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ねこ庭の独り言

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共同通信社の記事紹介 - 5 ( 朝日の「慰安婦報道」の弁護 )

2020-09-14 18:19:41 | 徒然の記

   6. ハーベストタイム         7. 朝日新聞・慰安婦報道を再考

  「対決姿勢を前面に打ち出さないブログ」にしようと、心に決めましたので、その通りになっていると自分では思っています。

 予定していた、9月6日の共同通信社の記事2件のうち、6番目の紹介が終わりましたので、今回は7番目の記事に移ります。

 〈  7. 朝日新聞・慰安婦報道を再考  〉

 結論から言いますと、この記事は、朝日新聞の慰安婦報道を正当化するための、「情報操作記事」です。なりふり構わない同社の偏向記事を読ませられますと、「対決姿勢」でなく、そこまで追い詰められているのかと、むしろ「哀れみ」を感じます。

 記事の見出しは、二つです。

  「朝日新聞・慰安婦報道を再考

  「集団訴訟の経緯、書籍に」

 書き出しの部分を、そのまま転記します。

  ・「従軍慰安婦」をめぐる、朝日新聞の報道に対して起こされた、近年の三つの集団訴訟では、どのような主張がされ棄却と言う結論に至ったのか。

  ・口頭弁論や、原告側の集会を逐一取材してきた北野隆一・同紙編集委員が、その経緯を、『朝日新聞の慰安婦報道と裁判』として刊行した。

 総裁選の混乱に紛れ、朝日新聞の編集委員が書いた本を紹介し、朝日の責任を曖昧にしようと言う、厚かましい「情報操作記事」です。私にとっては、どうでも良いことですが、本の編集姿勢と出版の狙いについて説明しています。

 〈 1.  編の編集姿勢  〉

   ・本文中に、引用元の資料を、細かく明示した

   ・批判を受けてもいいように、事実にしつこくこだわった

 〈 2.  出版の狙い  〉

   ・戦後75年の節目の年に、原告・被告側双方の訴えを踏まえ、改めて慰安婦について考えてもらいたい

 朝日新聞社の会社としての姿勢を、かえって疑わしくする説明です。戦後75年の節目の年にというのなら、やるべきことが別にあります。これについては、後で述べることとし同社の記事を紹介します。内容は、「訴訟のきっかけ」と「原告側の主張」です。

 〈 1.  訴訟のきっかけ 〉

  ・2011 ( 平成23 ) 年8月、朝日新聞が、韓国・済州島で慰安婦を強制連行したとする、日本人男性の証言に基づく、1980~90年代の一連の記事を取り消したことによる。

 〈 2.  原告側の主張 〉

  ・虚報により、日本国及び日本国民の、国際的評価が著しく低下した。

  ・速やかに、取り消しや訂正がされていれば、( 米国に ) 慰安婦の碑や慰安婦像が、設置されることもなかった。

  ・これについて、慰謝料、損害賠償、謝罪広告などを請求。

 この記事で原告側の主張を知りましたが、私の意見と一致しています。これだけの数の記事を誤報と認め、社長まで辞任したのですから、戦後75年の節目の年にと、そこまで大上段に言うのなら、主要外国紙に「謝罪広告」を出すべきでしょう。先ほど私が言いたかったのは、このことでした。

 朝日新聞の大ウソが世界に発信され、「日本軍は酷いことをした。」「日本は悪い戦争をした。」と、世界の人々が誤解したのですから、国内で謝罪するだけでなく、朝日は海外に向けても謝罪しなくてなりません。

 何年か前の話ですが、ホンダのエアバッグとシートベルトを作っていた「タカタ」が、世界で1億件ともいわれるリコールを出して倒産しました。この分野では、世界のトップメーカーでしたが、欠陥商品のリコールのため、市場から消えました。

 タカタの欠陥商品を非難する記事を、大々的に報道したのは、朝日新聞を筆頭とするマスコミでした。消費者の安全のためには、マスコミとして当然の対応だったのだろうと思います。

 それなら朝日新聞は、ペテン師吉田清治の大ウソを、事実として世界へ発信した責任を取らねばなりません。

 新聞社の誤報は、メーカーで言えば欠陥商品ですから、タカタのように倒産しても謝罪がいります。つまり「主要外国紙の誌面」への、「謝罪広告」です。タカタにだけ要求し、自社の欠陥商品に目を瞑るのでは世間が許しません。

