自然日誌 たかつき

自然についての問わず語りです。

資料

2017年07月01日 | がんこおやじ
ある市民講座でお話をしました。和気藹々のなかなかよい講義になりました。感想文を書いてもらったのですが、「わかりやすかった」「ユーモアがあって楽しかった」「目からウロコだった」とありがたい評価が多く、うれしく思いました。ただ、複数の人が「ほかの先生のように、資料が欲しかった」と書いていました。それに対してがんこおやじは次のように書きました。

 私は以下の理由で意識的に資料配布をしない主義です。
 知識や考えは脳に残ってこそ意味があり、身につきます。その意味で私は講義とは一期一会のものだと思っています。録音や録画がなかった時代の音楽や芝居などは、その場で聞くしかありませんでした。ですから演じるほうも、見るほうも、その瞬間に表現しよう、吸収しようと真剣だったはずです。録音や録画ができてから、便利になったと感じると同時に、私たちの意識のなかに「あとでもう一度」という気持ちがうまれ、ヘタをすると「今聞かなくても」というマイナスの心理が生まれたことを見逃してはならないと思います。講義資料も同じです。資料があれば安心します。「資料をみればよい」という気持ちがあると、本物が身につきません。「あとで見る」といいながら、実際には見ることはまずありません。資料を渡すのは簡単なことです。でも、私はその「やさしさ」はまちがいだと思います。あとで見なければならない「知識」は知識でもなんでもありません。だから私はあえて資料を配布しないのです。「資料が欲しい」と書いた方は、自分がいかに便利さに甘やかされて、それを当然だと思う甘いトラップにかかっていることを思い起こしてください。それでは若者のスマホ依存と変わるところがありません。
 多くの方が、「目から鱗だった」とか「実験で結果が示されたので納得した」、「これからはそういう目で自然をみようと思う」などと書いておられました。講義の成果としてはそれで十分です。たくさんの表層的な知識より、ひとつでよいから確かな思考です。

コメント (1)
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