かなり狭い道を歩いていて、見通しが悪い。雨もあれば、笹もあって、それが境界をよりはっきりとさせて、しかし特に問題にはなっていない。
道の広さはなかなか感じられない。昔、この道は広かったと記憶するものがずいぶんと、狭苦しく思える。これもおかしなもので、昔は道があってその回りはただの田んぼで、しかしそれは今の田んぼではない。小川が流れて、柿の木がちゃんと木陰を作っていた。農作業に必要な木の道具が置かれている、そうゆう小屋のようなものもあった。今はそれがなく、しかしその回りに、様々なものが出来ていて、それは今を象徴している。
それで腹の虫だが、どうも困ったときは何か思い出すことがあって、それの言葉の意味を調べる。簡単な辞書、携帯性のある辞書で、例えば腹の虫を引くと、まずは「回虫」と出る。これは特に説明は不要のようである。ホルマリンなどにつかっているものを実際に見たか、写真で見た。
腹の虫はどうもさほどグリグリはしない。ただ、どうも腹とは関係がないが、どうしても見るもの、聴くもの、知るものが限られている時間が多く、これまでよりもどうしていいかわからない、という気持ちにも襲われることが多い。何かに、それだけに集中するか、それ以外は、ただボーッと時間を過ごしている。
セミの鳴き声が結構激しい。これに、文句はないが、ときに電話の音に聞こえて少しいやな感じがする。そのセミが目の前にいたのであるが、わからなかった。色でいうと、岩のような色というと、これまた曖昧で、どういえばいいか、白目の岩、砂利の色に似ていた。それは、もう少し詳しくいうと洗濯物に止まっていて、それを入れるときに、私の手は特にセミに触れなかった。しかし、やはり殺気を感じたセミは瞬間に羽ばたいて、地面に近いコンクリートの上に降りたようで、
色が色だから、やはりはっきりせずしかし、アブラゼミではなかった。それよりは、二回り小さく、しかし「しっかり」としたセミであって、ニイニイゼミかと思ったのである。それを追っかけることはしない。そのセミはコンクリートの上にいて、それからはよくはわからない。しかしいいセミであって向こうから近付いて来てくれた、とも思われた。
もう少し、遡ると、これまた珍しく、トンボも姿を見せてくれた。このトンボはムギワラトンボ。久しぶりに見ると少し大きい。この辺りでヤゴが育つ環境は、そんなにはなさそうである。でも、シオカラ、ムギワラクラスのトンボくらいは何度も見てもおかしくはない。そう思うのも、それくらいこの種のトンボを見る機会がないということかも知れない。
アカネというか、赤トンボというか、これは田んぼの上を舞うことはすでにあったが、まだシーズンではないようで、それを見る機会もまだまだ少ない。去年も同じようなことを考えていて、しかしこのトンボも群れ飛ぶがどこからやって来て、どこへ行くのか、そのときは疑問に思うが、それっきりだ。でも、感じでいうと、東北の方向から現われて、南西の方角へと移動しているように、この辺りでは見受けられる。そのトンボも年々減っているのはたしかで、しかし山の上にある病院では、その裏手側の建物と建物の間で、オニヤンマを見た。これはもう書いたと思うが、本物で、やはり大きい。それにスピードが違う。
今日は朝は雨、その後止んでまたお昼から雨、ちょうどその雨の降らない時間を有効に利用できたような気がする。それで、腹の虫がどうのこうのもおかしな話しだ。まったくそのとおりのようだ。しかし、特にそれ以上のものは特にないのであって、やはり腹の虫がおさまらない、というようなことを探して書かないといけないような気にもなってしまう。
境界で、植物はその勢力を競っているかのようにも思える。アジサイの花が、日の当たらないところで、今頃見ごろになっている。
少しレンズの方向を下側にすると、水がある。小川ではなく、用水である。こんなところに、ホタルが舞うことはないのであって、それはただ想像するのみ。
