ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

歴史的な日々

2014-05-17 18:00:31 | 徒然の記
 意識せずに過ごしているけれど、最近の毎日は、もしかすると、後世の歴史に残る日々なのかも知れない。
 
 「憲法改正」「自衛権」「国防」「安全保障」等々、何年か前なら、口にするさえ憚られた事柄が、今は当然のこととして議論されている。
自民党が憲法に触れようものなら、正義と良識のマスコミや進歩的知識人が、平和や人権、戦争反対の論陣を張って、国民の気分をその方向へと盛り上げたものだった。「平和憲法を守れ」と、それはもう、錦の御旗のように人々を熱狂させ、全国津々浦々に浸透した。
 
 それが今では、少なからぬ国民が、マスコミへ不信を抱くようになり、進歩的と言われる文化人や学者に対しても、首を傾げるようになった。「彼らの言っていることは、本当なんだろうか。」「国が滅びても平和憲法を守れなんて、正しいことなのだろうか。」と、素朴な疑問が芽生え、他人から教えられるのでなく、自分の頭で国の未来を考えだした。
 
 戦後70年になろうとする今日になって、初めて戦後の歴史が、国民の課題として意識されるようになった、という事実。こうした社会の変化を、歴史的変貌と呼ばずにおれなくなり、素晴らしい時が到来したと、胸の昂りすら覚える。
 
 いったんそうなると、色々なものが見えて来だした。中国や韓国に堪忍袋の緒を切られ、歯ぎしりするほどの怒りを燃やして来たが、実際の黒幕は、アメリカだったと知ったこと。あるいは、社会党や民主党など、売国左翼の政党や議員たちばかりを嫌悪してきたが、実際の原因は、自民党が作って来たのだと言うこと。
 
 黙認だったのか放任だったのか、「お花畑の平和主義」を行き渡らせ、大切な国を蔑ろにしてきた責任が、自民党にこそあったという事実。ここ一二年で、私はそれを発見した。50年近く購読してきた朝日新聞を止めたのも、その一つのだから、覚醒というに相応しい発見だろう。
 
 自分がそうであるように、今では多くの人々が事実を肌で知り、賢い国民に変わろうとしていると、そんなふうに思えてならない。
中でも一番の発見は、原因の根本をシッカリ認識したことだ。つまり責めるべきは左翼政党でなく、自民党でもなく、反日・売国のマスコミでもインテリでもなかった。原因の大本は、自分で考えることをしていなかった、私自身だったということ。簡単に言えば、、そういうことだ。
 
 おのれのふるさとを大事にするように、自分の国を大切に思い、歴史や風習や習慣を蔑ろにさえしなければ、決して間違えなかったはずだった。大切な選挙の一票を、詰まらない政治家に入れる愚行も無かったし、マスコミの煽動にも、惑わされなかったはずだ。実に呆気ない答えだが、国家は、その国民に相応しい政府を持つと、こんな話だった。
 
 何でも日本が一番で、日本が優れているという意見と、すべて日本だけが悪いと、日本を憎む主張も、どちらも間違った極論だ。日本にも、外国人研修制度を悪用する人間がいるのだから、悪の帝国中国にだって、逆に良識のある国民がいるはずだ。
 
 凶暴な政府が、牙を剥いている国で、誰が本音を語れるだろう。寛容な政府が日本にあるから、勇気のない自分も、いっぱし意見が表明できているに過ぎない、という現実もある。左右の極論は、極論として聞き、その上で、自分の意見を凛として持つ大切さ・・・。
 
 だんだんと、自分でも惚れ惚れとするような、立派なブログになっている気がしてきた。さて、そういう気になったところで、極論にせず、止めておくのが賢明というものだろう。
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