ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『日本史の真髄』 - 120 ( 源為朝 ( ためとも )の参戦 )

2023-06-20 13:10:42 | 徒然の記

 〈  第二十一闋 朱器臺盤 ( しゅきだいばん )  「保元の乱」の複雑な内幕  〉

 驕慢とわがままの度が高じていく頼長に、いやになられた鳥羽法皇は近衛天皇がなくなった時、皇位継承を美福門院と忠道だけに相談し、忠実・頼長親子を関与させられなかった、と言うのが前回の解説でした。

 後白河天皇が即位され、後の二条天皇が皇太子になられたのですが、この皇位継承について強い不満を持たれているのが崇徳上皇でした。

 「忠実・頼長の不満は言うまでもない。それで実力者である鳥羽法皇が亡くなられると、崇徳上皇は実力による政権奪取を考える。頼長もこれに賛成する。鳥羽法皇がなくなって、わずか七日目のことである。皇室内の不平分子と、藤原氏内の不平分子が手を握り、武家の力を借りて皇位を狙ったのである。これが保元の乱の発端である。」

 渡辺氏はこのように解説しますが、皇統を複雑なものにした大本は、「月に欠ける無し」と言った藤原道長の「後宮政策」です。狂った歯車の動きが誰にも止められなくなり、ここで初めて頼山陽の詩が紹介されます。

 「このことを頼山陽は、次の五行で言う。」

  君 ( 藤原忠真 ) の朱塗の食器・食卓のことだが、

  それは君の家の相続財産なのだから、あの子 ( 忠道 ) から取り上げ、この子 ( 頼長 ) にやるのになんの難しいことがあろう

  しかし同じ食器といっても鼎や大鼎のことになると、どうしても安定し難いことが出てくるのである

  次男頼長は鼎の盛り物をひっくり返したような、長男忠通は吸い物をひっくり返したような騒ぎになる

  大鍋が沸き立ち、日本中が狂瀾怒濤のような具合になってしまった

 頼山陽の詩の説明は徳岡氏の〈大意〉でなく、渡辺氏の意訳ですが、いずれも悪文でないかと思えるほど、詩の体裁をしていません。頼山陽の八行の詩が、『保元物語』3巻分を凝縮しているというのでは、土台無理な話かもしれません。詳しい背景説明をされやっとその意味が掴めるのですから、詩を味わう境地には程遠いものがあります。

 と言うより、そもそもこの詩は味わうものでなく、摂関政治の錯綜した有様を知るめの文献なのかもしれません。八行の詩の五行までは、意味がなんとなく分かりましたが、残る三行のためにはさらに氏の解説が必要となります。文章をやめ、項目に分けて紹介します。

 ・鳥羽天皇は譲位されて34年間生きておられたが、はじめのうちは白河法皇が実権者であった

 ・白川法皇の亡き後の28年間を、絶対の権力者として院政を行なってこられた

 ・内大臣・藤原実能 ( さねよし ) は、鳥羽法皇なき後崇徳上皇が武力による復位の恐れがあるとして、鳥羽上皇へ備えを進言していた

 ・鳥羽上皇も同じ心配をしておられ、北面の武士10名を選び、美福門院得子 ( なりこ ) に忠誠を誓わせた

 ・源義朝 ( よしとも ) が、そのリストの第一番目であった

 ・崇徳上皇の乱が起こった時、この10名はすべて美福門院、つまり後白河天皇の側についた

 ・このとき、平清盛を召したのは美福門院の案であった

 氏の解説を読みますと、崇徳上皇の乱の兆しは常にあったことがわかります。平清盛の名前が、ここで初めて出て、平安時代末期の複雑な人間模様が具体的に語られます。

 「崇徳上皇と頼長は、源義朝 ( よしとも ) の父である源為義 ( ためよし ) と、その子鎮西八郎為朝 ( ためとも ) に頼った。為義ははじめ、崇徳上皇と頼長側の招きに応じようとしなかった。自分はもう年を取り軍事にうとくなっており、軍事に優れた長男の義朝がすでに後白河天皇の側についている。自分の出る幕はないと思ったのである。

 しかし無理に頼まれ、為義は子の為朝とともに崇徳側に着くことになっと言いいます。渡辺氏が為朝について説明していますので、紹介します。

 ・為朝は子供の頃からあまり乱暴だったので、13才の時九州へ追われていた

 ・15才の時、九州のほぼ全土を征服したという豪傑中の豪傑である

 ・自分の非行のため、父の為義が官位を解かれたと聞き、わずか28名の家臣を連れて上京していた 

 早速崇徳・頼長側の軍議が開かれ、この席で為朝は次のように発言しました。

 「私の敵になるのは兄の義朝だけですが、これは私の一矢でしとめます。清盛のごときは、私の鎧に触れただけですっ飛びます。」

 「何より大事なことは、直ちに夜襲をかけることです。」

 しかし頼長が、彼の提案を退けたそうです。武家の戦いを知らない頼長の判断が、勝敗の分かれ目となるのですが、スペースが無くなりましたので続きは次回といたします。

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5年前の「年末特別対談」動画 ( 自称保守の人たち )

2023-06-18 20:24:58 | 徒然の記

 渡辺氏の著作の書評の合間に、息抜きのためネットの動画を見ました。先ほど見終えたのは、「年末特別対談」と言うタイトルで、チャンネル桜の水島氏と評論家伊藤貫氏の対話でした。平成30年の製作ですから、今から5年前、安倍内閣の時の動画です。

 「アメリカの重要な対日政策が二つあります。」

 そう言って伊藤氏が目の前で指を折り、一つずつ説明しました。

  1. どんなことがあっても、日本には再軍備をさせない

  2. たとえ中国、韓国、北朝鮮が核を持っても、日本にだけは核を持たせない。

 「つまりアメリカは、日本を永遠に保護国、というより植民地にすると言うことですね。」

 「日本に自衛隊があるからと言って、アメリカに逆らえば、自衛隊の武器は即座に使えなくなります。暗号化されたブラックボックスが組み込まれている武器ですから、アメリカはいつでも自衛隊の武器や装備を無力化できるのです。」

