きのうの報道によると、「スピード」というソフトで放射能汚染のシミュレーションができ、高い値が出ていたが、「無用のパニックを避けるために」報じなかったという。「スピード:というネーミングはほとんどブラックウーモアである。私はこのことをだいぶ前にこのブログで指摘した。当時、ドイツの機関がこのシミュレーションをしており、「日本にもスピードというソフトがあるが機能していない」という指摘をきいていた。しかし機能していいなかったのではなく、情報開示が抑えられていたということらしい。まったくひどい話ではないか。100億円もかけて開発した装置は、一応機能していたのだが、それを「政治的判断」で開示していなかったということだ。しかも開発した学者は公表すべきだったと正しくコメントしていたにもかかわらずである。
私はそのときのブログに、病気になったときに医者に聞くか、結果を聞くのがこわいから病院に行かないかのどちらかという設問をして、自分は当然「聞く」と書いた。日本の行政者は病院には行かないほうがいいと「高度の判断」をするタイプだということがわかった。露呈したというべきか。
ということは、である。今でも「よけいな心配をかけない」判断をしているに違いないということである。保安院が無能集団であることはあきらかだが、そうであってもなくても、行政は情報を開示しないのだから、私たちは判断の材料をもつことができない。今後、たとえ大地震がこなくても、いまの原発で最悪のことが進行しない保証はまったくないし、そういう兆しがあっても「よけいな心配をさせない」配慮がなされるであろうから、発表されるときは「もう癌は末期です。ご臨終です。」というときであろう。(今回のことだって、3月20日までに公表されていれば、避難するにももっと余裕があったことは明白である。「汚染はしました。今の状況はこうだが、このままいくと1ヶ月後には避難しないといけない可能性があるから、必要なものはまとめるなり、家畜のいる人は処分の手段も想定しておいてください」というべきだった。)
私が期待するのは、報道機関がこのことを真剣にとりあげて、公開すべきであることを行政に強く迫ることである。ときどき聞かれた海外からの専門技術の支援はどうなっているのか。ここは人類の総力を結集すべきときである。そうしたことを、行政にさせるべきである。日本の行政を動かすのは、よくも悪くも報道機関であろう今の行政はいくら市民がデモをしても、屁とも思っていない。だが、マスコミによる評価は気にする。首相の交代さえ何度もさせて「実績」があるではないか。いま、原発の処理がどれだけ危険であるか(あるいはないのか)を、客観的に判断するための、もてる情報を公開するよう強く迫ってもらいたい。
私はそのときのブログに、病気になったときに医者に聞くか、結果を聞くのがこわいから病院に行かないかのどちらかという設問をして、自分は当然「聞く」と書いた。日本の行政者は病院には行かないほうがいいと「高度の判断」をするタイプだということがわかった。露呈したというべきか。
ということは、である。今でも「よけいな心配をかけない」判断をしているに違いないということである。保安院が無能集団であることはあきらかだが、そうであってもなくても、行政は情報を開示しないのだから、私たちは判断の材料をもつことができない。今後、たとえ大地震がこなくても、いまの原発で最悪のことが進行しない保証はまったくないし、そういう兆しがあっても「よけいな心配をさせない」配慮がなされるであろうから、発表されるときは「もう癌は末期です。ご臨終です。」というときであろう。(今回のことだって、3月20日までに公表されていれば、避難するにももっと余裕があったことは明白である。「汚染はしました。今の状況はこうだが、このままいくと1ヶ月後には避難しないといけない可能性があるから、必要なものはまとめるなり、家畜のいる人は処分の手段も想定しておいてください」というべきだった。)
私が期待するのは、報道機関がこのことを真剣にとりあげて、公開すべきであることを行政に強く迫ることである。ときどき聞かれた海外からの専門技術の支援はどうなっているのか。ここは人類の総力を結集すべきときである。そうしたことを、行政にさせるべきである。日本の行政を動かすのは、よくも悪くも報道機関であろう今の行政はいくら市民がデモをしても、屁とも思っていない。だが、マスコミによる評価は気にする。首相の交代さえ何度もさせて「実績」があるではないか。いま、原発の処理がどれだけ危険であるか(あるいはないのか)を、客観的に判断するための、もてる情報を公開するよう強く迫ってもらいたい。