名古屋から発するブログつぶて・凡人のひとりごと

身の回り、世間のできごとをを日記風に記す(紙つぶてならぬブログつぶて)。

伊勢湾台風から50年

2009-09-26 10:44:16 | Weblog
2009.9.26
 9月26日は台風の特異日と言われている。
 1954(昭和29)年9月26日 台風15号(この時はまだ名前がない)来襲で青函連絡船が転覆、死者・行方不明者1151人。
 1958(昭和33)年9月26日 狩野川台風来襲 死者・行方不明者約1200人
 1959(昭和34)年9月26日 伊勢湾台風来襲 死者・行方不明者5098人(うち名古屋市1909人)
 
 伊勢湾台風が来襲して今日で50年目を迎えた。1934(昭和9)年の室戸台風、1945(昭和20)年の枕崎台風とともに三大台風と言われているが、その中でも台風史上最大の被害を出した空前の大災害であった。
 当時、筆者は学生で中川区でも都心に近いところに住んでいたが、両親は港区南陽町に住んでいて、高潮に襲われたが奇跡的に助かった。日光川の堤防が寸断され、家屋が流される直前に堤防に避難して助かった。明るくなって、辺りを見たらその部分だけ堤防が残っていたというから、これはもう奇跡としかいいようがない。近くに住む叔母、いとこ等何人かの親戚が死亡するという一族にとって最大の災害であった。
 数日後、大学のクラス仲間が救援に来てくれたが、数百㍍先に流された家は引かない海水に没したままで、どうしようもなかった。
 また、海水から突き出た戸田川の堤防の上に建てた掘っ立て小屋に、一人だけ生き延びた本家のいとこの若いお嫁さんを励ますために何日もかよったことを覚えている。
 あれから50年、農業地域であった南陽町も市街化が進み、雰囲気はすっかり変わった。本家も既にいとこの代からその子どもに継がれており、行き来は途絶えてしまった。世の中も変わった。50年という時の流れの長さをつくづく思う。

【追記】
 伊勢湾台風五十年の今日午後、久しぶりにかつて住んでいた南陽町小川新田に行ってきた。
 家の近くにあった戸田川排水機場は大きな施設に建て替えられていた。付近はすっかり変わって、面影はない。小学生のころよく釣りをした東小川も西小川も埋め立てられて宅地と畑になっていた。
 しかしなんといっても、国道302号の整備と南陽町・飛島村を結ぶ飛島大橋の建設がかつての景観を大きく変えた。大きな道路が小さな村を二つに分断していた。子どもの頃、日光川のむこうにあった飛島村は永遠に行けない遠い存在であったが、今は車で1分とかからない。
 あらためてふるさとは消えたことを認識させられた。