花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

夏の中欧紀行⑭・ハンガリー、ドナウベント地方へ

2006年09月30日 | 中欧三カ国旅行記
9月もいよいよ終わりですね。今年も四分の三が過ぎました。
月日が過ぎるのが、年々早く感じられてなりません。

「元気なうちにやりたい事をやっておこう」・・・夫の最近の口癖です。
10月早々、主人が熱望していた出雲の「足立美術館」に行くことになりました。
お庭で有名な美術館です
天気予報がイマイチですが、古い温泉も楽しんでこようと思っています。

秋のお花の紹介で「中欧旅行記」が途切れてしまいました。マルさん、ごめんね。
旅行の前に、ウィーン最後の夜と、ハンガリー入国の記事をUPして出かけることに致します。

ウィーンのオペラ座で「アルジェのイタリア女」を鑑賞した後、前もって決めていたレストランに行きました。
ぷりんさんとK子さんの持っていたガイドブックに紹介されていた、オペラ座近くのお店ですが、名前は・・・?
土曜日の夜だったせいか、ガーデンテラスには地元の人々がまだまだ食事を楽しんでいました。



私たちが案内されたのはお店の中の席でした。
音楽の都ウィーンは、生の音楽付きのお店が多いですね~

日本人の姿はなく、日本語メニューもありません。
お食事はどうやら三つのコースがあるらしい
中を選んだような・・・
最初に出てきたスープ
肉団子はレバーのような味がしました。
そしてショッパイ









最後のデザートは、粉砂糖がかかった揚げモチみたいなものにブルーベリーソースがかかっていました。
甘くてボリュームがあって、とても全部は食べられません




美味しい夕食だったという印象はさしてないのですが、音楽を楽しみお喋りを楽しみ、ウィーン最後の夜を満喫しました。
気がついたら11時半です
地図を片手に歩いて15分、無事宿舎の「ソフィテル・ホテル」に到着しましたが、やはり今回も夜中の12時を回ってしまいましたね(私たちらしい事)

部屋に帰って、すぐに我が家に国際電話をかけました。
日本は朝の7時過ぎ、丁度仕事に出かける前の主人が出て、息子の腰の手術は私が成田到着の、6月28日の午後3時からだと聞かされました。
「私も手術に立ち会える!」


6月25日(日)

ホテル「ソフィテル・ウィーン」は規模や眺望はイマイチでしたが、街の中心部にあって便利でしたね。我々も遅くまで街で楽しめたし・・・
人口約160万人の大都市ウィーンを後に、バスはフリーウェイに入りました。
すぐに豊かな田園地帯が広がっていました。
風力発電のプロペラがたくさん見えています。
ハンガリーに入ったとたん、素朴な雰囲気が感じられます。
レトロな列車がやってきました。
走っている車も古い形が多い・・・






お昼近くに、ようやく古都「エステルゴム」に到着しました。


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「泉の森」のツリフネソウ

2006年09月28日 | 花シリーズ


小田急線と相鉄線でやってくる仲間との待ち合わせは「大和駅」
「常泉寺」に行く前に、大和駅から歩いて行ける「泉の森」に寄りました。
今年の3月に、ブログ仲間のおーちゃんに教えてもらって、ユキワリソウを見に行った自然公園です。
その時の記事はこちらです。

ユキワリソウを見た野草の森のすぐ近くに「キツリフネ」のお花が咲いていました
山で何度か見ているのですが、写真を撮ったのは初めてです。大感激


池のそばの水車のすぐ脇に、たくさんのピンクの「ツリフネソウ」も咲いていました。
名前の通り、舟を吊るしたようなユーモラスな姿に思わず笑みが
水辺を好むお花のようですね。
そろそろ終わりのようでした。





