花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

横浜美術館「ホイッスラー展」と、映画「エクソダス」

2015年02月25日 | 美術館&史跡巡り
この2~3日は春到来を思わせる暖かさでしたが
明日は又お天気は崩れ、寒くなるようですね。

春は三寒四温でやって来るのでしょうが、温度差が激しすぎて心身ともについていかない感じ・・・
結局一度やめた精神安定剤のお世話になっています。

でも・・・
2月23日は朝から心ウキウキしましたので、飲まずに出かけましたよ。

横浜美術館「ホイッスラー展」へ
この日の横浜の気温予報は18度、薄いブルーのウールの半コートを着ていきました。
結局20度を越えたようで、日中はコートが要らない暖かさでしたね。


待ち合わせは「横浜美術館」前に10時半

私は40代から50代の半ばまで、さる都銀の支店でアルバイトをしていました。
その時の仲間とは今でも一緒に山登りを楽しんでいますが・・・

当時私たちを教育してくれた銀行OGの大先輩が、主人の亡くなったニュースを聞きつけ
突然我が家にお線香をあげに来てくれて、繋がりが復活したのです。

先輩は「友人から是非見に行きなさい」と勧められたとかで、山仲間のYさんと一緒に3人で
「ホイッスラー展」鑑賞の後に、お食事を楽しもうということになりました。


とは言うものの、私はホイッスラーの絵をほとんど知らない

ポスターにもチケットにも書かれているのが、「ジャポニスムの巨匠、待望の大回顧展」
白いドレスの女性が手にしているのは団扇ですね。


ジェームズ・マクニール・ホイッスラー(1834-1903)は、パリとロンドンを主な拠点して活躍し
19世紀欧米の画壇において最も影響力のあったアメリカ人画家です。

印象派の画家たちとも親しく交流したホイッスラーは、独自のスタイルを確立するために構図や画面空間
色彩の調和など日本美術からインスピレーションを得たことからジャポニスムの画家として
世界的に知られているようです。


今回のホイッスラー展は、初期から晩年までの代表作が集められた国内で過去最大級の回顧展
これだけの作品が集まるのは、日本では27年ぶりだそうで
ホイッスラーに影響を与えた日本美術もあわせて展示されます詳しい情報はこちらです。

歌川広重の「名所江戸百景」の《京橋竹がし》と「ノクターン:青と金色-オールド・バターシー・ブリッジ」
構図がそっくり

中でもビックリしたのは「ピーコックルーム」詳しくはこちらでどうぞ
セットのように三面画像で見ることができました。


ホイッスラーのパトロンの部屋のデザインは他の建築家へ依頼されていましたが
パトロンが不在中にホイッスラーは壁紙から何から勝手に変えて完成させて
内覧会で人に披露していたとか。

それ以来パトロンとは絶交状態
ただパトロンは最後までこの部屋を直すことなく住んでいたそうです。

又今回の作品の中には小さくて精巧なエッジングや、版画も多く
ちょっと暗めの照明の中、シニアには見えずらい作品がありました。

最終週なので平日といえどもそこそこ混んでいましたから、老眼鏡をかけて見るのも難しい
(我々のようなシニアの女性が圧倒的に多かったけど・・・)
Yさんが「お琴の楽譜用のメガネを持ってくれば良かったわ」と呟いていました。


こうして1時間半余りかけて鑑賞した私たち、そろそろお腹もすきました。
この催しとコラボしているMM21地区のレストランが結構たくさんあるのですね。
私たちは一番近くの「KIHATI」に行きました。

ホイッスラー展の入場チケットを見せれば、特別のスペシャル料理が食べられます。
(一品料理は10%引き)

「ホワイト・ガール スペシャルランチ」
キハチ流ジャポニズムでホイッスラーの世界観を楽しんでくださいとの事でした。


ふっくら揚げた鶏ささみのカリカリフりット、トマト味噌ソース


タラバ蟹とマッシュルームのペペロンチーノ、ふわっとしたカリフラワー掛け
ホイッスラーの作品「白のシンフォニーNO2:小さなホワイトガール」をイメージしてだそうです。
(このカリフラワーは生をそのままスライスしてありました)


デザートは黒豆のティラミス、ミルクジェラート添え 抹茶の香り
これで2160円です

コーヒーはお代わり自由なので、たくさんたくさんお喋りが楽しめました。
先輩は今年77歳だそうですが、若々しくてとてもお元気・・・

迫力では完全に負けている私でしたわ。


          

