田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

どなたなの? 「朱の記憶」最終章/麻屋与志夫

2011-07-31 03:02:19 | Weblog
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「Mの展覧会をみにいこう。あの絵に会える気がする。Mの回顧展にいきたい」
「あなた口をきかないで。いますぐ救急車がくるから」
妻はわたしのながした血を見ておろおろしていた。
わたしの邪魔をしてきた人狼を倒したよろこびで。
わたしは、はればれとした気分になっていた。 
咬むことは、日常の咀嚼行為のように癖になるものらしい。
それに、あまりにすみやかなわたしの太股の傷の回復が気にかかる。
もしまた咬む機会があればわたしの細胞は。
ますます若返っていくかもしれない。

Mの回顧展を観にいけば、すべてがわかる。
夏の日の水神の森に出合えれば、すべてが氷解する。

インプラントの歯茎の奥が疼いている。
人狼と戦うことは。
わたしが先祖から受け継いだ。
血のなせる宿命らしい。
口啌を血でみたすことは快楽。
快楽なのだ。

「もう、気づくのがおそいのよ」

わたしの内部で、いや背後で懐かしい声がしている。
聞きなれた声がわたしに語りかけている。
わたしはMの絵を見ながら背後の声に導かれていた。
ふりかえって、彼女の顔を見たい。
背後にはほのぼのとした気配。

夜の種族の命運を賭けて闇の世界で人狼と戦う。
人狼の血を啜る。                    
わたしは朱を恐怖していたわけではない。
憧憬していのだ。
Mは天才画家の直感でそれを感知した。
K子とわたしの像を赤で縁どっていたのだ。
それにしてもこのジジイになにができるというのか。
一族の血はいまになってわたしになにをさせようとしているのか。
わたしは感慨をこめて「夏の日の水神の森」を見た。
いままでとはちがった絵になっていた。
朱色がなんと心地好く映じることか。

順路通りに几帳面に全部作品を見終わった妻が。
わたしの前に立っていた。
めずらしくきつい顔をしている。
戦後六十年。
三岸節子の絵画に癒され。
その美に共感して。
生き抜いて来た。
ひとびと群れのなかから。
妻は現れた。

「あなたの後ろの方。
入り口であなたに招待券くださった方でしょう。
わたしにかくしてもわかるわよ。
紹介してくださる」

丁寧過ぎることばは妻が緊張しているからだ。
わたしとK子は、同時にふりかえった。
そして肩を寄せあって並んだ。

「わたしの母だ」

妻は見事にソフアに倒れ込んだ。
むりもない。
いま見てきたばかりの――。
「夏の日の水神の森」の。
少女のような女性がそこには。
老いもせずに。
存在していたのだから……。
人狼とはかぎらないのかもしれない。
わたしも……血に飢えている。  
わたしは妻の向こうのひとたちを見た。
周囲のひとたちは老人だった。
襟や喉もとが皺の集積なので安堵した。    

もし、処女のごとく。
なよなよとした白い喉と襟足をしていたら……。
                                    完


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