ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

新・海外定住時代 - 4 ( 精神移民と経済移民 )

2020-09-22 22:04:58 | 徒然の記

 「オーストラリアに定住している日本人」について、どうやら氏は、それほど厳格に区別していないらしく、言葉がいつしか変化しています。自分なりに理解したところで、少し整理してみます。

《 オーストラリアに定住している日本人の内訳 》

  1. 長期滞在者

  2. 永久ビザ取得者

  3. 帰化している人

 帰化した日本人は、日系オーストラリア人ですから、日本国籍がないため、氏は「定住している日本人」の中から除外しています。上記 1. と 2. を、「移民」と言ったり、「長期滞在者」と言ったり、「定住者」と呼んだりしています。混乱しないため、今後は 1. と 2. をまとめて「定住者」と書くことにします。したがって、定住者の中に現在は、「経済移民」と「精神移民」の 2グループがあることになります。

 私が一番関心を持ったのは、「精神移民」と呼ばれる日本人たちです。この人たちは、私が考える日本人の定義では捉えられない、新しいタイプの日本人、と言うことを知りました。簡単に言いますと、息子や孫たちに、「精神移民」の生き方をすると言われた時、自分がどう向き合うのかと言う話になります。

 取り上げようとしているテーマの重さからして、ブログがどのくらいの長さになるのか、今は見当がつきません。息子たちや、「ねこ庭」を訪問される方々に、どんな書き方をすれば、自分の思いが伝えられるのかも、分かっていません。

 書評から離れてしまいますが、先ずは、私自身が「日本」と「愛国心」について、どう考えているのかを説明しなくてならないと、そんな気がしてきました。退屈と思われる方がおられたら、息子たち以外は、どうかスルーしてください。なぜか私のブログは、皇室や愛国心など、基本的なテーマになりますと、アクセス回数が少なくなります。ブログの管理者がそうしているのか、本当に訪問される方が減っているのか、私には分かりませんが、国の根幹に関わるブログの場合、決まってアクセス数が減少します。

 ブログを読まない前なのに、訪問される方のアクセスが、なぜ数値化されるのか、goo事務局が何かしているのかと、時々不思議になる「アクセス数」の傾向です。だから今回は、前もって「興味を感じない方」は、シリーズが終わるまで、スルーしてくださいとお願いすることにしました。

 と、ヘンテコな置きをした上で、「日本」と「愛国心」について、私の考えを述べます。いつも言っています通り、私は「極論」が嫌いです。左翼の極論はもちろんですが、右サイドの極論も嫌悪しています。左翼の説明は不要ですが、右側の極論につき、息子たちに分かりやすいように言いますと、例えば西村慎吾氏のような、時代がかった頑迷保守の主張です。

 「陛下の大御心から発せられる言葉は、全て正しい。」「古来から日本は神国であり、世界に類のない伝統と歴史を持つ国である。」「日本は世界一素晴らしい国で、日本民族は世界一優れている。」・・・と、私は、こう言う意見には与しません。

 チャンネル桜の水島氏も、ときおり西村氏に似たことを言います。

 「陛下の大御心に、逆らってはならない。」「陛下にとって、国民は、おお御宝です。」・・こう言う意見に、私は賛成しません。陛下も人間ですから、間違いもされるはずであり、頭から全て正しいと平身低頭するのは、おかしな話です。一つの例を挙げますと、上皇陛下が、NHKを使い、内閣の頭越しに「退位のお言葉」を発せられました。

 「悪法もまた法なり」と言うのが、法治国家の基本ですから、日頃「憲法遵守」を語られる陛下が、憲法に逸脱する行為をなぜされたのか。天皇の国事行為には、内閣の助言と輔弼がいると規定されているのに、なぜ陛下は憲法を無視されたのか。

 重大な問題なのに、西村氏と水島氏は、無批判でした。こう言うことが肯定されるのなら、反日・左翼の人間たちが言うように、絶対君主を利用した戦前の繰り返しになります。権威に対する「無批判」と言う点において、西村氏のような保守と、反日左翼は同じ場所に立っています。美智子様については、もう繰り返しませんが、両氏は最初から批判を度外視しています。

 ブログの結論を、言ってしまうことになるのかもしれませんが、「精神移民」について、賛成はしませんが、是認します。「日本人なら、どこまでも日本人であれ。」「日本人の魂を忘れず、日本を捨ててはならない。」・・と、私はそう言いません。

 「自分が考えてそうするのなら、すれば良い。」「ただし、決断した結果の責任は、自分で取りなさい。」「他国の国籍を取るのなら、その国の人間となり、その国を愛する人間となりなさい。」

 息子や孫たちが、「精神移民」になりたいと言ってきたら、おそらく私はそう答えると思います。私自身は、「精神移民」になる気持ちはありませんが、自分以外には反対しません。寛大であるとか、理解があると言うことでなく、事実を事実として認めると言う、冷静な判断だと思います。

 これまで私のブログを読まれた方々には、意外と思われるかもしれませんが、私の中にある「日本」と「愛国心」は、絶対不変のものでなく、「精神移民」を束縛しません。これを戦後教育の影響と受け取られるのか、異質のものを柔軟に受け入れてきた、ご先祖様のDNAと考えるのか、私には判断がつきません。

 「日本」や「愛国心」は、それを持つ人間が判断するものです。西村氏のように、強烈に意識し、四六時中日の丸を背負って生きる人もいるでしょうし、私のように、自然のままに日本人として生きる人間もいます。私がことさら、「日本」や「愛国心」を強調するのは、敵対する中国・韓国政府に向かうときだけです。あるいは、国内にいる反日・左翼の害虫たちに、反論するときだけで、普段は多くの人々と同じ普通の暮らしをしています。

 「日本国民であること」も「愛国心」も、他から強制されるものでなく、当たり前のものとして、心にあることが大切であり、そこに意味があります。あえてそれを捨てようとする者に対し、無理に引き留めない理由がここにあります。

 意を尽くしたのかどうか、自信はありませんが、自分の立場を述べた上で、次回から氏の著作に戻ります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新・海外定住時代 - 3 ( オーストラリアでの日本人移民 )