こんもりと茂って咲いている「ツリフネソウ」
種で増える一年草なので、Yさんが弾ける種なら欲しいな~~と探していましたが、まだちょっと早いようです。





木々の緑が茂っていて、3月に見た風景とは全然違う「泉の森」でしたが、カワセミの写真を狙っているおじ様方は相変わらず、大きなカメラを三脚にくくりつけて待ちのポーズでいましたし、楽しみにしていた彼岸花も終わりに近かったのですが、かろうじて見られましたね。
親水公園との間の川沿いに彼岸花の群生地があったのを、以前来た時にチェックしていたのです。
マタマタ彼岸花の写真で、ちょっとしつこいのですが、お許し願います。

秋にいきなり花を咲かせ、他の草が枯れる頃に葉を茂らせる彼岸花。
緑芽吹く春には枯れて、夏は土の中で眠っている彼岸花。
冬の太陽を独り占めして、栄養を球根に蓄えているとか・・・中々抜け目がないお花です。
ものの本によると400以上も異名があるそうです。





「嫁のカンザシ」「オミコシ」「馬の舌曲がり」「手腐り花」「野タイマツ」等など・・・
英語名は「リコリス」。海の女神と言う意味で、和名とは印象が違いますね。
中には「ハリケーン・リリー」と言う呼び名もあるらしい。



日本で最も一般的な異名「曼珠沙華」は、仏典に出てくる天上の花のことだそうです。
(以上毎日新聞、余禄より)



川沿いの斜面に咲いた「彼岸花」は、「常泉寺」の綺麗に手入れされたお庭で見た「曼珠沙華」とは、この名前のごとく違う雰囲気でした。
田んぼのあぜ道に咲く「彼岸花」も見てみたいものです。

ブログ仲間のmaruさんのところで拝見した「棚田の彼岸花」は、黄金色の稲穂と赤い彼岸花のコントラストが素晴らしいものでした。
興味のある方はお訪ね下さいこちらです。

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花のお寺「常泉寺」

2006年09月26日 | 花シリーズ

天気予報はイマイチだったのですが、良い方に外れて秋晴れの空が広がっていました。
吹く風も、もうすっかり秋ですね。

2週間前に「毎日新聞」の一面で”花のお寺”として紹介された、神奈川県大和市の「常泉寺」に行ってきました。
新聞で紹介されていたのは白い彼岸花でしたが、ブログ仲間のおーちゃんの所で、「赤い彼岸花も満開となり、その他の秋の花々も見頃」との情報を得て、友人2人を誘って日がな一日ノンビリとお花三昧を楽しみました


小田急線の「高座渋谷」駅から300mの所にあって、春のミツマタ、秋の彼岸花・・・カッパのお寺としても有名です。
拝観料300円を払って中に入りました。
今の季節、赤い彼岸花が3000本、白い彼岸花が500本、境内のあちこちに彩を添えていました。







ユーモラスな表情のカッパの置物がたくさんありました。









他にもたくさんの秋のお花が咲いていましたが、お寺の方が熱心に説明してくれたのが薄紫色の「カリガネソウ」


雁が飛ぶ姿に似ているからこの名前が付いたらしいのですが、帆掛け舟にも似ていると言う・・・
ジックリ見たのは初めての、私好みのお花です























もう一つ可愛いお花を見つけました。
山仲間のYさんが「シュウカイドウよ」と教えてくれました。彼女はとてもお花に詳しいのです

「萩に尾花(ススキ)、オミナエシ、フジバカマもあるわね。秋の七草が揃いそう」と嬉しそうでした。
ちなみに秋の七草はこれに、キキョウ、ナデシコ、クズが加わりますね。



こちらはホトトギス・・・
昔、我が家近くの里山にたくさんのホトトギスが見られましたが、もっとピンク色で、葉っぱに沿って一列に10ケ近いお花が並んでいるものでした。
この境内のホトトギスは「ヤマジノホホトギス」なんでしょうか?