 「表向き、日本は独立国ということになっていますが、敗戦以来、防衛と外交についてはアメリカの保護国のままなんですよ。」

 そう言うことだろうと思っていましたから、驚きませんでしたが、楽しそうに、得意そうに喋る伊藤氏が不思議でならず、1時間半の動画をつい最後まで見てしまいました。

 「私がアメリカから帰ってきて、一番に感じたことは、日本の保守と呼ばれる人たちが、中国と韓国と北朝鮮の悪口ばかり言っていると言うことでした。」

 「中国経済は大したことはない、韓国は口先だけの国だ、北朝鮮は危険な独裁国だなどと、年から年中、悪口を言っているだけ、国の独立を考えようとせず、自己満足のための批判と悪口ばかりです。」

 「全くその通りです。」

 水島氏が、うなづいていました。

 「日本が外国に対して、資本と労働市場の解放をすることは政策として間違っています。」

 「全くその通りです。安倍内閣が作った移民法は、日本をダメにする悪法です。」

 水島氏は自分の番組の中で、色々な人物と対話し、馬渕睦夫氏や林千勝氏なども、常連メンバーだったと記憶しています。以前はよく見ていましたが、対談相手を持ち上げ、同調するだけで、信念の所在があやふやな氏に幻滅して以来、ほとんど見なくなりました。しかし伊藤氏を初めて知り、意見を聞くのも初めてなので、興味を覚えました。

 氏の意見には、私と共通する米国認識がありますが、楽しいそうに、得意そうに喋る話題でありませんので、水島氏みたいにうなづく気になれません。伊藤貫氏とはどう言う人物なのか、ウイキペディアで調べてみました。

 「東京都出身、昭和28年生まれ、東京大学経済学部卒。アメリカ・ワシントンD.C在住」

 「国際政治アナリスト、米国金融アナリスト、政治思想家、日本の評論家」

 「ワシントンのビジネス・コンサルティング会社とロビイスト事務所で、国際政治・金融アナリストとして勤務」

 一時帰国しているのか、それとも米国での仕事をやめたのか、このデータからは分かりませんが、騒々しく喋る博学な人であることだけは確認できました。相手の話に耳を傾けると言うより、自分の意見を機関銃のように喋る忙しい人です。

 米国だけでなく、フランスやドイツ、イタリア、イギリスなどに在住しているこう言う評論家には、共通するパターンがあります。

 「日本の政治家は、日本の学者は、日本のマスコミは、」と、常に見下したような口調で批判します。最後は、こうした人々に騙されている日本国民の意識の低さを指摘する・・暗い顔で脅さないところが違うだけで、話の中身は日本国民と日本の批判ですから、聞いていると不愉快になります。

 「日本の左翼と保守は激しく対立していますが、彼らはどちらも金の話ばかりです。左翼は貧乏人に金をばら撒けと言うし、保守はばら撒くための金儲けが先だと言います。」

 「どちらも、金勘定と計算ばかりして、生きている人間のこと、国民のことを忘れています。経済的余裕は大切ですが、人間の喜びは文化の中で生きることで、これは数字では計算できません。」

 間違っている意見ではありませんが、日本の政治家が国会で金の話ばかりしていると決めつけるのは乱暴な話で、単純化し過ぎです。

 「憲法改正」と「皇室護持」のため、国を愛する政治家と学者と国民がどれほど反日勢力と戦っているのか。全ては伊藤氏が言う「アメリカの保護国からの脱出」のためです。女性宮家と女系天皇に反対しているのは、日本の国の土台にある皇室を守ろうとするためです。多くの国民がこの二つを忘れているのは、GHQが日本の歴史と伝統を崩壊させるため、国際法違反の「日本国憲法」を作ったところから始まっています。

 1 時間半も喋りながら、「日本の独立のためには、憲法改正がその第一歩だ。」と、肝心のことには言及しません。米国から一時帰国して的外れな意見を述べているのか、氏の話を聞いていますと、常日頃批判・攻撃している反日・左翼の人々も弁護したくなりました。

 「日本の政治家と、日本の国民は劣化しましたねえ。」

 こんなつまらない意見にうなづいている水島氏にも、何度目かの幻滅をいたしました。国を愛する多くの国民は、彼らのお喋りに関係なく真剣に生きています。ずっと日本にいて、日本の政治を見ているはずなのに、水島氏は愚論に反論の一つもしませんでした。

 「金の話しかしない自民党は、日本の文化を壊しているとも言えますね。」

 最後まで見ましたが、伊藤氏にも水島に氏も感心するところはどこにもありませんでした。息抜きのための動画でしたが、逆効果で、こんな報告をする結果となりました。自称保守にも、色々な人がいます。息子たちがこういう人たちに惑わされないことを祈りました。

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『日本史の真髄』 - 119 ( 他山の石 ? )

2023-06-18 11:07:59 | 徒然の記

 〈  第二十一闋 朱器臺盤 ( しゅきだいばん )  「保元の乱」の複雑な内幕  〉

 今日からは、摂関家藤原一族の緊迫した話になります。鳥羽法皇から忠通の書いた文書を見せられ、忠実は果たして怒り、親子の縁を切ると宣言し次のように言ったとのことです。

 「摂政は天皇の授けたものだから、自分が奪うわけにいかぬ。しかし氏長者 ( うじのちょうじゃ ) の地位は自分が忠通に譲ったのだから、宮中とは関係がない。これを忠通から取り上げて頼長に与えても、なんの支障もないはずだ。」

 そして彼は、次のような強硬策に出ました。

 ・ 源仲行 ( なかゆき ) ・頼賢 ( よりかた ) らを忠通の邸につかわし、朱器臺盤をうばわせた

 ・朱器臺盤とは、氏長者が大饗 ( だいきょう ) の時に用いる食器と食卓のことで、全て朱塗りであった

 ・大饗とは、関白太政大臣の邸宅で行った大規模な饗宴のことで、年中行事の一つとなっていた

 ・倉の鍵が見つからないと言う報告を聞くと、「倉を破れ」と忠実は命じた

 ・さらに、忠通が相続した宅地・荘園も奪って鳥羽法皇に献じ、源頼賢には先祖の日記を押収させた

 ・自分の母、つまり忠通の祖母が亡くなった時も、忠通を葬儀に参加させなかった

 親子の縁を切ると言う言葉通り、忠実は徹底して長男である忠通のものを奪い、「氏長者」の印となる諸々 ( もろもろ ) を取り上げました。

 「こうしてついに、次男頼長は内覧になった。こうされながらも、忠道は公職をやめない。近衛天皇は頼長を嫌い、忠通と親しみ、実権は鳥羽法皇にあったので、忠実はどうしようもなかった。」

