花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

「西オーストラリアの青い空」⑨・西南端の町オーガスタ

2006年03月30日 | パース滞在記
すでに午後3時を廻っていました。
ワイナリー「ボヤージュ」から、オーストラリア西南端の町「オーガスタ」までは一本道でおよそ45kmです。
「時速100kmで飛ばせば、30分で行く」という主人の言葉で、行って見る事にしました

小さなオーガスタの町を通り過ぎて、ルーウィン岬まで行きます。4時になっていました。

潅木が広がる平坦な中に、白い大きな灯台が建っていました。
大型の観光バスが停まっています。パースからの日帰り観光でしょう・・・
歩いて岬の突端まで行ってみました。
ここがインディアンオーシャンとサウザンオーシャンが交わる所です。










右がインディアンオーシャン、左がサウザンオーシャン感動ものでした。
今回の旅で一番印象に残った岬です。
ボブ先生にオーストラリアの一番の思い出は?と聞かれ「I looked at where the Indian ocean and Southern Ocean meet」と答えましたよ。









この先、遥かかなたにあるのが「南極大陸」
吹く風に南極渡りの冷たさが感じられました。

大阪弁の若い女の子の4人組みに、カメラを頼まれました。パースからの日帰り観光で来たようです。
大学の卒業旅行だそうな・・・この時期は、若い日本人が多いですね。










左側は初めて見たサウザンオーシャンです。
このずっとずっと東にシドニーやメルボルン、そしてタスマニア島があるんだね。
灯台に登ると360度の大パノラマが堪能できるらしいが、残念ながら4時20分で入館終了でした
二つの海が交わる景色を上から見たかった・・・ここはもう一度来たいと思いました。




夕日が見たかったのですが、この季節のオーストラリアは夜の7時半頃まで明るいのでとても無理。
駐車場近くの、小さなプレハブ造りのお土産屋さんで絵葉書を買って、帰途につきました。
このそっけないくらい何にもないのが、如何にもオーストラリアっぽくて気に入りました。

日本の最北端の宗谷岬に行ったことがありますが、あそこには最北端の碑やら間宮林蔵の像等が立っていて、お土産屋さんには「最北端到達証明書」が売られていたような・・・
それに比べて、このオーガスタの岬は見事なまでにな~~んにもありませんでした。

来た道を100kmで飛ばして帰りました。
もうレストランで食事をする気力もなくなっていたので、オーガスタの町でスーパーマーケットを探しましたが見つかりません。
マーガレットリバーで「お惣菜」を買おう
スーパーは6時閉店です。急げ!急げ!

フランスパン、バターにチーズ、サラミ、キャベツのコールスロー、コロッケに良く似た揚げ物、そしてナント海苔巻も見つけて買いました。
モチロンビールも半ダース

ホテルでジェットバスのお風呂に入り、その後部屋の中で気楽にお食事です。
電子辞書がなくても大丈夫
ビールも飲んで、極楽!極楽!
2日目の夜もバタンキューでした。















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「西オーストラリアの青い空」⑧・ワイナリーで昼食

2006年03月28日 | パース滞在記
昨日の暖かさで、家の近所の桜も5~6分咲きになりました。
今週末には満開になることでしょう

3月も最後の週です。そして年度末、私の仕事も最後です。
私の勤める地区センターは今はやりの民営化となり、スタッフの8割は残るものの、いったん解散となります。
休館日だった昨日の夜、近くの和食レストランで盛大な送別会が取り行われました。

普段は完全なワークシェアリング方式なので、皆が顔を合わせるのは年に2~3回の研修の時くらい・・・名前と顔が一致する頃にはもうお別れです。

二次会のカラオケで、肩を組みながら皆で歌いました。
やっと親しくなった仲間ともうお別れかと思うと一抹の淋しさがあります。
さぁ~最後の4日間の仕事、ガンバルぞぉ~~

                ☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆
2月23日(お昼)
キャナル・ロック
ワイナリーに行く前に、海の絶景ポイントをもう一つ見学して行くことにしました。
「Cnal Rock」絵葉書には必ず入っているポイントです。
岩場があって、そこに迫力のある波がド~~ンとぶつかる音が聞こえてきました。
「DENGER」と書かれた看板が立っていますが、あくまでも自己責任の世界ですから、我々は岩場のルートをよじ登って逆巻く波を写真に撮りました。






