田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

霧降の滝/三億八千万年の孤独 麻屋与志夫

2011-03-23 08:55:02 | Weblog
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女が話している間――。
少年は滝への下り口があったという、狭い岩だらけの道を見ていた。
通行を禁止するバーにも青い苔が生えている。

「わたしは……わたしは、もう独りじゃないと感じている。
わたし独りで生きてきたけれど、もう独りじゃない。
いや、きっといままでだって彼がわたしを見守ってきてくれていた。
だからこうして生きていられた」
「そうですね」

少年があいづちをうった。
女は少年の声に真摯なものを感じた。

「あなたは立派に生きてきた。そう。みごとにといっていいでしょうね」
「ありがとう」
「彼もよろこんでいますよ。きっと、よろこんでいます」
「ありがとう。ありがとう。そう思ってくれているの……」
「きっとそうです。ぼくには確信があります」

こんどこそ、女ははらはらと涙をこぼした。
「わたし泣いている。
泣いているわ。
涙なんかもう枯れ果てたと思っていたのに。
わたし泣いている」
腫れた瞼からとめどもな涙がながれおちていた。

窓の外で車の停車音がした。
何台もの車が急停車した。
はげしく車が大地をけずるスキッド音がふたりのところまでとどいた。
マネージャーの男が窓際による。
カーテンの隙間からレストランの下の駐車場をかねている広場を見ている。

男は戻ってくる。
男はひどく緊張している。
動きがぎこちない。
なにかを納得させるように……女に目線をおくる。

「こちらへどぞ」
少年は奥の調理場に導かれる。

背後で女がすっくと立ち上がるのが見える。
ふりかえった少年の視線の先で女は口元をペーパーナフキンで拭いていた。
ロングドレスのポケットから弾丸状のものをとりだした。
リップステックだった。
こころの準備をするかのように、ゆっくりと口紅をひく。

口紅をぬっただけで、いままで顔をおおっていた、こわれそうなはかなさが消えた。
それでもまだ寂しさの残った声がした。

「わたしの小さな霧降の滝を見にきてください」

少年に女が駈けもどって声をかける。
おねがい。唇だけが動いた。
なにか手わたされた。革のケースにはいっている。
携帯電話(セルホーン)だった。

おねがい。
哀訴するような表情になった。
少年は形のいいほっそりとした脚のとおざかるのを見ていた。



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