 その後頼長の驕慢とわがままの度が高じていくので、鳥羽法皇も頼長がいやになられます。それで近衛天皇が亡くなり皇位継承者問題が起きた時、鳥羽法皇は美福門院と忠道だけに相談し、忠実・頼長親子を関与させられませんでした。後白河天皇が即位され、後の二条天皇が皇太子になられた背景には、このような事情がありました。

 「忠実は、頼長をせめて皇太子の傅 ( ふ・お守り役 ) にするよう鳥羽法皇に乞うたが、許されなかった。宮廷は、完全に鳥羽法皇と美福門院と忠通の体制になった。」

 不平不満が溜まっている社会で、権力欲に満ちた人間が自己主張だけをすると、一つ歯車の狂いが誰も止められなくなります。右・左や愛国・背信の話でなく、譲り合うことを忘れ、自分可愛さに我欲を通そうとする人間の話です。次回はいよいよ頼山陽の詩の解説になりますが、過去の話でなく、現在に通じる「他山の石」として紹介しています。しかし果たして息子たちに通じるのかどうか・・

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『日本史の真髄』 - 118 ( 両立しない忠孝 )

2023-06-17 19:59:37 | 徒然の記

 〈  第二十一闋 朱器臺盤 ( しゅきだいばん )  「保元の乱」の複雑な内幕  〉

 「複雑な内幕」続きに戻り、渡辺氏の解説を紹介します。

 「それでも鳥羽天皇は、璋子 ( 待賢門院・たいけんもんいん ) に男子 ( 後の後白河帝 ) を生ませたが、祖父白河法皇がなくなると、中納言・長実 ( ながざね ) の娘得子 ( なりこ・美福門院 ) に寵愛を移した。極め付きの美人だったという。

 「それで鳥羽上皇は、自分と美福門院 ( びふくもんいん ) の間に男子が生まれると、崇徳帝を退位させて三歳の息子を即位させた。これが第七十六代近衛天皇である。」

 権力者である祖父白河法皇から下された妻との間にできた子より、自分の寵愛する皇妃にできた子の方が可愛くなるのは、摂政・藤原忠実が長男忠通より次男の頼長を偏愛した姿と似ています。義理で連れ添う妻よりも、愛する伴侶との間に生まれた子が可愛くなるのは、自然な人の情です。人倫の道に外れた政治を是とした結果、崇徳帝の不幸が生まれ、「保元の乱」の萌芽が生まれます。

 「しかし近衛帝は、十七歳で亡くなられた。当然皇位継承者の問題が起こる。」

 自分の意に反し若くして退位させられた崇徳帝は、当然のこととして自分が復位するか、あるいは自分の子の重仁 ( しげひと ) 親王を即位させるかのどっちかだと考えられます。

 ところが帝位は、崇徳帝の弟の後白河帝に移ります。この理由の複雑さを氏が説明していますが、文章より項目に分ける方が理解しやすい気がします。

  ・後白河帝は早く妻を亡くされたため、その長男を美福門院 ( 得子・なりこ ) が養育していた

  ・美福門院 ( 鳥羽上皇の寵愛する女性 ) は、この少年が可愛くてたまらず、この子に皇位が行くことを願うようになった

  ・このためには、その父が皇位につく必要があり、後白河帝が誕生した

  ・軽躁 ( 軽はずみで考えが足りない ) で、人気のなかった親王が即位することとなり、これが後白河帝だった

  ・やがて美福門院の希望通り、彼女の可愛がっていた少年が後白河帝の跡を継ぎ、二条天皇となった

 氏の説明では、鳥羽上皇が美福門院のわがままを聞いただけの話になりますが、私は別の解釈をします。崇徳天皇と後白河天皇は母璋子 ( 待賢門院・たいけんもんいん )を同じくする兄弟ですが、父が違っています。

 ・長男である崇徳天皇の父は、白河天皇である

 ・次男である後白河天皇の父は、鳥羽天皇である

 兄弟のうちいずれかを皇位につけるとしたら、鳥羽天皇は自分と血のつながりの近い後白河天皇を選ばれたのではないか。まして「叔父児 ( おじご ) 」としてうとんじらていたとすれば、なおさらではないでしょうか。渡辺氏の次の解説は、事実の半分しか述べていないという気がします。

 「ところが不満なのは崇徳帝である。自分は鳥羽帝の長男 ( 少なくとも公式には ) であり、皇位は人気のある自分の子重仁 ( しげひと ) 親王に行くべきであると確信した。」

 「かくして鳥羽法皇がなくなると、たちまち兵をあげることになる。これが保元の乱であるが、崇徳上皇が挙兵するにあたっては、藤原氏の方の争いが組み合わされていた。」

 朝廷の「複雑な内幕」にここで一区切りをつけ、氏の解説が再び藤原忠実 ( ただざね ) 親子の「複雑な内幕」に移ります。ここからやっと、頼山陽の詩の解説に近づきます。

 「近衛天皇の時、藤原頼長は〈 内覧 ( ないらん ) 〉 を欲した。内覧とは、太政官や殿上 ( でんじょう ) から奏下 ( そうげ ) される文書をあらかじめ内覧し、万事を取り仕切る行為のことであったが、いつの間にか官職のようになった。つまり、実質上の摂政関白太政大臣みたいな役である。

 「忠実はこの内覧を頼長に与えたかった。それで忠実は関白太政大臣であった長男の忠通を呼んで、〈 内覧を頼長に譲るように、そうすれば将来頼長はその職を、お前の子に与えるだろう。 〉と言った。」

 忠実の意図は摂政関白の職を空洞化し、実権を左大臣の次男頼長に渡そうというものでした。忠通が黙ったまま返事をしなかったので、忠実はこのことを鳥羽法皇から忠通に伝えてもらったと言います。この時忠通は、鳥羽法皇に文書で次のように答えたそうです。

 「弟の頼長は資性凶暴であり、幼い天皇を補佐すればその災危は天下に及びます。しかし父忠実の言うことを聞かなければ、父は怒るでしょう。だがこれを聞けば天皇のためになりません。忠孝が両立しないため、私は黙然としておりました。そもそも内覧は公 ( おおやけ ) のものであり、私が譲るとか譲らないとか言う性質のものではありません。」