右側は穏やかな湾になっていて、ボートが浮かんでいます。まさに絵のような美しさ
「この変化のある海の風景なら日本でも見られるよな」「湘南の荒崎にそっくり
そんな会話が出てしまいました。









我が青春の思い出の荒崎はこの位美しかった
最近行ってないのでどうなっているでしょう?
結局我々二人がオーストラリアに求めているものは、日本では見られない「大きさ」と「そっけない位の大自然」なんだと実感しました。


そんな風景にこの日の夕方出会えたのですが・・・




ワイナリー「ボヤージュ」
さて12時もとうに過ぎて、お腹がすいてきました。
車で258号線を南下するとワイナリーの看板が所々に出てきました。
でもマークがあるところが中々なくて・・・
あったとしても、ぶどう畑のなかの道を延々走らせて探してみても、建物が見つからなかったりで・・・
人間お腹がすくとイライラしてきます
「ホテルに戻って、フロントのジェニーに聞こう」




私と同年輩のジェニーさんが、ニッコリ笑って紹介してくれたのは,ホテルから南に向かって3kmの所にある「ボヤージュ」というワイナリー
広大なぶどう畑の中にありました。
駐車場に向かう門は、まるで王宮のよう・・・大きくておしゃれな雰囲気にビックリです。








レストランとお土産売り場のある建物のエントランスは「フランス式ガーデン」との主人の説明です。
大きな大きなオーストラリアの国旗が印象的でした。











この建物の中で食事をし、お土産を購入。
車の運転があるのでテイストはできませんでしたが、とりあえず息子の所に紅白ワインを買いました。
あとはワインボトル用のキャップを7~8個
まだまだ欲しいワイングッズが揃っていましたが、先を急ぐので我慢です。
とかく海外旅行はお土産を買うのに時間を取られ、肝心なものが見られなかった経験がたくさんありますものね






レストランもおしゃれで豪華な雰囲気です。
オーダーをするのが一苦労
メニューの中から、シーフードを二皿頼みました。
一体何が出てくるか~
ここでは断然ワインが飲みたい所ですが、まだまだ車で100km近くを走る予定・・・グッと我慢です









ワォ~美味しそう
シーフードの盛り合わせです
もう一皿は貝やイカ、小エビなど多種類のシーフードを炒めた上にグリーンがパラパラと・・・味はとてもグ~でした。
これはやはりワインを飲みながら食べるべきですね代わりにコーヒーとパンを頼んだら、これが通じない。

何度「bread」と言っても、若い女のウエートレスさんはハァ~?といった顔をして「ブリッジェ?」という返事 結局私たちはパンにありつけなかったぁ~!


後で息子にこの話をしたら、紙にスペルを書いて見せればよかったじゃないかと言われましたが、その時は2人とも電子辞書がない事に改めてショックを受けていて、他の方法を考える余裕がなかったのですよ。
第一、前の晩に行ったワインレストランではちゃんと通じたんですから・・・

でもこのとき食べたジーフードの味、忘れられません。
オーストラリアで食べた外食の中では一番でしたね。
お値段はこの二皿とコーヒーで、60a$位、日本円で5500円くらいだったでしょうか。




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「西オーストラリアの青い空」⑦・蒼い海、海、海

2006年03月25日 | パース滞在記
2月23日(午前2)
BUSSELTONの街は小さいながらも、明るく上品な落ち着いた感じのリゾート地でした。
海岸線に沿って別荘や住宅地、B&Bホテル等が続いています。
そんな景色を右手に見ながら、サーフィンスポットが点在するケープ(岬)を目指しました。

ケープ・ナチュラリストへ
DUNSBROUGHの町をかすめて、KAPE NATURALSTE道路を快適に走り、1時間ちょっとで灯台の見える駐車場に到着です。
数台の車が停まっていました。
観光資料が何もないので、人々が歩き出している方向に、我々も進みます。
緑の中は散策コースになっていて、標識もちゃんと出ていました。
海のスポットまで13KMと言うコースもありましたが、我々は灯台周遊コースをとりました。






眩しいばかりの陽射しの中、帽子とサングラスは必需品、水もバックにシッカリと入れて、砂地の道を歩きました。
時々何人かのグループとすれ違いますが、「Good morninng!」とか「ハロー」とか、必ず声をかけてきます。山の挨拶と同じだわ










