花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

早春の香り漂う「吾妻山公園」

2013年01月30日 | 花シリーズ

1月26日(土)、カメラ仲間たちと二宮の「吾妻山公園」に行ってきました。。

日当たりの良い頂上付近に菜の花が咲き乱れ
その向こうに見える富士山とのコラボがすっかり有名になりましたね。

この日は富士山の頭に雲が張り付いていましたが
刻々と変わる雲の形も面白いものがありました(ちょっと負け惜しみ


夕方からの新年会もセッティングされていたので、集合は東海道線二宮駅に12時半

駅の北口から5分の「公園入り口」より、およそ300段の階段を登りきると
すぐに水仙の甘い香りが漂ってきました。

寒さが厳しい今年の冬、
例年なら我が家の水仙もお正月を迎える頃には咲き出しますが、
今年はまだ一輪も開いていません。

流石に神奈川西部の二宮は温暖な地ですね。七分咲きくらいでしょうか・・・
早速みんなカメラを取り出して、ミニ撮影会が始まりました

青空に春色のお花が映えますね
カメラのF値を開放にして、バックをボケさせます


ここまでは私のいつものパターン、初級編ですね。
この日はカメラ仲間たちと一緒ですから、あれこれ聞いて学ばなくては・・・


最近は「花は逆光が面白い」と思うようになりました。


仲間のKさんが手招きして、丸ボケが綺麗に入る位置を教えてくれました。
意識してバックに丸ボケも入れましょう・・・


「手前の葉をボケさせるてみるのも良いかも・・・」
なるほどなるほど、諸先輩の助言が勉強になります。


4年前に主人と車で来た時は、臨時駐車場を使った関係で
反対側から40分くらいかけて登ってきました。

駅の北口からそのまま階段を上ってくると、山頂(標高136.2メートル)の展望台までは
ちょっと息が切れますが、30分足らずで到着します。

頂上広場は芝生になっていて、360度の大展望が広がっていました。

西側には相模湾、右端のポッコリと丸い二つの山は箱根の「二子山」
1月7日に歩いた一夜城ハイキングのコースは、眼下の小田原の街の向こうでしょうか


海と菜の花と東屋を入れて撮りました。
今年は菜の花の開花も遅れていましたが、ようやく満開となりましたね。

「海の反射を少なくするにはPLフィルターを使うといいよ」
Oさんが教えてくれましたが、私は持っていな~い


ならば光る海を隠して写しましょう・・・


視線を左手に移すと、遠く三浦半島や房総半島も見えています。

風が強かったこの日の海は白波が立ち、
ブルーサファイヤ色に美しく輝いていました

所々にベンチが置かれた頂上広場には、おおぜいの人々が思い思いに楽しんでいました。


視線を反対側に移すと、雪の丹沢連山が連なっていました。


展望台から望むと、右手に円錐形の「大山」、そして左側に丹沢主脈の山々が見えました。


そしてやはり主役は「富士山」です。

「富士山と菜の花の両方ハッキリ写すには、絞ればいいのよね」
「そうそう11か13くらいかな。ピントは菜の花の先の方だよ」

以前来た時の呟きが、「菜の花に合わせると富士山がボケ
「富士山に合わせれば菜の花がボケる
だったのです。

その上、三脚がズラリと並んでとても割り込めませんでしたが、この日は午後だったせいか、
カメラマンの数が少なめで、ベストポジションに立つことができました。

が・・・
残念ながら頂上付近には雲が


「雲の影も面白いわ」と、ズーミングしてみました。


「もう少し待てば、頂上近くの稜線が現れそう・・・」
「う~~~ん


この日は冷たい風が吹きつけ、1時間以上立っていると冷えてきました。
「もう諦めよう」
午後3時半、私たち5人は頂上を後にし下山しました。

駅前の観光協会で「物産展」をやっていて、そこでシラスや桜海老などの乾物を買い
用意された熱いお茶を飲んで人心地つきました

最後は大船の秋田料理のお店で、きりたんぽ鍋を囲んでの「新年会」です。

金目とタラの子の煮つけが美味しい・・・
鍋料理と熱燗が冷えた体を暖めてくれました


ナタ切大根やイカ焼き、そしてシラスの天ぷらを肴に、皆さんお酒が進みます

女性二人の老若男女5人でカメラ談議に花が咲き
気がついたら4時間も食べて飲んでしゃべっていましたね。

私もだんだん「おじさん化」しているように感じます

       

