光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

逃げるバッタ

2008-07-13 18:25:49 | 散策
  梅雨ねー、どこさいったかいね、まー「なかった」ということにして、だから暑いこと。土の表面はカチカチに乾いていて、でもこの土が脆弱で流れる。草があれば、多少はその流れてゆく量は少ないだろう。
 
  それで、草の生えているところ、生えていないところ、まだら状態である。
  バッタ、何とも懐かしい言葉だが、しかしこうゆうものも、やっぱり今頃になって、それがいないことがなんだか変だと思う、まだ、カマキリはときに見かける。コガネムシもほどほどだが、バッタはときに見るが、なかなか見つけることもない。そういえば、
  タネを播いたそうゆうときに、土色の小さいバッタを見つけた。あー、こうゆう虫もいたな、思い出すことしきりである。しかしどうも土と同じ色のバッタというのも、やりにくい相手だ。ここは、面白おかしく、しかも仮面ものを髣髴とさせる、そうゆうものに登場して欲しいが、それがなんともいない。
  いる時もあるが、例えばその見え方は、タンマに星空を眺めて、サーッと瞬間に流れる、光の筋に似ている。バッタを見てお願い事はしないが、目をあわした瞬間彼ら、彼女やらはさっとジャンプして他に移動する。ほぼ瞬間に見えなくなって、ただ草が少し揺れる。ぼうっとして、これはもしかしたら忍者といわれる人は、バッタからその行動を習ったのではないか、と思えるくらいだ。

  バッタというと、これは同じ、仲間といっていいのかわからないが、キリギリスや、コオロギがいる。コオロギについてはさらに細かい分類があることも思い出されるが、たしかにごく普通のものとやけに小さいものの区別くらいは、わかりそうである。キリギリスも、少し昔に見た気がする。2年の単位で、見た気がする、コオロギだと、秋に鳴く虫の声で観賞しているかも知れない。キリギリスもいいが、
  ここは、もう少し小型の、ピリピリしたものにお目にかかりたい。ときどき、花をめざしてゆっくり歩いていると、何かがすっと飛んでゆく、その姿は見えないが、それこそ葉っぱが揺れることもあって、これは間違いなくバッタのたぐい、それも緑の色をして、草と同じような色だし、さらに小型だ。大型だと少しバタバタしそうで、小型だとそれこそ見えないのだ。

  今日は日曜日で、あることも忘れて、かなり疲れてきたことも事実だ、いらん考えは、やはり要らないので、ときに回りの草を眺めることもした。少し動くとバッタも反射的に動くようだ、と思われたので、それをやる。しかしバッタのバの字もいないし、葉の揺れもないので、まことに残念な気になった。それでもういい加減飽きたときに、そのバッタは動いた。それを追った。すると葉っぱの裏側というか境目くらいに、その顔をのぞかせている。なんとも憎い演技をする。それでは、と自分もそっちに体を傾けると、まったくもってバッタに遊ばれた。それは、またその次の草むらへ一気に動いて、もはやどこにいるのかわからない。

  バッタ遊びというのはあるのかどうか知らないが、それにしてもこの虫の動きはかなりに機敏である。瞬間的に危険を察知しているというしかない。で、昔を思い出すと、まーバッタくらいは、捕まえることが出来た。時代は一気に今に近付いて、この書き込みを始めたときにもバッタは多少のことでは逃げたりせず、おとなしくしてくれたと思う。何も食べたりはしない。そうゆう経験もない。結局、バッタもあくせくした生活を余儀なくされている、そう思わざるを得ない気分になってしまった。あーやっぱりバッタも貴重な生き物となってしまった。



  あまり元気のない、夏の花。




  去年も咲いていた赤いダリア。後ろに見える花も、息絶え絶えな感じである。




  このグラジオラスも水不足気味。




  咲きたてのような黄色。これは、少し瑞々しいが、今日だけのような感じもする。

暑く咲く花

2008-07-13 15:52:18 | 植物・花(夏)
  気温を見ていると、30℃前後で推移。

  風が出て、雲もあると、これくらいだと楽かも知れない。
  Tシャツを適度に水で濡らして、これはまー顔を洗う、
  それからそのまま頭を持ち上げると、自然と水は
  シャツにしみ込んでゆく。
  昔からやっていた方法だった。こんなことも忘れている。

  暑すぎるわけでもあるまいけど、虫は昼寝中かも。

  だから、ノウゼンカズラはよく目立つ。




  風があまりとおらないところ。だから、さほど揺れない。
  濃い色のノウゼンカズラ。

  ヒマワリが、同じく近いところに咲いていて、




  ちょうど同じような背の高さ。大きさも、このくらいではなかったか。

  ヒマワリ、ノウゼンカズラとも、あちこちで咲いていて、後者は
  満開に近いところも、もう見ている。

体重は減らない

2008-07-13 06:54:57 | 散策
  朝のお天気、今日は晴れ、3重丸くらいの晴れ。気分だともう少しさっぱりしていたら。無理な希望だ。風もそよ風より弱い。アメダスの6時の気温、23.1℃、気圧は、1009.4hPa。室温26℃。
 
  日曜日だからか、セミの鳴き声だけ聞こえる。この鳴き声も恐らく日の出とともに始まるようで、セミの鳴き声で起床というのもありか、と思う。もうかなり暑いから、朝の散歩をする人はもっと早起きしている。新聞配達の人のぺたぺたという足音がしたのを覚えている。まだ暗かった。

  お腹周りを気にしないといけない時代で、世も変わった。それで、メジャではかってみた。そのときは、立っていた。それから、ごろんと横になって同じように、お腹周りをはかってみるとやっぱり予想通り、5cm小さくなった。これは、なんだか薮蛇だな。お腹周りは測り方で違うということを確かめたのだけど、これはその回りに、たっぷりと脂質を蓄えている証明にもなる。これを蓄えているから、イザというときは、少しは長く生きられるなど考えているが、そうもいかないようだ。
  測り方のもう一つに、無重力状態というのがある。このときの測定値は測定不能となるだろう。これはしかし非現実的で、もう一つは、逆立ちをしてお腹周りをはかるというものだが、これはまだやっていない。予想だと、立ち位置と10cmは違うはずだが、やれない。

  あとは目視だ。汗をかく。幸いにもここにもシャワがあって、お湯も出る。ずいぶんと進歩している。しかし多量の二酸化炭素を排出するようで、悪いことをやっているような気にもなる。水で、十分だが、それだと「ちめたくて」いけない。なぜか知らないが、横に鏡がある。こんなものは要らない。なんだか鏡をみると情けなくなる。あー、このお腹。これ以上は書かないし書けないが、それにしてもなー、ちっともへこまない。あれだけ汗かいて変化なし。食欲も大してないのに変化なしか。何をやってもダメだな。

  まー、まだお腹に蓄えのあるうちが花、華。そのうちいやでもへっこむときが来る。もうかなり前に、一度お腹はペシャンコになった。こうゆうこともあった。しかしこれも具体的に書くことはむつかしい。それから無論、すぐにもとに戻った。だから今がある。