2020-09-21 17:59:12 | 徒然の記

 予定を変更して、オーストラリアに定住している日本人の人数を、先に紹介します。ただいま10ページです。

 「日本人は、どんな展望を持って暮らしているのだろうか。」「これを調べるための一つの手がかりは、オーストラリア国籍を取得した人の数である。」「1990 ( 平成2 ) 年10月現在での、日本人永住者の届出数は、」「5,367人とされている。」「しかしこの数字には、オーストラリア国籍を取得した人々の数は、含まれていない。」

 「政府移民省の統計によると、1978 ( 昭和53 ) 年から、1991 ( 平成3 ) 年まで、」「国籍を取った日本人の総数は、355人に過ぎない。」「数字の上から見ると、永住者中の国籍取得者は、10人に一人いるかどうか、と言うことになる。」

 オーストラリア定住がブームになりつつあるとはいえ、高々5千人程度ですから、ベトナムの10万人には及びません。参考までにネットで、直近のオーストラリアの日本人数を調べてみました。外務省が公表している数字で、平成30年現在の日本人永住者数 は、 58,716人ですから、平成2年に比べると約10倍なっています。

 私が注目したのは、「数字の上から見ると、永住者中の国籍取得者は、10人に一人いるかどうか、」と言う、著者の言葉です。氏の説明を、転記します。

 「この事実には、日本人がオーストラリア国籍を取得することが、」「自動的に日本国籍を喪失することになると言う、法関係を知っておく必要がある。」「オーストラリア政府は、二重国籍を認めているが、」「日本政府は認めていない。」「つまりオーストラリアに長期滞在したり、永住権ビザを持って暮らしている日本人のほとんどは、」「日本国籍を捨てることを恐れており、日本に片足を置き、」「もう一つの足を、オーストラリアにかけて生きている、と言うわけである。」「別の言い方をすれば、オーストラリアで、」「最後まで暮らすことを選択した日本人は、わずかしかいないと言うことである。」

 何らかの理由でオーストラリアに来たけれど、国籍だけは失いたくないと言う、定住者たちの気持ちの中に、私は「日本人」と「愛国心」の問題を感じとります。生まれ育った国を簡単に思い切れないと言う未練を、愛国心と捉えるか、最後に頼りたいと言う計算からと解釈するのか。いろいろあると考えられます。帰化しない在日コリアンたちの気持ちも、こうして類推すれば、理解できないこともありません。

 おそらく私は、著者の予想していない姿勢で、本を読んでいる異質の読者になるのかもしれませんが、氏が何らかの偏見を持った上で意見を述べていないので、一層関心が深まります。

 一番興味を惹かされたのは、「経済移民」から「精神移民」へと言う言葉でした。

 「かって、経済的困難から南米やハワイ、アメリカ西岸などへ移住して行った人たちが、」「想像もしなかった『海外逗留』が、普通の人々に手軽にできる時代がやってきた、」「と言うわけである。」「『経済移民』から『精神移民』へと、」「海外定住を求める人たちの群像は、大きな変容を遂げている。」

 同世代の氏であるから、その変容に気づいたのかもしれませんが、私も、氏の著作で新しい発見をさせられました。「日本人」「愛国心」と、言葉は同じでも、時代が変われば意味も変化します。『精神移民』は、国民全体からすればまだ一部なのでしょうが、存在している事実は動かせません。もしかすると、息子たちの時代は、すでにそうなりつつあるのかもしれません。

 「様々な動機や背景を持ち、長期滞在している人たちの、」「個人史を追うことが、この本の目的である。」「幸せに暮らしている人、満足しながら努力している人、」「ここがダメなら、日本があると言う考えの人、」「オーストラリアの悪口を言いながら、日本の悪口も言い、日本人とばかり付き合っている人、」「背中に日の丸を背負って生きている人などの、」「軌跡や考え方を、一端であれ、紹介したい。」

 こう言うことに興味を持つところが、そもそも私と同年代の印かと思いつつ、次回から具体例を紹介していきます。「ねこ庭」を訪ねられた方々も、発想の転換というつもりで、しばらく氏の意見に耳を傾けては如何でしょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新・海外定住時代 - 2 ( オーストラリアという国 )

2020-09-21 09:30:46 | 徒然の記

 私の記憶にあるオーストラリアは、有色人種を蔑視する「白豪主義」の国です。南ア連邦と同じく、有色人種を差別し、バスの席、レストランの席、通学する学校まで、白人との同席を許さない国でした。

 それがどうしてこうなったのか、歴史の勉強になりますが、氏の説明を紹介します。ぼんやりとは知っていましたが、氏は率直に語ります。

 「オーストラリアは移民社会であり、その歴史は移民史でもある。」「西洋人の入植から計算すると、建国200年にしかならない。」「その昔、アポリジニーと呼ばれる先住民たちが、」「静かな暮らしを、何千年と繰り広げていた大陸へ、」「大量のイギリス人の囚人が、送られたきた。」

 「流刑地として、シドニー近郊や、タズマニア州が選ばれ、」「先住民たちは、何時の間にか、」「奥地の砂漠地帯へ、押しやられてしまった。」「1901 ( 明治34 ) になって独立を果たし、英国植民地から、」「オーストラリア連邦となった。」「このためこの国の制度や法律は、イギリスの影響が強い。」

 つまりオーストラリアは、イギリスの囚人が送られてくる流刑地が、その出発でした。息子たちに、ここで言いたいのは、安倍内閣で成立した「アイヌ新法」のことです。イギリス人たちは、もともと何千年も暮らしていたアボリジニーを、不毛な砂漠地帯へ追いやり、オーストラリアを占有しました。同様にアメリカ人たちは、北米の先住民インディアンを駆逐し、白人の国として占有しました。

 先住民族というのは、アポリジニーやインディアンのように、何千年も前からその土地を占有していた住民を言います。ところが安倍内閣では、アイヌ人たちが、和人に追い立てられ、北海道の土地を奪われ、アポリジニーやインディアンのように、不幸な先住民であるとして、新しい保護法を作りました。

 北海道は縄文、弥生時代から何万年にもわたり、倭人が住んでいた土地です。アイヌが歴史の文献で正式に現れるのは、確か、鎌倉時代以降だと聞きました。話が横道に逸れてしまいますが、大事なことなので、続けます。最近中国が盛んに、「沖縄は、もともと中国の領土だ。」と言い始めました。いつものように、日本国内にいる反日・左翼の学者や政治家たちが、「沖縄独立論」を口にするようになりました。