この雲の流れにそって雨が降っているようにも思えるが、違うだろうな。地上から沸き立っているのではなく、遠くへと続いている。
道の広さはなかなか感じられない。昔、この道は広かったと記憶するものがずいぶんと、狭苦しく思える。これもおかしなもので、昔は道があってその回りはただの田んぼで、しかしそれは今の田んぼではない。小川が流れて、柿の木がちゃんと木陰を作っていた。農作業に必要な木の道具が置かれている、そうゆう小屋のようなものもあった。今はそれがなく、しかしその回りに、様々なものが出来ていて、それは今を象徴している。
それで腹の虫だが、どうも困ったときは何か思い出すことがあって、それの言葉の意味を調べる。簡単な辞書、携帯性のある辞書で、例えば腹の虫を引くと、まずは「回虫」と出る。これは特に説明は不要のようである。ホルマリンなどにつかっているものを実際に見たか、写真で見た。
腹の虫はどうもさほどグリグリはしない。ただ、どうも腹とは関係がないが、どうしても見るもの、聴くもの、知るものが限られている時間が多く、これまでよりもどうしていいかわからない、という気持ちにも襲われることが多い。何かに、それだけに集中するか、それ以外は、ただボーッと時間を過ごしている。
セミの鳴き声が結構激しい。これに、文句はないが、ときに電話の音に聞こえて少しいやな感じがする。そのセミが目の前にいたのであるが、わからなかった。色でいうと、岩のような色というと、これまた曖昧で、どういえばいいか、白目の岩、砂利の色に似ていた。それは、もう少し詳しくいうと洗濯物に止まっていて、それを入れるときに、私の手は特にセミに触れなかった。しかし、やはり殺気を感じたセミは瞬間に羽ばたいて、地面に近いコンクリートの上に降りたようで、
色が色だから、やはりはっきりせずしかし、アブラゼミではなかった。それよりは、二回り小さく、しかし「しっかり」としたセミであって、ニイニイゼミかと思ったのである。それを追っかけることはしない。そのセミはコンクリートの上にいて、それからはよくはわからない。しかしいいセミであって向こうから近付いて来てくれた、とも思われた。
もう少し、遡ると、これまた珍しく、トンボも姿を見せてくれた。このトンボはムギワラトンボ。久しぶりに見ると少し大きい。この辺りでヤゴが育つ環境は、そんなにはなさそうである。でも、シオカラ、ムギワラクラスのトンボくらいは何度も見てもおかしくはない。そう思うのも、それくらいこの種のトンボを見る機会がないということかも知れない。
アカネというか、赤トンボというか、これは田んぼの上を舞うことはすでにあったが、まだシーズンではないようで、それを見る機会もまだまだ少ない。去年も同じようなことを考えていて、しかしこのトンボも群れ飛ぶがどこからやって来て、どこへ行くのか、そのときは疑問に思うが、それっきりだ。でも、感じでいうと、東北の方向から現われて、南西の方角へと移動しているように、この辺りでは見受けられる。そのトンボも年々減っているのはたしかで、しかし山の上にある病院では、その裏手側の建物と建物の間で、オニヤンマを見た。これはもう書いたと思うが、本物で、やはり大きい。それにスピードが違う。
今日は朝は雨、その後止んでまたお昼から雨、ちょうどその雨の降らない時間を有効に利用できたような気がする。それで、腹の虫がどうのこうのもおかしな話しだ。まったくそのとおりのようだ。しかし、特にそれ以上のものは特にないのであって、やはり腹の虫がおさまらない、というようなことを探して書かないといけないような気にもなってしまう。
境界で、植物はその勢力を競っているかのようにも思える。アジサイの花が、日の当たらないところで、今頃見ごろになっている。
少しレンズの方向を下側にすると、水がある。小川ではなく、用水である。こんなところに、ホタルが舞うことはないのであって、それはただ想像するのみ。
この雲の流れにそって雨が降っているようにも思えるが、違うだろうな。地上から沸き立っているのではなく、遠くへと続いている。