カメラ仲間と話している中で、我が家のプロバイダー(nifty)に払ってる金額が7400円と
異常に高いことに気がつき、翌日主人とパソコンの下見を兼ねて電器量販店周りをしました。

PCも今が安くて買い時でしょうか・・・?
フレッツ光に同時加入すれば5万円引き
我が家はもう3~4年前に入ってしまっているので、割引がきかずに残念でした。

未だにXPのPC(2003)を使っている私ですが、新しいPC購入は先延ばしとし
代わりにデジカメ本体(キャノンキッス6)を私が
タムロン(18~270mm)のレンズを主人が
衝動買い・・・
これでレンズ交換の煩わしさから解放されそうです。

以前は誕生日ごとに宝石等のアクセサリー類を買っていましたが、
最近はカメラやレンズに興味がわき、どう見ても「おじさん化現象」間違いなし

プロバイダー料金の結論は、電気店のPC担当のお兄さんが熱心に調べてくれて
NTTへの支払いの一部も含まれており、実際のnifty料金は1995円と分かりました。
あまりにも複雑な仕組みなので、10月から引き落とし先は別々になったそうです。




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例年通り、箱根で「新年会」

2013年01月25日 | ドライブ
一年中で一番寒い季節「大寒」です。
14日に降った雪はようやく融けましたが、まだまだ寒い日が続くようですね。

寒さが厳しければ厳しいほど、”春”の訪れの嬉しさが感じられることでしょう・・・

1月13日「箱根で新年会」
例年、息子一家とお嫁ちゃんのご両親と皆で集っている箱根での新年会
今年は母のこともあり、一旦は中止としましたが、

通夜・告別式が一段落した12月下旬に、息子が会社の健康保険組合に確かめたら、
新年三連休の保養所の空部屋がまだあったとの事で、急遽行くことにしました。


1月13日、箱根乙女峠から望んだ富士山です。

翌日の14日は東京横浜の予報が「雨又は雪」だったので、
箱根は絶対に雪と確信し、私はダウンのロングコートを着ていきましたが、
前日はコートが邪魔なくらいの暖かさでした。


息子一家の希望で、最初に向かったのは仙石原の「ラリック美術館」です。

私たち夫婦は3年前の夏に、ここのレストランで食事をしていましたこちらです。
今、改めてあの時の記事を読み、感慨無量の思いです。

やはり息子一家とお嫁ちゃんの両親との旅行で出かけたものの、
母の容態が悪くなり、私だけが舞い戻った時のことが書かれています。

読み手の皆様をへきへきとさせたほど、当時の様子を長々と書きとめていました。

私は母の最後の2年間は必要だったのか?と、未だに迷う日々ですが・・・
しょっ中私たちを慌てさせ、何度も死の淵から蘇った母は、
とにかく「生きたかったのだ」と思うことに致しました。


