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のらやま生活向上委員会 suginofarm

自然と時間を、都市と生命を、地域と環境を、家族と生きがいを分かち合うために、農業を楽しめる農家になりたいと考えています

風神と飲む酒ほどよし上機嫌

2009年12月19日 | わが家の時時
今日も冷たい西風が吹いていました。
冬将軍が風神も連れてきているようです。

金沢に住む友人からお酒が送られてきました。
毎年、ナシのお返し代わりのお歳暮に送ってきてくれます。
今年は「常きげん」というブランドで
「風神」という名をつけられたお酒です。

「常きげん」ってどいう意味なんだろう、
「上機嫌」と違うのかしらん、
というわけで醸造元のサイトを覗いてみると…

八重菊や酒もほどよし常きげん 

というS酒造4代目の一句がありました。
そこからブランド名を取ったということです。
それ以上の解説はありませんでした。
句の意味することから「上機嫌」と解釈してもよいようですが、
“常”という文字が引っ掛かります。

「酒造りのこだわり」というページに
“杜氏一代、酒屋一代”という言葉がありました。

杜氏が造り上げたこだわりの味、
酒屋としての酒造りへのこだわりというのは、
そう簡単に次の世代へ渡せるものではないのだと、
酒造りの難しさを表す言葉だそうです。

1819年創業の酒屋さん。
300年にもなろうとする歴史の重さを感じさせる言葉です。
ここに“常”という文字を使った心意気というものがあるのかも
なんて、深読みしてしまいました。

わが家でいえば、“ナシ一代、コメ一代”か。
いえいえ、そんな悠長なことはいっていられません。
毎年毎年が勝負、“ナシ一年、コメ一年”です。

わが家も後継者育成期。
次の世代へ“こだわり”を引き継がねばなりますまい。

時を経てまぶしくおわす杉木立

2009年12月07日 | わが家の時時
「紀伊半島一周三大聖地巡りの旅」続報です。

伊勢神宮では
株元の直径が2mもありそうな杉の大木が
あちらこちらで参拝者を迎えていました。

那智熊野大社に続く熊野古道の大門坂では
「夫婦杉」と呼ばれる樹齢800年、幹囲8mもある一対の老大木を始めとして
木々がいかにも“昼なお暗い古道”の趣を醸し出していました。

最終日、いい加減、杉の大木を見ても驚かないぞと油断していましたら、
高野山奥の院参道の杉並木には度肝を抜かれました。
杉の大木がぎっしりと居並ぶこんな様子はほかで見たことはありません。

これらの大木は南紀という降雨の多い気候条件にも合致したのでしょうが、
自然の力だけでここまでなったのではありません。
聖地として人々が崇め、環境を管理をし続けてきた賜でしょう。

たしかに大屋根の神殿や数多くの社殿は文化遺産ですが、
杉木立もまた自然と人が長い時間をかけて作り上げてきた文化遺産
であろうと思います。

写真は、高野山の壇上伽藍(修行する清浄な園)内の御影堂前の
「三鈷の松」の落ち葉。
弘法大師が唐から投げた独鈷がかかっていたという伝説があって、
いわば高野山の御神木。

