ギャツビーを久々に読んだ。
村上春樹の新訳で。
小説を書くというのは本当に大変な仕事で、僕も何度も挫折したし、一冊書き上げたときは本当に精根尽き果てた。
書いて分かったのは、小説執筆にはなにより持続力が必要と言うことだ。
普通の人には(僕を含めた凡人には)その持続力がそもそも備わっていない。
小説を書くと、最初はいいのだが、次の日、また次の日、百枚、二百枚と進むにつれ、どんどん持続力がもたなくなっていき、ついにはあきらめてしまうのだ。
フィッツジェラルドは偉大な小説家だ。
史上屈指の美文家としても知られる。
だがそれでもやはり持続力と戦ったのだろう。
この「華麗なるギャツビー」を読んでもそれはよく分かる。
最初の数十ページの美文の素晴らしさが、中盤徐々に息切れしてきて、だんだん雑になっていき、それでも何とか持ちこたえ、最後の最後は再び美文ラッシュになる。
最後まで小説を書ききるのにとんでもないエネルギーを使っているのが、見て取れる。
そういうフィッツジェラルドの人間的な部分を感じ取れるのも、時代を超えて読み続けられる小説の素晴らしさの一つだ。
フィッツジェラルドという人間はこの小説の中で永遠に生き続けるのだ。
村上春樹の新訳は、英語で書かれたフィツジェラルドの美文を日本語で出来るだけ再現しようと務めたという。
なるほど、過去に何度か読んだギャツビーとは少し違う気がした。
なんにせよ名作である。
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