おーちゃんのブログに載っていた「イワシャジン」を見つけました。
これも私の大好きなお花ですが、地面に座り込まないと写真が撮れない
手探りで写した写真は不満足なんですが
他にナンバンギセルや、我が家にもあるホテイ草、そして珍しいサンジソウ(午後3時になると咲き出すお花)などが見られました



修理から戻ってきたカメラ、ピントの合わせ方に違和感があって、イマイチ写真がうまくいきませんが、最後にもう一枚、常泉寺の「彼岸花」を載せたいと思います。


マンジュシャゲとも言われるこのお花、毒草でもあるようですが、モグラを防ぐためにお墓にたくさん植えられたと聞きました。
赤と白のマンジュシャゲ、お寺の境内にこれだけ揃うと壮観ですね。

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夏の中欧紀行⑬・ウィーン「オペラ座」観賞

2006年09月23日 | 中欧三カ国旅行記


こちらが国立「ウィーンオペラ座」です。
演目、歴史、建物の素晴らしさなど、どれをとってもドイツ語圏オペラ界の頂点に立つ劇場です。
1869年に宮廷歌劇場として開場、第二次世界大戦で全焼しましたが、1955年に再建されたそうです。
2002年から小沢征爾が音楽監督を務めているようですね。

その日の切符を買いたければ、裏側のドァーから入り、狭い通路の先に切符販売の窓口があります。
そこにはキチンと制服を着たおじさんがいて、まずジロリと靴を見ます。
ドタ靴やサンダル履きだったら「ノン」と言われそう

この日は土曜日、もちろんオペラはやっていて立ち見席なら切符も取れるらしい・・・
「私は観る事にするから、皆は行きたい所に行って」とK子さんは言うけど・・・
一対三で分かれるのも心配だし、ウィーンでオペラを観るのも良い思い出になるし、どうしよう??
「切符は5時過ぎに販売だから、まだ早い」と言われて、お茶することにしました。
オペラ座のすぐ裏に「ホテル・ザッハー」があります

ここのカフェで「ザッハ・トルテ」を食べるのが、事前の予定として入っていました。
オープンテラスに通じる中の席に案内されました。
思ったよりこじんまりとしています。
冷房が全然効いていません
自由時間に周る予定だった「王宮」や「シュテファン寺院」はどんな所だっけ?


流石にヨーロッパの中でも格式あるオペラ座です。
一階席は正装した人々で、華やかな雰囲気があふれていました。
私たちの三階の立見席は軽装の人々が多かったのですが、やはり音楽好きの人々や音大生たちが観劇に来ているようで、ちょっとの雑音を立てただけでもブーイングがおこります。




「そうとう質の高いオペラだったわ」オペラが大好きなK子さんも興奮気味でした。
初めてこのメンバーで旅行した「イタリア」でもオペラに行ったわね~
あの時は着ていくものを決めるのに大騒動でした。
正装しすぎて、逆に浮いていた私たち・・・
外に出ました。
目の前がお茶した「ホテル・ザッハー」です
ここに泊まれたら最高でしたね




こちらが「オペラ座」・・・
まだ華やかな雰囲気の余韻が残っているようでした
9時半を廻っていましたが、これから近くのレストランでお食事です。
「エート、なんていう名前のお店だったっけ・・・?」
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夏の中欧紀行⑫・ウィーン「美術史美術館」

2006年09月21日 | 中欧三カ国旅行記
ルーブル、プラドと並んで、ヨーロッパ三大美術館とも言われています。
エルミタージュも同じような形容でしたが・・・?
2階の展示場に上がるエントランス部分も重厚な装飾がなされていて、天井にはクリムトの絵が描かれていました。

この美術館は特にブリューゲルのコレクションが有名
他にフェルメール、ルーベンス、ラファエロなどの傑作が目白押しです。

日本語ガイドさんの案内で、早速ブリューゲルの部屋に行きました。


他にもブリューゲルの素晴らしい絵が並びます。
「農民の婚礼」、そして「バベルの塔」など等,
ガイドさんの、ウイットに富んだ説明を聞きながら先に進みました。







私の好きなラファエロもありました。
こちらは「草原の聖母」
幼いキリストと洗礼者ヨハネを見守るマリアの表情が印象的な絵です。
ショールの蒼さが、ラファエロ独特の色なんだそうです。