この松の三股になった落ち葉を持ち帰ると
弘法大師と縁が結ばれると1000年も伝承されています。
財布の中に入れておけば、お金持ちになれるとかなれないとか。

ん?
この松、1000年も生きてきた松には見えなかったけど、
とにかくご利益、ご利益。

今日よりも良き日もあらんやたがらす

2009年12月04日 | わが家の時時
             

写真は熊野本宮大社境内を染めていた落ち葉。
暖かい南紀ではようやく楓の黄葉・紅葉が終わったようです。
三日目はあいにくの小雨模様。

熊野大社といえば、サッカーファンには「やたがらす」。
三本足のカラスで、サッカー日本代表のマスコットキャラクター。

神武天皇が山中で迷われた時、熊野権現の使いとして「やたがらす」が現れ、
道先案内を務めたという伝説があるようです。

来年はワールドカップ。
「やたがらす」のデザインされたサッカーお守りを購入してきました。
ついででいいので、わが街の太陽王もよろしく。

水切り五段石投げの見得を切る

2009年12月03日 | わが家の時時
             

12月2日は絶好の瀞峡めぐり日和でした。

石川原から、とろりとした水面についつい石を投げ込みたくなります。
4,5段の水切りができたぞと後の妻を振り返ると、
『石を投げ込まないでください』という立て札が目に入りました。


ちなみに「石投げ」には歌舞伎・浄瑠璃の見得(みえ)という意味も。
片足をあげ、逆の片手を頭上にさしあげて掌(たなごころ)をぱっと開くもの。
石を投げる瞬間の姿に似ているのでこの名があるとか(goo辞書)。

今日をして新年となりぬ後光かな

2009年12月02日 | わが家の時時
             
             
             
             

伊勢神宮の「朔日参り」ができたためか、2日の朝は快晴。
志摩半島的矢湾に面したホテルからは鮮やかな日の出が拝めました。
(写真は6時13分から6時53分までの空の変化の様子)

これから剪定の仕事が始まるナシ屋にふさわしい“元旦”というべきか。

みやげは何か知らねどもええじゃないか

2009年12月01日 | わが家の時時
1日から3日まで紀伊半島の聖地巡りに出かけてきました。

以前から行ってみたいと思っていました。
レンタカーでまわるとしてもどのくらいかかるのか推測もできないまま、
ガイドブックも用意していたのですが、
もう10年前のデータになっています。。
新聞に「往復新幹線で伊勢、熊野、高野山の聖地をすべて巡る」
という激安ツアーを見つけ、思わず乗ってしまいました。

一日目は伊勢神宮の外宮と内宮、二日目は熊野速玉大社に那智大社、
三日目が熊野本宮大社と高野山・奥の院。
さらに、世界遺産の熊野古道と瀞峡ウォータージェット船観光、
那智勝浦の洞窟温泉と盛りだくさんの内容。
当然ながら、三日間のバス走行距離700km以上、
昼食は三日とも車中というハードな日程。
それでも仕事をリタイアされたと思われるご夫婦を中心に総勢45人。
ツアーコンダクターさんもお疲れ様。

20年毎に神殿を新築するという伊勢神宮の「式年遷宮」。
4年後に控えて、入り口の宇治橋が先月渡り初めが行われ、
新しい神殿も隣で建築中。
文化継承の現場を目の当たりにできて幸いでした。



参拝後は門前町の“おはらい町”をぶらぶら。
江戸時代以来の街並みが保存復元されていて、
赤いモチ屋さんが作った“おかげ横丁”も賑わっています。

長野県小布施もたしか
お菓子屋さんが街づくりのコーディネータをしていました。
江戸期に隆盛を誇った近江商人と松坂商人を比較して
「近江道楽に伊勢正直」と呼ばれるとか。
斬新なアイデアと堅実な経営もこの街づくりにはたして生かせますか。

ところで、土産とは本来、伊勢神宮の「宮下」からきたとか。
いつも草団子を作っているので、赤いモチはパス。
外宮内に祭られている宮城の産土神『土宮』のお札で
「わが家をまた一年お願いします」

お嬢さん土を引き継ぐことわかる?