 これに符合するかのように、北海道では、中国が広大な土地を爆買いし、移民を入れようとしています。日本国内の反日・左翼たちが、「アイヌ新法」を拠り所として、アイヌ自治区の成立を狙っています。沖縄と北海道で、中国や韓国と連携した反日勢力が、日本の中に独立国を作ろうと活動を開始しています。

 日本人を分断し、アラブ・パレスチナのような、民族紛争の種を撒こうとしているのだと、私は考えています。安倍政権の中で、これを積極的に推進してきたのが、二階氏であり、公明党であり、残念なことに、官房長官だった菅氏も協力しています。すでに「北海道の土地問題」として、ブログで詳しく述べていますので、これ以上は述べませんが、先住民とはどんな人々を言うのか。アイヌ人は、それに該当しないと言う事実を確認しておけば、ここではそれで十分です。したがって私は、一抹の不安を抱きながら、菅新総理を見守っていると、それも付け加えておきます。

 話を、氏の著作に戻します。

 「第二次大戦後、ギリシャ、イタリア、ユーゴスラビアを筆頭に、」「各国からの移民が、大量に移住してきた。」「東ヨーロッパの変革を節目に、1950 ( 昭和25 ) 年代には、かなりの数に上った。」

 「1960 ( 昭和35 ) 年代の後半になって、白人だけを受け入れる、」「白豪主義の立場を放棄し、1970 ( 昭和45 ) 年代に、」「マルチ・カルチュラリズム ( 多文化主義 ) を掲げて、多民族・多文化社会の形成を目指すようになった。」

 「ことに1970 年代以降、アジア系移民の流入が続き、」「10万人を超えるベトナム移民を受け入れ、人口比では世界一を記録した。」「1990 ( 平成2 ) 年度の移民統計によると、この年に入国した移民の約半数は、アジア系である。」「最近では年平均10万人あまり、週平均で二千人前後の人々が、」「世界各地から選抜され、移住するようになった。」

 先住民のアポリジニーからすれば、長い歴史を持つ国ですが、イギリス人の入植以後を考えれば、アメリカよりも若い国になります。ちなみにアメリカが、イギリスから独立したのは1776年で、日本で言えば、江戸時代末期の安永5年です。ニューヨークは、よく「人種のるつぼ」と言われますが、もしかするとオーストラリアは、国全体がそうなっているのかもしれません。

 「日本はこれから、多文化社会になるべきだ。」「他民族が共生する、寛容な社会になるべきだ。」と、最近マスコミが、このような記事を沢山載せるようになりました。オーストラリアのことが頭にあるのかもしれませんが、長い歴史を持ち、文化や伝統を大切にする国々との違いを考えず、こう言う意見を広げていくのは、果たして良いことなのか。氏の著書には書いてありませんが、私は、そんなことを考えながら、読みました。

 次回はオーストラリアの「入国審査方法」に関する説明ですが、息子たちもどうか、日本の未来を頭に入れながら、ブログを読んでください。きっと、新しい発見があります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新・海外定住時代

2020-09-20 19:22:22 | 徒然の記

 佐藤真知子氏著「新・海外定住時代」( 平成5年刊 新潮社 ) を、読みました。これも図書館でもらった廃棄図書ですが、興味深い一冊でした。息子たちや、「ねこ庭」を訪問される方々に、紹介したくなり、急遽ブログに向かっています。菅内閣について述べる方が先だと、思われる方もおられるのでしょうが、氏の著作を優先しました。

 「日本」のことや「愛国心」について、私はブログでずっと述べてきました。日本でマスコミは、私のような人間を評して、「右翼」と言います。愚かしいレッテルに反発し、何度もマスコミ批判をしました。この本は、そんな私に「日本」と「愛国心」について、冷静に考える材料を提供している・・と、そんなふうに考えました。

 本の内容は、オーストラリアに定住している日本人を訪ね、暮らしぶりをレポートしたものです。「日本」や「愛国心」がテーマでなく、オーストラリアに定住する日本人の生活を書いたものです。読んだ私が、「日本」と「愛国心」について考えさせられた・・と、こういう説明の方が正しいのかもしれません。

 単なる偶然なのか、平成5年の本は、どれも私を考えさせてくれます。落合信彦氏の『1994年  世界は、』も、日高義樹氏の『1994年世界はこう動く』も、平成5年の出版でした。ネットで、当時の総理大臣と官房長官、衆議院議長の名前を調べてみました。

  • 内閣総理大臣・宮澤喜一  ( 自由民主党  ) 8月9日より細川護煕( 日本新党 )
  • 内閣官房長官・河野洋平  ( 自由民主党  ) 8月9日より武村正義( 日本新党 )
  • 衆議院議長 ・櫻内義雄  ( 自由民主党  ) 8月9日より土井たか子( 日本社会党 )

 政治状況も説明されていましたので、参考までに転記します。

 「バブル崩壊後の政治状況は、1992 ( 平成4 ) 年の、」「東京佐川急便事件に端を発した、金丸信の議員辞職、」「経世会分裂、小沢一郎の新生党の旗揚げなどによる政界再編、」「細川政権誕生による、55年体制の崩壊と政治改革、」「その後の細川首相の電撃辞任と、羽田首相の短期政権、」「さらに自社さ連立政権による、村山富市への政権交代など、」「政権が転々として混迷を極めており、政府はバブル崩壊後の経済状況に、」「十分な対応ができなかった。」

 説明を読みますと、激動の政界を、懐かしいというより、混乱の日々として思い出します。当時に比べれば、安倍内閣から菅総理への交代は平穏なもので、取り立てて騒ぐことはありませんが、似ているところもあります。細川首相は当時のクリントン大統領から、官房長官の竹村氏が北朝鮮のスパイだと耳打ちされました。今回は組閣直前の菅氏が、米国情報機関から、二階氏と今村氏は親中派だと名指しされています。

