田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

いまそこにいる人狼「朱の記憶」/麻屋与志夫

2011-07-29 17:24:08 | Weblog
9

蔵まで箱膳をとりにいった妻が戻ってこない。
半生を病床で過ごした父が九十六歳で黄泉の世界に旅立った。
通夜だった。
むかしの稼業だった麻綱(ロープ )製造業にかかわってくれたひとたちが。
集まってくれた。
みんな、年老いていた。
わたしが変質者におそわれたことが話題になっている。

わたしはふいに不安になった。
そとには月が皓々と照りかがやいている。
わたしはサンダルをつっかけるのももどかしかった。
勝手口からとびだした。
蔵は開いている。
妻はいない。
膳がちらばっている。
くぐもった声がする。
「狼がでた。狼がきたわ」幼くして聞いた母の声がわたしの内部でした。
「そうなのか。お母さん」わたしは、息をきらしていた。
妻の名をきれぎれに呼んだ。

返事はない。
石組の釣瓶井戸をまわった。
わたしは焦っていた。
冷や汗が背中にふきだした。
動悸がたかなった。
どうして、いま頃になって。
わたしが襲われるのならわかるが、どうして妻が。
妻が人狼に食い殺されているのではないか。
……と、おののいていた。
どうしていまごろになって現れたのだ。
まちがいない。
人狼がおそってきたのだ。
あれ荒んだ廃屋同然の工場の中庭に人影がした。

「狼男だな!!」
がっしりとした体躯にジーンズ。
はためにはただのマッチヨとしか映らない。
だが腰のあたりに異様なグラデーションがある。
そこを九十度に曲げて迫ってくる気配がある。
「ほう。おれが狼にみえるおまえは……」
人狼が驚いたようにふりかえった。

「そうか、ボウヤの成れの果てか。ジジイになったものだ」

唾を吐きながらくぐもった声をだした。
妻は失神こそしていたが無事だった。

「おまえの匂いはボウヤ、覚えているぞ。
一度嗅いだ匂いは忘れない。
いさましいママと……この地は離れたと思っていたのにな」

父の通夜が母屋でしめやかにとりおこなわれていた。
かすかに読経が聞こえてくる。
みんなで、車座になりおおきな数珠を回しているのだ。
わたしを故郷に呼び寄せた父の病は長期にわたりわたしを苦しめた。
わたしの人生を目茶苦茶なものにしてしまった。

空には満月がのぼっていた。

腐肉でもあさる気か。狼よりハエエナみたいなヤツだ」

帰省してからの半世紀。
不運だった故郷での恨みをこめて人狼にたたきつけた。
絶えず、わたしの人生の節目に邪魔をしてきたのはコイツらの一族なのだ。
そして、わたしは常に孤立無縁だった。

「なんの。これが三度目の正直というやつさ。
それにしても、ひとの老いるのははやいものだ。
老臭ふんぷんたるものがあるな」

満月にむかって狼が吠えた。
顎が月にむかってがっしりとのびだした。
両腿が細く鋼の強さ、ふくらはぎの筋肉が上につりあがる。
漆黒の剛毛に全身がおおわれていく。
背骨が微妙に湾曲する。
ひとから狼へと獣化しつつある。
さっと前足の鉤爪でひとなでされた。
ただそれだけで、ベルトがはじけとんだ。
わたしは下半身をむきだしにされた。
そして、胸への攻撃もさけられなかった。
胸部の肉が浅く長くはぎ取られた。
血がふいた。
蘇芳色の鮮血だ。
老いぼれのどこにこんな赤い血がながれているのか。
と、驚くほどしたたってきた。
わたしは赤い血をみても、朱色をみても平気だった。
わたしはいつの間にか、朱の桎梏から解きはなされていた。            
朱の呪縛が消えていた。
この期におよんで、むしろうっとりと自分のながした血をみていた。
朱にたいする恐怖は快楽へと反転していた。



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