今回ここを訪ねた目的は、美術館でもレストランでもなく、入り口すぐのショップでした。

孫たちが「キャンドルつくり」に挑戦です。
30分待ったら固まって完成です。


オレンジ色のキャンドルは兄にぃ、ハート型は菜々ちゃんの作品です。

じぃじぃが「好きなもの買ってやるぞ~」と言うと、
孫娘はすぐにヒヨコのぬいぐるみを選びましたが
ハー君は迷って迷って「僕欲しいのないから、今はいらない」と・・・

サッカーを始めて、最近は特に少年らしく頼もしくなってきた兄にぃ
ここで売られているメルヘンチックな品物は似合いませんものね。


朝が早かったので、早めの昼食を箱根町の「芦ノ湖畔」のレストランでとりました
窓から遊覧船が良く見えています。

「車で来るとなかなか船には乗れないだろう」
「車はじぃじぃが運転して、向こう側の桃源台で待っててやるから、船に乗ってくれば」と
息子一家に勧めました

息子一家の4人が「ヴィクトリア号」に乗ることになり
およそ30分後、桃源台で孫たちは「楽しかった~と船から下りてきました。


それから富士山の眺めが良い「長尾峠」に向かいました。

御殿場の街の向こうにそびえる間近な「富士山」
午後1時半、ちょっと水蒸気が上がってもやってきましたね。


富士山をバックに集合写真を撮りました。

今回はお嫁ちゃんのお父様が都合が悪くて不参加
7人なので、息子の車一台でチェーンを積んで来ました。

そして早めに、宮城野温泉の保養所に向かいました

チェックインの時間まで、マッサージ機にかかったり
ロビーでアイスクリームを食べたりして過ごしました


そして温泉&食事のあとは、オトウタンとじぃじぃがハー君の卓球の特訓です。
メキメキうまくなり、ばぁばはもう歯が立ちません

特に私は骨折の後遺症で、ラケットを振る力も弱くなりました

こうして「箱根の夜」を楽しく過ごしましたが・・・
翌日は雪ではなく大雨で、そのうちミゾレに変わりましたが、
ナント横浜が大雪で母の四十九日が延期となった次第です。

和尚様の都合がついた5日後の19日に、
ごく内輪で母の四十九日を無事に終えました。

       

アルジェリアで起きた人質襲撃事件では、10人もの日本人が犠牲となりました
理不尽なテロには憤りを感じますね。

プラント建設大手の「日揮」という会社は、今ではMM21地区の高層ビルに本社がありますが
20年くらい前までは私が住んでいる区に本社があり、区民にとってはお馴染みの会社でした。

同窓生の何人かはあの会社の社員だったはず・・・
現役で、今でも海外を飛び回っている高校時代の同窓生もいます。

彼らともども、二度とこのような悲惨な襲撃事件が起こらないことを願っています。


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石垣山「一夜城」と早川・片浦ウォーキングトレイル②

2013年01月20日 | ハイキング・散策

14日の積雪の後も寒い毎日が続き、日の当たらない道路や庭先の雪はまだ残っていて
孫たちが作った雪ダルマも、少しスマートになりましたがまだ姿を保っています。

昨夜、横浜に引っ越してきて間もない学生時代の友人から突然TELがあり
「凍結した坂道で滑って足首を骨折し、全治二ヶ月の重症で入院手術となった」
「骨折仲間同士ね」と、思わず笑ってしまいましたよ。

彼女は短大時代山岳部に所属していて、その後も山を続けていた健脚者ですが
お互い脚に自信がある者同士、注意を怠ってしまったのが原因でしょうか。

救急車で運ばれても、次々に怪我人が担ぎこまれ随分手当ては待たされたそうです。
積雪の後の騒動はまだまだ続いているようですね。

私もリハビリに通っている病院で「くれぐれも滑って転ばないないように」と注意を受けました。
中高年の皆様、気をつけましょう

小田原「石垣山・一夜城」
さて、1月7日にブログ仲間の山小屋さんのグループと歩いた、石垣山・一夜城と
早川・片浦ウォーキングトレイルの後半を続けます。


この城が、世に石垣山一夜城または太閤一夜城と呼ばれるのは、秀吉が築城にあたり、
山頂の林の中に塀や櫓の骨組みを造り、白紙を張って白壁のように見せかけ
一夜のうちに周囲の樹木を伐採し、
それを見た小田原城中の将兵が驚き士気を失ったためと言われています。

しかし、実際にはのべ4万人が動員され、約80日間が費やされました。       
(小田原市の公式ホームページより)

