ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

新・海外定住時代 - 4 ( 精神移民と経済移民 )

2020-09-22 22:04:58 | 徒然の記

 「オーストラリアに定住している日本人」について、どうやら氏は、それほど厳格に区別していないらしく、言葉がいつしか変化しています。自分なりに理解したところで、少し整理してみます。

《 オーストラリアに定住している日本人の内訳 》

  1. 長期滞在者

  2. 永久ビザ取得者

  3. 帰化している人

 帰化した日本人は、日系オーストラリア人ですから、日本国籍がないため、氏は「定住している日本人」の中から除外しています。上記 1. と 2. を、「移民」と言ったり、「長期滞在者」と言ったり、「定住者」と呼んだりしています。混乱しないため、今後は 1. と 2. をまとめて「定住者」と書くことにします。したがって、定住者の中に現在は、「経済移民」と「精神移民」の 2グループがあることになります。

 私が一番関心を持ったのは、「精神移民」と呼ばれる日本人たちです。この人たちは、私が考える日本人の定義では捉えられない、新しいタイプの日本人、と言うことを知りました。簡単に言いますと、息子や孫たちに、「精神移民」の生き方をすると言われた時、自分がどう向き合うのかと言う話になります。

 取り上げようとしているテーマの重さからして、ブログがどのくらいの長さになるのか、今は見当がつきません。息子たちや、「ねこ庭」を訪問される方々に、どんな書き方をすれば、自分の思いが伝えられるのかも、分かっていません。

 書評から離れてしまいますが、先ずは、私自身が「日本」と「愛国心」について、どう考えているのかを説明しなくてならないと、そんな気がしてきました。退屈と思われる方がおられたら、息子たち以外は、どうかスルーしてください。なぜか私のブログは、皇室や愛国心など、基本的なテーマになりますと、アクセス回数が少なくなります。ブログの管理者がそうしているのか、本当に訪問される方が減っているのか、私には分かりませんが、国の根幹に関わるブログの場合、決まってアクセス数が減少します。

 ブログを読まない前なのに、訪問される方のアクセスが、なぜ数値化されるのか、goo事務局が何かしているのかと、時々不思議になる「アクセス数」の傾向です。だから今回は、前もって「興味を感じない方」は、シリーズが終わるまで、スルーしてくださいとお願いすることにしました。

 と、ヘンテコな置きをした上で、「日本」と「愛国心」について、私の考えを述べます。いつも言っています通り、私は「極論」が嫌いです。左翼の極論はもちろんですが、右サイドの極論も嫌悪しています。左翼の説明は不要ですが、右側の極論につき、息子たちに分かりやすいように言いますと、例えば西村慎吾氏のような、時代がかった頑迷保守の主張です。

 「陛下の大御心から発せられる言葉は、全て正しい。」「古来から日本は神国であり、世界に類のない伝統と歴史を持つ国である。」「日本は世界一素晴らしい国で、日本民族は世界一優れている。」・・・と、私は、こう言う意見には与しません。

 チャンネル桜の水島氏も、ときおり西村氏に似たことを言います。

 「陛下の大御心に、逆らってはならない。」「陛下にとって、国民は、おお御宝です。」・・こう言う意見に、私は賛成しません。陛下も人間ですから、間違いもされるはずであり、頭から全て正しいと平身低頭するのは、おかしな話です。一つの例を挙げますと、上皇陛下が、NHKを使い、内閣の頭越しに「退位のお言葉」を発せられました。

 「悪法もまた法なり」と言うのが、法治国家の基本ですから、日頃「憲法遵守」を語られる陛下が、憲法に逸脱する行為をなぜされたのか。天皇の国事行為には、内閣の助言と輔弼がいると規定されているのに、なぜ陛下は憲法を無視されたのか。

 重大な問題なのに、西村氏と水島氏は、無批判でした。こう言うことが肯定されるのなら、反日・左翼の人間たちが言うように、絶対君主を利用した戦前の繰り返しになります。権威に対する「無批判」と言う点において、西村氏のような保守と、反日左翼は同じ場所に立っています。美智子様については、もう繰り返しませんが、両氏は最初から批判を度外視しています。

 ブログの結論を、言ってしまうことになるのかもしれませんが、「精神移民」について、賛成はしませんが、是認します。「日本人なら、どこまでも日本人であれ。」「日本人の魂を忘れず、日本を捨ててはならない。」・・と、私はそう言いません。

 「自分が考えてそうするのなら、すれば良い。」「ただし、決断した結果の責任は、自分で取りなさい。」「他国の国籍を取るのなら、その国の人間となり、その国を愛する人間となりなさい。」

 息子や孫たちが、「精神移民」になりたいと言ってきたら、おそらく私はそう答えると思います。私自身は、「精神移民」になる気持ちはありませんが、自分以外には反対しません。寛大であるとか、理解があると言うことでなく、事実を事実として認めると言う、冷静な判断だと思います。

 これまで私のブログを読まれた方々には、意外と思われるかもしれませんが、私の中にある「日本」と「愛国心」は、絶対不変のものでなく、「精神移民」を束縛しません。これを戦後教育の影響と受け取られるのか、異質のものを柔軟に受け入れてきた、ご先祖様のDNAと考えるのか、私には判断がつきません。

 「日本」や「愛国心」は、それを持つ人間が判断するものです。西村氏のように、強烈に意識し、四六時中日の丸を背負って生きる人もいるでしょうし、私のように、自然のままに日本人として生きる人間もいます。私がことさら、「日本」や「愛国心」を強調するのは、敵対する中国・韓国政府に向かうときだけです。あるいは、国内にいる反日・左翼の害虫たちに、反論するときだけで、普段は多くの人々と同じ普通の暮らしをしています。

 「日本国民であること」も「愛国心」も、他から強制されるものでなく、当たり前のものとして、心にあることが大切であり、そこに意味があります。あえてそれを捨てようとする者に対し、無理に引き留めない理由がここにあります。

 意を尽くしたのかどうか、自信はありませんが、自分の立場を述べた上で、次回から氏の著作に戻ります。

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