ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『日本史の真髄』 - 127 ( 大本は藤原道長の「後宮政策」 )

2023-06-26 22:01:25 | 徒然の記

 〈  第二十二闋 藻璧門 ( さうへきもん )  平安朝の幕を引いた 「平治の乱」 〉

 回を改めスペースに余裕が生まれましたので、省略していた渡辺氏の解説を紹介いたします。

   白龍魚腹 ( はくりゅうぎょふく ) して  却って網を脱す

 頼山陽の詩の二行目を、氏は次のように説明していました。

  「白龍とも言うべき高貴な方 ( 二條帝 ) が平凡な魚に見える服を着たため、返って網に例えられる番兵の目を逃れることができた。」

 読者のため丁寧な説明をしていた氏への、詫びの気持ちから、省略部分をそのまま転記します。

 「シナの故事に、淵に住む白龍が魚に化けたら、豫且 ( よしょ ) という者にその目を射られたと言うのがある。貴人が下賤の服装を着ると、思わぬ災危にあうことがある・・こう言って伍子胥 ( ごししょ ) が、呉王が民衆に混じって酒を飲もうとするのを諌めたと言う話が残っている。しかし二條帝はその故事とは反対に、魚服して危急を脱した。」

 お詫びの追記として、徳岡氏の「大意」より、氏の解説の方が正しいのではないかと思える例を紹介します。それは詩の三行目です。

   龍逃るるにその雌 ( し ) を将 ( ひき) い

 頼山陽の詩の大意を、徳岡氏は次のように書いていました。

   女装して逃れる帝は、龍が雌になったも同然

 これを渡辺氏は

   龍 ( 帝 ) は逃げる時に雌の龍 ( 中宮 ) も連れて出たのに、

 と解説しています。徳岡氏の大意は意味が不明ですが、渡辺氏の解説は辻褄が合います。氏へのお詫びだけでなく、私が漫然と本を読んでいるのではないと、息子たちに伝えたい気もあります。気持ちが晴れたところで、氏の最後の解説を紹介します。

 「惟方・経宗の二人は信頼と義朝に逆心の汚名を着せ、功は自分たちで盗んだ。当然のことであるが、後白河上皇は怒った。しかし今や実力行使には、武家を使うより仕方がない。しかも平治の乱で源氏は滅びたも同然であり、残るのは平清盛だけである。」

 「それで上皇は清盛に命じて、惟方・経宗の二人を捕らえさせ、それぞれ長門と阿波に流した。一人輝きを増したのは、清盛の威光である。」

 強力な武家だった源氏が二匹のまむしのため滅び、そのまむしが島流しになってしまうと同時に後白河上皇の威光も薄れます。なぜなら清盛は、最初に自分を頼って来られた二條天皇を、仁和寺に逃れた上皇より親しく感じ、強く支援したからです。その現れが、次の解説になります。

 「しかし惟方・経宗の二人は、一時流されたがまた戻った。特に宗経の如きは左大臣・従一位まで出世し、皇太子傅 ( ふ ) となり、輦車 ( れんしゃ・勅許を得た重臣の乗り物 ) ・牛車 ( ぎっしゃ ) を許される身分にもなった。惟方も許され、その子供たちも順調に出世している。」

 後白河上皇の威光が衰え、二條天皇の力が増しているため、こう言う事態が生じます。氏の解説が、それを裏付けます。

 「頼山陽はこうしたユニークな史観を、その『日本政紀』に詳述しているが、更にこれに加えるならば、二條天皇と後白河上皇の父子関係の悪さということである。」

 「それは結局、保元の乱の元にもなった美福門院に由来する。従って平安朝を終わらせた保元・平治の二乱は、ともに美福門院に由来すると言う、大町桂月のような見方も出てくるわけである。」