2009年11月27日 | わが家の時時
明後日29日日曜日、午後8時30分からのラジオのニッポン放送の番組で
わが家が紹介されるという連絡がありました。

The Voice of Farmersという番組。
「農業に人生を賭けている人間のリアルな姿を通してこの新しい潮流を伝え、
応援していくラジオ番組」という触れ込みです。

どういうルートでわが家にたどり着いたのかは不明です。
HPをみて興味を持ったとのことでした。
民放ラジオまで農業を扱うようになったのかと
生来のイッチョカミ根性から先週の土曜日に取材をお受けしました。
番組のパーソナリティが3月にお店を訪れた
オーガニック野菜のスイーツパテシエ
Kさんということでしたので
ナシを使ったスイーツに関心をもってもらうきっかけにならないかという
淡い期待もありました。

10月からはじまった番組で、
これまでは主に新規就農者を紹介してきたようです。
若い放送作家さんがわが家をどういうふうに“料理”するのか、
興味津津です。
多世代が役割分担しながら引き継ぐ家族経営という姿が
彼女に伝わっていればいいのですが。

悪いこと重なりゃ救いも見いだせる

2009年10月31日 | わが家の時時
土曜日の夕方の忙しい時に
JAFをお騒がせし、警察のお世話になったのは私です。
ご迷惑かけました。

こういう体験は初めてです。
乗っていた車が国道の真ん中で動かなくなってしまいました。

いつものように段取りが悪く、
明日からの作業に必要な資材が足りません。
土浦の先にある資材屋さんにあるというので
あわてて出かけていったのに
店側のミスで半分も用が足りません。

悶々として帰宅の道を運転していたら
突然、クラッチが効かなくなってしまいました。
乗り出してからクラッチの様子がおかしいことに気づいていました。
帰ったらすぐに修理工場でみてもらおうと思っていました。

ハザードランプをつけ、JAFへ連絡。
「ただいま別件で救援中につき、すぐに向かえません。
追突される危険がありますので、
車から降りて安全なところでお待ちください。
110番通報して交通誘導を依頼してください」
指示は的確でした。

110番通報。これもはじめての経験です。
お巡りさんがやってきて、
「車を動かせるなら、安全な場所に移動しましょう」
私は運転席に座り、一人のお巡りさんが車の後ろを押して、
どうにか安全場所に。
お巡りさん「ああ疲れた」…ごもっとも。
「免許証と車検証見せて」…はいはい。
「整備点検は運転手の責任だからね」…恐縮です。

JAFのサービスはキャンセルして、いつもの修理工場に救援依頼。
そこのお兄ちゃんの見立てでは
ギヤの中のベアリングの油が切れた模様。
「こんなところ、こうならなきゃ点検するようなところじゃない」とのこと。

時間と金をかけてわざわざ出かけたのに用が足りないうえに、
帰りの道で車が立ち往生。しかも国道の真ん中で。

でも、よくよく考えれば、
立ち往生したところがバイパスの分岐交差点近くで、
道幅に余裕があっって大きな交通渋滞を引き起こさなかったのは幸い。
これが一車線の場所だったり、高速道路上だったらそれこそ大変。
一つ間違えば大きな事故に結びついていたかもしれません。

また、たまたま道にゆるい傾斜があったので、
お巡りさんが押してくれて車を動かせたのも幸い。
国道上でパトカーが後ろについて赤色灯がしばらくまわっていたら
それだけで見世物渋滞が起きていたかもしれません。

不幸中の幸いというか、
悪いことが続くと少しのことでも幸いに思えるのは
心の平静を保つための自己防衛本能のひとつかもしれません。

まちにfannyとinterestを送り出せ

2009年10月12日 | わが家の時時
上の写真、一番右側の絵だけをご覧ください。

釜がひっくり返っています。
次は「はんにゃ」の面です。
三番目はおなかの絵。
蓑、田んぼの絵となります。

この絵の並びだけをみると、なんだこりゃですが、
その隣の文字をみればなんとなく類推できます。

つまり「かま」がひっくりかえっているから「まか」、
「はんにゃ」はそのまま「はんにゃ」、
「はら」「み」「た」…となり、
般若心経の一節となります。

これは『絵心経』と呼ばれるもので、
およそ200年前、岩手県二戸郡に住んでいたゼンパチさんという方が
文字の読めない人にも般若心経を教えようと考え出したものといいます。
先日の絵地図師・高橋美江さんの講演会で教えてもらいました。