 相変わらず反日・左翼の野党が、昔の夢をもう一度と、くっついたり離れたり、反自民を叫んでいるところも似ていますが、違う部分があります。

 1. 国民は、政権欲しさで合体した反日・野党の無能さを、いやというほど体験している。

 2. 菅氏は、無責任に政権を投げ出す細川氏のように、短気な政治家ではなさそうだ。

 だから私は、氏の著書に向かう、気持のゆとりがあるのかもしれません。何時ものように、氏の略歴を紹介します。本の裏扉に書かれています。

 「1944 ( 昭和19 ) 年、京都生まれ。」「働きながら、西京高校定時制を卒業。」「1966( 昭和41 ) 年、当時新聞記者であった、杉本良夫氏 ( 現・ラトローブ大学教授 ) 、」「と結婚。」「6年間のアメリカ滞在後、メルボルン郊外に居住。」

 私と同じ昭和19年生まれですから、76才です。働きながら高校を卒業したという経歴だけでも、氏が意志の強い、頑張り屋だったことがうかがわれます。今から17年前の本ですから、今もそうなのかどうか、私は知りませんが、書き出しの部分を転記してみます。

 「海外で定住するという生活様式を、選ぶ人が増えている。」「その目的地として、最近は、オーストラリアを考えている人が多い。」「私はこの19年間、メルボルンに暮らして、」「そういう人たちの往来を、目の当たりにしてきた。」「希望に膨らむ夢を抱いて、この国の土を踏む日本人の数は、」「年々増える一方である。」

 息子たちにとっては、何でもない叙述でしょうが、私には「時代の流れ」を感じさせる文章です。氏や私の高校・大学時代は、外国へ出かけること自体が難しい日本でした。個人の観光旅行などでは、政府がパスポートを発行してくれませんでした。

 1. 政治家や政府の役人等   2. 経済界の役員またはそれに準ずる者等

 3. マスコミ関係者等      4. 学問・芸術分野で活躍している者等

 確か、そういう範囲の人間にだけパスポートが発行され、現在のように、気楽に観光旅行をする個人には、扉が開かれませんでした。禁止されると一層、気持ちが高まりますから、中学・高校・大学を通じて、外国は私の憧れでした。アメリカやヨーロッパなら、どこでもいいと、夢を燃やしましたが、今となってみますと、嘘のような話です。

 ですから氏が、アメリカで暮らし、オーストラリアで生活していたと知りますと、当時の基準から言えば、大した経歴の持ち主・・ということになります。息子たちの参考のため、付け加えておきますと、私が外国へ行きたいと切望した理由は、二つでした。

 1. 映画や本で知った西欧諸国への単純な憧れ

 2. 日本人であることは、世界では、どんな意味があるのか。日本人であることは、何なのか。

 二番目の疑問は、今も私の中にあり、こうしてブログを書く日々につながっています。偶然、同世代の氏の著書に出会い、日本という国の昔を思い出し、書かずにおれなくなりました。菅内閣のことも気にかかりますが、「日本」や「愛国心」について考え直してみるのも、同じくらい大事なことです。

 次回から、本題に取り組みます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

共同通信社の記事紹介 - 7 ( 慰安婦裁判と外国人記者の話 )

2020-09-17 14:29:24 | 徒然の記

 今回は、「2. 原告団の記者会見に出席していた、ある外国人記者」についてです。これも前回同様、同社の「情報操作」が手に取るように分かる叙述です。数行ずつ分けて説明せず、先に文章全部を転記します。そしてこれが、記事の締めくくりでもあります。

 「注目すべきは、加熱する当時の雰囲気を、客観的に見ていた人の言葉だろう。」「最初に提訴した原告団の記者会見で、ある外国人記者が、」「こう質問したという。」「朝日新聞の報道が、日本の評判を貶めたという、皆さんのメッセージの方が、」「国際社会がネガティブ ( 否定的 ) に受け止めているが、」「それはなぜだと思うか。」

 私は記事を読み、中学生だった時、学校で教わった新聞記事の5条件のことを、一瞬思い出しました。「いつ、どこで、誰が、どうして、どうなった。」と、この言葉を英語にしますと、「when、where、who、why、how」・・・つまり4W1Hということになります。

 この記事には、いつの裁判なのか、どこで行われた裁判なのか、新聞記者は誰なのか、個人名は要らないとしても、記者の属する新聞社名くらいは必要です。重要な記事なのに、肝心の5条件が書かれていません。冒頭の「加熱する当時の雰囲気」とは、何時なのかネットで調べてみました。そして、次のいずれかでないのかと、見当をつけました。

 1. 平成27 ( 2015 ) 年2月 チャンネル桜「朝日新聞を糾す会」による、「慰安婦報道に対する集団訴訟」

 2. 平成27 ( 2015 ) 年2月 ジャーナリスト佐藤昂氏「国民会議・朝日新聞を正す会」による「慰安婦報道に対する集団訴訟」 

 3. 平成27 ( 2015 ) 年2月  在米邦人による「グレンデール訴訟」

 同じ時期に行われていますから、おそらくこの内のどれかであろうと思いますが、ネットで探してもハッキリしない裁判ですから、私だけでなく、多くの人も知らないと思います。この状況を、「加熱する当時の雰囲気」と言えるのかどうか、割り切れない気持になります。外国人記者が語った言葉を、息子たちのため、分かりやすく言い換えますと、

 「貴方たちは、日本の評判を落としたと言って朝日新聞を訴えていますが、」「国際社会は、むしろ貴方たちの方を、否定的に受け止めていますよ。」「それは、どうしてなのですか。」

 記事が、尻切れトンボのように、記者の質問で終わっていますが、これを読んだ読者の反応を想像してみました。

 「外国の新聞記者までが、疑問視しているのか。」「国際社会も、原告の言い分に、理解を示していないのか。」「朝日新聞を訴えるのは、間違っているのか。」・・・と、こんな読者がいるでしょうし、共同通信社の狙いも、そこにあるのだろうと推察しました。

 記事の流れから見て、この「ある外国人記者」は、『歴史学研究会』と同じく、記事を捏造するための小道具です。「歴史学研究会」が反日・左翼の学者集団であったように、「ある外国人記者」も、反日・左翼新聞の記者だった可能性が高くなります。それでなければ、どうして、ぼかした書き方をする必要があるのでしょう。

 ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストの記者なら、反日の記事を書く会社だと、知っている読者がいますから、知らせたくなかったのでしょう。もっと考えれば、この記者が現れたのは、日本でなく、米国のグレンデール市の裁判所だったのかもしれません。中国人記者や韓国人記者が、何人もいますから、反日の彼らがこういう質問をしても、不思議はありません。