映画「エクソダス:神と王」観賞
2月12日(木)はご近所仲間のプリンさんとノンちゃんと3人で映画を見に行きました。
1956年作「十戎」のリメイク版です。

日本語吹き替えではなく、3D画面でと条件付けたら、川崎まで出向く事になりました。
眠くなったら困ると思い、この日も安定剤は飲まずに行きました。


旧約聖書の出エジプト記に登場する、モーゼのエピソードをベースにした巨大スペクタクル
紀元前のエジプトを舞台に、王家の養子として育てられた男モーゼがたどる
数奇な運命­と壮絶な戦いの物語です。

3D初体験の私、立体的な画面と迫力ある画像を堪能できました。


メガホンを取るのは、『グラディエーター』、『プロメテウス­』などのリドリー・スコット。
モーゼ役は『ザ・ファイター』などのオスカー俳優クリスチャン・ベ­イル、

エジプト王ラムセスはジョエル・エドガートン
前作のユルブリンナーに比べると、眼力で少々負けた感じ。

そして十戎は紅海が割れるのが印象的でしたが、このエクソダスでは割れずに引き潮になるのです。

終わってから甘いものを食べ、映画の印象を語り合いましたが
ノンちゃんは「CGを駆使した映像は素晴らしかったけど、物語としては浅かった」と・・・

このエクソダスのモーゼは大いに迷う、人間的なモーゼとして描かれているのでしょう。

プリンさんは「エジプト旅行で見てきたアブシンベル宮殿も出てきて、物語も楽しめたわ」と・・・

エジプトと言えば偉大な王「ラムセス二世」がすぐに浮かびますが、この映画では敵役ですね。
ですから、エジプトでは公開中止になったそうです。

ご近所仲間と4人で行ったあのエジプト旅行からもう5年が経ちました。

あれから両親の入退院でバタバタし、次々に見送ってそして夫まで
旅行記も途中で途絶えたままです。

これを機会に思い出記を書いてみようかとも思いました。



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新春・鎌倉五山ハイキング(2)

2015年02月21日 | ハイキング・散策
鎌倉五山第一位「建長寺」
臨済宗・建長寺派の大本山の建長寺は、北条時頼が建長五年(1253)に宗から来日していた
高僧・蘭渓道隆を招いて建立した我が国最初の禅寺です。

回春院
私たちが脇道を下って着いた大覚池の畔には、建長寺の塔頭・回春院がありました。


この一帯は朱垂木やぐらなど、多くのやぐらが点在する広大な谷戸を擁しています。


天園ハイキングコースから巻いて下ってきた建長寺

この日のルートは仏殿をお参りしてから、半蔵坊経由で登り
再びハイキングコースの「勝上献」の展望台に戻るようです。

方丈入口の「唐門」

重要文化財で仏殿と同じく、芝の徳川秀忠夫人(お江さま?)崇源院霊屋から移築したもの。
関東大震災以来の大修理が2011年5月に終了し、移築当時の姿が再現されました。
(ウキペディアより)

新しくてピカピカの「唐門」です。
時間があれば方丈の中に入り、夢想国師作の名庭園を見物する事もできます。

目にしたお花は大きなミツマタの蕾と大寒のさ中に咲く椿くらいでした。


ここで各自自由に仏殿に安置されている御本尊の地蔵菩薩坐像をお参りしました。
この地蔵菩薩は室町期のものと考えられ、像高は371.5㎝


創建当時の伽藍配置は、総門、三門、仏殿、法堂などの主な7つの建物が中軸上に並ぶ
中国の禅宗様式の伽藍配置になっており、49の塔頭(小寺院)を有する大陸的な荘厳なものだったとか

その後、14,15世紀に起こった数度の火災で、その多くが焼失してしまいましたが
江戸時代に入り、高名な沢庵和尚の進言で再建されたそうです。

半憎坊へ
建長寺裏山の中腹にまつられているのが半僧坊、およそ200段の石段を歩いて登ります。


天狗の像や寄付者の石碑が面白い・・・
明治時代に静岡の方広寺(奥山半僧坊)から建長寺の鎮守として勧請しました。

金200円って、当時では今のいくら位だったのでしょうね?


