光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

緑豊かさ入門

2008-07-11 18:30:40 | 散策
  雷鳴が、ときにゴロゴロ聞こえて、それでも、辺りを見渡していると青空があって、もしも晴れ続き、旱魃、干上がっている状態のところだと、雨乞いの成果がようやく、という感じにも近く、しかし降るか降らないか、どっちだというと、たぶん降らない。
 
  木々の緑がまた一段とさえている。見た感じではこれくらい美しいものもないようで、しかし低地の、丘の、丘陵辺りでは暑くて、とてもじゃなくて、歩くこともないと思う。そこに行かれる方はおられるだろうが、まだ平地をアスファルト舗装された、そうゆう道を歩くことの方が、返ってきれいな花々を見ることも可能であって、私もこの時期に低山あるいは丘陵を歩こうと思ったことはない。これは昔話であった。
  高尾山辺りも6月までが快適に歩ける限度のような気がする。帰りは、ケーブルなり利用とすると、それはなかなかいいかも。朝早くというのもある。それは5月頃だったけれど、野鳥観察をされている方が高尾山を下りてくるころに、私は、朝の7時の特急に乗って、登りかけ、という瞬間は何度もあった。そうゆう手があるか、今頃思うが、それでも夏の山、自然の宝庫でもあると思えた高尾の、その自然は、道から少し離れたところに行ってみると、色々なものがいて、その中にはかなり危険と思われるような、そうゆうものに遭遇する機会は十分に考えられる。スズメバチなども、出あったこともある。これは、まだ初歩的段階だった。

  もう少し春に近く、また秋も深まると、快適な低山歩きがあるようで、しかしそれも道が整備されていると可能であって、ときに冷や汗をかく。道がわからなくなる時もあれば、蜘蛛の巣だらけということにもなる。人は多く歩いていそうであって、そうではない。
  緑濃いというと田舎の代表的な表現でその景色の美しさは、もう書いたとおりだが、そこに潜むものは目に見えない。蜂の類も、もういないようでたくさんいる。蛇もこれも当然いる。毒を持つ。その他吸血性のものもいるだろう。さすがにヒルに出あったことはない。それで一番怖いのは、いくら近くに民家が見えているそうゆうところでも、迷い道もあれば獣道もあるようで、ときにイノシシくらいは居そうである。道に迷う。それ以上のこともあるようで、もうかなりのところまで、
  コンクリート舗装されている、この辺りの田舎でも、人工的なところ、それと自然が結構残っていて、目に見えないものとの境界線はやはりあって、そこを越える怖さは、これは普通の自然とほとんど変わらないのではないか。そうゆう危険性、そうゆうものに慣れていない、自分も含めて、まだまだこの緑に隠されている、自然の美しさとそれと、目に見えない恐怖、危険性はやはりそのまま残っていると、ふと、そのあまりに美しい丘陵の緑を見て、あらためて強く思ってしまった。大いに気を付けないといけない。





  これからのアジサイというものも、もう終わりというものと一緒に出ていて。探せば、いくつかある。




  
  今頃出て来た、ここのアジサイ。これ、もしかしたら、咲かないかも、とふと思ったりする。


  キカラスウリの葉に、クロウリハムシ。このハムシは、ゴムのようで最初に見たときは少しびっくり。




  小さい虫なので、ミニで寄った方がずっといいものが撮れると思うが。




  アジサイの葉っぱにもこのムシはいる。なんでも食べないと生きていけない。しかしキカラスウリの葉に、この虫はよくいる。上のものとどこが違うか、というと、首が少し回った、ところ。  

夕景、小暑も過ぎて

2008-07-11 16:25:39 | 散策
  また暑い日が復活して、この暑さがちょっと怖い。
  暑さは天敵の一つで、気を付けないと。

  花も、なかなか撮りにはゆけない、
  寂しい感じもあるが、ここは次を待つところ。

  夏至も過ぎ、小暑も過ぎて、
  とんでもなく暑くなってくる予感。
  今日は風がある。その点は楽、もしかしたら、落雷があるかも。
  これは嬉しくない。

  小暑も過ぎた夕刻。




  爽やかさは、なくもないが、やはり夏の夕刻の空。
  若干、太陽光のマジックがあるかも知れない。




  夏の夜空だと、一番は星空、二番はどうかな。
  夜空の花火もいいが、こうゆう輝きの空も、夏特有のような
  気もして、これははっきりしない。

自然と笑えることねー

2008-07-11 06:48:12 | 散策
  朝のお天気、曇り。露か、もしかしたら小雨があったかも。外に出たが風は弱い。ジメジメ感、植物の葉に大きな水玉。アメダスの6時の気温、23.9℃、気圧は、1006.7hPa。室温25.5℃。

  どうも湿っぽい話しが多い、半分は仕方ないが、自分でもしんどいし、辛気くさいのはいただけないと思う。
  夜のラジオに、耳を傾けている。この時間の中味、意外と熱い、失礼な言い方かも知れない、なかなか話す方、投稿される方、中味の濃いものでつながっている。聴いていると、それが伝わる。
  もう少し笑えるものはないか。TVに、登場するだけですでに笑いがこぼれる方もおられる。お医者さんの格好で、登場されて、それだけでもう笑ってしまう。多少のシモの話しもよく、

  しかし私のなるべく見るようにしているTVもお笑いの方が多く、だが、登場すると歓声の声が、喚声の音が聞こえるようで、これも熱い。しかし会場の方は、はっきり若い人が多い。
  電車などに乗ると、例え話だが、なにかこちらを見てくすくす笑う声が聞こえる。すると気になるもので、自分を見たり、その回りをわからんように眺める。特に、ネクタイが反対向いていることもない。社会の窓も大丈夫、関係ないか、私と。でも、どうも座っている、斜め向かいの若い女性の方は、2名お友達のようだが、ときにこちらを向いてやはりくすくす笑っているようで気になる。が、最後までその理由はわからない。さっさと目的の駅で降りて、それで、トイレでわが身を見ると、やはり特に変化はない。

  で、回りに笑いを提供するのはいいことだ、そう思い直す。TVの、お笑いの方はやはりネタで笑いを取らないといけない、と考えているのだろう。なるほどごもっともである。恥ずかしがりのお笑いの方は、さぞかし大変だろう。でも、大体が、なまのTVだと、ドッキリに近いものはいつもありそうで、それで場が盛り上がる。この可能性に満ちている。ドキドキし、ときに大笑いがある。

  それが一番の楽しみ、見る側としては、かも知れない。