ねこ庭の独り言

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『日本史の真髄』 - 130 ( 清盛の味方は、宮廷の女性たちだった )

2023-06-30 14:28:45 | 徒然の記

  〈  第二十三闋 烏帽子 ( ゑぼし )  平清盛が最も恐れた嫡男・重盛 〉

 義朝の功を軽んじ平家を優遇したのは信西だったと、平治の乱の原因を信西にしていましたが、自分の推測がここでも修正されます。

 「後宮に人気があったことが、平家と源氏の分かれ目である。特に皇位継承者の決定に大きな影響力を持っていた美福門院が、清盛に好意を持ち、信頼を寄せていたことが重要である。」

 「清盛の妻時子が、美福門院の系列であったことは、後宮の女性たちに親近感を持たせたのではあるまいか。しかも清盛は、こうした宮廷の女性たちの趣味に合うだけの資質を持っていた。」

 私にショックを与える気は無いのでしょうが、根拠となる理由を述べます。

  ・清盛は『大日本史』に、「長じて穎伍 ( えいご・才智が優れている ) 、姿貌 ( しぼう・姿容貌 ) 美 ( うる ) わし」と書かれている。

  ・つまり頭が良くて好男子だったのである。しかも立派な字を書いた。

  ・頼朝は武勇に優れていたが、宮廷の女性の趣味に合うようなところはなかったようである。

 今の私たちは僧衣を着た清盛しか知りませんが、若い頃の彼は中々の美丈夫だったことが分かりました。こうなりますと信西の姿は、どこにも出てきません。

 「それが保元の乱後の恩賞の差に現れ、その怨念から始まった平治の乱も勝利は平家のものになり、いわゆる、〈 平家にあらざれば人にあらず 〉という状況を生み出した。」 

 「女性を敵に回すと、政治家も学者も目的の達成が難しくなる。」と言うのは、現在だけの話でなく、800年以上前の平安時代でも同じだったことが分かります。これだけでも清盛の新しい姿を教えられますが、更に氏が追加します。

 「それどころか、平清盛は白河天皇のご落胤と言う説が、古来伝えられているのだ。不思議なことに、平家の系図には清盛の母が書かれていない。彼が平家の最盛期を作った人物であることを考えれば、いかにも不自然である。」

 「清盛の母が、白川帝の寵姫 ( ちょうぎ ) 祇園女御 ( ぎおんのにょうご ) であったか、宮女・兵衛佐局 ( ひょうえのすけのつぼね ) だったかは別として、宮女であったことは確かだったようである。」

 「 第二十一闋 朱器臺盤 ( しゅきだいばん ) 」の中にあった、氏の解説で祇園女御の名前が出てきていました。

 「白河天皇は、中宮賢子 ( かたこ )が 亡くなられてから、気に入った女御がいなかったらしく、低い身分の女性を愛されるようになった。名前は伝わっていないが、祇園女御 ( ぎおんのにょうご ) と呼ばれている女性である。」

 「この女性は、大納言・藤原公実 ( きんざね ) の娘璋子 ( たまこ ) を、手元に置いて養育していた。それで白河帝もこの娘を可愛がり、ふところに抱いていつくしんだ。そして、手がついたのである。」

 「白河帝はこの璋子を、孫の鳥羽天皇の中宮にしたのである。しかもその後になっても、関係はやまなかった。」 

 この璋子が崇徳天皇を生んだ待賢門院で、美福門院とは相容れない立場にありました。第二十一闋の副題に、〈「保元の乱」の複雑な内幕 〉と言う言葉を当てているように、この時代の宮廷は夫婦・親子・兄弟関係が複雑でした。

 白川帝の寵姫 ( ちょうぎ )が 祇園女御 であったか、宮女・兵衛佐局であったかの詮議は別にして、この女性は白川帝の手がついて妊娠しました。

 「その女官を白川帝は、平忠盛に賜った。俗に言う〈 お下がり 〉をもらったのである。その時白川帝は、次のように言われたという。」

 「生まれてくる子が女子だったら、宮廷で引き取るが、男子だったらお前の子にするがよい。」

 こうして生まれてきたのが、清盛だと言う氏の説明です。頼山陽は歴史学者ですから、古文書だけでなく様々な資料に目を通しています。その上で保元・平治の乱の大元が美福門院であると結論づけ、清盛の実像にも迫ります。ここまできますと、「美福門院説」に反対する気持ちがなくなりますが、ただそれは「保元・平治の乱」の原因の一つであり、本当の原因はやはり「道長の後宮政策」だったとする考えに変わりはありません。

 今を国難の時と考える私は、息子たちを退屈させても、何度でも同じ言葉を述べます。

  ・道長の後宮政策は、世代を重ねるうちに、歪んだ、異常な親子関係や夫婦関係をうみ、人心を乱れさせる結果をもたらした

  ・氏の解説を読んでいると、悪法「LGBT法」をゴリ押した岸田政権の間違いを教えられる

  ・この法は運用を誤ると、歪んだ異常な親子関係や夫婦関係を作り、人心を乱れさせる結果をもたらす

  ・人間平等の社会であるから、LGBT法を皇室にも適用すべきだと、そんな意見を言う学者・評論家・活動家がいると聞くがとんでもない話である

 話を横道に逸らせているのは私でなく、氏自身ですが、それだけ第二十三闋の詩の解説が簡単でないと言う印でしょうか。本題の「烏帽子 ( ゑぼし )」の解説は、次回からとなります。

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