真っ青な海が見えてきました
インディアンオーシャンです
分岐点に出ましたが、標識に何が書かれているか?
電子辞書がないのでイマイチ分からない












後ろから私たちと同年配のご夫婦がやってきて、声をかけられました。
彼らについて行くのが一番安全です。
周りには、名残のワイルドフラワーが咲き乱れていて、左手に進み下っていくと、岬の突端が見えてきました








ついにたどり着いた「展望台」です。
ここでそのオーストラリア人のご夫婦が、岩を指差しながら「シーラ?」と叫んでいました。
イルカ?クジラ?ワカラナ~イ
電子辞書がない不便さを痛感、それでも身振り手振りを交えて話をしましたよ。
こんな所でジャパニーズに会うのは珍しいと言われ、パースの住いを聞かれました。
「これからどこに行くのか」と問われて、地図を出しました。




次に行く予定の「Canal rock」を示すと「その手前のYallingupもグッド」との事
「是非行って見ます」と約束しました。
帰り道も彼ら夫婦と一緒に戻ります。
所々で立ち止まって、レモンの香りのする木の葉や、オウムを教えてくれました。
ほんの40分位の触れ合いでしたが、とても楽しいひと時でした

※後でこの話を大家さんにしたら、岩にいた動物は「アザラシ(seal)では?」という結論です。



ヤリンギャップ・リーフ
オーストラリア人夫婦と別れて、岬からDUNSBOROUGHに戻り、258号線を南下すると15分くらいでYALLINGUPの標識が出てきました。
海に向かって車を走らせ、行き止まりが駐車場です。
そぐそばの展望台から眺めた海は蒼く光っていました
レストランもあり、トイレやシャワーの設備も整っていて、ここはサーファーが楽しむポイントのようです。







右手に見える岬が、さっき1時間ほど歩いた「CAPE NATURALISTE」です。あちらはお店も何もなく大自然の中の散策でしたが、こちらは整備された海岸です。ワイルドフラワーが植えられ、ちゃんと名前が表示されていました。砂浜におりてみました。











 白い砂浜と蒼い海、そして輝く太陽
サーファーの姿は見えなかったけど、充分にオバサンの私までもが、海に吸い込まれそうな気分になりました
この後風のいたずらで、私のハワイで買った赤いストローハットが飛びしました。
追いかけて、砂浜をあっちヘこっちへと走りましたよ~




そろそろお昼の時間・・・
ここのレストランに入ろうかと迷いましたが、マーガレットリバー近辺はワイナリーで有名なのです。
「昼食はワイナリーで」と夫婦で話が決まり、来た道258号線をマーガレットリバーに向けて南下しました。






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「西オーストラリアの青い空」⑥・忘れ物騒動

2006年03月23日 | パース滞在記
2月23日(午前)
朝です
充分に寝た後の、気持ちの良い目覚めでした。
ベランダには鳥が花の蜜を吸いにやってきます。

お腹はまだらですが、頭と羽は黒、そしてその付け根が黄色い鳥が分かりますか?
ベランダでバードウオッチングをしながら紅茶を飲みました。
今回2連泊したホテルは、大家さんが紹介してくれた、コテージタイプの「HERITAGE TRAIL LODGE」というホテルです。











周りは森に囲まれていて、それでいながら町には近く、決して豪華ではありませんが、静かなひと時を過ごすにはピッタリの所でした。
朝食は8時半からと聞いていたので、朝の散歩に出てみました









森の中に散策路がたくさんあるはずですが、この風景は一体どうしたことでしょう
自然発火の山火事が原因?
それとも下草を刈るための人工的な作業
詳しい事が分かりません。
ホテルやB&Bの民宿がある一本手前の道路で火は食い止められているので、人々の生活に被害は及ばなかったようですが・・・
まるでモノクロームの風景です






晩秋の森ではないのですが、これでは森林浴の効果は期待できませんね
ところでこの朝、主人が全然元気ありませんでした。ずっと風邪気味で調子が悪そうでしたが、ホテルに着いてから、大事な大事な「電子辞書」がないのに気がついて、落ち込んでいたのです
「私が運転してた時、使っていたじゃない」
「でもバッグも車の中も調べたけどないんだ。あれがないと来週からの仕事に差し支える」と弱気でした。





この後、ホテルで朝食をとりながら前日の行動を振り返って「もしかしたら、Busseltonのインフォメーションのカウンターに置いて来たかも」と言う結論になりました。

