重要な部分なので、息子たちと「ねこ庭」を訪問された方々も、一緒に確認してください。
「戦前は軍国主義を叫んでいたのに、戦後も、政界や財界の中心に居座った人々は、」「大物の嘘つきです。」「そういう人間は、どんな風にでも変わって、」「もっともらしい理屈をつける。」「そしてそれについていく人間が、必ずいる。」
言葉を素直に読めば、氏が批判しているのは、「戦前は軍国主義を叫んでいたのに、戦後突然に変わり、」「民主主義を叫び出した。」「こんな人間は、大うそつきで、許せない。」と、こういう話になります。つまり氏は、政界や財界の中心にいて、信念を捨てた「変節漢」を批判しています。
政界や財界の変節漢も許せませんが、当時の日本で最も許せないのは、一流の学者たちの変節でした。戦後75年間日本を金縛りにし、国論を二分させる元となった「現行憲法」を、積極的に受け入れ、理論的裏づけをし、GHQを助けたのが彼らでした。
彼らのほとんどは、皇軍を称え、天皇陛下を讃え、国民を鼓舞する帝国日本の理論的支柱でしたが、GHQに支配されると、信念を捨て、率先して連合国司令部に協力しました。今のように「駅弁大学」と呼ばれるほど、大学のない頃ですから、教授といえば学問の権威で、国民が彼らを信じて疑わなかった時代です。彼らが口を揃えて同じ意見を述べ、マスコミが連日それを全国に発信すれば、国民の考えは次第に変化します。
人道的、平和的な言葉で、「人間平等」や「人権尊重」が穏やかに語られると、厳しい戦争に耐えてきた国民は、一も二もなく傾きます。まして敗戦後の荒廃した国で、懸命に働いている時ですから、考えている暇もありません。従って私は、当時の日本人で、最も罪深い人間は「変節した学者」たちだったと、信じて疑いません。
「日本だけが、間違った戦争をした。」「日本だけが、悪い戦争をした。」と言う、東京裁判史観を植えつけたのが、「現行憲法」です。彼らが信念を捨て、魂をGHQへ売り渡したため、現在の私ばかりか、息子たちも孫たちも、子々孫々まで「世界一悪い日本人」のレッテルが貼られたままです。
当時の帝国大学総長・南原繁氏が、学内に、「 憲法研究委員会」を設けたのは、終戦の翌年(昭和二十一年)でした。氏が研究会を設置した大義名分は、以下の二つでした。
1. 敗戦日本の再建のためには、大日本帝國憲法を改正しなければならない。
2. 多数のすぐれた学者を持つ、東京帝国大学は、これに貢献する責務がある。
三年前に、「変節した学者たち」と言うタイトルで、ブログを書いていますから、すぐにでも罪深い「変節漢」たちの名前を挙げることができます。
《 憲法研究委員会 》
委 員 長 宮沢俊義(法学部)
特別委員 高木八尺 ( 法学部 ) 杉村章三郎 岡 義武 末弘厳太郎
和辻哲郎 ( 文学部 ) 舞出長五郎 ( 経済学部 )
委 員 我妻 栄 ( 法学部 ) 横田喜三郎 神川彦松 尾高朝雄
田中二郎 刑部 荘 戸田貞三 ( 文学部 )
板沢武雄 大内兵衛 ( 経済学部 ) 矢内原忠男
大河内一男 丸山真男 ( 法学部 ) 金子武蔵 ( 文学部)
この時、京都の学者を取りまとめていたのが、末川博氏でした。敗戦後に立命館大学学長に就任した氏は、幅広い著作と実践活動を通して、戦後日本の民主主義と、平和運動の発展に貢献し、大きな影響を与えた人物として知られています。しかし氏もまた、罪深い変節漢の仲間であることを、忘れずつけ加えておかねばなりません。
さて、ここで新聞の記事に戻りますと、不思議なことに辻氏は、この変節漢たちについては一切語りません。ならば氏が批判している「大うそつき」とは、誰なのか。共同通信社も賛成する、「大うそつき」とは誰を指しているのか。
氏が批判しているのは、「変節漢」でなく、現在の日本で「軍国主義を叫ぶ人間」と言うことになるのでしょうか。つまり私のように、「憲法改正」を主張し、国を守る軍の再建を語る人間を指しているのか。そうでなければ、反日・左翼の共同通信社が、大事な紙面を大きく使い、全国発信する理由がありません。
と言うことで、私はこの記事を、「情報操作記事」として、紹介しました。しかしどう考えても、おかしな記事です。素直に読めば、誰でも私のように考えると思いますが、どうなのでしょう。
「子供の頃の神童も、二十歳 ( はたち ) 過ぎればただの人。」・・そんな言葉がありますが、辻氏にも当てはまるのでしょうか。こんな奇妙な、理屈に合わない記事を掲載されても、何も感じないと言うのですから、「ただの人」と言うより、「ばかな人」と、そんな気がしてなりません。
夜も更けてきました。次回は、次の記事を紹介いたします。