秀吉は水陸15万人の兵を率いて小田原城にこもる北条を滅ぼし、
全国制覇の足がかりとしました。

彼はこの城に100日滞在し、淀君ら側室や千利休、能役者を呼び茶会を開いたり、
天皇の勅使を迎えたりしたようです。


歴史公園入口から登っていくと、ベンチがしつらえてある二の丸跡の広場に出ます。
ここで昼食時間とし、30分ほど休憩しました。

この先に展望台があり、駒ヶ岳などの箱根の山々がよく見渡せましたが
この日の箱根方面の眺望がイマイチで、写真は綺麗に写せませんでした

その後「本丸跡」に進みます。


ところどころ石垣が崩れたままになっていて、歳月を感じますが・・・

石積みは秀吉が連れていた近江の穴太衆による野面積みといわれるもので、
小田原藩の管理下におかれていた江戸時代にも度重なる大地震にも耐え、
今日まで当時の面影を大変よく残しています。

撮影できなかった石積みの数々を、此方のサイトでご覧ください。


「本丸跡」で11人の集合写真を撮ったりし
展望台から小田原の街を眺めました。


穏やかな「相模湾」が広がっています。


そしてカメラをズーミングしてみると、駅のそばに北条氏の拠点だった「小田原城」が・・・
あそこまでの距離は僅か3kmだそうです。

その後階段を下り一回りして、立派なトイレのある駐車場に戻りました。

駐車場のお隣は「よろいずかファーム」
川島なおみさんのご主人のお店があります。


この日はお店が閉まっていて、私たちも有名な高級スィーツを食べ損ないました。


ハイキングは、根府川の駅を目指してまだまだ続きます。


広いコンクリート道路から再びミカン畑の中を行きますが
こちらはもうミカンの生産を諦めた畑でしょうか

だんだん畑の石垣と貯蔵小屋が残っています。


向こう側へ回り込む岬への登りを進むと、再び「相模湾」が見えてきます。
湯河原方面に通じる自動車道路と平行して走る東海道線・・・

そして新幹線も並んで見えます
高度が増して更に海の眺めが良くなりますね



「佐奈田霊社」

佐奈田霊社は、治承4年(1180年)「石橋山の合戦」で3000対300(源頼朝)の先陣として戦い、
平家方の武将俣野五郎景久を組伏せるも、 不運の討死をした佐奈田与一をお祀りしています。

与一・俣野の組討の際、与一の声が出ずに味方が駆け付けられなかったとの説もあり、
佐奈田与一の霊魂が残って「のど(声)・せき・気管支炎・ぜんそく」に悩む人々を救う
慈悲の誓願があると言われています。