半僧坊からさらに石段を登っていくと、天園ハイキングコースの「勝上献展望台」にたどり着きます。

途中振り返って見た「建長寺」


オニギリを食べた展望台に、一時間半かけて戻ってきました。

この一週間前にはオフ会や学生時代の友人たちとの食事会で
ちょっとお洒落して5㎝のヒールのロングブーツを続けてはいて、左足の薬指にマメができ
それが痛みだしました


再び天園ハイキングコースを歩きだし、覚園寺方面に下ります。


覚園寺は寄らずに鎌倉宮前をかすめて、一路住宅街を歩いて最後の「浄妙寺」を目指します。


鎌倉宮の鳥居の横に早咲きの桜(河津桜?)が咲いていました

鎌倉五山第5位「浄妙寺」

午後3時過ぎにようやく浄妙寺に着きました。

途中神奈川県警の機動隊の腕章をつけた屈強な男性たちが、四辻ごとに立っていました。
「何事

どうやら鶴岡八幡宮で皇太子殿下が会議に出席なさり、この通りが帰路となるらしい・・・
機動隊の方々の物々しい警備は朝比奈インターまで続いているのでしょうね。
ご苦労様です。


こちらは2012年3月12日に行った時の浄妙寺です。
この時は梅が見事で、ユキワリイチゲも咲いていましたこちらです。

今回行った1月24日は、まだすべてが固い蕾でしたね。

その代りセツブンソウが辛うじて見られました。ロウバイはそろそろ盛りが過ぎたでしょうか?


私たちはご本尊の釈迦如来が祀られている本堂をお参りして、一休みし・・・
神奈川県警さんが立ち並ぶバス停からバスに乗り、鎌倉駅に出ました。

解散は午後4時近く・・・
休憩時間を入れて6時間以上の鎌倉歩き
流石にワンゲルの会、たくさんたくさん歩きました。

            


我が家の家庭菜園
去年は色々ありすぎて、畑まではとても手が回らずやめるつもりでいましたが
お隣の畑をやっているご近所仲間のノンちゃんのご主人が綺麗に草を刈り土を施してくれたので
やらないわけにはいかず・・・


ブロッコリーの苗を八本買ってきて植え付け


葉物と大根のタネを蒔きました。

1月には小さいながらもみな見事に茂り・・・
私も毎日食して、お蔭で風邪もひかなくなりました。

それが何と言うことでしょう
2月になったら鳥たちに、見事なまでに食べられました。

ブロッコリーの葉がスジを残すだけチンゲン菜も小松菜もやられました


ブロッコリーは脇芽も次々に出て、春先まで楽しめるのですが
葉っぱがなければそれも無理

菜園をやって20年以上になりますが、こんなことは初めてです。
それだけ鳥たちにとって、今年の冬は餌不足ということでしょうか

辛うじて食べられるのは大根だけとなりました
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新春・鎌倉五山ハイキング(1)

2015年02月16日 | ハイキング・散策
10日ぶりの更新です。
毎月第二週目は趣味の教室が続く上に、今月から合唱サークルにも入会し
忙しい日々を過ごしておりました。

合間に映画鑑賞やハイキングをこなし、流石に少々疲れ気味です


朝晩はまだまだ寒いものの、日中は春を思わせる暖かい日が続き
我が家の庭の梅が咲きだしました。


主人が育てた鉢植えの白梅も咲いています。

八重の紅梅の横に早咲きの「「冬至梅があったはず」
探しましたが見当たりません

主人のお仲間さん達が我が家の庭の木々をバッサリと刈ってくれた時に、
まだ細くて小さな枝の冬至梅も根元から刈ってしまったようです。

          

ウツ予防のために、雨や雪の日以外は出来るだけ歩くようにしています。

銀行やデパートがある駅前まで歩いて、あちこち寄って買い物して
往復すると丁度7000歩

趣味のサークルの会場となるコミニティーハウスと、そのすぐそばのスーパーで
買い物をして往復すると3100歩

夕方の防犯パトロールに参加すると6500歩・・・

ハイキングだと1回で15000歩~20000歩位でしょうか?
この三週間で4回ハイキングに行きました。

一番最新の15日(日)に行った三浦半島では、河津桜が2~3輪咲きだしていましたが
見頃はまだまだ先のようでした。

新年初歩き「鎌倉五山」ハイキング・1月24日(土)
年初めに入会させていただいたワンゲルの会の企画に参加しました。
集合は鎌倉駅西口9時半、参加者は18名でした。