 中学生でも知っている、新聞記事の「5条件」を無視した記事を、共同通信社は、9月5日に全国発信したということです。この日一日だけで、同社は7件の「情報操作記事」を日本の津々浦々に届け、私はそのうちの2件を紹介するため、7回ものブログを書くことになったと、そういうことになります。最後の記事について、私は「情報操作記事」でなく、「捏造記事」と呼びたくなっていますが、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々は、どう思われるのでしょうか。

 いずれにしましても、朝日に限らず共同通信社の記事については、読者が賢くなることが大事です。息子たちだけでなく、自分にも言い聞かせます。

 「マスコミの報道は、頭から信じないこと。」「マスコミの報道は、なければ不便なので、全て参考程度にしておくのが無難。」

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

共同通信社の記事紹介 - 6 ( 朝日の慰安婦報道への弁護 )

2020-09-15 18:06:19 | 徒然の記

 今回から、記事の後半に入ります。共同通信社が、どのよう朝日新聞の弁護を工夫しているのかが、よく分かる叙述です。そのために利用しているのが、次の二つです。

 1. 学術団体『歴史学研究会』

 2. 原告団の記者会見に出席していた、ある外国人記者

 息子たちに言います。同社の記事を転記しますから、彼らが読者をたぶらかそうとする手法に、注目してください。まさに、生きた勉強です。

 「歴史研究者らでつくる学術団体、『歴史学研究会』は、」「平成26 ( 2014 ) 年10月、証言の真偽にかかわらず、日本軍の関与のもとに、」「強制連行された『慰安婦』が存在したことは、明らか、と指摘。」「だが、バッシングは収まらなかった。」

 何も知らない読者は、このいかめしい名前の、学術団体『歴史学研究会』が、権威のある団体であると、信用します。証言が嘘でもほんとでも、そんなことにかかわらず、軍が関与した慰安婦がいたのは事実だと、団体が言っています。裁判とは証言をもとに審理が行われるものですから、こんなことを言い出したら、証言の意味がなくなりますし、そもそもこれは、裁判自体を否定する乱暴な意見です。

 だが記事を読むだけの読者は、「そうかあ、学術団体が言うのなら、そういうこともあるのか」・・と、そんな気になります。仕事に忙しい息子たちも、そんな読者の一人でしょう。年金暮らしで時間のたっぷりある私が、息子に代わりに、ネットで調べました。

 「『歴史学研究会』は、日本の歴史研究をする民間団体である。」・・有難いことに、即座に分かります。

 「『歴史学研究会』とは、戦後、左派・親ソ・親中・反米・反天皇的な研究者が集まり、マルクス主義史観のイデオロギーに偏ったことが指摘されている。」「スターリン批判以後、ハンガリー事件、大躍進政策、文化大革命、」「天安門事件、チベット・ウイグル問題など、」「社会主義国家おける、国家犯罪が暴露されてきたことで、」「彼らが、無垢の天使でもあるように主張してきた社会主義が、」「そうでなかった事実について、ソ連崩壊後も、反省がないことが指摘されている。」

 ネットの情報は、私のような、左翼嫌いの人間が書いたのかもしれませんが、「両論併記」ですから、こういう意見もあると、参考にするのは大事なことです。共同通信社が、『歴史学研究会』を権威のある学術団体として扱い、ネットは切り捨てています。どちらが正しいかは、息子たちの判断に任せようと思いますが、もう少しネットが紹介する、この団体が発表した「声明文」の記録を見てみましょう。

  1.  2003年・・文部科学省に対し、「民族学校出身者に、大学受験資格を認めよ」

  2. 2007年・・文部科学省に対し、「沖縄戦の事実を歪める、教科書検定を撤回せよ」

  3. 2011年・・文部科学省に対し、「育鵬社版、自由社版の教科書は、子どもたちに渡すな」 

  4. 2014年・・裁判所に対し、「吉田証言の内容の真偽にかかわらず、日本軍が「慰安婦」の強制連行に深く関与し、実行したことは、揺るぎない事実だ」

  5. 2015年・・安倍政権に対し、「過去の加害の事実と真摯に向き合い、被害者に対する誠実な対応をとることを求める」

  6. 2019年・・即位の礼・大嘗祭に反対し、「これは、天皇の政治利用だ」

 5番目の「声明」については、注釈がついています。

 [ 朝鮮中央日報によると、韓国政府はこの声明を受けて、『日本の歴史団体が、このような立場を明らかにした以上、安倍内閣の前向きな対応を期待する、』、と発言したということである。]

  つまり『歴史学研究会』とは、もともと反日・左翼の団体で、マスコミと同じ立場に立ち、日本批判をしている組織だと言うことです。ネットの情報にある4番目の「活動声明」が、そのままこの記事に使われていることも、これで分かりました。簡単に言いますと、人を騙そうとする詐欺師が、詐欺師団体の「声明」を利用して、自分の立場を弁明しているようなものです。

 息子たちに分かりやすいように、例え話をしているだけで、共同通信社や『歴史学研究会』が詐欺師の仲間だと、そんなことを言っているのではありません。反日・左翼の仲間同士が、互いに助け合っている・・と、こういう言い方の方が適切でないかと、思えてきました。早速、三行前の失礼な言い方を、訂正します。

 次回は、「2. 原告団の記者会見に出席していた、ある外国人記者」です。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

共同通信社の記事紹介 - 5 ( 朝日の慰安婦報道 を再考)

2020-09-14 18:19:41 | 徒然の記

   6. ハーベストタイム        7. 朝日新聞・慰安婦報道を再考

 「対決姿勢を前面に打ち出さないブログ」にしようと、心に決めましたので、その通りになっていると自分では思っています。予定していた、9月6日の共同通信社の記事2件のうち、6番目の紹介が終わりましたから、今回は7番目の記事に移ります。

《  7. 朝日新聞・慰安婦報道を再考   》

 結論から先に言いますと、この記事は、朝日新聞の慰安婦報道を正当化するための、「情報操作記事」です。なりふり構わない偏向記事を沢山読ませられますと、「対決姿勢」でなく、そこまで追い詰められているのかと、むしろ「哀れみ」を感じます。記事の見出しは、二つです。