次の写真


これは講演会後のワークショップで
土浦の街歩きしていた際に見せてもらったある雑貨屋さんの価格表示。
「 除菌ジョイ  カマ○ 」とあります。
「除菌ジョイ」は商品名ですから、これはいいです。
問題は「 カマ○ 」です。
お店の方にどういう意味かと聞いても「企業秘密」だそうです。

「これください」といえば
「はい、いくらいくらです」と答えるのでしょう。
まさか相手の顔を見て値段をかえるのではないでしょうが、
競合店に値段を知れないようにするための暗号化のようです。
かつては商習慣としてよくみられたといいます。

他にも高橋さんの講演では
店の看板などに“なぞなぞ”のような絵や文字が使われていることが
紹介されました。
頭を柔軟にしてくださいというメッセージですが、
まちを見る場合だけでなく、まちに何かを発信する際にも
もっとfannyとinterestが必要なんでしょうねえ。

いつもみんながわかるように平明にではなく、
わかる人だけにわかればいいというくらいの気概があったほうが
まちはもっと面白くなるのかもしれません。

まち歩き おもしろ・をかし けに探せ

2009年10月10日 | わが家の時時
知人に誘われ、絵地図師・散歩屋の高橋美江さんの
講演会・ワークショップに参加してきました。
(主催;NPOまちづくり活性化土浦、土浦商工会議所)

講演会では、はじめに「だまし絵」を見ながら、
まちもいく通りにも見方ができるものと気付かされます。

そして、よく「観光」といわれるけれど、
光のあたる部分しか観ないのが「観光」。
まちにも「ハレ」と「ケ」があって、
実は「ケ」という日常的な部分にまちの本質がある。
ものの形と現象から意味を探りながら、
まちの「funny」と「interest」の両方を見ることが大事。

まちの面白さが見つかったら、次はそれをどう伝えるか。
正確なものが伝わるとは限らない。
情報はメリハリ。情報は一か所に。ワンアクションだから伝わる。
受け手の立場を考え、何をどう伝えるか。

こんな講演内容だったと思います。

ワークショップも終わり、反省会の場で、
「ハレ」と「ケ」というけれど、「ケ」ってどういう漢字になるの?
という話題になりました。
「気」?、物の怪(け)の「怪」?

ネット上で調べてみると
「日常的生活の力の根源である「ケ」が枯渇している状態が
「褻枯れる(け・かれる)」で、
これが「けがれる、けがれ(汚)」の語源」とあります。
けがれると「よどんだ」「不快な」状態になるので、
「はれ」のイベント(祭り、儀式など)によって「けがれ」をはらう
(「け」を取り戻す)といいます。

「け」とは日常的・世俗的なパワーのことであり、
「よどんだ」「不快な」とはむしろ逆の概念だとすると、
まさに、まちの面白さは「け」にあるのでしょうねえ。

上の写真は講師の高橋さんの仕事で、
長野県小布施郊外の農村部を絵地図化したもの。
図の中央、上方に赤い車が描かれています。
果樹園で薬剤を散布するステレオスプレーヤー(SS)です。
「いなかのポルシェ」だそうです。

小布施町が発行。「まち歩き」ならぬ「カントリーウォーク」用。
表表紙と裏表紙を持って対角線上に引き伸ばすと一枚の地図が現れます。
元にもどすと、ワンアクションで元通り、一瞬で折りたためます。
「ミウラ折り」という仕組み。

まあ、ミウラ折りまではしなくと、
まずは、我が家へのルートマップを絵地図にでもしてみますか。

かっこかわい農業男子惚れてまえ

2009年10月01日 | わが家の時時
ピーエスという20歳前後の女の子向けの雑誌があることを初めて知りました。
PRETTY STYLE つまり、PS。
「かっこいいのにかわいい」カジュアル・ファッション誌なんだそうです。
創刊7周年というからそれなりに支持されている雑誌のようです。