電子辞書は「エレクトリック、ディクショナリー」で通じるのかな?
パースの大家さんにして確かめます。
「オーストラリアには電子辞書はないので、計算機(calculating machine)と言った方が分かりやすいでしょう」とのことでした。




この日の予定はマーガレットリバーの東側に広がるインド洋のビュー・スポットを見学しながら南下して、南西端の町オーガスタまで行く計画でしたが、仕方がありません
2kmの桟橋があったBusseltonの街まで戻りましょう。
可愛い教会の前にあった心強い「iマーク」
ビィジターセンターの看板です









24時間営業の、旅行者の強い味方です。このような設備が充実しているのが嬉しいですね。
でも電子辞書はありませんでした
「きっとドァーを開けた時に落としたのかも」「もう一つ手前のBunburyまで戻る気力はないしなぁ~」主人がため息をつきました。





ここではお土産品も扱っていたので、これから行く予定先の絵葉書を買いました。
そしてスタッフの女性にその景色を見せながら、地図上にしるしをつけて貰いました。
我ながら良い考えだわ~
パソコンが入りそうな紺色の手提げ袋もあるだけ(3枚)買いました。
アポリジニアートの模様がモダンで、お土産にも良い感じです。

車に乗る前にもう一度、座席の下を覗いて見ましたが、やはり辞書は見当たりませんでした。
もうこうなったら開き直るしかありません
さぁ~青い海を目指して「レッツゴー」


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<西オーストラリアの青い空>⑤・マーガレットリバーへ

2006年03月22日 | パース滞在記
王ジャパンのWBC(ワールド、ベースボール、クラッシック)優勝おめでとう
久しぶりに野球に燃えました。

今回のWBC、あの不審なジャッジから、我ら夫婦のナショナリズムに火が点きました。
疑惑の判定をした審判員さんにむしろ感謝ですね。

パース滞在記を早くUPせねばとあせりますがやっぱり今日も野球を見てしまった
春のお花も次々に咲き出して、心落ち着かない日々が続いて・・・
maruさん、約束どうりにパース滞在記をUPできずにごめんなさい

そして今日、東京横浜地区に、桜の開花宣言が出されましたね

            ☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー

2月22日
今回のパース行きに際して、本当はシドニーを2泊3日で観光してからパースに入ろうかな~と希望したのですが、飛行機代がべらぼうに高くなるので断念
その代わり、パース近郊のドライブ旅行を計画しました。
日本のガイドブックには、パースの事が4~5ページ載っているだけで、郊外の情報は中々得られません。

大家さんがたまたま以前、j○bの現地ガイドをしていた方なので、お勧めコースをお願いしておきました。
「暑い季節なので、涼しい南に出かけると良いでしょう。リゾート地のマーガレットリバーからオウガスタ~アルバニーと廻るコースがお勧めです。宿は中間点のペンバートン辺りが・・・ここなら海も森林も両方が便利です」

大家さんからこう説明を受けたのですが、主人はロクに地図も見ずに「マーガレットリバーに連泊しよう」と返事をしてしまいました。
大家さんが早速4つ☆のホテルを選んで予約を入れてくれましたが、私たち、オーストラリアの大きさが全然分かっていなかったのです

マーガレットリバーまでは約280km。
「渋滞もないし、軽い、軽い」と・・・
朝9時過ぎに家を出ました。
お天気はうす曇り、昨日までのあの青空は見られません
フリーマントルに出て、海に近い一号線を南下、9月に来た時に訪ねたRockinghamを通過して、Bunburyの手前でガソリンを入れました。
スタンドにはコンビニのようなお店とカフェが付属されています。
am11時半、ここで地図を買い、ミートパイと生ジュースの食事をとりました。




バッセルトンの桟橋
ここから私が運転を替わりました。
この日のために「国際免許証」を取ってきたんだもんね。
日本と同じ右側ハンドルだから、違和感はほとんどありません。
どの車も、規定速度をキチンと守ります。
Bunburyの近くに、2kmの長さの桟橋があると聞いていたので、フリーウエイを降りて町に出ました。港の隣に綺麗な海岸線が続いていましたが、桟橋は見えません。
インフォメーションに寄って確かめます。
まだまだ先のBusseltonにその桟橋があると言うことで地図をくれました。
海岸線を更に南下します





