光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

しょっぱい梅干しの味

2008-07-01 18:43:55 | 散策
  梅雨明けのような空が広がっていて、東の空は青く、西の空は太陽がまぶし過ぎる状態で、しかし白い雲もその空にはある。この西日は強烈である。

  梅干しが、たしか冷蔵庫に入っていて、それを見かけて2、3日たってご飯ののどの通りがいまいち、かんばしくなく、その方がいいのであるが、その梅干のことを思い出して、冷蔵庫の中を探した。こうゆうときにはなかなか見つからないもので、なんとも情けない思い。見えないのかな。探したら、時間をかけて、出て来た。幻ではなかったわけで、それが器に入った。
  小さくで、かわいい梅干しで、甘酸っぱいものである。しょっぱいという代物ではない。たしかに梅のようで、ちゃんとそれなりにタネがあって、実というものは少ない。少し残念でしかしだからおいしいのかも。それはおいしく、ちゃんとご飯ものどを通った。それにしても、しょっぱさのしょの字もない。

  これを食べていると、昔のたぶん祖母の漬けていた梅干しというものを思い出した。これはそうするとかなり昔の話しになる。代が変わって、ここでも梅干しを作っていたが、これは塩はほどほどで、お酢を多めに入れていたと思うが、それも残っているかも知れず、しかし最近食べてない。だから、余計にその甘いお菓子のような梅干しを食べて、しょっぱい梅干しを思い出したのである。

  梅干しというと「おにぎり」というものも思い出すが、このおにぎりには、少し昔の、そのしょっぱい梅干しがよく合った。たぶん、それを2、3個作ってもらってどっこらしょと、お江戸行きの列車に、すでに完全に電車化されていたがその電車に乗って、途中かどの辺りかはっきりしないが、日本海の景色がなくなるところ。だから直江津から信越本線に入ってゆく辺りで、鞄からこの鞄も時代がかっているものである、その新聞紙であったり、でもそれはもうなかった、どこかの洋風の紙にくるんだ、そのおにぎりを取り出して、むしゃむしゃ食べた気がする。それでも、まだ座って、そのおにぎりを食べることが出来るのはかなりに限られたときで、年末年始は、あるいはお盆のときはそうゆうことも出来なかったように記憶している。さらに、そのおにぎりは変わらないが、中身の、梅干しの味も少し変わっていったかも知れない。
  ここのおにぎりは、まずは海苔など巻かずに、それは昆布であって、とろろ昆布とか言っていたようだが、これにも色々むつかしい決まりがあって、簡単ではないが、薄く削った昆布を一つはお酢の味を染み込ませたもの、もう一つはただ昆布だけ、というものがあって、その昆布自体は、グジャグジャであった。だから、それは、洋紙にもくっ付いたし、それから手にもくっ付いて、最後には口の周りや、歯と歯の間に入って長く残っていた可能性がある。

  昆布自体は、これはおいしいものということで決まっている。この中味がどうのこうのいう必要もない。梅干しは少し違ってしかし昔のそれはかなりしょっぱいが、食べていて当時は違和感はなかった。今は、もうそうゆうものを口にも出来ないと思うが、かなりしょっぱく感じるものだと想像する。その当時、そのしょっぱい梅干しは、昆布のうまみとうまくマッチして、それでものっ込むときはお茶を必要とする。このお茶というものも、もちろん水筒に詰めたはずだが、そんなことはどうでもいいかも知れない。
  久しぶりに、梅干しを、しかもかなり甘い、甘酸っぱい梅干しを食べて、そういえば、昔の列車の旅の弁当は、おにぎりだったということを、思い出させてくれた。この甘い、少し酸っぱいかわいい梅干しもなかなかいい思いをさせてくれる。

  
  キカラスウリに続いて歩いていくと、その季節に応じた花が出てくるそうゆう花壇がある。他にも、道の両脇にはかなりたくさんの花が置かれているが、こうゆうものはやはり地面に生えていないと、というものがあって、今のそれは、




  グラジオラスである。この紫の花が、うまい具合に咲いていてくれた。キンギョソウというものもあるが、それとはかなり違うもののようで、この花大きくて迫力がある。




  今日の、太陽光は何しろ快晴で、強烈の一言。よって、花の色具合というものも、どれが一番眼視に近い色かなかなかわからない。

  ここに、小さなカマキリがいる。




  太陽光を浴びすぎて、こんなあめ色になった、というのは考えにくいが、カマキリも紫外線対策をした方がいいのではないか、そうゆう風に思わせる姿である。

キカラスウリの新葉

2008-07-01 16:20:02 | 植物・花(夏)
  ほぼ快晴のお天気で、暑い。
  暦を見ると、7月、見なくても、7月。で、しかし気分的には、
  私の時計は6月の半ばで止まったままの感じだ。
  今もなお6月のままで、少しジメジメしている。

  キカラスウリの新しい葉っぱが、また同じところに出て来ていて、
  それをただ見ているだけであったが、今日は暑いが、
  北風もかなりあるので、いつもの散歩道を歩いた。
  もう7月だから、この植物の葉も出て来て当然のようである。




   非常にまぶしくて、それと葉っぱというのは、見ていて
  さほど面白いものではない。ハムシがいたり、アマガエルもいるときが
  いいようだ。
  
  去年のキカラスウリの実が、まだ残っていて、




  陶器か、彫像のようで、これはこれで、なかなかいい感じがする。
  葉っぱは梅の木のもの。

  ちょっと寂しいので、他の花にいた、




  白いたわし。たぶん、マメコガネだろうけれど。

きのうよりはマシだけど

2008-07-01 06:43:52 | 散策
  朝のお天気、曇りベースだが、太陽も顔を出している。これでちょうどいいが、しかし暑くなりそうで、今頃から少しおびえている。風はそよそよ、アメダスの6時の気温19.5℃。気圧は、1014.1hPa。室温21℃。

  少しよくなった。かなりよくなったかも知れない。しかしそれ以上は望むのが無理のようだ。これまでの経験も少し忘れることにしよう。
  今日は少し外に出てみる。寒くも暑くもない。いい感じで体もその分だらける。今日はいつも速歩で歩いているかたを見かけない。早すぎたか、遅すぎたか。道を10mほど歩いて、なるべく遠くを見る。いつも近いところばかりを見ている。このPCの画面も、普通よりは遠いと思えるところに置いてある。それでも、やっぱり見ていると疲れる。

  星を見ること、これがなかなかないっすね。大体、空は晴れていない。夜の空で最近晴れているという記憶すごく少ない。それも、眠っていて起きて、そうゆうときにしか眺めていない。でも、遠いところを眺めるのは目にはいいらしい。いいというより、普段あまりに近いところを見ているから目の筋肉も疲れるのだろう。それで、星を見るわけだけど特に面白くはない。ここが問題だし、大体見てるだけじゃ話しにならない。

  花やら虫は、これは段々と近くに、段々と小さくなるようだ。いよいよ目玉は、緊張する。花は目で見てちょうどいいものが多いが、しかしやっぱり何かちょっと目を引くものというと、それなりの苦労やら、それから冒険も必要となる。ちょっと「くらくら」もするが、接近して、止まれっと思いつつ花の中に入って行く。そこに、虫もいるし、これはなんともミクロの世界だ。これがダメなのである。参ったなー。

  しかし、この先なかなか「いいこと」はありそうにない。個人的にもそうだし、世の中の動きというものもなんだか妙だし、これに声援を送る人もいれば、そうは思わない人もいるだろう。まー消費が減れば、自然とメタボンな体もスリムになるような、そうした安穏とした考えでいる。