私は何故ラファエロの絵が好きなのか・・・
その答えはイタリア、フィレンツェのパラティーナ美術館で、ラファエロの「グラン・デュークの聖母」を見た時に解りました。
生まれて5歳まで過ごした北海道の家の寝室に、この絵の印刷物が額に入って飾られていたのです。
子供の頃、毎夜ラファエロの聖母に見守られながら眠りについていたんですね
物心が付いた頃から、常に聖母に暖かく包まれていたような感覚が、未だに残っているのでしょう



主だった作品の解説を受けてから解散となりました。
後は自由行動で、それぞれ各自がホテルに戻ると言うスケジュールです。

ぷりんさんがガイドさんに「今人気急上昇のガラバッチオの絵もこちらにあると聞いたので見たいのですが」と申し出たら、ちゃんと連れて行ってくれました。
美術館という所は、好きな人にとっては、まだまだ見たいものが山のようにありますよね
でも、ウィーンの街もまだまだ歩きたいので、絵葉書などを買ってから外に出ました。

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初秋・・・そしてバトン

2006年09月20日 | 日常の日記

陽射しは強烈ですが、北側の影が長く延びてきて、何となく秋の風情が感じられますね。
夕方の6時には、もう太陽が沈んでしまいます。
我が家の芙蓉もソロソロ終わりでしょうか・・・
ズームで覗いてみると、おーちゃんに教えられたとおりに、雄しべの先が曲がっていました。


去年の7月、父の入院騒ぎの時に随分慰められたホテイ草・・・
水盤の中で涼しげに咲いているホテイ草・・・
今年の株は小さ目だったせいか?お花も遅くて小さい感じですが、8月の下旬頃から咲き出しています
忙しさの中で、見落としがちな庭の花々を、今日は少しゆっくりと眺めてみました。




修理が終わったデジカメの調子がイマイチで
「大きく写せば良いってものではないよ~~」と言う声が聞こえてきそうですが、今日は久しぶりのテスト撮影です。

ブログ仲間のshoukoさんに刺激されて、今日から「裂き織教室」に通い始めました。
PC教室に英会話、プールのエクササイズと通っていますが、私に足りないのはクリエーティブな手仕事。
何も考えずに織物に没頭するのも良いのかもと、始めてみましたが・・・

            ☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆

今日は「中欧紀行⑫・ウィーン編」をUPする予定でしたが、ブログ仲間の小桃さんから廻って来た「地元バトン」に挑戦したいと思います。

それではヨーイスタート

①どの都道府県に住んでいますか?
 
 神奈川県

②標準語圏内ですか?
   
 一応標準語だと思っていますが、横浜弁と言うのもあるらしい・・・
 伊勢佐木町辺りのおおだなの女将さんは、小気味良い浜言葉を話します。

③方言があるなら種類や特徴や珍しい方言を・・・。
 
 私の父は東京新橋生まれの新橋育ちですが、転勤族でした。
 転勤先の北海道で、札幌生まれの母と結婚。
 ですから横浜言葉は良く分かりませんが、若い人は語尾に「ジャン」を付ける
 のが特徴でしょうか・・・   

④地元の有名な場所は・・・?