綺麗なリゾート地Busseltonの街の海岸にその桟橋はありました。
海につき出た2kmも続く桟橋・・・有料で、歩くと往復1時間はかかるとか。
トロッコのような列車も走っています。
カンカン照りになってきたので、歩くのはあきらめました。








 桟橋の風景は、どこかで見た「絵」か「写真」にあったような感じで、懐かしさが漂っていました。う~~ん・・・どこで見たんだろう?
泳いでいる人がいたので、私も早速インド洋に足を浸してみました。
遠浅がず~っと続いているから、こんなに長い桟橋が必要だったのね







マーガレットリバー
海岸には可愛いお花が咲いていました。
ここから10号線に入って、約50分でマーガレットリバーです。二車線の一般道を110kmで運転するのは、ちょっと怖かった
今回借りた車は1800ccのカローラ、我が家の車よりも小さくて軽いので、横揺れが怖いでも制限速度は110km
チンタラ走るわけにもいきません
ブドウ畑が広がりだして、ワイナリーの看板もたくさん見られるようになると、いよいよマーガレットリバーです。






1967年よりワインの生産を始め、現在は50のぶどう園、35の小規模のワイナリーを誇る地域です。
インド洋の美しいサーファースポットと合わせたリゾート地ですが、清里か小淵沢のようなこじんまりとした町でした。
私たちが泊まるホテルは、この町の入り口にありました。
コテージのような、これ又こじんまりとしたホテルです。
一人でフロントをこなしているジェニーさんに頼んで夕食のレストランを予約してもらいました。






紹介されたワインレストランはホテルから歩いて7~8分の所にありました。
私はポーク、主人はラム、そしてグリーンサラダを一皿。
モチロン赤のワインも一本頼みました。
主人の手帳には「ラムは美味かったポークは微妙、ワインは美味」と書かれています。
どちらも骨付きの肉で大きいけど、下に敷かれている野菜の量も凄い、ラムにはジャガイモを主とした野菜類、ポークにはかぼちゃを主とした野菜がガバッと添えてありました。


これにパンを加えて100a$弱・・・日本円で9000円弱、まぁ~そんな所でしょう。
美味しいワインを飲んで、いい気持ちになって、3人はゆうに寝られる大きなダブルベットにバタンキュウでした







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ミスミソウ(雪割草)

2006年03月19日 | 花シリーズ
「雪割草」と言う名前を聞いたのは、子供の頃だったと思います。
父の転勤で、東京の中目黒から新潟市に引っ越して、何年か経っていたでしょうか?
近所のオバちゃんが「雪割草が咲き出したね~」と呟いていたのを聞いた覚えがあります。
小学校の5~6年生だった私はさして興味もなく、あの時に見たのか?定かではありません

新潟のお花の思い出といえば、畑一面に咲いている真っ赤なチューリップと黄色い菜の花でした。
この二つは強烈なインパクトがあって、小学生ながら生意気にも「詩」を書いたくらいです
その詩が評価されて賞状をもらいました。
それから「書くこと」が好きになったのかな?~~私のブログの原点なのかもしれませんね。

新潟市には6年住んで又東京に戻りましたが、友人がいるので、大人になってからも時々新潟を訪れる機会がありました。




山登りを趣味とし、高山植物に興味がある私に,新潟の友人は「昔はどこでも咲いていた雪割草も最近ではすっかり姿をなくし、園芸店で結構高く売っている」と言いました。
雪割草・・・忘れられない名前となりました。
それが、おーちゃんのブログで写真を見て、場所を紹介していただき、早速山仲間のYさんと見に行ってきました








大和市の泉の森の中に咲いていました。
白、ピンク、うす紫・・・本当に小さくて楚々としたお花です
標識には「ミスミソウ」と書かれていましたが、私には雪割草の方が馴染みます。
(実はおーちゃんの写真を見るまで、ミスミソウ=雪割草だって事を知らなかったのです)
雪ならぬ、枯葉の中から顔を出している可愛い可愛いお花です。




この日は風の強い日で、風に揺れている雪割草を写真に収めることは容易ではありませんでした。
自然のままに咲いていますが、柵で囲われています。
私はマナーをちゃんと守りますからね。
超望遠カメラが欲しかった

