田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

下痢5  麻屋与志夫

2019-11-04 13:08:57 | 純文学
5

 寝床に背中をおしつけたまま仰臥した父は、床ずれのために腰から臀部にかけて紫褐色に変容し、肉そのものは、ブヨブヨにうじゃじゃけて……その部分から死にかけていた。
 人口肛門からはいやな臭いが立ち上り部屋に満ちていた。
 風の吹き具合によっては家の外にまで流れだすのだった。
 硬直した死屍のような形で仰向けに寝たままだが、父は痛みの遠のいている時など、あいかわらず重層的に罵詈雑言をぼくらにあびせかけた。
 母は到底腕力などふるえるはずのない父におろおろしていた。
 それでも、懸命に父の汚物の処理をしていた。
 黄色く濁った瞳孔と肉のこけた父を見下ろす。
 かさかさにひからびた海藻のような腕。
 しぶきをあげてきらめく魚紋のようにいきてきとぼくらに迫ってきた父の腕がなつかしかった。 
 完全なる愛情がないように、完全に肉親を憎しみとおすことは不可能なことを、衰えた父の指先かなにかつもうとして……ピクット動くたびにぼくはおもいしらされた。
 
 それはまったく、やるせないみじめな感情だった。

 
麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで読むことができます。どうぞご訪問ください。

カクヨムサイトはこちら

  今日も遊びに来てくれてありがとうございます。
 お帰りに下のバナーを押してくださると…活力になります。
 皆さんの応援でがんばっています。



下痢4  麻屋与志夫

2019-11-04 07:40:01 | 純文学
4

 白い列柱の影に隠れた。
 父はいつになっても現れなかった。
 口汚くぼくをののしった。どんなことがあっても手術はいやだ。こみあげてくる嗚咽と手術への恐怖を覚られまいとして、父は病院のベランダを歩きだした。そして、不意に柱の影に姿を消したのだった。
 
 父がこのまま現れなければ。不遜な感情がこみあげてきた。
 
 愛情どころか、嫌悪感すべき父のために、ぼくらの生活が壊される。
 憎しみを抑制することはできなかった。

 つゆ時の、よどんだ空気がぼくの気持ちを陰鬱で重苦しいものにしていた。
 打擲された記憶はあっても、やさしい言葉をかけられた記憶はなかつた。
 
 酒がはいると乱れははげしくなった。

 つゆの小糠雨がけぶるように降っていた。
 近所の宝蔵寺の墓地に逃げ込んだ。
 ぼくと母はしっとりと湿った墓石の影に隠れていた。
 父があきらめて家にひきかえすのを待っていた。
 母の手が冷たかった。屈辱と悲しみの涙が頬をつたっていた。
 幼いぼくは母が泣いているのだとは気づかなかった。
 髪をつたって雨水が頬におちているのだと思っていた。
 泣いているの……? 
 どうして泣いているの。
 息をころして小声で訊いた。
 母の手がぼくの口をふさいだ。
 湿った空気のなかから、酒臭いにおいが漂ってきた。
 父がげっぷをする音がかすかにした。父が間近に迫ってきた。
 疑いもなく母が父を恐れている。
 ぼくのからだは小刻みに震え、それはしばらくつづいていた。
 ぼくは眼を閉じて、なにもみていなかった。
 酒臭い父の呼気が遠のいていく。
 眼をひらいても、もう、なにも見ないことにした。
 なにも見ていないぼくの視野を狂乱した父が、安定感を欠いた歩調で遠ざかっていく。
 顔だけがゆらめき膨張した。
 酒焼けした顔は忿怒にたけりぼくは危害を予感して、泡立つ怖れに身動きできなくなっていた。
 昏く重いつゆ空からは大粒となった雨が降りそそぎ、蘚苔植物の密生した墓地の大地はぐしょり濡れて……展翅された昆虫のようにぼくらは動くこともできず、墓石にはりついていた。


麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで読むことができます。どうぞご訪問ください。

カクヨムサイトはこちら

  今日も遊びに来てくれてありがとうございます。
 お帰りに下のバナーを押してくださると…活力になります。
 皆さんの応援でがんばっています。