その編集部から『自休自足』をみて取材をしたいと
わが家の後継者君に連絡がありまして、
本日発売の11月号に記事が掲載されています。



「惚れてまうやろ~ 農業男子」という特集。
9人の農業青年が紹介されていまして
わが家の後継者君がトップを飾っております。

まあ、あることないこと、
「料理上手の嫁が必要かな(笑)」なんて
家族と話したことのないことまで紹介されていますが、
これもまた青春の記念ということで。

それにしても、ここまで農業ブームが来たかという感慨とともに
登場人物の身長まで記載されているというのは
やはりファッション誌ですわと感心することしきり。

猫の手を奪う怪しき隣人か

2009年09月07日 | わが家の時時
豊水の収穫が佳境に入っています。
先日の涼しい気温が
一気にナシの実を熟させてしまったようです。

そんなバタバタしているところへ
クールな隣人が様子を見にきました。
しばし怪しい光りものに心奪われました。

まさか、今NHKで放映している恐竜SFドラマ
『プライミーバル』(木曜日、夜8時より)
が現実に起きているわけではないでしょうねえ。

湖畔・イリオモテヤマネコ・阿修羅・万博

2009年08月10日 | わが家の時時
ナシ発送のご注文をいただいていて
ときどき必要事項以外のひとことがあったりすると、
うれしいものです。
そういうひとことがなくとも、
なにか特別な感情が伝わってくるものもあります。

たとえば、注文の入ってきた手紙のこれらの切手です。

切手収集がちょっとしたブームになっていた
60年代後半から70年ごろに発行された切手と思われます。
長い間、きちんと整理され保管されていたはずです。
40年ぶりに日の目を見た切手たちです。

上から
15円切手の黒田清輝画伯の『湖畔』。1967年発行のようです。
20円切手の『イリオモテヤマネコ』2枚。
15円切手の「阿修羅像」。
今年の初夏に話題になりました。
下から二番目は7円切手の日本万国博覧会。
1970年発行とあります。

いずれも流通に乗せれば
今日だって、それなりの高価で取り引きされるのではないでしょうか。
それをあえて、我が家へのナシ注文用に使っていただけるとは
たいへんありがたいものです。

なにをぼんやりしてんだ

2009年07月26日 | わが家の時時
ユニークな発想法「KJ法」やヒマラヤ探検で知られる
文化人類学者のKJ先生が7月8日に89歳で亡くなられました。
25日にお別れの会が開かれましたので、
学友たちと参列してきました。
(写真はビールでのどをうるおしながら大学の最終講義をした様子を
紹介した84年2月18日の新聞記事)

京都学派の流れをくむ先生の活躍された分野は広く、
三高山岳部から日本ネパール協会、KJ法学会と多くの参列者の中で、
われわれが一番若い参列者だったようです。

多くの方々から弔辞があり、
それぞれがまた味わい深いものでした。
「本当は先生はネパール人で、
お釈迦さまがネパールを救いなさいと派遣されたのではないか…」
「やらないで後悔するよりやった方がよいと常々おっしゃっていた…」
「現代の問題を打破するには
仏教とKJ法で解決できるのではないかと話していた…」
なるほど、参加者の意見を否定しないKJ法ならではの逸話です。

地理学徒の縁で、
指導教官の一人になっていただきました。
KJ法は残念ながら「らしきもの」レベルで終わってしまいましたが、
徹底的な現場主義、
「問題解決のカギは現場にある」という先生の教えを
結果として、たどっているのかなという感慨を覚えました。

「なにをぼんやりしているんだ。
いつかまた、そう、後ろから声をかけられそうだ」
これは幼馴染?の方の弔辞の一節ですが、
参列者一同、おなじ思いだったのではないでしょうか。