光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

腹の虫のいろいろ

2008-07-18 18:39:06 | 散策
  かなり狭い道を歩いていて、見通しが悪い。雨もあれば、笹もあって、それが境界をよりはっきりとさせて、しかし特に問題にはなっていない。
  道の広さはなかなか感じられない。昔、この道は広かったと記憶するものがずいぶんと、狭苦しく思える。これもおかしなもので、昔は道があってその回りはただの田んぼで、しかしそれは今の田んぼではない。小川が流れて、柿の木がちゃんと木陰を作っていた。農作業に必要な木の道具が置かれている、そうゆう小屋のようなものもあった。今はそれがなく、しかしその回りに、様々なものが出来ていて、それは今を象徴している。

  それで腹の虫だが、どうも困ったときは何か思い出すことがあって、それの言葉の意味を調べる。簡単な辞書、携帯性のある辞書で、例えば腹の虫を引くと、まずは「回虫」と出る。これは特に説明は不要のようである。ホルマリンなどにつかっているものを実際に見たか、写真で見た。
  腹の虫はどうもさほどグリグリはしない。ただ、どうも腹とは関係がないが、どうしても見るもの、聴くもの、知るものが限られている時間が多く、これまでよりもどうしていいかわからない、という気持ちにも襲われることが多い。何かに、それだけに集中するか、それ以外は、ただボーッと時間を過ごしている。

  セミの鳴き声が結構激しい。これに、文句はないが、ときに電話の音に聞こえて少しいやな感じがする。そのセミが目の前にいたのであるが、わからなかった。色でいうと、岩のような色というと、これまた曖昧で、どういえばいいか、白目の岩、砂利の色に似ていた。それは、もう少し詳しくいうと洗濯物に止まっていて、それを入れるときに、私の手は特にセミに触れなかった。しかし、やはり殺気を感じたセミは瞬間に羽ばたいて、地面に近いコンクリートの上に降りたようで、
  色が色だから、やはりはっきりせずしかし、アブラゼミではなかった。それよりは、二回り小さく、しかし「しっかり」としたセミであって、ニイニイゼミかと思ったのである。それを追っかけることはしない。そのセミはコンクリートの上にいて、それからはよくはわからない。しかしいいセミであって向こうから近付いて来てくれた、とも思われた。

  もう少し、遡ると、これまた珍しく、トンボも姿を見せてくれた。このトンボはムギワラトンボ。久しぶりに見ると少し大きい。この辺りでヤゴが育つ環境は、そんなにはなさそうである。でも、シオカラ、ムギワラクラスのトンボくらいは何度も見てもおかしくはない。そう思うのも、それくらいこの種のトンボを見る機会がないということかも知れない。
  アカネというか、赤トンボというか、これは田んぼの上を舞うことはすでにあったが、まだシーズンではないようで、それを見る機会もまだまだ少ない。去年も同じようなことを考えていて、しかしこのトンボも群れ飛ぶがどこからやって来て、どこへ行くのか、そのときは疑問に思うが、それっきりだ。でも、感じでいうと、東北の方向から現われて、南西の方角へと移動しているように、この辺りでは見受けられる。そのトンボも年々減っているのはたしかで、しかし山の上にある病院では、その裏手側の建物と建物の間で、オニヤンマを見た。これはもう書いたと思うが、本物で、やはり大きい。それにスピードが違う。

  今日は朝は雨、その後止んでまたお昼から雨、ちょうどその雨の降らない時間を有効に利用できたような気がする。それで、腹の虫がどうのこうのもおかしな話しだ。まったくそのとおりのようだ。しかし、特にそれ以上のものは特にないのであって、やはり腹の虫がおさまらない、というようなことを探して書かないといけないような気にもなってしまう。





  境界で、植物はその勢力を競っているかのようにも思える。アジサイの花が、日の当たらないところで、今頃見ごろになっている。

  


  少しレンズの方向を下側にすると、水がある。小川ではなく、用水である。こんなところに、ホタルが舞うことはないのであって、それはただ想像するのみ。




  この雲の流れにそって雨が降っているようにも思えるが、違うだろうな。地上から沸き立っているのではなく、遠くへと続いている。  

しみじみとする風景

2008-07-18 16:16:10 | 植物・花(夏)
  タイトルは、なんだかわからないというもの。

  雨、雨、雨。それが止んで、よかった。
  雨は降った方がいい。それを普段思っているが、
  さて少し山の方へ行かないといけない場合、
  雨さんよ、少し止んでくれ、個人的に思う。
  そうなったようで、これはしかし願いが通じた、というわけでなく
  たまたま、だろう。

  雨は止むと思った。が、それはまた、降り出した。
  今日は小さいスケールでいると、梅雨の感じがある。
  熱帯地方だと、ただのスコールで、これは雨にはたぶん入らないだろう。


  一輪、ムクゲ。




  後ろに、木の杭があって、その後ろはなんだかわからなくなって、
  田舎の感じがあるな、と思う。
  今はどんな田舎にいっても、もう昔の感じはなくなっている。
  廃村跡、くらいなところに行かないと、本物はなさそうで、
  私も見たことはない。




  空に向かって、咲いている白い花。花の時期はその色からいうと
  終わりに近い感じはあるが、ようやくこれがアジサイに見えた。
  というか、アジサイのような花だったのか、という思い。

真っ暗でないと眠れない

2008-07-18 06:42:51 | 散策
  朝のお天気、雨。ときに強くしかしほぼ垂直に落下している。木々の葉っぱに当たる音があたりに満ちていて、それが子守唄にはならない。アメダスの6時の気温、24.8℃、気圧は1006.0hPa。室温28℃。

  アメダスだと、気温はきのうの最高から約10℃も下がった。建物の中だと、5℃くらいしか下がっていないと思う。それでも、朝になると涼しい。また、一階と二階でその室温も違う。雨はたぶん、2時半ごろから降っている。その量は、アメダスでは、最高で4.5mm。どうってことない。

  歳を重ねると、段々物分かりも悪くなって、もともとよくないからその程度は推して知るべきだが、それでも、国語百科だと納得がゆかず、それでは、専門の辞典を引くとこれは何のことかさっぱりわからない。つまり、秀才の試験の解答のような文章が書いてある。この境界はずいぶんと深くまた幅があって、その間を埋めるものは、適当に物を知らない人のやる仕事ではないか、と常々思う。なんとも歯がゆいが、その程度のことしかいえない。
  何でこんなことを書いているかというと、どうも自分は正常だ、と思う人が、回りからみて、そろそろ歳だし、それも家族であるから、日頃の様子は他人よりもよくわかって、それにすでに、そうゆう状態の人を見ているわけで、しょうがなく順番で、それなりの予防措置をとらないといけない、と思う。しかしこれに、かなり強く抵抗するというか、そんなことはない、と、当の本人は思っていて、さらにそうゆうことになったらどうしようなど、逆に悩みを打ち明けられる。おいおい、など口に出さないが、それだからその予防があるのだが。でも、本人は受け入れられない。困った問題で、むつかしい。その答えは書いてない。

  夜は、私は真っ暗にしないと眠れないたちで、それに、今はよくある無線で点燈、消灯など出来ないので、一々あー電球を消し忘れるとどっこいしょと立ち上がらないといけない。これが面倒だな。それでも、やっぱり真っ暗がいい。で、目を開けると、外の外灯の明かりが漏れてくる。これも要らないものだ、少なくてもこの辺りでは、と思う。他にも何かの明かりが漏れる。月かも、それからときに車のライトも何度か反射してそれがぼうっと明るく見える。これは問題ない。でも、眠る部屋に人工の照明は要らない。