OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

私の使った切符 その82 いろいろな切符 1

2019年11月22日 | 鉄道
私の使った切符 その82
いろいろな切符 1

 「私の使った切符」シリーズを、2015年6月に書き始めた。当初の目的は、自分が旅行で使った切符のうち、いわゆる「硬券」を紹介しようというものだった。硬券のほか、周遊券や車内補充券なども記録した。2018年11月から、カード類に踏み込んだ。前回まででそれも一段落した。
 ところで、現在JRに乗車するとき、近距離はほとんどICカードを用いる。それが使えないところでは乗車券を購入するが、手元には残らない。長距離の場合には窓口や旅行社で発見する少し厚くて裏が黒い(磁気記録のできる)切符が用いられる。他にもいろいろな切符があったが、ほぼ統一されてきた。自動改札になってからは、切符が手元に残らないことが多い。変化がないからあまり面白くないのでコレクションの対象とはしていなかった。それに非常に初期のもの(磁気記録のないものだった)では印字に感熱をつかっていたせいか、年月が経つと消えてしまうものが多かった。そのことも収集マニアとしては面白くない。まずそんな例を。なお、写真のキャプションに記入した年月日は発行年月日で、使用した日付ではない。必要があれば文中に乗車年月日を記す計画である。
 1983年1月26日、常磐線の平駅発行の特急券と乗車券。平駅は1994年12月3日に「いわき駅」に改称された。

90 平駅発行の特急券と乗車券 1983.1.26

 この切符の裏は白くて、磁気用紙ではない。古いタイプの感熱印刷で、すでに印字が薄くなって読みにくい。そこで画像をモノクロにした上で濃度とコントラストを調整して見えるようにしたのが次の写真。

91 画像処理後 1983.1.26
 この時、東京大学で開催された古生物学会の終了後、いわき市に行った。翌年開館するいわき市石炭・化石館(現「ほるる」)の準備の様子などを見せていただいた。その帰途の切符のようだ。乗車券が平から[佐貫・取手・我孫子]ゆきなのは、手元に東京均一周遊券があるのでそこまでということ。サイズは85ミリ×55ミリで、現在多く使われる磁気券とほぼ同じ。同じ時の周遊券が次のもの。

92 北九州市内発の東京均一周遊券 1983.1.20

 券に自由周遊区間の地図が印刷されていて、常磐線方面では取手が端になっている。サイズは120ミリ×75ミリで、本当は表紙が付いていたはず。そして左側は切り取り線になっていて、その左でホッチキスを使って止めてあった。ここにないA券が北九州から東京均一区間内までのもので、最初の下車駅で回収される。その後、区間内では写真のB券をみせて改札を通り、最後に北九州でそれも回収されるしくみである。ではなぜこの券が手元に残っているのかというと、定期券で改札を出たか、どこかで途中下車し、別のきっぷを買って帰ったか。すでに山陽新幹線があった(1975年博多まで)から途中下車は考えにくい。さらに、均一周遊券では新幹線料金は含まれない。新幹線特急料金を支払えば乗れたのだろう。小倉の新幹線から在来線への改札口で、特急券を渡し、在来線に少し乗って、例えば西小倉で改札を定期券で出たのか?
 切符には「はさみ」が入っている。はさみの使用はJRでは1992年頃に終わって、捺し印によるマークに変わっっていった。「はさみ」の形は駅ごとに決まっていたからこの周遊券のはさみの形を見れば最初の乗車駅がわかるはず。

 そんなわけで、これまでに書いてこなかったいろいろな種類の切符などを集めてみた。次のようなものである。1 硬券はすでに扱った。 2 私が使ったか、記念に現地で購入したきっぷに限る。 3 乗車券や特急券に限らないが、鉄道関連のもの。また、基本的に古いものから順に記すが関連があればそれに限らない。候補は総計140枚ほどあるが、最近の統一された磁気切符は同じようなものが重複し、しかも珍しくもないから、かなり省略するつもり。結局何枚になるか予想がつかない。なお、写真台紙の方眼は5mmで、太い線の間が1cmである。
 ことわっておくが、切符コレクションの紹介というよりも、私がどんな旅行をしたかの回想である。前の「硬券」と重複する旅行についてはほとんど書かない。
 

⚪︎ 番外 琵琶湖大橋通行券 1966年?10.23 

 番外にしたのは、鉄道でないから。歩行者の通行が有料でできる橋は多くない。たぶん他には通ったこともないと思う。音戸大橋を1975年に徒歩で渡ったが、直前の1974年夏に無料化されている。また残念ながら若戸大橋はかつて歩道を伴っていたが徒歩で渡ったことはない。
 琵琶湖大橋は、1964年に開通したばかり。この時にはまだ歩道がなかったはず。現在は歩行者無料。京阪電車で堅田まで行って2kmほど歩いて琵琶湖大橋の向こうの木浜というところに行った。何をしに行ったかというと、大学の教養部地学実習で、琵琶湖の水面の振動を観測するため。琵琶湖岸に水位標を立てて、一定時間ごとに水位を記録するというたいくつな作業をした。結果を持ち帰って、水面の固有振動を解析した。1966年ではなくその前の年かもしれない。