田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

下痢32  麻屋与志夫

2019-11-29 14:47:30 | 純文学
32

 ――あなたは自分を痛めつけるのがすきみたい。
 彼女がささやく。
 いたずらっぽく、男を透かして見る眼差しをしている。
 だれが追加したのだろう。
 ぼくらの卓にはトマトジュースがある。
 彼女のグラスでは赤い濃液は半分に減っている。
 いつのまに飲んだのだろうか。
 ぼんやりとしていると、彼女が訊いてきた。
 ――でも……どうして、グラスなんか割ったの?
 質問のおおい女だ。
 ぼくにもわからない。
 動機はわからない。
 理由も動機もわからないまま、ぼくはいつも苦役に満ちた世界に引きこまれてしまうのだ。
 直腸癌の父と糖尿の母の看病をするハメになっときだって、逃げようすればよかったのに。
 
 ――Kがうらやましかつたのだろうか。
 だが、ぼくは声を低めてこたえていた。
 売れっ子の作家になっている彼が羨ましかったのかもしれない。
 妬ましかったのか。
 そんなことはない。
 嫉妬は相手を自分の水準までひきおろす。
 ぼくはKの成功を……よろこんでいる。
 ぼくはただ惨めだった。



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