付近には「福寿草」が咲いていて、「カタクリ」もチラホラと咲き出していました。
泉の森は秋深くまで、色々な野草が楽しめそうです。
おーちゃん、良い所をご紹介いただきましてありがとうございました。
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梅見ハイキング「幕山~城山}③

2006年03月18日 | 山シリーズ
「しとどの窟」は、石橘山の合戦に敗けた源頼朝の一行が、土肥山中を逃亡の際、追手の目を逃れる為に隠れた岩屋で、洞窟の中に20体余りの石仏が安置されているのです。

細かい雨が降ってきました。
洞窟の前で雨具の準備をしていた時に、Kさんの叫び声を聞きました。
「登山靴の底がはがれている~~!」

このような登山靴を初めて見たのは、2000年の夏の尾瀬でした。
Yさんと2人で登った至仏山の下りで大雨と雷に遭い、やっとの思いで山の鼻の至仏山荘にたどり着いた時でした。下駄箱の中に底がパックリと剥がれた登山靴があったのです
その後、ヤマケイ等の雑誌に紹介されたり、スポーツ用品店の登山靴売り場に「問題の靴」が展示されたりして、注意を呼びかけていましたが・・・








2003年の夏、我々3人は「御嶽山登山ツアー」に参加するために集合場所の新宿に向かいました。駅でナントKさんの靴の底が剥がれ出したのです。
彼女はバスを目の前に、泣く泣く帰っていきました
その同じKさんが、マタマタ靴の災難です。
Yさんが持っていた「予備の靴紐」で、靴を固定しました。
「ハイキングと侮るなかれ準備は怠らず」ですね。Yさんにです。







前回の登山靴は5~6年履いた靴だったので、Kさんも諦めがあったようですが、今回の靴は3年半前に買ったものだそうです。
「納得できない」と・・・
これがアルプス級の高い山の中だったらと思うと、ゾッとします。
今回は、エスケープルートがたくさんある箱根の山中での出来事で、不幸中の幸いでしたね。






3年前に主人と南アルプスの「赤石岳~荒川三山」を縦走した時、主人の登山靴が古かったので心配でした。予備に地下足袋を持っていったんですよ。
主人の靴は大丈夫でしたが、千枚小屋で靴底が剥がれた男性に遭遇したので、地下足袋はその人にあげました。

その彼は、山の登頂は諦めて下に降りて行きましたが、このような登山靴のトラブルで大きな山の事故は起きていないのでしょうか~??




我々は城山に登るのは無理と諦めて、歩いて20分の「しとどの窟入り口」のバス停に向かうことにしました。
歩き出したら、もう片方の登山靴も剥がれだし、何だか可笑しくなって3人で笑ってしまいました
1時間に一本のバスが丁度やってきたので、椿ラインを通り湯河原まで戻ります。
城山からの下りは標高差およそ500m「結構大変なんだ~~」と、ジグザグの道を下るバスの窓から眺めていましたわ。






途中湯河原温泉の「公園前」でバスを降り、日帰り温泉で汗を流しました
町営の「こごめの湯」です
リニューアルされていて、以前来た時にはなかった露天風呂が出来ていました(入浴料1000円)
湯上りのも美味しいこと・・・軽食堂でおつまみを頼み、ゆっくり歓談です。登山靴の話題で時間が過ぎました。


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梅見ハイキング「幕山~城山」②

2006年03月15日 | 山シリーズ
「暑さ寒さも彼岸まで」とは良く言ったもので、今週末はもう彼岸の入りです。
今日は高尾山の麓にある、主人の両親のお墓参りに行ってきました。
そして帰り道、私の両親が入っている施設にも寄って、親孝行の一日でした。

昨日はおーちゃんのブログにUPされていた「ミスミソウ(雪割草)」に魅せられて、大和市の泉の森まで見に行きました

仕事も年度末で忙しい、充実しているけど目が廻るような毎日です。
友人から「パースの記事を早く」とのも入っていますが・・・
取りあえずハイキングの方から仕上げたいと思います.
「思わぬ出来事」もお知らせしなくてはね

                ☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー

幕山頂上までの道は整備されていて、ファミリーでも登れますが、それなりに急登です
休憩所が見えてきたので一服しました。
淡い黄色の、カンザシのような花を咲かせているキブシがたくさんあって、疲れを癒してくれます。