 市内では「ベイブリッチ」やベイエリア(大桟橋、山下公園、外人墓地)
 もっと近場なら「八景島シーパラダイス」や「円海山」でしょうか?
 横浜で一番高いこの山は、たくさんのハイキングコースや動物園があり、
 コアラ館が有名です。
  
⑤地元の有名人や歌手を教えてください。

 横浜出身の有名人は大勢いると思いますが、本当の地元と言えば「矢沢永吉」
 です。
 最初の奥さんとの間の息子が、我が家の息子と同じ中学にいました。
 前矢沢夫人も良く見ましたよ。

⑥地元のここだけは許せない。

 今では大分静かになりましたが、こちらに引っ越してきた頃は、暴走族の凄さ
 にビックリしました。
 実際車の運転中に巻き込まれた事もあります。

⑦私の地元に住んだらこんなメリットがある。

 都会的な所と、自然がまだまだ残っているところでしょうか?
 鎌倉までのハイキングコースもあり、夏には蛍も見られます。

⑧地元で一番多い名字は?

 地主さんたちに多い姓は「臼井さん」と「荒井さん」です。

⑨ネット友達で近所の人にバトンを廻しましょう。

 ご近所のブログ仲間と言えば「ちょこっとカフェブレーク」のくるみさん。
 若いくるみさんから、以前違うバトンが回って来たことがありますね。
 今回はこちらからになりますが、どうぞ宜しくお願い致します。

↑の友達を除いた5人にもバトンを廻しましょう。

 5人はとても無理ですが、同じ山形でも地域によって、色々違うらしいですね。
 学生時代からの友人、米沢近くにお住まいの「南窓によりて」のtaeさんと、
 酒田にお住まいの「人生の午後を楽しむ」のshoukoさんに、その辺の所
 を教えて戴きたいと思います。
 宜しくお願い致しますね


  

   質問事項です。コピペして使ってください


   ①どの都道府県に住んでいますか?

   ②標準語圏内ですか?

   ③方言があるなら種類や特徴や珍しい方言を…。

   ④地元の有名な場所などは…?

   ⑤地元の有名人や歌手を教えてください。

   ⑥地元のここだけは許せない。

   ⑦私の地元に住んだらこんなメリットがある。

   ⑧地元で一番多い名字は?

   ⑨ネット友達で近所の人にバトンを回しましょう。

   ⑩↑の友達を除いた5人にもバトンを回しましょう
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夏の中欧紀行⑪・「ベルベデーレ宮殿」とウィーンの街

2006年09月19日 | 中欧三カ国旅行記

「シェーンブルン宮殿」を後にして、次はオイゲン公の夏の離宮「ベルベデーレ宮殿」に向かいました。
オイゲン公はオーストリアの天敵であるフランス貴族の出身ながら、ハプスブルグ家に仕え、オスマントルコのウィーン包囲など国家存続の危機の時に大活躍した人物です。

上の写真はぷりんさんが写したものをお借りしましたが、青空を背景に浮かび上がる白い宮殿は、絵葉書で見るよりもずっと美しい建物でした



バロック様式の広い庭を隔てて双子のような上宮と下宮が建っています。
こちらは迎賓館として使われた上宮・・・
1723年に建てられました。


裏側から見た上宮です。
オイゲン公はその豪快な戦い方とはうらはらに、美術収集家としても有名だったようです。
上宮は世紀末美術(アールヌボー)の名品が展示されている美術館になっているとか・・・



広い庭をはさんで、向こう側に見える建物が下宮です。1716年に住居として建てられました。
今はバロック美術の収集美術館として有名です。

ますます太陽の光は強烈になってきて、サングラス無しではツライ感じ・・・
日傘も欲しいくらいですが、現地の人は誰もさしていませんでした。

再びバスに乗って、市内を走ります。
車窓から見た街の風景を、サムネイルのマウスオンでUPしたいところですが、どうやら使えなくなっているらしい・・・ブログ仲間のおみやさんからの情報で知りました

さすがに歴史的建造物の博物館のようなウィーンの街。
市庁舎もネオ・ゴジック様式で、左右対称の堂々たる建物です

この日は、市内観光の後は自由時間でした。
バスの中で、そのための注意を添乗員さんから受けました。
スリに気をつけるようにと・・・
その中の一例を聞いてドキッ



ヴォティーフ教会です。
「スリの手口として、北欧系の美人が、一緒に写真を撮りませんか」と近寄ってきます。殿方は充分にご注意を」と言う添乗員さんの話を聞いて、プラハのヴァーツラフ広場で、若い男性が同じ事を言ってきたことを思い出しました。
「私たち、逆バージョンを経験したわよね」
みんな特に被害受けていないわよね~~?
でもスキミングされていたら分らないわ