 「朝日新聞・慰安婦報道を再考」「集団訴訟の経緯、書籍に」

 説明の手間が省けますので、書き出しの部分を、そのまま転記します。

 「従軍慰安婦をめぐる、朝日新聞の報道に対して起こされた、」「近年の三つの集団訴訟では、」「どのような主張がされ、棄却と言う結論に至ったのか。」「口頭弁論や、原告側の集会を逐一取材してきた、」「北野隆一・同紙編集委員が、その経緯を、」「『朝日新聞の慰安婦報道と裁判』として、刊行した。」

 総裁選のどさくさに紛れ、朝日新聞の編集委員が書いた本を紹介し、朝日の責任を曖昧にしようと言う、厚かましい「情報操作記事」です。私にとっては、どうでも良いことですが、本の編集姿勢と出版の狙いについて、説明しています。

 [ 1.  編の編集姿勢  ]

   ・本文中に、引用元の資料を、細かく明示した

   ・批判を受けてもいいように、事実にしつこくこだわった

 [ 2.  出版の狙い  ]

   ・戦後75年の節目の年に、原告・被告側双方の訴えを踏まえ、改めて慰安婦について考えてもらいたい

 朝日新聞社の会社としての姿勢を、かえって疑わしくする説明です。戦後75年の節目の年に、というのなら、やるべきことが別にあります。これについては、後で述べることとし、共同通信社の記事を、もう少し読みましょう。文章にすると、煩わしいので、箇条書きにいたします。内容は、「訴訟のきっかけ」と「原告側の主張」です。

 [ 1.  訴訟のきっかけ  ]

  ・2011 ( 平成23 ) 年8月、朝日新聞が、韓国・済州島で慰安婦を強制連行したとする、日本人男性の証言に基づく、1980~90年代の一連の記事を取り消したことによる。

 [ 2.  原告側の主張  ]

  ・虚報により、日本国及び日本国民の、国際的評価が著しく低下した。

  ・速やかに、取り消しや訂正がされていれば、( 米国に ) 慰安婦の碑や慰安婦像が、設置されることもなかった。

  ・これについて、慰謝料、損害賠償、謝罪広告などを請求。

 この記事で、初めて原告側の主張を知りましたが、私の意見と一致しています。これだけの数の記事を誤報と認め、社長まで辞任したのですから、戦後75年の節目の年にと、そこまで大上段に言うのなら、主要外国紙の誌面に「謝罪広告」を出すべきでしょう。先ほど私が言いたかったのは、このことでした。

 朝日新聞の大ウソが世界に発信され、「日本軍は酷いことをした。」「日本は悪い戦争をした。」と、世界の人々が誤解したのですから、国内で謝罪するだけでなく、朝日は海外に向けてもしなくてなりません。

 何年か前の話ですが、ホンダのエアバッグとシートベルトを作っていた「タカタ」が、世界で1億件ともいわれるリコールを出して倒産しました。この分野では、世界のトップメーカーでしたが、欠陥商品のリコールのため、市場から消えました。

 タカタの欠陥商品を非難する記事を、大々的に報道したのは、朝日新聞を筆頭とするマスコミでした。消費者の安全のためには、マスコミとして当然の対応だったのだろうと思います。それならば朝日新聞は、ペテン師吉田清治の大ウソを、事実として世界へ発信した責任を取らねばなりません。

 新聞社の誤報は、メーカーで言えば欠陥商品ですから、タカタのように倒産しても対応がいります。つまりそれが、「主要外国紙の誌面への謝罪広告」です。タカタにだけ要求し、自社の欠陥商品に目を瞑るでは、常識にかないません。戦後75年の節目の年にそれをせず、自社の社員に「言い訳の本」を出版させ、仲間である共同通信社に宣伝させるというのですから、卑怯な会社だと思えてきます。

 ここまでで、ちょうど記事の半分です。マスコミの情報操作がどういうものであるのか、息子たちには、生きた勉強になります。だから私は、残る半分も頑張って紹介します。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

共同通信社の記事紹介 -4 ( 辻真先氏の捏造 )

2020-09-14 08:25:39 | 徒然の記

 なんとも不思議な、理屈に合わない記事なので、一晩考えてみました。

 「軍国主義を叫び、戦後も、政界や財界の中心に居座った人々は、」「大物の嘘つきです。」

 氏の言葉の最初の部分を、言葉足らずの叙述と思い、私が勝手に下記のように修正しました。

 「戦前は軍国主義を叫んでいたのに、戦後も、政界や財界の中心に居座った人々は、」「大物の嘘つきです。」「

 そうでなければ、文意が続かないと、考えましたが、氏は文意を続けることより、反日・左翼思想の発信に重きを置いていたのではないかと、視点を変えてみました。そうなりますと、「軍国主義を叫び、戦後も、政界や財界の中心に居座った人々は、」「大物の嘘つきです。」と言うのは、日本を捨てた「変節漢」でなく、「戦前戦後を通じて国を愛し続けた本物の保守」を批判している言葉ではないかと・・・このようになります。彼の言う「軍国主義」は、「愛国」と言うことになり、現在の反日・左翼の主張と一致します。

 ここ数日の共同通信社の記事が、「安倍政権への批判」で一貫していることを考えれば、「軍国主義」が「愛国」を指していると考える方が、自然です。具体的に言えば、総理が掲げてきた「憲法改正」と「皇室護持」の二つの旗印を指しています。

 庶民の常識ではピントのずれた主張ですが、反日・左翼の仲間内では、この解釈の方が納まりがつき、矛盾がありません。「軍国主義を叫び、戦後も、政界や財界の中心に居座った人々は、」・・・と、氏は大嘘つきの存在を、政界と財界に限定しています。私が、最も問題視している学界と法曹界、マスコミ界に言及しないはずです。ここにいる人間たちは、GHQに統治された途端、「アメリカ民主主義」と「東京裁判史観」に信念を変えた、変節漢ばかりですから、「憲法改正」や「皇室護持」を言うものは誰もいません。

 氏の考えと私の考えがぴったりするなどと言うことは、そもそもあり得ないことでした。一晩考えて、自分の間違いに気づきました。私の解釈を捨てれば、この記事が、共同通信社による「情報操作記事」であると言う見方も、ごく自然に浮かび上がってきます。

