田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

下痢8 麻屋与志夫

2019-11-07 12:13:15 | 純文学
8

 仰向けに寝ていると、すでに肉の落ちた父の顔面は、頬骨が突起して、皮膚がだらりと耳のわきまで垂れさがり、スカルを見ているようだった。
 父のこの滅び行く肉体、癌細胞は悪魔――に侵された肉体、ぼくらを虐待し、放蕩のかぎりをつくしたこの存在のために、ぼくは生涯借財を背負い、文学の道へすすむことすらあきらめなければならないだろうと、……わかってるが……。どうすることもできなかった。
 粘質性のどうしょうもない臭い、異臭がぼくのからだにまわりつく。
 みじめなこの状態がいつになったら終わるのだろうかと、陰惨な気分になった。
 ぼくらは言葉を交わすこともなかった。
 父はほとんど口もきけなくなっていた。
 手をしっかりと握りにしめたまま、なぜ父の手をきつく握りしめているのか、ぼくには理解できなかった。
 父を凝視した。父の眼にはそのころから……おびえるような影が見られるようになった。
 死の影におびえていたのだ。
 訊いてみたわけではない。
 梅雨がはじまっていた。
 ただですら昏い、部屋で、父の病状について母とささやきあっていると(その母もながいこと胆のうを患っていた)ぼくはすっかり暗たんとした気分になり、庭にとびだすこともあった。
 しかし、そこまでだった。
 庭に立って、雨にぬれた紫陽花の花をみつめていると、人の気配がした。
 むだに長い廊下に、母がぼんやりと母がぼんやりと立っていて、ロープを首にまきつけ、いままさに首をくくろうとしているような表情が暗がりに白くうかんでいた。
 それはまさに、ぼく自身の心の反映であった。
 苦労をかけるね、などという甘い言葉はけしてきこえてはこなかった。
 ぼくは、三十歳になったばかりだった。
 まったくとうとつに白髪がふえ、老人のような髪になっていた。
 陽光のかがやく、つゆ間の街にでても、暗い闇の底を歩いているようだった。
 昼間から酒でも飲んで酔っていたのか。と、友だちに――ひやかされたこともあった。ぼくは千鳥足だったらしい。
 真っすぐ歩いているつもりなのに、よろけるように歩いていたのだった。
 
 北千住駅でよろめいたとき、あの当時の肉体感覚がふいによみがえった。
 ぼくのからだはたえずかすかに振動し、その過労からくる筋肉のふるえは……生きたている軋みとして――内在しているのだ。


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