 これが最後の文章ですから、氏もまた大町桂月の言う美福門院説を採っていることになります。

 第二十一闋・朱器臺盤で、氏は後白河帝と二條帝の微妙な関係を次のように説明していました。

  ・後白河帝は早く妻を亡くされたため、その長男を美福門院 ( 得子・なりこ ) が養育していた

  ・美福門院 ( 鳥羽上皇の寵愛する女性 ) は、この少年が可愛くてたまらず、この子に皇位が行くことを願うようになった

  ・このためには、その父が皇位につく必要があり、後白河帝が誕生した

  ・軽躁 ( 軽はずみで考えが足りない ) で、人気のなかった親王が即位することとなり、これが後白河帝だった

  ・やがて美福門院の希望通り、彼女の可愛がっていた少年が後白河帝の跡を継ぎ、二條天皇となった

 つまり後白河天皇が皇子である二條天皇に譲位された時、それは後白河天皇のご意志でなく、美福門院の意思だったことになります。後白河天皇の母が美福門院でなく、待賢門院だったことを思い出せば、円満な譲位でなかったことがうかがわれます。

 保元の乱のきっかけ・・・美福門院が産んだ近衛天皇を即位させるため、崇徳天皇を意に反して退位させた

 平治の乱のきっかけ・・・美福門院が可愛がっていた二條天皇を即位させるため、後白河天皇を意に反して退位させた

 この部分だけに注目すると、大町桂月説が有力になります。しかし「学びの庭」としての、「ねこ庭」での結論は違います。再度述べますが、宮廷と貴族社会の乱れと歪みを作った大本 ( おおもと ) は、道長の「後宮政策」です。藤原一族の権勢を磐石なものとするため、天皇の外戚としての摂関家を築くという政策でした。

 美しい娘たちを天皇の皇后、皇妃、中宮、女御にする政策は、確かに氏長者 ( うじのちょうじゃ ) である藤原氏の地位を確固としたものにしました。けれども世代を重ねるうちに、歪んだ、異常な親子関係や夫婦関係が出来上がり、人心を乱れさせる結果をもたらしました。しかも、その異常さをほとんどの人間が問題視せず、流れに任せていました。

 氏の解説を読んでいると、LGBT法をゴリ押した岸田政権の間違いを教えられます。この法律は運用を誤ると、歪んだ異常な親子関係や夫婦関係を作り、人心を乱れさせる結果をもたらします。人間平等の社会であるから、LGBT法を皇室にも適用すべきだと、そんな意見を言う学者・評論家・活動家がいると聞きます。とんでもない話です。

 良いことも悪いことも含め、歴史が古代から繋がっていることを忘れないようにしつつ、次回からは本書の「最終闕」の紹介となります。

 〈  第二十三闋 烏帽子 ( ゑぼし )  平清盛が最も恐れた嫡男・重盛 〉

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『日本史の真髄』 - 126 ( 名探偵の謎解き ? )

2023-06-26 11:18:05 | 徒然の記

 〈  第二十二闋 藻璧門 ( さうへきもん )  平安朝の幕を引いた 「平治の乱」 〉

 いよいよ今回は頼山陽の詩ですが、息子たちには徳岡氏の「大意」と並べて渡辺氏の解説を紹介する方が、分かりやすいかと思います。

 〈 「大 意」( 徳岡氏 )  〉

   藻壁門の中に  車のわだちの音が響き

   白龍は魚に身をやつして 故事とは逆にうまく包囲を脱した

   女装して逃れる帝は、龍が雌になったも同然

   そっと老龍の上皇を置いてきぼりにして、危ない目にあわせた

   いったい誰がこんなことを企んだ?  あの二匹のまむしどもだ

   チロチロと炎の舌で、こっそり天いっぱいにみなぎるほどの毒を吐く

   悪魔門監 ( あくまもんのかみ )も彼らに比べれば、むしろ " 悪  " でない

 