 辻氏についてネット検索していたら、思いがけない情報を発見しました。そのまま転記します。

 「氏の父は、自由民主党の衆議院議員で、中日電機工業会長の辻寛一。」「実家はおでん屋と語ることもあるが、」「これは父寛一が、名古屋一の繁華街栄町で、『辻かん』というおでん屋を、営んでいたからである。」

 ついでなので、氏の父である辻寛一氏の経歴をネットで調べました。煩わしいと思いますが、一部を転記致します。

  • 1905年(明治38年)-岐阜県生まれ
  • 1926年(大正15年)- 名古屋高等商業高校卒業
  • 名古屋新聞 (  現中日新聞 ) で8年の記者生活
  • 1934年(昭和8年) - 名古屋市議会議員、後に愛知県議会議員
  • 1946年(昭和21年)
    • 4月 -第22回衆議院議員選挙で、愛知1区初当選(日本自由党)
    • 6月 - 第一次吉田内閣運輸参与官
  • 1947年(昭和22年)- 第23回衆議院議員選挙で当選。同年、中日電気工業を創業。
  • 1949年(昭和24年)-第24回衆議院議員選挙で当選(民主自由党
  • 1952年(昭和27年)- 第25回衆議院議員選挙で当選(自由党
  • 1953年(昭和28年)- 第26回衆議院議員選挙で当選(吉田自由党
  • 1958年(昭和33年)-第28回衆議院議員選挙で当選(自由民主党
    • 6月 第2次岸内閣で 防衛政務次官
  • 1960年(昭和35年)
    • 12月 - 衆議院国土総合開発特別委員長
  • 1967年(昭和42年)- 第31回衆議院議員選挙で当選。  自由民主党全国組織委員長
  • 1976年(昭和51年)
    • 4月 - 勲一等瑞宝章受章

 これで氏が、自分は「おでん屋」の息子だったと語るには、少々無理があります。六法全書も大人の総合雑誌も、父親の書斎にあったと知れば、私の疑問が解けました。父寛一氏が、これほどの著名人なら、共同通信社も知らないはずはないでしょう。氏と同社は、「情報操作記事」と言うより、「捏造記事」を全国発信したと、・・こう言うことになるのではないでしょうか。かっての神童が、今は嘘つきになったと、私が言うのは、過激な批判となるのでしょうか。

 思わぬところで横道に迷い込みましたが、次回は予定通り、次の記事を紹介します。

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

共同通信社の記事紹介 -3 ( 変節した学者たち )

2020-09-13 23:43:17 | 徒然の記

 重要な部分なので、息子たちと「ねこ庭」を訪問された方々も、一緒に確認してください。

 「戦前は軍国主義を叫んでいたのに、戦後も、政界や財界の中心に居座った人々は、」「大物の嘘つきです。」「そういう人間は、どんな風にでも変わって、」「もっともらしい理屈をつける。」「そしてそれについていく人間が、必ずいる。」

 言葉を素直に読めば、氏が批判しているのは、「戦前は軍国主義を叫んでいたのに、戦後突然に変わり、」「民主主義を叫び出した。」「こんな人間は、大うそつきで、許せない。」と、こういう話になります。つまり氏は、政界や財界の中心にいて、信念を捨てた「変節漢」を批判しています。

 政界や財界の変節漢も許せませんが、当時の日本で最も許せないのは、一流の学者たちの変節でした。戦後75年間日本を金縛りにし、国論を二分させる元となった「現行憲法」を、積極的に受け入れ、理論的裏づけをし、GHQを助けたのが彼らでした。

 彼らのほとんどは、皇軍を称え、天皇陛下を讃え、国民を鼓舞する帝国日本の理論的支柱でしたが、GHQに支配されると、信念を捨て、率先して連合国司令部に協力しました。今のように「駅弁大学」と呼ばれるほど、大学のない頃ですから、教授といえば学問の権威で、国民が彼らを信じて疑わなかった時代です。彼らが口を揃えて同じ意見を述べ、マスコミが連日それを全国に発信すれば、国民の考えは次第に変化します。

 人道的、平和的な言葉で、「人間平等」や「人権尊重」が穏やかに語られると、厳しい戦争に耐えてきた国民は、一も二もなく傾きます。まして敗戦後の荒廃した国で、懸命に働いている時ですから、考えている暇もありません。従って私は、当時の日本人で、最も罪深い人間は「変節した学者」たちだったと、信じて疑いません。

 「日本だけが、間違った戦争をした。」「日本だけが、悪い戦争をした。」と言う、東京裁判史観を植えつけたのが、「現行憲法」です。彼らが信念を捨て、魂をGHQへ売り渡したため、現在の私ばかりか、息子たちも孫たちも、子々孫々まで「世界一悪い日本人」のレッテルが貼られたままです。

 当時の帝国大学総長・南原繁氏が、学内に、「 憲法研究委員会」を設けたのは、終戦の翌年(昭和二十一年)でした。氏が研究会を設置した大義名分は、以下の二つでした。

 1. 敗戦日本の再建のためには、大日本帝國憲法を改正しなければならない。

 2. 多数のすぐれた学者を持つ、東京帝国大学は、これに貢献する責務がある。

 三年前に、「変節した学者たち」と言うタイトルで、ブログを書いていますから、すぐにでも罪深い「変節漢」たちの名前を挙げることができます。

 《  憲法研究委員会   》 

 委 員 長    宮沢俊義(法学部)

 特別委員 高木八尺 ( 法学部 )  杉村章三郎     岡 義武  末弘厳太郎

      和辻哲郎  ( 文学部 )  舞出長五郎 ( 経済学部 )

 委  員 我妻 栄  ( 法学部 )  横田喜三郎     神川彦松      尾高朝雄

      田中二郎         刑部 荘      戸田貞三  ( 文学部 ) 

      板沢武雄          大内兵衛  ( 経済学部 )   矢内原忠男

      大河内一男    丸山真男  ( 法学部 )        金子武蔵  ( 文学部)  

   この時、京都の学者を取りまとめていたのが、末川博氏でした。敗戦後に立命館大学学長に就任した氏は、幅広い著作と実践活動を通して、戦後日本の民主主義と、平和運動の発展に貢献し、大きな影響を与えた人物として知られています。しかし氏もまた、罪深い変節漢の仲間であることを、忘れずつけ加えておかねばなりません。