こちらはカールス教会です。
nonちゃんはそれとは違う心配事を抱えていて、昨日から眠れぬ夜を過ごしているらしい・・・プラハでのお買い物の時に、カードの暗証番号を口に出して言ってしまったとか。
「あの時の店員さんは日本語の分る人だったから、不正を働こうとしたらやられてしまう」
普段何気なく使っているカードも、海外ではとても気になりますね。



古くて格調ある建物に「マクドナルド」の看板が見えています。流石ウィーンらしい風景
馬に乗った騎士の銅像は誰だったかしら?

次の訪問はデューティーフリーでのお買い物タイムでした。
そこでnonちゃんは思い切って、添乗員の三○さんに相談したところ、親切にも日本のカード会社へ連絡を取ってくれました。
不正利用はなされていないらしい・・・
不安が解決して良かったね

私の方は・・・
「スキミングなどという技術は、日本や中国ではともかく、プラハでできるはずないわ」と、きわめて楽観的に思うことにしました。
他の3人は何も心配してなさそうなんだもん




旅も四日目となると、だんだん参加者の皆さんとも顔なじみになってきますね。
昼食のメニューはウィーン名物、子牛のカツレツ(ウインナー・シュニッツエル)
大きいこと
暑さの中、ビールが美味しい・・・殿方もほとんどの方が飲んでいて、だんだんお喋りも進みます。


一人参加の男性が、昔仕事でポーランドに良く来ていたとか。
その折、チェコにも行った事があるそうで、その頃の共産国への入国の大変さを話していました。

そんなに遠い昔の話ではありません。
ベルリンの壁が壊されてからのヨーロッパの歴史は、極東に住んでいる私たちには解からない速さで、変化しているようですね。

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夏の中欧紀行⑩・ホイリゲとシェーンブルン宮殿

2006年09月17日 | 中欧三カ国旅行記
バスの中で、運転手のセロミールさんと、添乗員の三○さんがドイツ語で言い合っていました。
お店の場所がなかなか分らないらしい
ドイツ語の分るYご夫妻が一緒に番地を調べながら、やっとたどり着いたこの日の夕食場所は、アコーディオンとバイオリンの演奏で盛り上がっているホイリゲのガーデンテラスでした。

パンを食べた覚えがありませんので、主食はジャガイモだったのかしら?
私たちのテーブルには同じ横浜から参加の、飛行機の中でお話をしたYご夫妻が一緒でした。
奥様が昔、私たちの住まい近くの中学校で英語の先生をしていたとか・・・
本当はドイツ語の方がご専門とのこと、心強いですね~話が弾みました。
私たちと同じ年代のご夫妻でした。




美しき青きドナウ、ウィンナーワルツ、菩提樹
知っている曲が続きます。
ビールを飲みながら音楽に酔い、ワインを飲みながら初夏のウィーンの風に酔いました。

結局ホテルに入ったのは午後10時過ぎ・・・
この日はバスの移動が多かったのですが、それでも歩数は一万歩近かくになりました。

お風呂に入って、翌日着る洋服を同室のK子さんとチェック。
「奥様、明日は宮殿や王宮めぐり、そして食事やお茶もホテルと言う事になりそうなので、ちょっとおしゃれにパンツスーツにしませんこと」と、おどけながらファッションショー。
眠りについたのは夜中の2時を過ぎていました。


6月24日(土)
この日は、朝から快晴に恵まれました。
ホテルを9時過ぎに出発して、バスで市内観光
最初に向かったのが、前の日に外観だけ見ている「シェーンブルン宮殿」です。

