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小学校の三年生になった。
この学年から国民学校では水彩絵を描くことになっていた。
わたしは満を持してその絵の時間に臨んだ。
戦時中にもかかわらず。
わたしが生まれてすぐに母は。
学校で必要となる勉強道具を備えておいてくれた。
水彩絵の具もそろっていた。
それも二十四色。
母にはわたしとながくは暮らせないという予知があったのだろうか。
「これはなんだぁ。おまえ……狂っているぞ」
美術教師がかんだかい声でわたしのほほをうった。
その痛みに泣きだしたいのを必死でこらえた。
わたしは画用紙を赤の濃淡だけでうめた。
あれほど恐れていた赤なのに――。
赤い血のような色をぬった。
恐怖で筆先は震えていた。
赤はわたしにとって恐怖の色。
戦慄の色。
忌むべき色だった。
それなのに、どうして……。
「赤の色をなすっただけだろう。こんな絵があるか、バカもの」
母はわたしが絵描きになることを希望していた。
わたしはそう思っていた。
わたしが、有名な絵描きになれば母がどこからともなく現れる。
血のような色を使えば、わたしの絵だと母にはわかってもらえる。
赤い絵を描きつづければいつか母に再会できるのだ。
幼い時からそう思いこんでいた。
わたしには静かな生活をさせたかったらしい。
美しいものにとりかこまれた生活は母の望みだったはずだ。
母と静かに絵を描いて暮らすのが夢だった。
それなのに……。
「だいいち黒で周りを囲み……
中に赤い絵の具をぬりたくっただけだ。
なにを描こうとしていたんだ。
え、なにを描くつもりだった」
「周りを黒でふちどりして、その中を赤く染めた。ぬりえか。これは」
「ぬりえ。ぬりえ。ぬりえ」とみんなが囃立てた。
「そんなことがあったの。赤にたいしてトウマがあるのね」
と理解を示すM。
わたしとK子は黄昏てきた水神の森でモデルをつとめていた。
絵筆をふるいながらMがやさしい表情でわたしたちを見ていた。
色彩こそすべてだ。
カンディンスキーがコンポジションと呼んだ作品群を。
小学校の絵の先生は知る由もなかった。
あのとき美術教師の。
あの一言がなかったら。
わたしの人生はかわったものになっていた。
赤い色彩こそわたしのすべてだった。
目に映る風景ではなく、心に映る色彩だけがわたしのすべてだった。
「あなたの虎馬みつけだせた」
わたしの背後の六十年後のK子がたのしそうにいった。
虎馬。
とらうま。
トラウマ。
Trauma。
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小学校の三年生になった。
この学年から国民学校では水彩絵を描くことになっていた。
わたしは満を持してその絵の時間に臨んだ。
戦時中にもかかわらず。
わたしが生まれてすぐに母は。
学校で必要となる勉強道具を備えておいてくれた。
水彩絵の具もそろっていた。
それも二十四色。
母にはわたしとながくは暮らせないという予知があったのだろうか。
「これはなんだぁ。おまえ……狂っているぞ」
美術教師がかんだかい声でわたしのほほをうった。
その痛みに泣きだしたいのを必死でこらえた。
わたしは画用紙を赤の濃淡だけでうめた。
あれほど恐れていた赤なのに――。
赤い血のような色をぬった。
恐怖で筆先は震えていた。
赤はわたしにとって恐怖の色。
戦慄の色。
忌むべき色だった。
それなのに、どうして……。
「赤の色をなすっただけだろう。こんな絵があるか、バカもの」
母はわたしが絵描きになることを希望していた。
わたしはそう思っていた。
わたしが、有名な絵描きになれば母がどこからともなく現れる。
血のような色を使えば、わたしの絵だと母にはわかってもらえる。
赤い絵を描きつづければいつか母に再会できるのだ。
幼い時からそう思いこんでいた。
わたしには静かな生活をさせたかったらしい。
美しいものにとりかこまれた生活は母の望みだったはずだ。
母と静かに絵を描いて暮らすのが夢だった。
それなのに……。
「だいいち黒で周りを囲み……
中に赤い絵の具をぬりたくっただけだ。
なにを描こうとしていたんだ。
え、なにを描くつもりだった」
「周りを黒でふちどりして、その中を赤く染めた。ぬりえか。これは」
「ぬりえ。ぬりえ。ぬりえ」とみんなが囃立てた。
「そんなことがあったの。赤にたいしてトウマがあるのね」
と理解を示すM。
わたしとK子は黄昏てきた水神の森でモデルをつとめていた。
絵筆をふるいながらMがやさしい表情でわたしたちを見ていた。
色彩こそすべてだ。
カンディンスキーがコンポジションと呼んだ作品群を。
小学校の絵の先生は知る由もなかった。
あのとき美術教師の。
あの一言がなかったら。
わたしの人生はかわったものになっていた。
赤い色彩こそわたしのすべてだった。
目に映る風景ではなく、心に映る色彩だけがわたしのすべてだった。
「あなたの虎馬みつけだせた」
わたしの背後の六十年後のK子がたのしそうにいった。
虎馬。
とらうま。
トラウマ。
Trauma。
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