 さて、ここで新聞の記事に戻りますと、不思議なことに辻氏は、この変節漢たちについては一切語りません。ならば氏が批判している「大うそつき」とは、誰なのか。共同通信社も賛成する、「大うそつき」とは誰を指しているのか。

 氏が批判しているのは、「変節漢」でなく、現在の日本で「軍国主義を叫ぶ人間」と言うことになるのでしょうか。つまり私のように、「憲法改正」を主張し、国を守る軍の再建を語る人間を指しているのか。そうでなければ、反日・左翼の共同通信社が、大事な紙面を大きく使い、全国発信する理由がありません。

 と言うことで、私はこの記事を、「情報操作記事」として、紹介しました。しかしどう考えても、おかしな記事です。素直に読めば、誰でも私のように考えると思いますが、どうなのでしょう。

 「子供の頃の神童も、二十歳 ( はたち ) 過ぎればただの人。」・・そんな言葉がありますが、辻氏にも当てはまるのでしょうか。こんな奇妙な、理屈に合わない記事を掲載されても、何も感じないと言うのですから、「ただの人」と言うより、「ばかな人」と、そんな気がしてなりません。

 夜も更けてきました。次回は、次の記事を紹介いたします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

共同通信社の記事紹介 -2 ( 辻真先氏 )

2020-09-13 12:40:42 | 徒然の記

 今回は、9月6日の共同通信社の記事を、下記の通り2件紹介します。

   6. ハーベストタイム        7. 朝日新聞・慰安婦報道を再考

 《  6. ハーベストタイム   》

 ハーベストタイム は、日本語に直しますと「収穫期」ですが、どうやら聖書から引用されているようです。分かる人には分かるのでしょうが、記事のタイトルと中身が、どのように関連しているのか私には分かりません。いつものように、見出しの活字を並べてみます。

 「ハーベストタイム 」「かぎとった『うそ』の臭い」「作家 辻真先さん」「新作は青春映す ミステリー」「埋れたテレビ史、作品に」

 昭和7年生まれの辻氏は、今年88才です。笑顔で語る氏の写真には、説明文がついています。

 「子供向けの本から、六法全書まで、本ならなんだって読む子供でした、」「と話す、辻真先さん。」

 ここからが、氏の略歴です。

 「辻さんは昭和7年、名古屋市でおでんや屋を営む一家に、生を受けた。」「満州事変の翌年です。」

 おでん屋の子供が、六法全書を読んでいたというのですから、驚きました。法学部の学生だったので、私は大学で初めて六法全書を手にしましたが、熟読しないまま卒業しました。比較するのも恥ずかしい、私と氏の過去です。縁者の中に法律家がいて、不要になった六法全書を、賢い子どもだった氏に、プレゼントしたのかもしれません。そういう天才少年だった氏の話が、記事のメインです。

 「『鉄腕アトム』から『名探偵コナン』まで、アニメ脚本を長年手がけ、」「昨年は、推理作家としての業績が認められ、」「日本ミステリー文学大賞を、受賞。」「そんな辻さんが、新作『たかが殺人じゃないか』を刊行した。」「戦中戦後の体験を投影し、軽妙な読み口の中に、」「歴史の重みがにじむ、青春ミステリーだ。」

 この記事のどこが「情報操作なのか」と、不審に思う人はもう少し我慢してください。長い記事なので、割愛しながら紹介します。辻氏の回想を、共同通信社が記事にしています。

 「戦前は男女の学校が別々で、遠くの少女たちをチラッと見ただけで、」「あかぎれするほど、頬を打たれました。」「それが昭和23年に一転、男女共学の大命令が下ってね。」

 「満州事変の翌年生まれなので、生まれてからずっと戦争で、」「軍国少年であるのは、当然でした。」「その一方で、社会を覆う「うそ」の臭いも、かぎ取っていました。」

 「僕は大人向けの総合雑誌も読む子供で、有名な評論家が、」「日本は国家主義でない、なんて書いたんですね。」「でもそこに付いた挿絵を見ると、日本という太陽が臣民を照らしている。」「内容と絵が、全然違う。」「大人を信用しちゃいけねえなあと、思いましたね。」

 太陽が臣民を照らしていたら、なぜ国家主義になるのか、私には分かりませんが、六法全書を読む子供だけあり、思考のレベルが違います。

 「ただ、『おおうそ』は見抜けなかった。」「日本軍がシンガポールを陥落させた時、勝利を祝う提灯行列に、」「僕も加わりました。」「でもそれが、無理に無理を重ねた、将来の負けが目に見えた『勝利』だとは、」「わからなかった。」

 シンガポールが陥落した時、氏は10才、小学校四年生です。それで六法全書を読み、太陽が臣民を照らす挿絵で、評論家のうそを嗅ぎとったのですから、たいした子供です。小学校の四年生の私は、『漫画王』や『少年倶楽部』という子供雑誌を、貸本屋で借りて読むくらいで、後は暗くなるまで外で遊び呆けていました。評論家の嘘をかぎ取るなど、そんなことは真似したくともできませんでした。

 「軍国主義を叫び、戦後も、政界や財界の中心に居座った人々は、」「大物の嘘つきです。」「そういう人間は、どんな風にでも変わって、」「もっともらしい理屈をつける。」「そしてそれについていく人間が、必ずいる。」「僕自身だって、分かったものじゃない。」「それが悔しいから、作品で一矢報いた。」

 氏の言葉を受ける形で、記事の締めくくりを共同通信社がしています。

 「少年期を通して、社会の『おおうそ』の怖さを知った辻さん。」「小説やアニメといった、『作り話』を楽しみ続けることは、」「そんな世の中への、最大の抵抗なのかもしれない。」

 途中を省略していますが、記事の核心部分は転記しました。

 「戦前は軍国主義を叫んでいたのに、戦後も、政界や財界の中心に居座った人々は、」「大物の嘘つきです。」「そういう人間は、どんな風にでも変わって、」「もっともらしい理屈をつける。」「そしてそれについていく人間が、必ずいる。」

 赤字の部分を少し修正していますが、氏の語っている意味は、こうであろうと思います。これこそが、日本の戦後を決定した問題の核心です。私と氏の意見は、ぴったりと重なっています。それなのに、なぜこの記事が「情報操作記事」となるのか。残念ながら、スペースがなくなりました。

 ここで一区切りしますが、次回をすぐに続けます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする