ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『日本史の真髄』 - 109 ( 恐ろしく輝く巨大な星 )

2023-06-03 18:50:31 | 徒然の記

 〈  第十九闋 赤白符 ( せきはくのふ )  奥州をめぐる武力抗争  〉

   君見ずや他年赤符を肯 ( あ ) へて剖 ( わか ) たず

   路傍に空 ( むな ) しく棄 ( す ) つニ酋 ( しゅう ) の首 

 いよいよ最後の二行になりました。安逸をむさぼる藤原一族 ( 貴族 ) と武家の対立の深まる様子が語られていきます。

 「義家を助けて、東北を平定することに大功のあった出羽俘囚長・清原武則は、従五位下、鎮守府長官に任ぜられた。俘囚が鎮守府長官になったのだから、画期的なことである。」

 「しかも元来清原氏は、出羽三郡 ( 雄勝 ・平鹿・仙北) を支配していた上に、安倍氏の支配していた奥羽六郡を新たに支配することになったのだから、陸奥・出羽にまたがる唯一の大豪族になった。」

 このままゆけば、清原氏の支配が長く続くはずだったのですが、ここでまた難題が生じました。渡部氏の説明を文章でなく、項目に分解して紹介します。

 ・武則の息子武貞には、複雑な家族関係を持つ三人の子 ( 男子 ) がいた

 ・先妻の子、後妻の連れ子、後妻との間にできた子の三人である

 ・この三人の間に内紛が生じ、新しく赴任した頼義の長男・源義家が調停役となった

 ・調停が決裂し、永保3 ( 1083 ) 年に「後三年の役」と呼ばれる戦いが勃発した

 ・結局、義家が清原氏をつぶすことになり、武貞の後妻の連れ子である男子が奥州の支配者となった

 ・武貞の後妻は最初藤原清経に嫁していたので、この連れ子は清経の遺児 ( わすれがたみ )であった

 ・藤原清経は安倍頼時 ( 元・頼良 ) の娘婿で、彼と共に白符を用いて官物を徴収し、源頼義を苦戦させた敵将で、頼義が首を刎ねていた

 ・義家が新しい支配者に決めたこの子が、後の藤原清衡 ( きよひら ) であり、平泉文化の建設者となった

 ここで氏が、ため息のような一文を書いています。

 「歴史は皮肉だ。源頼義を助けて安倍氏を滅ぼしたのは清原氏なのに、頼義の長男義家が、父が殺した藤原清経の子を全奥州の支配者にするのだから。」

 「後三年の役」も決して楽な戦いでなく、大雪と、飢えと寒 ( こご )えに苦しめられ、最初は大敗します。佐兵衛尉 ( さひょうえのじょう ) として都の警護に当たっていた弟の義光は、兄義家の苦戦を聞き助けに行く許可を求めました。しかし朝廷が許可を与えなかったため、彼は官を辞して兄の元に駆けつけたそうです。

 「義家は弟の援軍を見て、涙を流して喜び、父頼義が生き返って現れたようだと言って喜んだと言う。そして兄弟力を合わせて、清原氏を金沢の柵で攻め滅ぼしたのである。それで再び奥州が鎮まり、義家は上申書を朝廷に出して言った。」

 「清原一族の騒乱は、先の安倍一族の罪に劣りません。幸に今回は、兵士や食料の徴発を朝廷にお願いしないで平定することができました。何とぞ追討の官符を下さいますように。賊将の首を献上しましょう。」

 ところが朝廷では「後三年の役」は「私闘」であるとして、官符も下さず、平定の功も賞さなかったので、義家はせっかく取った清原一党の首を、路傍に捨ててしまいました。部下に対する恩賞は、父同様に義家の自腹でした。このところを、頼山陽は次の二行でまとめています。

   君見ずや他年赤符を肯 ( あ ) へて剖 ( わか ) たず

   路傍に空 ( むな ) しく棄 ( す ) つニ酋 ( しゅう ) の首 

 朝廷はどうしても義家に正式の令書を出さず、恩賞も与えなかった。それで義家は怒って、献上しようとしていた二人の敵将の首 ( 清原武衡・家衡 ) を道端に捨てることになってしまった・・という意味です。

 「義家は八幡太郎のことで、武士の神様のように尊敬された人である。弓の巧みさは人間技でないとされ、和歌も『千載和歌集』に採録されるほどであった。公家の安逸と源氏の奮闘の対比が鮮やかである。」

 こう言って氏は頼山陽の歌を賞め、第十九闋を終わっていますが、私は息子たちのため、第十八闋の頼山陽の詩と渡部氏の解説を再度紹介します。その方が変貌する歴史の流れがよく分かる気がいたします。

  日月並び缺けて天度 ( てんど ) 別 ( わか ) る  

  別に大星 ( だいせい ) の光の殊絶 ( しゅぜつ ) せる有り  

 「天運 ( てんど ) は別の方向に動き出してしまった。その方向には、日でも月でもない巨大な星で、恐ろしく輝くのが出現して来たのである」 

 「〈 日 〉を皇室、〈 月 〉を藤原氏 ( 公家) とすれば、〈 星 〉は〈 将星 〉すなわち武家、特に征夷大将軍である。奥州征伐に源義家 ( よしいえ ) が出現し、世は一転して武家社会へと向かうことをさしている。」

 反日左翼政党と自民党内の反日リベラルの勢いが翳り、国を愛する保守政治家が現れ、輝く巨大な星となって欲しいと、やはり私は今の日本に重ねて考えます。次回は、

 〈  第二十闋 剣不可傳 ( けんつたふべからず )  藤原時代の終焉  〉

 嬉しいことに次回の副題には「終焉」という言葉が使われています。「反日左翼時代の終焉」と、私にはそのように読めますが、はたしてどうなるのでしょうか。

コメント
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