 渡辺氏の解説  〉 

   宮城の西門である藻璧門の中に、車の音が響く

   白龍とも言うべき高貴な方 ( 二條帝 ) が平凡な魚に見える服を着たため、返って網に例えられる番兵の目を逃れることができた

   龍 ( 帝 ) は逃げる時に雌の龍 ( 中宮 ) も連れて出たのに、

   こっそりと老龍 ( 後白河上皇 ) の方をば、身体の危険があるようなところに置き去りにしてしまったのである

   誰がいったいこんな謀略を企んだのか、あの二人の蝮 ( まむし ) みたいな奴 ( 惟方と経宗 ) らだ

   ちらちらと燃える炎のような舌は、天にはびこるほどの毒をひそかに吐いたのだ

   平治の乱を起こし、悪衛門監 ( あくえもんのかみ ) と言われるほどの権力を振るった藤原信頼などは、惟方や経宗に比べるとたいした悪ではない

 これで、白龍、老龍、二匹のまむし、悪衛門監がすべて分かりました。これだけでなく氏はさらに、謎解きのような解説を読者に披露します。

 「頼山陽は惟方・経宗の二人が、上皇を宮廷に置き去りにして、帝と中宮だけを平清盛のところへ連れて行ったことを最も重視する。惟方の母は二條帝の乳母、経宗は帝の元舅であり、しかも二條帝は若い。この帝を擁すれば権力が握れると思ったのである。」

 「上皇を宮廷に残しておけば兵火の犠牲になるかもしれないが、それは知ったことではない。つまりこの二人は、上皇と帝との父子離間を図った大悪人であると言うのが、頼山陽の見方である。これは正に、頼山陽史観というべきものである。」

 平治の乱は通常の解釈では、信頼と義朝が信西を殺したため、平清盛が出て二人を倒した事件とされているのだそうです。

 「しかし頼山陽は、そう簡単に考えない。」こう言って氏は、根拠となる事実を次のように列挙します。

 ・藤原信頼は白面 ( 年若く未熟 ) の狂童に過ぎず、近衛大将になりたがっていただけの話だ

 ・兵を上げて、帝や上皇を幽閉する必要など全くない

 ・いくら信頼が馬鹿でも、自分が天皇になることは夢にも考えていない

 ・しかも上皇に気に入られている者だ。上皇に手を出す意味は全くない。

 ・源義朝は保元の乱の際の功を、もう少し認めてもらいたかっただけの話だ。だから事件後、従四位下の播磨守に任ぜられ満足している

 ・宮廷を攻めることなど、思考の中にない

 ・なるほど信西は憎かっただろうが、その気になれば彼は、路上で犬猫を殺すように殺せたはずである。なにも三條殿や宮廷を犯す必要はない

 ・義朝は清盛を憎く思っていたが、武力の点では義朝の方が勝っていた。攻めるならまっすぐ清盛を攻めるべきで、後白河上皇の三條殿へ向かう必要はない。

 「このように考え詰めていくと、平治の乱を起こす動機のあったのは、惟方と経宗だけである。」

 名探偵に事件の背景説明を聞かされているような、意外感に打たれます。

 「後白河上皇と、その乳母子の信西をひっくり返して二條帝に実権を持たせれば、得をするのは自分たちだけである。二人はなにしろ乳母子とその伯父なのだ、だからこそ彼らは、乱の最中に帝と中宮だけを助け出したのである。おそらく上皇が兵火の中でなくなられることを、そひかに望んでいたのかもしれない。」

 「事実、平治の乱の後、政権を専らにしたのはこの二人である。二人は、〈  政治のことは全て二條天皇の御心に従ってやるべきで、後白河法皇に知らせてはならない 〉と言っている。二條帝とこの二人は、きわめて親しい。」

 頼山陽の詩の解説はここで終わり、ことの次第を知った後白河法皇の怒りについて氏が続きを述べています。後少しでも大事なことなので回を改め、そこで第二十二闋を終わりにいたします。

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