こちらがハプスブルグ家の紋章「双頭の鷲」です。
ハプスブルグ家は1273年、神聖ローマ帝国皇帝に選ばれたアルプス山中の小領主ルドルフ一世から始まり、1740年マリア・テレジアが女帝として君臨した時に絶頂期を迎えました。
19世紀末にはアールヌーボー芸術が花咲きました。
しかし、第一次世界大戦に敗北し、600年以上に及ぶ栄華を誇ったハプスブルグ家は崩壊します。



宮殿の庭に出てみました。こちらも広大で、焦点が絞れません
この写真は7倍のズームで写しました。

正面の古代ギリシャ様式の建物はグロリエッテ。
1757年に対プロイセン戦勝記念と戦没者慰霊の意をこめてマリア・テレジアが作らせたものです。
女帝は政治にも秀でていて、たくさんの改革を実行しました。
その上良き妻であり、16人もの子供の母親でもありました。
末娘はギロチンで処刑されたあの有名なマリー・アントワネットです。

しかし、ガイドさんの説明で浮かび上がるマリア・テレジア像は、ダイエットに苦しみ、子供の教育に悩む女性・・・晩年は嫁との確執もあったようです
夢のような宮殿にお住まいだった女王さまも、私たちとあまり変わらない悩みを抱えていたようですね。





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夏の中欧紀行⑨・ウィーンへ

2006年09月14日 | 中欧三カ国旅行記

今日も朝から鬱陶しい雨が降っています。
台風13号の影響でしょうか?秋雨前線がべったりと貼り付いているようですね。
こんな日は、あの中欧旅行で見てきたボヘミアの夏の景色を思い出しながら、スメタナの「わが祖国」に聞き入っています。

上の写真はチェコの古都「チェスキー・クルムロフ」を流れる「ヴァルタヴァ(モルダウ)河」です。
プラハでは悠然と流れる大河でしたが、ここでのモルダウはボヘミアの村の中を流れる”故郷の川”という趣ですね。

ヴァーツラフ・ノイマン指揮、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団演奏のCDを買いました。
連作交響詩《わが祖国》全6曲はチェコの作曲家ベルドルジヒ・スメタナ(1824~84)が1879年に完成させました。
チェコのすべてを知り尽くし、祖国を愛してやまなかったスメタナが、その思いのたけを音楽で表現した作品です。
この中の第二曲が、最も有名な「モルダウ」ですね

さて・・・
私たちは、「チェスキー・クルムロフ」を後にして、一路オーストリアのウィーンに向かいました。


>
こちらがチェコとオーストリアの国境検問所です。
ここからはカメラは禁止!
一昔前は大変な思いをして通過したというこの国境も、今では運転手さんが書類を示しパスポートを見せるだけ、私たちはノーチェックでした。





30m位の緩衝地帯を通り、オーストリアに入国したとたん、明るい明るい風景が広がっていました。
添乗員さんが日本から持ってきてバスの中で流してくれていたミュージックテープの音楽が、モルダウからウィンナーワルツに変わりました


村の中の教会も学校も大きくて、立派で・・・
人々が住んでいる家々も、古い建物ばかりが目立ったチェコの農村風景とは違ったものでした。












オーストリアはヨーロッパのほぼ中央に横たわり、山々や丘、湖沼、川など豊かな自然に恵まれた国です。
水もアルプスの雪解け水が飲めるとか・・・
小麦やジャガイモ畑が続いていました。



4時間かけて、やっと到着したウィーンの街、車窓からの風景をしばし眺めてみたいと思います。

たくさんの車やトラムが走る大都会でした。
運転手さんがウィーンには不慣れなのか?
あっちへ行ったり、こっちへ行ったり・・・
Uターンの繰り返しで、中々夕食のお店にたどり着けません。
お陰で、思わぬ風景も見ることができましたわ。





