて、あー忘れた、今日も忘れた、と繰り返し思う。そこで、もう一人の場合は、その後だから、その忘れたは少ないが、いないこともある。最近にいつに見たのかそれさえも忘れてしまった。せめて、このことだけでも、しっかりと覚えていて、いつもの姿を見たいものだ、と思う。イヌの散歩だと、今どき外を見ると、人とイヌの姿は結構見えるものだな、とも思う。
ここの花のコスモスは、すでに一回花を付けて、それが終わって、今はダリアだと思うが、これが非常に目立つ。
夏の花、ヒマワリの背の小さいものが、すでに咲いていて、今年初めての、ヒマワリの花。
これだけ、ちょっと古いもので、花としては、新鮮である。上のヒマワリは、ミニだが、このアジサイは、「豆」という感じがする。同じものは今日も見ていて、それは、もはや豆の感じはない、立派なアジサイになっていた。
それにしても、なんとも解せないこの気温。どうにもならないものだが、水も蒸発するはずで、そんなものがたくさん空気中に存在することも考えられず、雨になって地表を少し潤すこともあっていいはずだが、その雨も降らない。いったい、海から蒸発した水はどこにいったのだろうか。海から蒸発して、海に戻ってしまったのか、その辺がよくわからない。それにしても、暑さは天敵にも思えるが、対処法はゆるいものではダメで、ここはまだ、さほど暑くないそうゆう時間に歩いた。なんだか、理屈っぽくていけない。
まず気が付くのは、あの元気なアジサイもさすがに弱っていること。特に日差しの強い、そうゆうところのものは、どうも水の恩恵にあずかることなく、その花弁は変色しているようで、見ていて少しかわいそうである。あれほど、どんなにひどい気候でも元気なアジサイと書いているが、そのアジサイに一点ではすまない陰りが見えている。雨に打たれて、その重い花を支えきれずに下を向く、そうゆうこともなく、アジサイの花弁は変色している。イネの生育状況は、どうだろうか。今は、あるところでは、地面から水を抜いている。それでも、乾いてはいない。だからイネは、順調に育っているようだ。
一汗かいて、信号で待つ間、風を浴びる。ここからしばらく影がない。でも、曇り空が基本。ときに、強い日差しがあるが、またそれは雲に遮られる。たらたら、汗をかきつつ、普通に歩いている。花はどうだろうか。
あるところに、毎年ヒマワリが咲いているが、これも人の手で管理されている。そのヒマワリは、まだ花を付けていない。これが水の不足のせいかどうか、でも、ヒマワリもこれからぐっと大きくなる、もののようである。なんでも、そのものの固有の時計があるはずだが、忘れていたが、ここにあるたくさんの、ツユクサの一つに花が咲いていた。しかしヒマワリは、まだ先のような気がする。
北風が通る道に出る。ゆるゆると汗は出ていて、シャツの下に水を含ませたタオルハンカチを首の辺りに巻いていて、しかしこれも体温と同じかそれより高そうである。ちょうど、中間辺りに、ようやくアサガオらしき植物を見つけた。そのアサガオはまだ花芽を付けていないようだが、もしこのアサガオが朝に咲いていても日中はしぼんでいそうだ。これはツユクサも同じのよう。アサガオで、肩で息をした。
ムクゲの蕾も出来ていて、その白いものが一つだけあった、蕾はたくさんある。それこそ、馬に食わせるほど出来るようであって、この花もアジサイと同じで、生命力の強いものの代表のようだ。これが、そのうち咲いてさらに秋も終わりという時期まで咲くのだから、恐れいる。道を歩いていて、しかしこうゆう植物が繁茂しているところが限られる、と言うことにも気が付くものである。大体に、ニョキニョキ出てくるものは、その出始めにあるいはもっと前から、散髪をされていて、それがなかなか目に入らないようになっている、ということが出来そうだ。
人のことはいえないもので、いつものことだが、後半に見ることになる、二人のワンちゃんの顔を見ることを忘れることが多い。その道が車が通る頻度が高いことがあげられるが、それだからじゃワンちゃんの様子も見ることが出来ないかというと、そうでもない。やっぱりしばしぼんやりもし、そのことを忘れていて、10mほど歩いて、あー忘れた、今日も忘れた、と繰り返し思う。そこで、もう一人の場合は、その後だから、その忘れたは少ないが、いないこともある。最近にいつに見たのかそれさえも忘れてしまった。せめて、このことだけでも、しっかりと覚えていて、いつもの姿を見たいものだ、と思う。イヌの散歩だと、今どき外を見ると、人とイヌの姿は結構見えるものだな、とも思う。
ここの花のコスモスは、すでに一回花を付けて、それが終わって、今はダリアだと思うが、これが非常に目立つ。
夏の花、ヒマワリの背の小さいものが、すでに咲いていて、今年初めての、ヒマワリの花。
これだけ、ちょっと古いもので、花としては、新鮮である。上のヒマワリは、ミニだが、このアジサイは、「豆」という感じがする。同じものは今日も見ていて、それは、もはや豆の感じはない、立派なアジサイになっていた。