ネットで、小沢氏の憲法講話を偶然聞いた。
「生活が第一」という、奇妙な名前の政党主催の、氏を信奉する人びとの集会での講話だった。相変わらず、聞きづらい訥弁だったが、内容も、それに劣らず詰まらなかった。西欧での憲法が、どのようにして出来たか、イギリスのマグナカルタや、フランス革命のことなど、中学校の授業程度の話を得意そうに喋っていた。
神妙に聞いている聴衆も、情けない気がしたが、氏を担ぎ上げる人びとの集団だから、無理もあるまいと納得した。小沢氏が憲法に求めている四原則が、何であるのか、初めて知ったのが、有意義と言えば有意義だった。
1. 国民主権
2. 基本的人権の尊重
3. 平和主義
4. 国際協調 である。
現行憲法には、四原則が整っているから、このうちの一つでも変ずるような改正には、反対するという趣旨だった。
自衛のための戦争を、日本が独自でやれるようにする必要はどこにもなく、全て国際協調の精神を持ち、国連中心に動いて行けば良い。無謀な他国と紛争が生じたら、国連がちゃんと裁いてくれるから、何も心配することは無いと、これは以前からの氏の持論だ。
力ずくで自己主張をし、周囲の人間を蹴散らすような生き方をする氏が、どうして何時までもこんな書生論を語るのか不可解でならない。
原発反対、消費税反対、平和憲法の改定反対を標榜すれば、必ず国民の一票が集まると、彼が言ったとか言わないとか聞いたが、そんな志の低いことは、まさか語らないはずと信じたいものだ。
中国がなりふり構わぬ軍備増強をし、日本はおろか、フイリピンやベトナムなど、おとなしい国を威嚇し、侵蝕し、国連が何の頼りにもならないと分かった現在なのに、それでも、憲法を変えてはならないと主張する、愚かな氏だ。
自分の国を自分で守れないとなれば、日本は未来永劫、アメリカの属国の位置から脱することができないという、この国民的屈辱を、彼はなんと考えているのだろう。沖縄の基地問題にしも、日本が自国で防衛できる国にならなくては、解決できないというのに、小沢氏は反日左翼政党に同調し、沖縄の米軍基地は反対、日本の軍隊も反対と、子供みたいな駄々っ子の論理をもてあそんでいる。
自衛隊は既に、諸外国からは軍隊と見られており、これを、いつまでも中途半端な状態にしておく矛盾の大きさが、日本の土台を腐られている。闘えない軍隊と言う不名誉な状態では、士気にもかかわる。危険な場所には決して行かず、後方にいて、インフラの整備に専念すれば良いなど、これが果たして、かって保守自民党の真ん中にいた政治家が語る言葉なのだろうか。
国を大切にする気持ちを失わせ、国を恥じ、国を蔑む国民を育てたのは、間違いなく現在の憲法である。何度も書いて来たので繰り返したくないが、現憲法はわが国の戦後において、その歴史的な使命を果たし、役目を終えた。
未来に相応しい憲法を作る時が、来ている。骨のある保守政治家だと思っていた小沢氏が、左翼の反日政治家みたいな、お粗末な意見を述べ続けるのだから愛想が尽きた。
戦闘服に身を固め、街宣車で街を騒がせる右翼と同様、反日の左翼も嫌悪する私だ。当然のこととして、左翼めいた小沢氏も嫌悪する。氏は講話の間中ふんぞり返って喋っていたが、この年になり、妻に決別された男は、果たして個人として幸せだったのだろうか。
かっての彼に、期待した時期があるだけに、悲しい思いがする。