境内にはベンチも置いてあり、トイレも使用できます。
私たちもゆっくり休みました。

先陣を切って討ち死にした佐奈田与一
石橋山古戦場も今ではミカンが生っています。




歴史を巡りながら、更にミカン畑の中の農道を進むと、前方に真鶴半島が見えてきました。
先端の名勝地「三ツ石」が分かりますね。


やがて山の上にそびえる「ヒルトン小田原・スパリゾート」も、姿を現しました。

悪名高き無駄遣いの象徴「雇用促進事業団」の雇用保険金で建てられた高級スパ施設、
信じられない超格安で外資に売ったという「ホテル」です。

「最後はあそこで温泉に入っていく?」
「でも1600円もして高いよ。その分美味しいお寿司を食べていこう」


再び岬を廻る坂道を登ります。
丁度、東海道線が走っていました。


ミカン畑の中を歩き、海を眺めるコースが続きます。


牧谷川の橋に出たら、ホテルに行く散策路と根府川の駅に向かう道とに分かれます。


たくさんのミカンの転がる道を、根府川の駅を目指して最後の登りを頑張りました。
早川の駅から「一夜城」経由で根府川駅までの12kmを、のんびり歩いた約5時間半

小さな根府川の駅の周りには何もありません。
懇親会は小田原のお寿司と天ぷらが楽しめるお店で、全員が参加しました。

皆様と楽しく飲んだと新鮮なお寿司、そして快い疲れが、
固まった心身を和らげてくれました。

山小屋さん、お誘いいただき有難うございました



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爆弾低気圧で大騒動

2013年01月15日 | 日常の日記
三連休最後の14日、東京8cm、横浜13cmの積雪を記録した爆弾低気圧・・・

雪国生活の経験がある私から見れば、この程度の雪は「春の淡雪」にしか思えませんが
首都圏はとにかく雪に弱い
人も車もインフラも、雪対策ができていない

この日、我が家も騒動に巻き込まれましたよ

最初は27日と決めていた母の四十九日の法要と納骨を、
弟の所の姪の都合が悪くなり「14日に変更したい」と言われた時から
ちょっと嫌な予感がしていました。


実は我が家は13日から、毎年恒例の息子一家とお嫁ちゃんの親も一緒の
「箱根一泊旅行」が決まっていたのです。

なぜ姪の都合に合わせるのかと、最初は返事も迷いましたが

高級仕出し料理店に勤める彼女の采配で、法要後のお料理が用意されると聞き
「箱根からなら何とか午前中に帰って来れるから」と、私もOKしました。

上の画像は、丁度14日の正午ごろの、帰宅した我が家から見た雪景色
郊外の丘陵地域にある我が住宅地は、20cmくらいの積雪になったような感じです。

午後2時からの法要に間に合うように、雪の中必死の思いで帰ってきましたよ。
箱根の雪は覚悟していましたが、まさか我が家近くで雪に阻まれるとは思いもよりませんでしたが


晴れ上がった翌朝、我が家前の道路を下から写しました
ここは北側の6m道路ですが、ご覧のように坂になっていて
わだちはツルツルに凍っています。

14日の朝6時、箱根の強羅の奥の宮城野温泉は雨でした
朝食をしている8時頃から山の上は雪になり、我々も道路が心配なので9時過ぎには
出発することにしました。

宮ノ下辺りまではミゾレ、そこから下は雨、湯本で少し渋滞がありましたが、
西湘バイパスから茅ヶ崎まではスイスイ

「箱根から一時間半たらずで家に帰れそう」と言っていたのですが
藤沢市に入った10時頃から雪がひどくなりました


この住宅地の中の道路をまっすぐ歩いて3分行くと、バスの停留所がある環状線道路です。
15日の朝はもう車はちゃんと走っていましたが、前日はとにかく大変だったのです

今回はチェーンのある息子の7人乗りの車一台で箱根に行ったのですが
帰路、大船駅で横須賀に帰るお嫁ちゃんのお母様をおろして、そこから鎌倉街道をノロノロと進み・・・

左折して、我が家の住宅地がある環状線道路の坂を上りだしたとたん
前を走るバスとトラックがスリップして動かなくなりました

この2台をどうにか追い越しましたが、そこで限界・・・
丘の上にある我が家までは500mのところです。

車を端に寄せ、息子と主人とで30分以上かけてチェーンを装着しました。
雪の中、ドライバー同士車を押し合ったりと、周囲は皆悪戦苦闘

「我が家の手前まで辿り着いているから、2時の法要には充分間に合うわ」と
弟にTELすると、あちらも大変なことになっていました。

千葉からやって来る本家の従兄弟夫婦を車で迎えにいったら、やはり坂が上れなくて立ち往生
「チェーンがあるなら助けにきてくれ」という応援要請がありました

息子は「俺がこの車を出す」と言ってくれましたが・・・


装着したチェーンは中途半端だったのか、パタパタ音がして
家に帰りついてからジャッキで持ち上げ装着しなおしたら、チェーンが切れて
助けに行くどころか、我が家も身動きが取れなくなりました