登山道脇には白い「アセビ」もチラホラと・・・
タツナミ草の葉は出ているかしら?と目を凝らしてみましたが、分かりません。












たどり着いた幕山頂上は広々としたススキヶ原で、箱根の山から相模湾までの360度の展望です。
目の前に真鶴半島が延びていますが、残念ながら霞んでいました。
尾根伝いの東の先端に見えるのが「南郷山」以前に仕事仲間6人で登ったよね~~
ここでノンビリとオニギリを食べながら、一ヶ月半ぶりのお喋りに花が咲きました





南郷山に向かって下り、途中で左に折れて、笹の中のトンネルのような道をどんどん降りていきます。
反対周りで登ってくる人もたくさんいますが、道はこちらの方が幅がせまくてヌカルミもありました。
急降下を終えて左に折れて、ノンビリ歩いて行くと新崎川です。
大石が原と書かれた標識の周りには、たくさんの木々が芽吹き始めていました。





これは何の木でしょうか?
主人に聞くべきですね~~












アオキもたくさん見られました。
サンゴのような赤い実が可愛い










「しとどの窟へ」と書かれた標識に沿って、右の道へ入ります。左手の道をそのまま行けば、タクシーを降りた園地に戻ります。
独立峰の幕山が思いがけない大きさでそびえていました。
急にハイカーの姿も少なくなって、深山の趣のある登山道を登って行きました。









トレイルの右側がスパッ切れていて、このような「鎖場」も出てきます。
運動靴では危ないかも・・・やはり軽登山靴がベターです。
軽いハイキングコース等と侮ってはいけません。











幕山ハイキングコースから分かれて、急登をおよそ50分で「しとどの窟」です。
石の灯篭に導かれるように階段を登って行きました。
その時、仲間の一人のKさんが「私の靴が変」と言い出しました







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梅見ハイキング「幕山~城山」①

2006年03月12日 | 山シリーズ
神奈川県地方、今日は強い南風が吹きましたね。「春2番」でしょうか?
山仲間3人のスケジュールが、唯一合ったこの日曜日、「湯河原の幕山の梅が満開になった」との情報を得て、早速行ってきました。

7~8年前の今頃、当時の仕事仲間6人で「幕山~南郷山」ハイキングコースをすでに歩いているので、今回はお隣の「城山ハイキングコース」と合わせる事にしました。

大船7時15分の東海道線で集合です。
1月末の「伊豆達磨山~金冠山」以来の顔合わせに話も弾みます
今日の天気予報は
本当は足の筋肉を鍛えるためにもっと厳しい山を探していたのですが、この予報では・・・

今回「幕山なら雨が降っても心配ないわ」と安心していたのですが「ハイキングコースだからと言って、ゆめゆめ侮るなかれとんでもない事が起きたのです」

丁度一時間で「湯河原」に到着です。
今日は日曜日、梅見の観光客で混雑する前に行きたいのでタクシーを使いました。
幕山まで1470円(この季節バスもありますが、始発は8時45分)
タクシーを降りると、梅の香りが漂っていました。まさに見頃です
以前は取られなかった拝観料が200円ですが、9時前は無料でした。









幕山の南斜面に広がる梅林の中を行きますが、一般観光客に混じって、梅をジックリ眺めながら、写真を撮りながら登って行きました。
まだ蕾が少々あるものの、丁度見頃です
盛りを過ぎたお花は一つもありません。












予報に反して青空が広がっています。
空の色に映えて、白梅紅梅の花びらが鮮やかに浮かび上がります。










箱根火山の南面に噴出した寄生火山の幕山は「ロッククライミング」の練習場でもあります。
今日もたくさんのクライマーが岩にしがみ付いていました。
垂直に近い岩場を指で支えて登って行くなんて「信じられませ~ん」










圧倒的に多い、中高年のカメラマンたち
おじ様族がほとんどですが、皆さんそろって、高級カメラで梅を狙っていましたよ。













そして、やはり多い中高年ハイカー
私たち3人も例外ではありません。
(私だけ野球帽をかぶっています)










この梅林はそんなに古いものではありません。
12~3年前に主人と来た時は、まだ整備された公園ではありませんでした。
あの頃から見るとずいぶん梅の数も増えましたね~
曽我の梅林や、熱海梅園、吉野梅郷、筑波山の麓の梅林も行きましたが、「山」をやる我々は、この山の中の斜面に広がる梅林が一番好きと、三人の意見が一致しました。







