田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

「赤の虎馬」朱の記憶/麻屋与志夫

2011-07-26 10:09:58 | Weblog
5

小学校の三年生になった。
この学年から国民学校では水彩絵を描くことになっていた。
わたしは満を持してその絵の時間に臨んだ。
戦時中にもかかわらず。
わたしが生まれてすぐに母は。
学校で必要となる勉強道具を備えておいてくれた。
水彩絵の具もそろっていた。
それも二十四色。
母にはわたしとながくは暮らせないという予知があったのだろうか。

「これはなんだぁ。おまえ……狂っているぞ」
美術教師がかんだかい声でわたしのほほをうった。
その痛みに泣きだしたいのを必死でこらえた。
わたしは画用紙を赤の濃淡だけでうめた。
あれほど恐れていた赤なのに――。
赤い血のような色をぬった。
恐怖で筆先は震えていた。
赤はわたしにとって恐怖の色。
戦慄の色。
忌むべき色だった。
それなのに、どうして……。
「赤の色をなすっただけだろう。こんな絵があるか、バカもの」

母はわたしが絵描きになることを希望していた。
わたしはそう思っていた。
わたしが、有名な絵描きになれば母がどこからともなく現れる。
血のような色を使えば、わたしの絵だと母にはわかってもらえる。
赤い絵を描きつづければいつか母に再会できるのだ。
幼い時からそう思いこんでいた。
わたしには静かな生活をさせたかったらしい。
美しいものにとりかこまれた生活は母の望みだったはずだ。
母と静かに絵を描いて暮らすのが夢だった。
それなのに……。

「だいいち黒で周りを囲み……
中に赤い絵の具をぬりたくっただけだ。
なにを描こうとしていたんだ。
え、なにを描くつもりだった」
「周りを黒でふちどりして、その中を赤く染めた。ぬりえか。これは」
「ぬりえ。ぬりえ。ぬりえ」とみんなが囃立てた。

「そんなことがあったの。赤にたいしてトウマがあるのね」
と理解を示すM。
わたしとK子は黄昏てきた水神の森でモデルをつとめていた。
絵筆をふるいながらMがやさしい表情でわたしたちを見ていた。

色彩こそすべてだ。
カンディンスキーがコンポジションと呼んだ作品群を。
小学校の絵の先生は知る由もなかった。
あのとき美術教師の。
あの一言がなかったら。
わたしの人生はかわったものになっていた。
赤い色彩こそわたしのすべてだった。
目に映る風景ではなく、心に映る色彩だけがわたしのすべてだった。

「あなたの虎馬みつけだせた」
わたしの背後の六十年後のK子がたのしそうにいった。
虎馬。
とらうま。
トラウマ。
Trauma。


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「夏の日の水神の森」朱の記憶/麻屋与志夫

2011-07-26 00:59:36 | Weblog
4

「二人で並んですわったら、
Mさんにまだあなたたちつづいていたの?
……なんてからかわれそうね」

わたしはK子にきいた。
「でもどうしてこの絵がここにあるんだ」
わたしはひそかに期待していた。
もういちどでいい。

「夏の日の水神の森」を観たい。

あれほどながいこと慚愧の念とともに――。
再度鑑賞できることを願いつづけてきた絵。
わたしの青春そのものを結晶させた絵。
会えるとは思っていなかった。

「Mが日動画廊から買いもどしておいたのよ」
とK子が応えた。 

父のロープ工場は倒産。
わたしは学費をひねりだすためにこの絵を日動画廊にもちこんだのだった。
Mとわたしたちの出会いを証明するような絵。
戦後初のMの展覧会が日動画廊で開催れたのを知ったのは。
ずっとあとになってからだった。
わたしの英会話の恩師。
GHQの通訳だった愛波与平先生が。
鹿沼を選挙区とする湯沢代議士としりあいだった。
その国会議員が日動画廊の顧客。
三題話めいた因縁だった。

その縁故で当時としては破格の価額で買い取ってもらった。
それいらい、観ることのできなかった。
想い出深い絵だ。

「ぼくは赤い色彩を見ると戦慄するのです」
わたしはMに静かに語りだしていた。
わたしの失神の原因をきかれての答えだった。
原初の記憶といってもいいだろう。
赤の記憶は床の間の掛け軸に描かれた「モズ」だった。
嘴に真っ赤な肉片をくわえていた。
わたしは幼いころから赤に異様な反応を示していた。
あれがはじまりではなかったろうか。

「モズの絵をおろして。他の絵に掛けかえて」
ようやく、ことばを紡ぎだせるような年になったわたしは哀願した。
声をひきつらせて号泣した。
モズのするどい嘴におそわれるようで怖かった。

「そんなことできません。
わがままいわないで。
見たくないものは見なければいいの。
目をつぶって見なければいでしょう」
「赤がこわいんだよ」
「お父さんが掛けたものをかってに変えることはできないのよ」
「やだよ」
「ききわけて」
「やだよ」
「だめなのよ」
母は父の不在のときは掛け軸の前に二双の屏風を置いてくれた。
水墨の山水画。
墨の黒は好きだった。
すごく気分が落ち着いた記憶がわずかに残っている。

母が留守だった。
いつものように赤を嫌って泣いた。
ききつけて部屋にはいってきた父がわたしを布団ごと丸めて庭になげだした。
雪がふっていた。
雪がわたしの涙をひややかなものにしていた。
あるいは、あれは肉片などではなくモミジの葉であったのかもしれない。
紅葉したカエデの細い枝先でモズが天空にむかって鳴いていたのかもしれない。
わたしは雪におおわれていた。
母の帰りがおそければ凍死していた。
わたしは父の愛をしらないで育った。



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