鎌倉五山とは、鎌倉時代に中国の五山制度にならって鎌倉の禅寺に設けられた五大官寺のこと。
第一位「建長寺」
第二位「円覚寺」
第三位「寿福寺」
第四位「浄智寺」
第五位「浄妙寺」

この様に格付けされています。

最初に向かったのは第三位の「寿福寺」です。

源頼朝の夫人北条政子が、臨済宗を日本に伝えた栄西を鎌倉にむかえて
1200(正治2)年に建立したと言われる名刹です。

本尊は釈迦牟尼仏、ただ本堂のある境内には入れません。


寿福寺背後の山腹、唐草やぐらと呼ばれるやぐらが源実朝の墓といわれ
鎌倉末期から南北朝にかけての姿を伝える五輪塔が立ち、その後ろに石棺があり

隣に並んで北条政子の墓と伝えるやぐらがあり、やはり五輪塔が安置されています。

その後住宅地から突然山道に入りあっという間に浄智寺裏に出ました。


この急登は前々日に降った雨の影響でズルズルに滑りました。

私にとっての鎌倉歩きは、もっぱらカメラ仲間との撮影か
友人との食事と散策が主なので、靴もウォーキングシューズが殆どで、

今までの鎌倉五山もすべてそれで歩いていますが
ワンゲルの会主催の今回は用心深くトレッキングシューズを履いてきましたよ。

鎌倉五山第四位「浄智寺」

北条宗政とその子師時によって、1281(弘安4)年頃創建されたといわれています。

本尊は阿弥陀如来・釈迦如来・弥勒如来の木造三世仏坐像で、
それぞれ過去・現在・未来を象徴しているそうです。

本堂でお参りしてからやぐらなどを見て裏手洞窟の布袋尊のお腹をなでなでしました。。



そして次に向かったのが北鎌倉駅前にある第二位「円覚寺」
ここは私の実家のお寺のご本山なので、私もしょっちゅう来ていますね。


現存する、室町初期の建築とみられる舎利殿は、 禅宗様を代表する建物。

ロウバイの黄色が色を添えていました
本尊は宝冠釈迦如来。

執権北条時宗が1282(弘安5)年、元寇の戦没者追悼のため宋僧の無学祖元を招き
開いた寺院で鎌倉時代を通じて北条氏に保護されたそうです。


歩く会ですから一番奥にある「黄梅院」まで行きました。
その入り口に掲げられていた書が、今の私の胸に沁み入りました・・・

ミツマタの蕾も大きくなって・・・黄梅院の庭のマンサクが咲きだしていました。


鎌倉五山の中でも、一番お花が楽しめる円覚寺
毎年新緑や紅葉の時期も撮影に来ていますが、素晴らしいと思います。

次に目指すは第一位の「建長寺」
バス通りを鎌倉駅方面に歩いて行けば25分くらいで着きますが・・・

流石に歩く会、明月院横から山越えです。昨年11月に歩いた鎌倉アルプスを再び登ります。


建長寺裏の展望台「勝上献」に到着しました。


この日は残念ながら富士山は見えませんでしたが・・・
ここで一休み、40分の昼食タイムとなりました

眼下に並ぶ鎌倉五山第一位の「建長寺」の伽藍が見えていて
このすぐ下が建長寺の裏門で、拝観料300円を徴収されます、


そのまま建長寺に下るのかと思いきや

建長寺とは反対側に進み、相模湾や鶴岡八幡宮の段カズラが望める展望台に登ってから
天園に向かう本通りを右にそれて、人の姿が殆どいない脇道に入りました。


流石にワンゲルの会、楽なコースは進みません
トレッキングシューズを履いてきて正解でした。


しばらく下ると、ポンと建長寺境内の「回春院」に出ました。





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雪の河口湖・一泊旅行(3)

2015年02月07日 | 旅日記
立春が過ぎたというのにまだまだ寒い日が続いています。
まさに「春は名のみの・・・♪」で始まる早春賦の歌の通りですね。

河口湖「大石公園」(1月18日)

