田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

飛翔。青空に羽ばたこう/麻屋与志夫

2011-03-11 10:11:48 | Weblog
3月11日 金曜日

●さくじつの、ブログのタイトルの文頭に「かわいそうに」と書いた。これにはすこし解説が要る。

●退却神経症ということばをきいたことがありますか。登校拒否などもこのカテゴリーにはいるはずです。塾で授業をしていても、さいきん〈おなかが痛い〉と訴える子がふえてきました。勉強などしたくない、していないのだから腹痛にみまわれることなどない。……はずの生徒なのに、どうしてなのだろう。勉強を始めようと思っただけでストレスを感じてしまうようなのだ。〈どうせダメだよ〉とその子たちが言う。勉強がんばろう、と掛け声をかけられただけでもストレス。勉強した結果の赤点を想像して、さらにストレス。

●かれらは無快楽なのだ。勉強をして成績が伸びて〈ホメラレル〉快楽を味わったことがないのだろう。その喜びを味あわせてやりたいと毎晩努力しているが、このところ気がついたことがある。

●むかしは特訓授業をつづければ必ず成績が伸びた。時間数をかければ、成績が伸びたのだ。ところがいくら教えてもいい成果があがらない。退却的思考が災いしている。〈やってもダメだ〉とおもっているから教師の声も耳に入らない。そういうことらしい。成績がアップするまでの教師の努力はなみたいていのものではない。

●ゆとりある教育を受けた時代のお母さんが増えている。先日、スパーの「ヨークベニマル」で出会った某母親。「わたしは、子どもにはムリな勉強はさせない。子どもがやりたくなるまで放って置きます」なんのことはない育児ネグレクトだ。

●「そうですよね」というから「それはまちがいですね」といつたら顔色が変わった。
「それでいま何年生ですか」
「中学三年。もうじき受験です」
「成績は」
 返事が戻ってこなかった。

●自分の子どものことしか考えられないモンスターペアレンツ。放課後ジャンジャン教師の迷惑も考えずになんらかの抗議をくりかえすたぐいの母親なのだろう。事なかれ主義の小学校の教師のがわにも責任がある。喧々諤々、こうした母親と対話をするべきなのだ。

●悲しいかな、それができないのが公立校の教師なのだろう。おおくの教え子が教壇に立っているから、かれらの悩みは、よくわかる。わたしのように、私塾の教師だからできる母親への苦言なのかもしれない。生徒に対する愛情があるからゆるされる発言なのだ。

●それにしても、中学生になりたくない。高校生になりたくない。社会に出たくない。そういう子どもがおおすぎる。

●飛翔感覚の欠如。明るい青空がある。「そんなことないよ、お先真っ暗だよ」いくら励ましても効果はない。すべてとはいわないが、小学生のときから学習能力を培わなかったための結果のようなきがする。

●わたしの「アサヤ塾」でのささやかな経験からいえば小学低学年から国語教室に在籍して「どうして勉強することが大切なのかな」ということを理解した生徒は健やかに育っている。努力する喜びを覚えていく。

●ところが、国語教室の小学生は一人しかいない。「家の子は、漢字の百問テストでいつも100点とりますから」「作文はかけますか?」沈黙、返事はもどってこない。

●おかしな方向に文章がすすんでいるが、オウソドックスにものをかんがえられる子どもを育てるには国語教育が必要だということだ。京大の携帯によるカンニングの問題にしても、ニュースの切り口が少し違いやしませんか。といいたくなる。方法の新規、マジックまがいの奇抜さにばかり目がいっている。入試でカンニングするような子を教育したことにこそ重大な責任があるとはおもいませんか。教育力の低下ここに極まれる。といった事件もおおいですね。修身教育とまではいいませんが、国語教育をとおして未来に希望をもてる人間を育成することこそ急務だと信じている。

●卒業おめでとう。新しい未来が君たちを待っているよ。と胸はって言えるような社会を築く労苦はこれから始まるのだ。


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