我が家近くの幹線道路も放棄した車で道がふさがれ、バスもいつ来るか
歩いて駅に行っても電車は不通

最悪雪の中、我が家から裏道を歩いてお寺までは40分で行けますが、実家から歩くのは到底無理

弟もチェーンは売り切れで買うこともできず、
タクシーもスノータイヤ装着は少ないので捕まえられず、
お寺に行く手段はナシと悟り、四十九日の法要は延期となりました。

「お母さんは、まだまだ家に居たかったのね」と、皆で話しました。

我が家の玄関横のデッキも、この時期は日当たりが悪くて雪がなかなか融けません

主人が家の前を雪かきしてくれましたが、
まだ運転するのは怖い道路状況が続いている我が家周辺です。

ところで14日は15年ぶりの雪の「成人式」になったとか・・・
大船駅で雪の中を歩く振袖姿の女性を見かけましたが、何ともはやヒヤヒヤした思いで眺めましたよ。




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石垣山「一夜城」と早川・片浦ウォーキングトレイル①

2013年01月09日 | ハイキング・散策
松の内も終わり、いつもの生活に戻りました。

去年は母の末期の介護の他に、自治会の役員活動もあり・・・
常に緊張していて気を抜く暇がなかったように思います


友と鎌倉散策や東北紅葉登山などで、できるだけ気分転換に歩くようにはしていましたが
常に心身ともに硬直状態

夢の中でも焦っていて、朝目覚めた時に「し忘れている事はないかしら」と
強迫観念が押し寄せてきていました。

新年を機に神経を使うのではなく、まずは体を使って血の巡りを良くすることが先決
と思った次第です。

そんな時、ブログ仲間の山小屋さんから「小田原の石垣山ハイキング」のお誘いを受けました。
その日は丁度主人もゴルフの初コンペ
渡りに船と参加させていただき、山小屋さんのお仲間たちと一緒に歩いてきましたよ。


1月7日、JR「早川駅」から「石垣山・一夜城」へ

集合は小田原の次の東海道線「早川駅」に9時40分
我が家からは1時間ちょっとで行ける近さです。

鎌倉街道を一緒に歩いた顔なじみの方々も多く、リーダーの
「今日は石垣山の一夜城を見てから根府川の駅までのおよそ12kmを歩きます」

「ミカン畑の中の農道歩きが殆どで、海を見ながら丘陵地帯を登って下るルートです」
という説明を受けてから、午前10時、小さな「早川駅」をスタートしました。


すぐそばの漁港とは反対側の住宅地を行きます。

突然「早川観音」が見えてきました。
ちょっと「洋風」の感じがする観音様、手に持っているカゴもモダンです。


「真福寺」のお地蔵様も迎えてくれました。
慈悲深いお顔に癒されますね。

この後、「海蔵寺」などにも寄りながら、石垣山の一夜城を目指します。


住宅地から農道に入ります。

この日の参加者は女性5人、男性6人の計11名
風のない穏やかな日和でした。

左右にミカン畑が広がります
オレンジ色のミカンがたわわに実っている・・・


落下しているミカンもたくさん見られました。
人手が足りないのでしょうか


「早川・片浦ウォーキングトレイル」としての表示板はそこここにありますので
迷う心配はありませんね。


ミカン畑の中の農道を登ると車道に出て、青い相模湾が見渡せました。
真冬だというのに穏やかで明るい海の色です


西湘バイパスから湯河原・熱海方面に行く時にたまに通る有料橋も見えています。
その下が「小田原漁港」でしょうか・・・


小さなコンデジでズーミングしてみました。
以前、あの漁港で活き魚料理を食べたことがありましたね。


左手の山の方に目をやると、円錐形の「大山」から丹沢主脈の山々が連なっています。

道路の下の斜面はすべてミカン畑
でも勝手に採ったら「窃盗罪」になります。

女性軍は公道に転がっているミカンを拾って、無傷なものを食べてみました。
中にはまずまずのお味のミカンもありますが・・・
「これってデコポン?」と、種類がさっぱり分かりませんでした


温暖な気候を象徴するような「アロエの花」が咲き乱れています。

私たちも汗ばんできたので、上着やセーターを脱ぎました。


途中、このトレイルの詳しい案内板が立っていました。
ここのベンチとトイレが備わった休憩所で一休みです。


再び農道に入ってひと登りすると、目指す石垣山の「一夜城」ももうすぐです。


11時過ぎに「石垣山一夜城・歴史公園」の入り口に到着
早川駅から3500m、休憩時間を入れて1時間ちょっとの道のりでした。


豊臣秀吉が諸国平定を成しとげるきっかけとなった「小田原城攻め」の陣地「石垣山一夜城」
実際には80日かけての築城だそうです。

それを一日で造り上げたと見せかけた、秀吉の知恵が炸裂したのでしょうか


駐車場の正面の階段を更に登っていきました。

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三が日も終わって・・・

2013年01月04日 | 私の呟き

運動不足を痛感し・・・
寒いながらも晴れわたり、富士山がきれいに見えた今日4日
カメラと三脚をザックに入れて、歩いて10分の所にある「南公園」まで行ってみました。