一番上から見下ろす梅林の風景が最高ですね。
白とピンクの絨毯のように見えますよ
最終目的地の城山方面の眺望も広がってきました
梅林が終わると、いよいよ本格的な登りです。
幕山頂上までの標高差450mを頑張らねば・・・
人の姿も減ってきて、ハイカーだけの世界になりました。
田中澄江さんの「花の百名山」での幕山の紹介は、梅ではなくタツナミ草です。
目を皿のようにして探しましたが、まだ早いのでしょう。

それにしても今日は、南風が強くて暑いくらいの陽気でしたね。
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<西オーストラリアの青い空>④バーベキュー・パーティー

2006年03月11日 | パース滞在記
2月21日夜
Rさん宅に伺ったら、すでに先客が3人いました。
親戚のリトルRさん夫妻と、その友人の日本語が少しできるご婦人のKSさんです。
「コンニチワ、私日本に1年住んでいたよ」という挨拶を受けて、ホッとしました。

お隣の住人R夫妻の詳しい事はhttp://blog.goo.ne.jp/nao5512/d/20051005で紹介しましたのご覧下さい。
陽気なオージーらしくて、明るく気の良いご夫妻です

同年代の5人と握手をした後、リビングに案内され、ソファーに座わると「何が飲みたいか?」聞かれます。ポテトチップやナッツ等の軽いおつまみを頂きながら、ビールを飲みました。

リトルRさんは工事現場でユンボを操縦しているとか、KSさんはご主人が日本人で、昨年肺がんで亡くなったそうです
主人は「japanese,gardener」と自己紹介しました。

R夫妻は今年の秋に、親戚のリトルR夫妻と4人で「日本旅行」を計画しているそうです。
広島~大阪京都~東京~日光と廻る予定とか
宿は小さな旅館を考えているそうです。
「新幹線と東京ディズニーランドが楽しみ」と笑っていました



主人が「広島を入れたのは珍しい」と言うと「学校で必ず原爆の事は習う。厳島神社も有名」との返事でした。日本人より原爆の悲惨さは詳しいかも知れませんね(恥)
日本の話で盛り上がった所で、Rさんが、男性だけ外のデッキに呼び出して、お肉を焼き始めました。そうバーべキュウは男の担当なのです
女性達は引き続きおしゃべりです。KSさんが少し通訳をしてくれたから助かりました。







焼きあがったオージービーフやお魚はダイニングテーブルに持ってきて、こちらでちゃんとで頂きます。
サラダにポテト、チャーハンらしきものも並んでいてとても豪華版
皆が席に着いた所で、Rさんが「ワインは赤と白、どちらが良いか?」と聞きます。私も主人も赤を頂きました。








お皿いっぱいに盛られた夕食
お味は珍しく薄味でした。
隣に座ったKSさんが、1年住んだ日本での生活を話し始めました。
「百円ショップ大好き」「お好み焼きも美味しい」
ご主人が亡くなり、パースに戻ってきて、今は33歳の息子と犬の「チビ」、猫の「クロ」と住んでいるそうです。

「今度日本で1年目のセレモニーがあるから息子と行くよ。困ってる問題(遺産?)解決しなくては・・でも主人の兄弟だれも英語出きないから難しい」



主人はリトルR夫妻と楽しそうに歓談していましたが、私はちょっと深刻な話を聞いてしまいました。
国際結婚も大変だわ
そんな時Rさんが髭をつけて現れました。
次から次へと繰り広げられる手品
みんなお腹を抱えて大笑いです。
前回招待された時はアンティークのマンドリンを演奏して・・・
Rさんは本当にエンターティナーです。





最後にデザートの果物と紅茶が出され、リトルR夫人が最近習った「インド料理」の手造りお菓子が出されたので頂きました。
ココナッツミルク入りで美味しいけど、私には甘すぎるぅ~~

気がついたら10時近くなっていました。
三脚立てて主人のカメラで全員集合の写真を撮りました。

我々は明日から二泊三日のドライブ旅行です。そろそろおいとましなくてはなりません。
「ご馳走さまでした」と言う英語はないらしい。
「thank you、tonight」としか言えませんでした。
「日本に来たら、是非横浜の我が家に来て下さい」と主人がたどたどしい英語で、お別れの挨拶しています

アァ~~楽しかったぁ~~~でも疲れたよぉ~~~



コメント (4)
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