河口湖北岸の「河口湖自然生活館」に隣接する「大石公園」から望んだ富士山です


「逆さ富士」の隠れた名所で、特に冬の早朝、風がなく湖面が穏やかな日には
見事な逆さ富士が見えるようです。


私たちは10時過ぎまでホテルでのんびりしましたので
この公園に来たのは11時近くで・・・

湖にはさざ波もたち、逆さ富士は到底無理でした。


望遠レンズで富士山を観てみると、朝には強風で激しく舞っていた
ブリザードは収まっていました。


孫たちは雪にまみれて遊びに夢中・・・

ここは富士河口湖町初夏の名物イベント「河口湖ハーブフェスティバル」の大石会場としても有名で
6月中旬から7月中旬までは、雪をかぶっていない夏富士と、
じゅうたんのように植えられたラベンダーが一緒に楽しめて

7月には周辺でブルーベリー狩りも楽しめるようです詳しい情報はこちらです。


「自然生活館」でお茶していくことにしました。
私と息子はコーヒー、孫たちはブルーベリーソフトです。

デッキからは見事な風景が眺められます。


流石に世界遺産の「富士山」は人気のようで、
海外からのお客様、特に中国や東南アジアの方々の姿が目立ちました。

息子の仕事が溜まっているそうで、この日は早めに帰ることにします。
河口湖の旅の二日目の見学地はここだけとしました。

            


朝ごはんはホテルでたくさん食べたし・・・
(ご飯大好きな菜奈ちゃんは自分でよそって4杯もお代わりしていましたね)


このオーナーズホテルは去年の5月に新しくオープンしました。

去年の夏に主人と初めて泊まる予定だったのに、突然逝ってしまったので
代わりに息子と一緒に来て、その思いを果たしましたが・・・

実はそれだけではなく、今回私は現実的な手続きもありました。

関西の準大手ゼネコンが売り出した会員制のオーナーズホテルの会員権
軽井沢のビラの権利の一部を、バブルが始まった頃に父が義理で買いました。

母が車椅子になった今から15年以上前に「もう行けないからどうにかしてくれ」と言われ
私が継ぎました。

まぁ~ゴルフの会員権と同じような、バブル時代のあだ花で
売るに売れないシロモノになっていたわけです。

私がオーナーで主人がサブオーナー、この二人は全国にある数十軒の系列ホテルに
食事代だけで泊まれるのです(と言っても一人1万円前後)

月々の管理費、軽井沢町に払う固定資産税、そして修繕費積立金などを合計すれば
維持費は年に10万円は超えます。

息子が経費を半分持ってサブオーナーになっても良いような事を、最初は言っていましたが・・・
妻子はビジターですから、家族で利用したら結構高い宿泊料になります。

そして一番の決心のしどころは、主人の亡くなる3週間前に一緒に三泊過ごした
軽井沢のホテルに、私は辛くて到底足が向かないという事です。

TVで軽井沢の風景が流れただけでまだ涙があふれます
それで僅かな預かり金を受け取って脱退することに決めました。



そんなわけで、今回は権利書や印鑑証明などを持って諸々の手続きをしに行ったわけでもあります。
ホテルを去る時、支配人と担当の女性が見送ってくれましたが・・・

この30年近い間、両親や弟一家と皆で軽井沢や伊豆を利用した時の事や、
主人と2人であちこち泊まった日の事を思いだし、涙が出ました

このブログでも軽井沢に泊まって日本海までカニを食べに行ったり、
小布施や善光寺参りに行ったこと、はたまた志賀高原や草津白根山を歩いた事など
たくさん紹介しましたね。

一昨年は白川郷や五箇山見学の後、下呂温泉の会員制ホテルにも泊まりました。

こうして素晴らしい富士山を堪能した一泊二日の河口湖ドライブ旅行・・・
最後は河口湖インターから大月に出て、高尾から圏央道を走り
海老名で東名に入り、我が家近くのラーメン屋さんで昼食を済ませ帰宅しました。

圏央道~東名は主人と最後に走ったコースです。
海老名のサービスエリアで食事したことも、昨日の事のように覚えています。


           

寒い寒いとは言いながら、道端に菜の花が咲いて居ました。
春は三寒四温、顔をのぞかせたり隠れたりでやってくるようですね。


年賀状を頂いた方々に寒中見舞いで主人のことをお知らせしたら、
またまたお香典やらご丁寧なお手紙を頂き

私は礼状書きやお返しに追われていました。
まだまだ哀しみは引き戻され、吹っ切ることはできませんね。

ママ友から送られてきたニンジンジュース・・・新潟に住む高校時代の同級生から送られた甘エビ


皆さん、私の体を気遣ってくれているようです。

5日の積雪予報の日には鬱気味の私を心配して、ご近所仲間2人が我が家にお茶しにきてくれて
午後2時半から夕方の7時近くまで話は盛り上がりました。

友人たちに助けられています。ありがとう・・・




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雪の河口湖・一泊旅行(2)