朝の9時過ぎ、紫雲たなびく富士山です

お正月三が日も終わり、ようやくTV番組も通常に戻りましたね。
喪中の身には、お笑い系のお正月特別番組は見る気にもなりませんでした

唯一熱中したのは「大学箱根駅伝」でしょうか・・・
あのタスキをつなげるという事に命を懸けている若者を見ていると涙が出ます

去年はタスキがつながらずに19位だった「日本体育大学」が、
今年は見事優勝したお話も泣けますね。

今年もたくさんのドラマがありました。
そして突然襲ってくる「脱水症」の怖さも知りました。


予備のバッテリーを忘れたので一度家に戻り、昼食の準備をしてから
12時過ぎに再び公園を訪ねたときの富士山です。

午後になると雲に隠れ、夕方再びきれいなシルエットを見せてくれるのがパターンですね。

元旦・夕景の富士山

こちらが元旦の日に同じ「南公園」から写した夕景の富士山です

先月に母を亡くして喪中なので、お正月飾りもおせち料理もなしの、何とも淋しいお正月でした。

暮れの忙しさが一段落すると、毎年のようにダウンする人(夫)がいるので
特にどこにも行きませんでした

元旦に行ったのは父がお世話になっているホームです。


「ホラお父さん、カメラを見て」
私が持っていったケーキをぺロリと平らげた元気な父に一安心です。

母の告別式の翌日が父の93歳の誕生日でした。
その時もケーキを持って訪ねた私ですが、父が私の顔を見て
「お母さん、どこに行った?」と・・・

ほとんど母のことは言わない父でしたのでびっくりしました
虫の知らせというものでしょうか

特に打ち合わせをしたわけではないけど、元旦の同じ時間に弟もやってきました。
施設のロビーで父子3人、しみじみと静かな時間が流れていました。


父の施設の行き帰りにいつも通るのが、我が住宅地の一番南側にある「南公園」です。
そこからの富士山の夕景を撮るつもりで、車にカメラと三脚を積んでいったのです。

ぴったしカンカンの見事な富士山の夕景でした
左側の小さくとがった山は箱根の金時山でしょうか・・・?


家に戻って、我が家の二階のベランダからの富士山を見てみると
もっともっと色鮮やかな照り返しが見られました。

日没後30分が一番鮮やかに輝くようですね


1月2日「カニパーティー」

暮れの30日からスキーに行っていた息子一家も帰ってきたので、我が家でカニパーティーです。

喪中とはいえ、孫たちにお年玉をあげなくては可哀想ですものね。

通販で頼んだ「タラバ・ズワイ・毛ガニ」の三種類です。
さぁ~、ハー君も菜々ちゃんも好きなだけ食べてね。


この他に稲庭うどん入りの海鮮鍋も用意し、そこにもカニを入れました。

体調の悪いジィ~ジはおうどんをちょっとだけね。

カニって美味しいね!、大好きだよ
今年も元気に家族そろっての記念写真タイムです


少々淋しかったお正月も、孫たちが来ると賑やかになりますね。

普段は小食なお嫁ちゃんも、もりもりと食べていたのも嬉しいことでした。

息子宅の目の前に自治会のテニスコートが4面あります。
そこに家族で入会した息子一家・・・

先月のクリスマスには、息子宅で35人集まってのクリスマス会をしたそうです
「二階の27畳のリビングの床が抜けないかと冷や冷やしました」

でもその時に参加したハー君の同級生のお爺ちゃんに、
長野の別荘に招待され、スキー三昧を楽しんできたらしい・・・

我が家の隣の住宅地に越してきて3年半、息子一家もしっかりと地元に定着したようです。

この席に父も呼びたかったのですが、私一人では到底移動させるのが無理・・・
時節柄、インフルエンザとノロも恐ろしくて諦めました。

歳をとるということは、やはり淋しいものですね。


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