父は筆まめだったので、おそらく家族写真を撮ってそれを倉吉の岸本家に送ったのだと思います。鳥取と倉吉は35キロほどしか離れていないので、今なら車で1時間もかからないでいけますが、当時は違う世界に行くようでした。お別れの日は職場の人や近所の人が大勢見送り、送る方も送られる方もまるでもう会えないかのように泣いていました。
この手紙は父から届いた写真をしげしげと眺めて私たちのことを想像しながら眠りについて、その夢を見たようです。先生がカブトムシを投げたというのがよく分かりませんが、夢の中のことなのでわからないこともあるのでしょう。
その頃、私は「大きくなったら何になりたい?」と聞かれて、多分「自動車の運転手」と言ったのだと思います。孫を見ていても、どうやら男の子はこのくらいの時に、自動車などの乗り物を好きになり、その後で昆虫を好きになるみたいです。大人から見ればもう少し夢のあることを行って欲しかったのか、お兄ちゃんは画家にでもなって欲しかったのかもしれません。