こちらはユダヤ系ロシア人のフンデルトヴァッサー設計の焼却炉。
鮮やかで奇抜な色使いと曲面の多用により、現代のガウディーと呼ばれた画家兼建築家の、ユニークなアパートも有名らしい・・・






ドナウです
市内を流れるのはドナウ運河ですが・・・それでも感激しますね。
芸術の都、音楽の都、ウィーンは夏の明るい色彩にあふれていました。

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「パイレーツ・オブ・カリビアン」デットマン・チェスト

2006年09月12日 | 映画、観劇

秋雨前線の影響でしょうか?朝からハッキリしない空模様・・・
急に涼しくなりましたね
夏の間、飛び回っていた私も、このところ大人しく家事とお勉強の日々です。

山シリーズが続いたので、今日は完全なインドァー「映画」のお話です。

息子が腰の手術をして我が家で療養していた時、DVDをたくさん借りてきて観ていましたが、その中で、私も一緒に熱中して観たのがディズニー映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」の第一作目”呪われた海賊達”

何てったってオーリー様(オーランド・ブルーム)が出ているんですもの
「ロードオブ・ザ・リング」で初めて見た時はまだ線が細い感じがしたけど、「キングダム・オブ・ヘブン」「エリザベスタウン」と見ていくうちに、あの貴公子のように優雅な雰囲気に魅せられましたわ

「この映画、オバサン達はウィル(オーリー)派が多いらしいけど、若い子に人気なのは断然海賊スパロウ船長だぜ」とのたまう息子
う~~ん・・・
目の下、思いっきりアイシャドーべったりの、怪しいジャック・スパロウ船長(ジョニー・デップ)の魅力には負けましたわ

この夏、二作目の「パイレーツ・オブ・カリビアン」”デッドマン・チェスト”が公開されたので、先日いつものご近所仲間とみなとみらいのワールドポーターズで観てきました。
夏休みが終わっても、まだやっているとか・・・
何やら「タイタニック」に迫る勢いの興行成績だそうですね


前作で、不死の海賊バルボッサから、ブラックパール号を奪い返し、自由な海原に船出したキャプテン・ジャック。何故か?魂の抜け殻みたいになっています。
そんな彼の前に、逃れられない宿命が立ちはだかって・・・

お話としては前作の方が良く出来ていると思いました。
でもあの名優ジョニー・デップが、ここまでやるかと思うくらいの、ジャック・スパロウ船長のハチャメチャなキャラクターがより面白くなって、館内には時々笑い声が聞こえていましたね
アクションシーンもますますヒートアップして、前作の大ヒットにみな気持ちよく演じている様に見えました。

今度の敵は巨大なイカとタコのような怪物・・・しばらくはおかずとして買う気になれませんでした

そしてオーリー様も2年前の前作より随分逞しくなって、オトナの男の魅力が出てきましたね

今回はウィル(オーリー)の婚約者エリザベス(キーラー・ナイトレイ)の男装もたっぷりと楽しめます。
総督のお嬢様でもあるエリザベス実は海賊に憧れるお転婆娘・・・何やら彼女を巡ってウィルとスパロウ船長の三角関係に発展しそうな予感です。

実は第三作目も同時撮影済みだそうで、今回の「デッドマン・チェスト」はつなぎの様な作品です。
次回も是非見なくては・・・

今年の冬は「ホテル・ルワンダ」「白バラの祈り」と、続けて重い内容の映画を観て、アフリカの難民問題やナチスドイツの事を考えさせられました。
その後ディズニーのファンタジー映画「ナルニア国物語」、そしてアノ話題になった「ダヴィンチ・コード」と観に行きましたが、この「パイレーツ・オブ・カリビアン」は、夏にこそピッタリの冒険活劇物語でした

有名な「ディズニーランド」のカリブの海賊がモデルですものね。楽しいはずです。

ずっとチェコで止まっていた「中欧旅行」シリーズ
次回からUPしたいと思っています。

コメント (4)
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