そこそこの放送作家・堀田延が、そこそこ真面目に、そこそこ冗談を交えつつ、そこそこの頻度で記す、そこそこのブログ。
人生そこそこでいいじゃない





宮崎駿10年ぶりの新作。
前情報一切なしの中、初日に見てきた。
その感想。

正直、映画としてはうーんと首をひねっちゃう出来。
いち映画としては星2つ。★★
難解すぎると思う。
論理的にストーリーを追っても無駄な類の映画なので、宮崎駿の最後の仕事を見届けるつもりでただ映像を浴びるように観賞するのがいい。
なにしろ作画はすごい。
アニメ表現としての完成度はとんでもない。
それだけで見る価値はあるが、いかんせん映画としては難解すぎる。

僕個人的には、宮崎駿の全生涯が詰まった自伝だと捉えた。
80歳になってついに、幼少期に抱えた心の奥底の闇からアニメ界の巨匠に至っての苦悩まで、ファンタジーの形を借りて吐露した私小説だ、と。
タイトルの「君たちはどう生きるか」は観客に説教臭いメッセージを伝えようとしているわけではなく、幼少期に宮崎駿自身が実際読んだ吉野源三郎の小説「君たちはどう生きるか」から受けた深い感銘と、「物語」が持つ人生を変える力、そして「物語」が描く崇高な生き方とは相反する実の父親の人間像へのわだかまりや、自分自身の心の奥に潜んでいた弱さや卑怯さ、そういった理想と現実の狭間で揺れ動きそれでも「物語」の力を借りて前へ進む幼少期の宮崎自身を、隠すことなく描いたように思う。
つまり、観客へのメッセージ性のある難解映画ではなく、これはあくまで宮崎駿が自分自身とその家系や血筋への思いを正直に描いただけなのではないか。
作中で起こる出来事の多くは、宮崎駿の深層心理の中、それは時に意識下、時に無意識下に潜む心の傷や願望、夢の集大成だと感じる。
以下、ネタバレで少し宮崎駿の人生に触れる。















まず父親と父の家系(血筋)に関する思いだ。
宮崎駿の父はゼロ戦の部品などを作る工場の社長で、裕福な家で幼少期の宮崎駿は育った。
母は身体が弱く、長期間入院していた(この辺は「風立ちぬ」の元ネタだろう)。
宮崎駿4歳の時、宇都宮で米軍の空襲に遭う。
裕福だった宮崎一家は、当時は珍しいガソリン車に乗って逃げるが、その途中、子供を抱いた男が「車に乗せてくれ」と助けを求めてきた。
だが、宮崎の父は車を停めずに、その親子を見捨てて走り去った。
それが宮崎駿の心の傷となり、いつまでも忘れられない出来事になったという。
尊敬すべき崇高な人物であってほしい実の父が、目の前で犯した非道。
そのとき「乗せてあげて」と言えなかった自分。
「君たちはどう生きるか」に書いてあった「正しい生き方」とは違う父へのわだかまり。
とっさに「正しい生き方」を選択できなかった自分への罪悪感。
そしてそんな家を築いてきた祖父、曾祖父たちへの思い。
そんな宮崎駿の心の傷が、今作のストーリーにはちらほら顔を出す。
作中で主人公のマヒト君は母から贈られた小説「君たちはどう生きるか」を読んでボロボロと泣き、そこから打って変わって積極的に人を助け、冒険に歩み出す。
「物語」が人生に与える力を信じる宮崎駿は、自らの実体験をファンタジーの姿を借りてストレートに描いているのではないだろうか?

他にも、なぜか大量に登場する鳥類は、もしかしたら宮崎駿にとってのトラウマかも知れないし、鳥にこだわる何か引用的な作品があるのかも知れない。
継母のおなかにいる子への複雑な心境は、宮崎駿自身の境遇とは重ならないが、先妻を1年で亡くした後に宮崎駿の母と再婚したという実父に対する何らかの思いがそこに反映しているのかも知れない。
そのような深層心理の中に潜む心の闇を、幼少期の宮崎駿が自ら旅するような、今作。
主人公のマヒトはもちろん宮崎駿自身の投影だが、最後に出てくる大叔父ももしかすると宮崎駿自身の投影かも知れない。
自身が築き上げ、危ういバランスで立っている積木の塔。
13個の積木で積み上げられているその塔は自身の監督作映画という金字塔ではないか?(奇しくも13という数字は宮崎駿が手掛けた映画の本数と一致する)
それを、自分の血を引く子孫に継がせることを夢みた老人は、結果、その夢をかなえることができず、世界は崩壊する。
ジブリの崩壊を予期しているのか?
アニメという文化の崩壊と再生と後継者への委譲を描いているのか?
宮崎駿の深層心理に潜む闇は、なかなかに恐ろしい。

ただ、いかんせん難解すぎる。
映画作品としての世間的な評価は低くなりそうだし、大ヒットも難しいだろう。
それでも見終わったあとになにか深い余韻が残る映画だし、時間がかなり経ったあとに再評価される類の映画だという気もしている。

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