2015年02月04日 | 旅日記
3日は節分、4日は立春で暦の上では春ですね。
私は一人で豆をまき、西南西に向かって恵方巻を食べました。

陽差しは大部春めいてきましたが・・・
またまた積雪の予報が出て、寒い毎日が続いています。


オーナーズホテルの部屋から眺めた朝の風景(1月18日)
裾野市のぐりんぱ遊園地で遊んだ翌朝
河口湖のホテルの部屋で、私は朝6時半に目覚めました。


ベッドから起き上がり窓のカーテンを開けると、左手に三日月が見えていて
東の空がオレンジ色に輝いていました。


群青色の空がだんだん白んできて・・・
黒いシルエットだった富士山の東側の山肌が茜色に染まりだします

富士山の真東にある我が家からは、この東側が正面となり
見事な赤富士が見えるのですが・・・


東側の山から太陽が顔を出しました


7時を過ぎると茜色は消えていき・・・
真冬の厳しいブリザードが吹き荒れる富士山に見入りました。


窓辺に掲げた主人と一緒に眺めた、およそ1時間の壮大な自然のショー
刻々と変わる富士山の姿に声も出ませんでした。

この頃ようやく息子や孫たちも起きてきて、皆で朝風呂に行きましたが・・・
この素晴らしい早朝の富士を見なかったなんて残念ね~

前夜楽しんだホテルライフ
前日はチェックイン後、中で行き来ができる角部屋の二部屋に荷物を置き
すぐにお風呂に入って冷えた身体を温めました

そして6時からお食事です。一日遊んで流石にお腹がすきましたね。


お正月の雰囲気が感じられる祝肴が並びます。
息子と私はまずビール
ジンジャーエールを頼んだ孫たちと4人で乾杯しました。

今年こそは良い年になって欲しい・・・

白子豆腐とお刺身が運ばれ、カニスキ鍋に点火ホタテとサーモンの酢味噌和えも美味しい!


全部で8種類のご馳走が運ばれましたが・・・

富士五湖と言えばワカサギでしょう・・・ひれ酒も一緒に別途注文しました。


他に海老芋と生麩、フキの煮物もあり、一皿づつの量は少ないものの
これだけ食べればお腹も膨れます。


こちらは「お子様ご膳」
お鍋は牛のしゃぶしゃぶでした。

ハー君は柚子ポン、菜奈ちゃんはコマダレが好みです。


最後のデザートはお子様がメロンとケーキ、大人がプディングでしたが
私はとても入らずお兄ちゃんに食べてもらいました。

こんなお茶目なお兄ちゃん・・・

スタッフのお姉さんに「可愛いから是非ジャニーズに入れば」と勧められ
「ヤダ、僕はサッカー選手になる」と答えていましたよ。

食後は広い方の部屋の窓辺に置いた主人の写真を前に息子と向かい合い
三つのコップに持ってきたビールを注ぎ

孫たちのキャッキャッとはしゃぐ楽しそうな声を聴きながら
息子としみじみ主人の思い出を語りました。

主人もきっと喜んでいたでしょう・・・その内ポンポンと花火の音が!


丁度この日から「河口湖・冬花火」が始まったようです詳しい情報はこちらです。
私はカメラを抱えて廊下に出て、富士山と反対側の窓から花火を撮りましたが・・・

初めて観た冬の花火・・・撮り方も分からずオタオタ


部屋に戻って再び息子と飲み直したら、良い気持ちになって
11時前にはベッドにダウンでした

いつもは精神安定剤を飲んで寝るので、夢などみないのですが、
この日は薬を飲まずに寝たせいか?、

初めて主人が夢に出てきました
(苦笑いしていましたね)

夜中の二時過ぎに一度目が覚め、丁度五か月前の真夜中に逝ってしまった主人を思いました。

でも、再び眠りの世界に戻れて・・・
朝の6時半に目覚めた時は、満ち足りた自分を感じました。

息子や孫たちと一緒にここに来ることができて
きっと私は精神的に落ち着けたのでしょうね


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