  忠ならんと欲すれば孝ならず

  孝ならんと欲すれば忠ならず 

 有名な平重盛の言葉ですが、彼以前に同じ苦しみを味わった人物がいたと知るのは意外でした。彼の苦しみを知る人間が周りにいなかったことが、乱の発生を早めてしまいます。

 思案に余った鳥羽法皇は、愚かにもこの文書を忠実に見せてしまわれました。果たして忠実は怒り、ここから頼山陽の詩が始まりますが、「複雑な内幕」を紹介するにはスペースが無くなりました。続きは次回といたします。

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『日本史の真髄』 - 117 ( LGBT法への警鐘 ? )

2023-06-17 00:10:08 | 徒然の記

 〈  第二十一闋 朱器臺盤 ( しゅきだいばん )  「保元の乱」の複雑な内幕  〉

 今回は、藤原璋子 ( たまこ ) という女性がどのようにして現れたかにつき、渡辺氏の解説を紹介します。曖昧に書かれていますので、そのまま転記します。

 「白河天皇は、中宮賢子 ( かたこ )が 亡くなられてから、気に入った女御がいなかったらしく、低い身分の女性を愛されるようになった。名前は伝わっていないが、祇園女御 ( ぎおんのにょうご ) と呼ばれている女性である。」

 「この女性は、大納言・藤原公実 ( きんざね ) の娘璋子 ( たまこ ) を、手元に置いて養育していた。それで白河帝もこの娘を可愛がり、ふところに抱いていつくしんだ。そして、手がついたのである。」

 この叙述にはたくさんの省略があり、読者を煙 ( けむ ) にまきます。身分の低い女性と言っても、天皇のそばに仕える人ですから、相応の家柄があるはずです。それでなければ、大納言の娘を手元で養育することはできません。

 「そこまでは当時としてどういうこともないのだが、白河帝はこの璋子を、孫の鳥羽天皇の中宮にしたのである。しかもその後になっても、関係はやまなかった。」 

 そこまでは当時としてはどういうこともないと、氏は片付けますが、〈  そこまでも、それ以後のこと 〉も、今の私たちには馴染めない話です。この部分は、何度でも心に留めておきたい当時の婚姻関係の異様とも言える複雑さですから、前に紹介した説明と重複しますがそのまま転記します。

 「璋子 ( 待賢門院・たいけんもんいん ) から生まれた男子、第七十五代崇徳天皇は、系図の上では第七十四代鳥羽天皇の皇子 ( みこ ) であるが、実際は白河天皇の子だったのである。」

 「当時の鳥羽天皇は十代の少年であったが、やはりおかしいことぐらいは解る。自分の長男は、なんと自分の祖父の子なのだ。つまり自分の長男が、自分の叔父というわけである。それで鳥羽天皇は、名目上の長男である崇徳天皇を疎 ( うと ) んじて、〈  叔父児 ( おじご ) 〉と呼んだという。」

 氏が言及しませんので、「ねこ庭」の結論として再度述べますが、宮廷と貴族社会の乱れと歪みを作った大本 ( おおもと ) は、道長の「後宮政策」です。藤原一族の権勢を磐石なものとするため、天皇の外戚としての摂関家を築く政策でした。美しい娘たちを天皇の皇后、皇妃、中宮、女御にする政策は、確かに氏長者 ( うじのちょうじゃ ) である藤原氏の地位を確固としたものにしました。

 けれども世代を重ねるうちに、歪んだ、異常な親子関係や夫婦関係が出来上がり、人心を乱れさせる結果をもたらしました。しかも、その異常さをほとんどの人間が問題視せず、流れに任せています。

 頼山陽の詩の解説を読んでいると、LGBT法をゴリ押ししている岸田政権の間違いを教えられます。もう一度この異様な法の中身を確認しましょう。

 本来なら、そっとしておくべき性の問題を、誰の目にも見えるものにしようという法律です。

  L・・レスビアン  ( 女性にしか性愛を感じない女性たちの総称 )

  G・・ゲイ                 ( 男性にしか性愛を感じない男性たちの総称 )

  B・・バイセクシャル ( 男性女性を問わず、いずれにも性愛を感じる男女の総称 )

  T・・トランスジェンダー ( 自分の体と別の性を、自分の性と感じる男女の総称 )

 こういう人は社会では少数者で、長らく「日陰者」という目で見られていました。それを今、自由民主党政権はどうしようとしているのか、先日の岸田総理の記者会見の言葉を思い出してみましょう。

 「政府としては、多様性が尊重され、すべての人々が互いの人権や尊厳を大切にし、生き生きとした人生を享受できる社会の実現に向け、さまざまな国民の声を受け止めてしっかり取り組んでいく。」

 語られているのは、綺麗ごとの建前論です。

 「トイレ、公衆浴場での男女区別がなくなる。」「海水浴場や保養地の脱衣場での男女区別がなくなる。」「男らしく、女らしくと言う言葉は差別なので使えなくなる。」「父親・母親という言葉が、差別なので使えなくなる。」「子供たちにも、学校で露骨な性教育が正課として教えられることになる。」

 日本がこういう社会になったら、藤原一族が作った「ゆがんだ社会」とどこが違うのでしょう。具体的な中身が違っているとしても、社会の土台である親子、夫婦、兄弟関係を破壊する点で共通しています。先日は岸田総理を酷評しないという面からブログを書きましたが、この法案が日本を土台から崩壊させる危険性があるという見方に、変わりはありません。

 自由民主党内で熱心に推進している「推進3馬鹿議員」は、岸田総理ととも監視対象人物です。稲田朋美、新藤義孝、古屋圭司の各氏の名前を、胸に刻みたいと思います。

 話が横道へそれましたが、次はまた「保元の乱」の複雑な内幕  の続きへ戻ります。歴史が現在と繋がっていると思われた方は、次回の「ねこ庭」へ足をお運びください。

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『日本史の真髄』 - 116 ( 複雑な人間模様 )

2023-06-16 18:32:31 | 徒然の記

 〈  第二十一闋 朱器臺盤 ( しゅきだいばん )  「保元の乱」の複雑な内幕  〉

 皇太子だった頃の第七十一代後三條帝に、「桐壺剣 ( きりつぼのつるぎ )」 を渡さないと言って意地を通したのは、関白・太政大臣藤原頼通でした。今回の主人公となる関白・太政大臣は、彼のひ孫にあたる藤原忠実 ( ただざね ) です。