 戦後75年の節目の年に、自社の社員に「言い訳の本」を出版させ、仲間の共同通信社に宣伝させるというのですから、卑怯な会社だと思えてきます。

 ここまでで、ちょうど記事の半分です。マスコミの情報操作がどういうものであるのか、息子たちには、生きた勉強になります。だから残る半分も、頑張って紹介します。

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共同通信社の記事紹介 -4 ( 辻真先氏自身による、捏造 )

2020-09-14 08:25:39 | 徒然の記

   理屈に合わない記事なので、一晩考えてみました。

  ・軍国主義を叫び、戦後も、政界や財界の中心に居座った人々は、大物の嘘つきです。

 氏の言葉の最初の部分を、言葉足らずの文章と思い、私は下記のように修正しました。

  ・戦前は軍国主義を叫んでいたのに、戦後も、政界や財界の中心に居座った人々は、大物の嘘つきです。

 そうでなければ文意が続かないと考えましたが、氏は文意より、「反日・左翼思想」に重きを置いていたのではないかと、視点を変えてみました。

 そうなりますと、

 「軍国主義を叫び、戦後も、政界や財界の中心に居座った人々は、大物の嘘つきです。」

 となり、氏が批判しているのは日本を捨てた「変節漢」でなく、

 「戦前戦後を通じて国を愛し続けた、本物の保守」になります。

 氏の言う「軍国主義」は「愛国」を意味することになり、現在の反日・左翼の主張と一致します。

 ここ数日の共同通信社の記事が、「安倍政権への批判」で一貫しているのを思えば、「軍国主義」が「愛国」を指していると考える方が自然です。

 国民の常識ではピントのずれた意見ですが、反日・左翼の仲間内ではこの解釈で納まりがつき、矛盾がありません。

 「軍国主義を叫び、戦後も、政界や財界の中心に居座った人々は、」

 と、氏は大嘘つきを、政界と財界に限定しています。

 私が最も問題視している学界と法曹界、マスコミ界に言及していません。それはそのはずです。ここにいる人間たちは、GHQに統治された途端、「アメリカの民主主義」と「東京裁判史観」に信念を変えた変節漢、つまり「大嘘つき」の集まりですから、話が繋がらなくなります。

 氏と私の考えがぴったりするというのは、あり得ないことでした。一晩考えて、自分の間違いに気づきました。私の最初の解釈を捨てれば、この記事が、共同通信社による「情報操作」であると言う見方が、自然に浮かび上がってきます。

 辻氏について検索していると、思いがけない情報を見つけました。

  ・氏の父は、自由民主党の衆議院議員で、中日電機工業会長の辻寛一。

  ・実家はおでん屋と語ることもあるが、これは父寛一が、名古屋一の繁華街栄町で、『辻かん』というおでん屋を営んでいたからである。

 ついでに、氏の父である辻寛一氏の経歴をネットで調べました。

     ・1905年( 明治38年 )-岐阜県生まれ

     ・1926年( 大正15年 )- 名古屋高等商業高校卒業

     ・名古屋新聞 (  現中日新聞 ) で8年の記者生活

     ・1934年( 昭和8年 ) - 名古屋市議会議員、後に愛知県議会議員

     ・1946年( 昭和21年 )

        4月 -第22回衆議院議員選挙で、愛知1区初当選(日本自由党 )

        6月 - 第一次吉田内閣運輸参与官

     ・1947年( 昭和22年 )- 第23回衆議院議員選挙で当選。同年、中日電気工業を創業。

     ・1949年( 昭和24年 )-第24回衆議院議員選挙で当選( 民主自由党

     ・1952年( 昭和27年 )- 第25回衆議院議員選挙で当選( 自由党

     ・1953年( 昭和28年 )- 第26回衆議院議員選挙で当選( 吉田自由党

     ・1958年( 昭和33年 )-第28回衆議院議員選挙で当選( 自由民主党

        6月 第2次岸内閣で 防衛政務次官

     ・1960年( 昭和35年 )

        12月 - 衆議院国土総合開発特別委員長

     ・1967年( 昭和42年 )- 第31回衆議院議員選挙で当選。  自由民主党全国組織委員長

 これで氏が、自分は「おでん屋」の息子だったと語るには、少々無理があります。

「六法全書」も大人の「総合雑誌も、父親の書斎にあったと分かれば、私の疑問が解けます。父寛一氏がこれほどの」著名人なら、共同通信社が知らないはずはないでしょう。

 氏と同社は、「情報操作記事」と言うより、「捏造記事」を全国発信したと、こう言う解釈になるのではないでしょうか。かっての「神童」が、今は「嘘つき」になったと、私が言うのは、はたして敵対的な批判になるのでしょうか。

 思わぬところで横道に迷い込みましたが、次回は予定通り「記事」を紹介します。

コメント (5)
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