 彼に関する渡辺氏の解説を紹介します。

 「関白・太政大臣藤原忠実には、長男忠道 ( ただみち ) と次男頼長がいたが、どういうものか忠実は長男には競争心を示し、次男を愛するところがあった。」

 なぜこういうことになるのか、二人の息子に関する説明を並べてみました。

 〈 長男・忠通 〉

  ・母は、白川帝により忠通に下された従一位師子 ( もろこ ) 

  ・師子は、右大臣源顕房 ( あきふさ ) の娘

  ・忠実に腹を立てられた白川帝が摂政を辞めさせ、長男の忠通に代えられた

  ・しかし忠通は遠慮して、父の赦しを乞うという温厚な長者の風があった

  ・天皇のご意向であるため、最終的には摂政になった

 〈 次男・頼長 〉

  ・母は、土佐守・藤原盛実 ( もりざね ) の娘とのみ記され名前不詳 

  ・頼長は幼い頃より才気が走り、他人を傷つけることが多かった

  ・当時の宮廷人は、左大臣であった彼を「悪左府」と言っていた

  ・父の忠実は、この頼長を偏愛した

 つまり二人の息子は、別々の母から生まれた異母兄弟でした。白川帝が忠実に下された師子は帝のお手付きの女性だったと言い、頼長の母は父の妾という説明があります。当時の宮廷と貴族社会の風習とは言いながら、なんとも違和感のある人間関係です。

 下世話な推測しかできませんが、忠実にしてみれば自分を無下にした白川帝の下された妻師子の子より、自分の妾の子である次男頼長の方が可愛くなったのではないかと、そんな気がします。

  第二十一闋のサブタイトル〈「保元の乱」の複雑な内幕  〉の詩を理解するには、乱の背景となる宮廷と藤原一族の複雑な内情知ることが必要になります。渡辺氏がわざわざ〈複雑な内幕〉と書いている通り、背景に関する解説はまだ続きます。

 「7人の天皇に関する概要説明」と「藤原忠実親子の概要説明」が終わり、今度は再び「白川天皇を中心とする宮廷の説明」を紹介します。この三つの説明が終わらないと、頼山陽の詩の解説が始まらないのですから、〈複雑な内幕〉の言葉通りのややこしさです。

 「まず例によって、皇統系図を見ながら述べてみよう。」

 本の中には皇統系図がありますが、説明が簡潔なので図を見なくても状況が掴めます。

 「この系図の中で、異様な点に目をつけよう。それは第七十二代白河天皇とその孫の第七十四代鳥羽天皇が、つまり祖父とその孫が同じ女性と関係していることである。」

 その女性というのが、大納言・藤原公実 ( きんざね ) の娘璋子 ( たまこ )ですが、ウィキペディアで調べますとこの人は、鳥羽天皇の皇后と説明されていました。この女性が白河天皇の愛妾だった事実については省かれ、複雑な説明は頼山陽の詩だけのようです。

 「白河天皇は、中宮・藤原賢子 ( かたこ ) を愛されていた。」

 賢子 ( かたこ )という人は、忠実の父師通 ( もろみち ) の姉ですから、忠実にとっては伯母にあたる人です。藤原一族の「後宮政策」によって皇后になったのでしょうが、白河天皇が一途に愛されたというのですから、美しい人だったことがうかがわれます。

 「ところが彼女は、二十八才で亡くなった。この時白河天皇は彼女の遺体を抱いて離そうとしなかった。廷臣が、〈 王者は死者を近づけずと申します。早く遺体を別宮へ移してください。〉と言ったが、白河帝は〈 私が新しい例を作るのだ。 〉と言われ、言うことを聞かれなかった。」

 「火葬の後も悲嘆のあまり、眠らず食せずという風で、諸儀式にも出られず、毎月仏像を作って弔われたという。つまり白河天皇は、純情な方だったのである。」 

 ここまでの説明では、藤原璋子 ( たまこ ) の名前は出てきません。純情な天皇の前に璋子がどのようにして現れてくるのか。これも複雑な話のため、氏の説明を紹介するにはスペースが足りません。面倒になった方は引き止めませんので、次回以降をスルーしてください。

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『日本史の真髄』 - 115 ( 道長の後宮政策と複雑な皇統 )

2023-06-15 21:14:26 | 徒然の記

 〈  第二十一闋 朱器臺盤 ( しゅきだいばん )  「保元の乱」の複雑な内幕  〉

 今回も順番に、「書き下し文」と「大意」を紹介します。( 該当する漢字がない字は、カタカナ表示にしています。)

 〈「書き下し文」( 頼山陽 ) 〉 8行詩

   君が家の朱器臺盤 ( しゅきだいばん )

     彼より奪ひ此れに與 ( あた ) うる  何ぞ難しと為さむ

   自ずから  鼎タイ ( ていたい ) の安きを得難く有り

   小児は餗 ( そく ) を覆 ( くつがえ ) し   大児は羹 ( こう・肉。野菜を入れた熱い吸い物)

   鼎沸いて四海狂乱を捲く ( まく・螺旋状にからみつく )

   火攻 ( かこう ) の先着欺いて肉を食らふ

   リュウゼン喉に至るや星の落つるが如し

   君王に従いて晨粥 ( しんじゅく・朝かゆ ) を啜 ( すす )らず  

 〈 「大 意」( 徳岡氏 )  〉

   あなたの家の朱器臺盤だ

   あちらから取り上げてこちらに与える、そんなことは当然簡単だろう

   ただしそんなことをすれば、家中天下の治らぬのもまた当然

   小さい子は鼎の中の食べ物を引っかき回し、大きい子は羹を・・・

   で、鼎は沸いて、四海は浪くるおしく巻き起こる

   まず火攻めにあって  あぶり肉のように身は焼かれ

   矢は流星さながらに喉に落ち

   ついに君王の共をしおおせて朝粥 ( あさがゆ ) の相伴をすることもなく、あなたの愛子 ( あいし ) 頼長は死んだ

  高校生の頃、「保元・平治の乱」と一括りで暗記し、保元を〈ほげん〉と読んでいました。氏の解説で、保元は〈ほうげん〉と読むのだと知り、どこかで恥をかいていたのかもしれないと、穴を掘って入りたくなりました。

 頼山陽の詩と徳岡氏の大意を読みながら、何も理解できない今の自分も恥をかいているはずなのに、不思議とそんな気になりません。

 「第二十一闋 朱器臺盤はわずかに八行であるが、それは保元の乱の起源から結末までを述べているので、内容的には『保元物語 ( 3巻 ) 』と同じことである。

 渡部氏の解説の書き出しですが、3巻もある物語の内容をたった八行で述べていると言うのですから、大抵の人には理解不可能な詩でしょう。多数の中の一人なら恥をかくと言うより、逆に元気が出てきます。そんな難しい詩なら頑張って読もうと、単純な学徒になれます。

 「第二十一闋の背景を成すのは宮廷内の異常な関係と、藤原氏の中の権力闘争である。この闘争に武家が関与せしめられたので、ついに本物の武闘の時代となり、武家政治の幕が切って落とされることになった。

 第二十一闋の短い詩の中に、7人の天皇が語られ、権力闘争をする中心人物は関白太政大臣藤原忠実 ( ただざね ) と、その子忠道・頼長の三人です。氏の解説を紹介する前に、天皇のお名前を先に述べておきます。

 1.   第七十二代白河天皇・・法皇となり、40年間政治の実権を握る。堀川、鳥羽、崇徳三代の即位を決定

 2.  第七十三代堀川天皇・・8才で父の白河天皇から譲位され即位。異母弟の輔仁 ( すけひと ) 親王に皇統が移ることを避けるための白河天皇の強い意向

 3.  第七十四代鳥羽天皇・・白河天皇の孫 系図上はその長男が崇徳天皇になっているが、実は白河天皇の子であり、実質は自分の叔父に当たる

 4.  第七十五代崇徳天皇・・系図では鳥羽天皇の子だが、実際は白河天皇の子

 5.  第七十六代近衛天皇・・鳥羽天皇の実子。3才になると退位させられた崇徳天皇に代わり即位。しかし17才で亡くなられた

 6.  第七十七代後白河天皇・・崇徳天皇の弟

 7.  第七十八代二條天皇・・後白河天皇の子

  この複雑な皇統の大本 ( おおもと ) は、「第十八闋 月無缺 ( つきにかくるなし ) 」で紹介した「氏長者」藤原道長の徹底した「後宮政策」にあります。美しい四人の娘を、歴代天皇の皇后・皇妃・中宮・女御とした結果が後の世の混沌に繋がったと、これは氏の解説でなく「ねこ庭」での解釈です。

 複雑な皇統に、権力争いをする摂関家の藤原氏が骨肉の争いで加わるのですから、さらにややこしくなります。次回は氏の解説にとらわれず、藤原一族の親子関係を紹介いたします。

 ( 息子たちや「ねこ庭」を訪問される方々に、どうすれば頼山陽の詩が正確に伝えられるかと、自分なりに工夫をしていますが、うまくいきますのかどうか・・・)

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6月13日、シレット総理の記者会見

2023-06-14 15:19:06 | 徒然の記

 NHKのニュースで、岸田総理の記者会見の模様が伝えられていました。保守系のネットで総理の評判は相変わらず良くないのですが、1時間余りの会見を最後まで見てしまいました。

 もしかすると岸田氏は、故安倍氏を超える総理になるのではなかろうか ?

 サミット後の記者会見でもそんな印象を受けましたが、今回も同じ気持ちになりました。どうしてこのような思いにさせられるのか、後日のためブログに残して置きたいと思います。

 決断力がなく何も決められない政治家というレッテルが貼られ、「 検討大使 (遣唐大使 )」という字名がつけられ、私もそういう目で見てきましたが、総理就任以来人間が変わったのではないかという気もします。総理という立場がそれをさせるのか、少しずつ実績をあげている自信がさせるのか、マイナス評価を先行させず、しばらく観察したくなっています。

 国民多数の悲願である「憲法改正」と「皇室護持」については、相変わらず曖昧で、亡くなった安倍氏のように正面切って口にしません。記者に質問されれば、大事な問題なので党と政府で一丸となって検討しますと、遣唐大使の名に相応しい答えをします。

 記者会見が開かれた理由は、「こども未来戦略方針」が政府の「こども未来戦略会議」で策定されたためだそうです。

 日本の人口が減少していけば、国力が失われていきます。「少子高齢化問題」は、「憲法改正」、「皇室護持」と並ぶ重要案件です。就任時の高かった内閣支持率が、岸田氏のつまづきで低下している時なので、「少子高齢化問題」で実績をあげれば支持率の上昇につながります。

 「憲法改正」と「皇室護持」の旗を下ろしていないのですから、実現可能な問題から手をつけることについて反対する気はありません。

 「未婚率の上昇と出生率の低下は、若い世代の所得の問題に原因があります。」

 岸田総理の意見に反対する人は、おそらく野党にもいないはずです。結婚できない若者が増え、子供を作りたがらない夫婦が増える理由は、パート・アルバイトや派遣が増え、安定した収入が得られないためです。いつ首を切られるか分からない職場で、賃金も安いとなれば、未来への希望が生まれません。

 例外を設けない児童手当の支給、出産費用の支給、育児休業時の給付金の引き上げなど、きめ細かな支援策が実施されれば低賃金の若者が救われます。「経済成長への取り組み」と「子育て対策」は、車の両輪であるという総理の説明にも、納得する国民が大半でしょう。

 夢のような手厚い保護をどうのようにして実現するのか、その財源をどうするのか。ここが問題ですが、総理はいつもの曖昧戦略で、自信を持って公言しています。

 「国民に実質的負担が生じないよう、歳出改革を徹底します。」

 大蔵省が喜びそうな、「歳入歳出バランス論」を述べ、若者世代への給付は不要不急の歳出削減で作り出すといいます。

 「国債を発行すれば国の借金が増えて、将来の子供達に大きなツケを残すと大蔵省が言っていますが、これは大きな間違いです。国債発行は国の借金ではなく、未来への投資ですから国の財産です。」

 「必要な資金はどんどん国債を発行してまかない、国の発展のために使えばいいのです。」

 先日NHKの「日曜討論」で、れいわ新撰組の高井幹事長が力説していました。出席者の誰も賛成せず、無視されていましたが、私は正論でないかと思いました。それでもれいわ新撰組そのものに同意しないのは、高井氏が軍国化のための防衛費増額は不要という左翼特有の主張をするからです。

 国債発行をせず、増税もせず、経費削減改革だけで、「こども未来戦略方針」が実現できないことは目に見えています。14年前に民主党が政権を取ったとき、同党のマニュフェストには次の政策が掲げられました。

 ①  子ども手当の支給(初年度2.5兆円、11年度以降は5.5兆円)

 ②  高校の授業料無償化(0.5兆円)

 ③  ガソリン税などの暫定税率の廃止・減税(2.5兆円)

 ④  高速道路無料化(12年度以降は1.3兆円)

 巨額の歳出増と歳入減を伴う政策が豊富に盛り込まれ、国民を喜ばせました。政府内の無駄を徹底検証するとして、鳴り物入りで「事業仕分け」がテレビ放映されましたが、惨憺たる結果に終わりました。

 総理の言う「歳出改革を徹底」では、いくらの財源が生まれるのか国民は信じていませんし、おそらく総理自身も思っていない気がします。

 「財源は、歳出改革の徹底と、建設国債・・」、はっきりと聞こえませんでしたがどさくさ紛れにそう言っていたような気がします。大切なことをはっきり語らず、曖昧に喋ってその場をしのぎ、後で「知れっとして」重要政策を実行します。

 ・有事の際の海保指揮権を自衛隊の指揮下におくこと。

 ・防衛力強化と原発再活用の決定

 ・韓国ユン大統領との融和路線

 ・広島サミットへのゼレンスキー氏招聘 

 など、どさくさ紛れに重要政策を実行し、「知れっとして」います。このような芸当は愚昧な政治家にはできませんので、ここに氏の隠れた才と指導力を見る気がしています。

 ついでに記者会見で、LGBT法について質問された時の答えぶりを紹介しておきます。これを読みますと、私はやはり前回のブログのタイトル ( 岸田総理とLGBT法 ・大騒ぎする必要性 ? ) と同じ印象 を持ちます。

 「国会で議論されているさなかに、政府の立場から内容について評価することは控えなければならない。」

 「引き続きできるだけ幅広い合意が得られることを、期待したい。政府としては、多様性が尊重され、すべての人々が互いの人権や尊厳を大切にし、生き生きとした人生を享受できる社会の実現に向け、さまざまな国民の声を受け止めてしっかり取り組んでいく。」

 「同性婚の法制化については、制度を法律として作ることになると、幅広い国民の皆さんにさまざまな影響が出てくるという課題もある。司法の動きなどを踏まえ、国民や政治の中でどういった議論が進むのかを注視しながら、多くの国民の声を聴き、政府としても責任を果たしていきたい。」

 党内の反日リベラル議員に忖度し、米国のエマニエル大使にも気遣いし、いい顔を見せているだけのような気がするのは私だけなのでしょうか。

 もう一つ参考のため、「こども未来戦略会議」の主要メンバーの名前と肩書を紹介します。

  権丈善一  ・・慶應大学教授

  清家篤氏   ・・元慶應大学塾長

  十倉雅和氏  ・・経団連会長

  中野美奈子氏 ・・フリーアナウンサー

  新居日南恵氏 ・・NPO法人「manma」創業者

  平井伸治氏  ・・全国知事会会長 鳥取県知事

  芳野友子氏  ・・連合会長

 経団連会長の十倉氏と連合会長の芳野氏の名前を見ますと、若者世代への「賃上げ」と「給与支給」の具体策が、絵に描いた餅でなく検討されていることが伺えます。連合を通じて、自由民主党と国民民主党の接近が感じられ、公明党との決別路線が垣間見える気がします。

 ということで、現在の私は多くの保守の方々と違い、岸田総理をマイナス評価せず注目していきたいと考えています。こんな時に思い出すのは、鄧小平氏の言葉です。

 「黒猫でも白猫でも、ネズミを取る猫はいい猫だ。」

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岸田総理とLGBT法 ( 大騒ぎする必要性 ? )

2023-06-12 07:06:44 | 徒然の記

 去る5月21日、広島サミット終了後の岸田総理の話を聞き、次のタイトルでブログを書きました。

  「サミット終了後の岸田総理の記者会見」

 「広島サミットの成果を掲げて解散し、長期政権の道筋をつけ、この勢いで、国民の悲願である「憲法改正」へと進んでもらいたいものです。今回は渡辺氏の書評の予定でしたが、自分の予想が外れないことを祈りつつ、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々へ報告をいたしました。」

 このような説明をつけて、「ねこ庭」で紹介しました。あの日からわずか20日後に、岸田総理の姿勢が疑問だらけになるとは思ってもいませんでした。韓国尹大統領との間で日韓融和を図り、海上自衛隊の旭日旗掲揚を認めさせ、防衛財源法案の検討を進めるなど、それなりの成果をあげていました。

 小西議員を筆頭にした立憲民主党による国会空転騒ぎなどがあり、保守与党の政策を着実に進めている総理の指導力が見えつつありました。ところが突然、二つのつまづきが発生しました。

  ⚫︎ 子息である総理秘書官の公私混同行為が、週刊誌等で大きく報道された

  ⚫︎ 自民党の中で反対者の多いLGBT法を、党内議論を封じ込める形で進めている

 故安倍総理に比較しますと、今のところNHKをはじめ大手マスコミは、岸田総理を激しく批判攻撃する形で報道していませんが、ネットの世界では保守層の人々がこぞって強く批判しています。せっかく氏を評価し、期待しようとしていた矢先だったので残念でなりません。

 子息である秘書官については、任命当初から問題視されていましたが、氏は弁護しました。公私混同行為が報道されても、厳重注意した上で任務を遂行させると説明しましたが、庇いきれないとわかると辞任させました。一国の宰相が国民の前に「親バカ」ぶりをさらしたのですから、大きな失点です。

 しかしそれより大きな失点は、LGBT法成立に向けての強行姿勢です。何のためにこの悪法を、今のタイミングで日本に導入しようとしているのか、サッパリ分かリません。

 「性的マイノリティーの人々への差別をなくし、理解を深めるための法律です。」

 法律についてはこの程度のことしか知りませんでしたが、調べていくうちに、意外な事実がわかりました。

 「私は、人の意見を広く聞いて政治を行います。どんな人の意見も聞く耳を持っているのが、私の長所です。」

 総裁選に勝利した時、氏が挨拶の中で語っていました。それを公言実行しているのかもしれませんが、国益を背負った総理がおかしな意見を言う者の話を聞いていると、とんでも無いことになります。総理が意見を聞いているのは、「自民党内の推進3バカ議員」と、陰口をささやかれている人物だそうです。

 元防衛大臣の稲田朋美氏がその一人だと知っていましたが、新藤義孝氏と古屋圭司氏が残りの二人だったと聞いて驚きました。両氏を、自民党内の保守議員とばかり思っていましたので、社会の秩序を乱し、皇室崩壊にまでつながる悪法の推進者とは一度も考えませんでした。

 保守言論人のほとんどが、LGBT法に危機感を抱き、強い口調で総理とこの三人を責めています。こうなりますと、総理を簡単に評価したり期待したりする訳に行かくなります。しかし私は今回の事態について安倍総理の場合と比較し、自分でも意外なほど冷静に眺め、そこまで大騒ぎすることなのだろうかとそんな気がしています。

 身内に甘い公私混同は岸田総理だけでなく、安倍総理もそうでした。「彼女は家庭内の野党です。」と氏自身が語っていたように、立場を弁えない昭恵夫人の暴走の事例が数々あります。

 また安倍総理は「カジノ法」、「アイヌ新法」、「種苗法改正」、「移民法」など、とんでもない悪法も成立させています。国益のために欠かせない重要な法律も作っていますが、「カジノ法」などはLGBT法に劣らない悪法です。「安倍独裁政治」「安倍やめろ」と連日マスコミに叩かれながら、安倍内閣はLGBT法に似た法律も作っています。「ヘイトスピーチ解消法」がそれです。韓国・北朝鮮出身者である「在日コリアン」への、差別的言動を禁止する法律でした。

 「本邦外出身者」に対する「不当な差別的言動は許されない」と、宣言した法律は次のように説明されています。

 「〈本邦外出身者〉に対するものであるか否かを問わず、国籍、人種、民族等を理由として、差別意識を助長し又は誘発する目的で行われる排他的言動は、決してあってはならない。」

 現在の日本人はほとんど人種差別をしていませんので、「ヘイトスピーチ解消法」が今も生きていることを知らない人が多いのではないでしょうか。むしろ私たち日本人は、韓国・北朝鮮と中国、アメリカの反日勢力から痛めつけられているのが現状です。

 「岸田総理は誰の言うことを聞いているのか。」「日本は今も、米国の属国なのか。」

 怒る保守の人々がいます。エマニエル駐日アメリカ大使が、政府に圧力をかけたのだそうです。「LGBTの人々に対し日本は後進国だ」と、誰かが岸田総理の耳元で囁き、その気にさせられ公言した手前引っ込みがつかなくなっている可能性もあります。

 「トイレ、公衆浴場での男女区別がなくなる。」「海水浴場や保養地の脱衣場での男女区別がなくなる。」「男らしく、女らしくと言う言葉は差別なので使えなくなる。」「父親・母親という言葉が、差別なので使えなくなる。」

 こんな話が拡散されていますが、そんなバカなことは、反日の活動家たちが少しの間騒いだとしても、時間の経過と共に多くの国民の良識が飲み込んでしまうのではないか。「ヘイトスピーチ解消法」の現状を見れば、そういう気がします。楽観的すぎると思われるかもしれませんが、危機意識を持つということと、大騒ぎすることは別ではないのでしょうか。

 「やられたら、やり返す。」「やられなければ、こちらからはしかけない。」

 これが現在の日本人の標準的姿勢だと考えていますから、岸田氏らしい軽い思いつきをそれほど重要視していません。ただ次の二つだけは、言いたいと思います。

  1.  この状況で解散したら、自由民主党の議席が減少するのでは無いか。

  2.  どうせ強行するのなら、「憲法改正」でやればよい。

 これでまた渡部氏の書評が遅れました。

 次回は、

 〈  第二十一闋 朱器臺盤 ( しゅきだいばん )  「保元の乱」の複雑な内幕  〉です。

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『日本史の真髄』 - 114 ( 後三條帝の急死 )

2023-06-10 14:29:22 | 徒然の記

 〈  第二十闋 剣不可傳 ( けんつたふべからず )  藤原時代の終焉  〉

 今回も、渡辺氏の解説をそのまま紹介します。

 「そして後三條帝は治世の四年目に、譲位され、太上天皇になって国政を見ようとなされた。これが院政の始まりである。しかし、半年後に病死なされた。宝算40年、このあまりにも早い治世の終わりを、頼山陽はこう痛嘆する。」

  かくして皇室の御稜威 ( みいつ ・天皇の威光 ) の光は、まさに大八島 ( にほん ) の国のすみずみにまで及ぼうとしていた

  しかし残念ながら剣身自体がそのまま折れたように、天皇は急になくなられた

  ああ、惜しんでもあまりあるのは、剣身がたちまち自然に折れたかの如く、この英邁な天皇が在位わずか数年でなくなられたことである

 意外な結末に言葉を失くすとは、このことなのでしょうか。渡辺氏もそうだったのか。亡くなられた後三条帝には直接触れず、別の話で第二十闋を締めくくっています。現在の皇室にも繋がっていることなので省略せずに紹介し、同時に「第二十闋」を終わります。

 「ちなみに、〈壺切剣〉を後三條帝が受けなかったと言うのは誤伝で、実際は三条帝の皇子敦明 ( あつあき ) 親王が道長によってこの宝剣伝授を妨げられたため、皇太子の位を受けなかったこととの混同らしい。」

 「ちなみにこの剣は、後冷泉帝の康平二 ( 1059 ) の火事、一説には治暦二 ( 1068 ) の火事で焼けて別の剣に換えた。それがまた承久の乱 ( 1221 年) で紛失し、新しく作らせたが、後深草天皇の時 ( 1258 ) 年に、勝光明院の宝庫から古い方が出てきたので、この剣を使うこととして今日に至るという。」

 「現代の立儲礼付式 ( りつちょれいのふしき ) では、立太子礼の当日、賢所 (  かしこどころ ) 大前の儀で、皇太子となる皇子は、天皇より〈壺切御剣〉を受けられることになっている。」

 私たちが知らないだけで、古来よりの伝統は今も皇室に受け継がれていることが分かりました。

 次回は、

 〈  第二十一闋 朱器臺盤 ( しゅきだいばん )  「保元の乱」の複雑な内幕  〉です。

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