花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

夕焼け空

2009年11月21日 | バリ島紀行
今週はお天気の変化が激しい日が続きましたね。
19日には冷たい雨が降り、初冬の寒さがやってきました。
例年、この晩秋の頃は我家の二階のベランダから、夕景の美しい富士山が見られるのですが
何だか今年は少ないように思います。


朝から風雨が激しく、神奈川県では珍しく「竜巻注意報」が出た11月14日(土)
午後には雨が上がり、夕方になって晴れてきました。

部屋の中に紅色の光線が差し込み、思わず西側の空を見上げてみると
真赤に染まった夕焼けが見えました

富士山の向こう側は晴れて、黄昏色に暮れ出した空が広がり、
そしてこちら側の雲に夕陽の光が照らされて、それは見事な夕焼けでした


こちらは去年の12月に写した初冬の夕暮れの富士山です。
澄んだ空が透明の茜色に染まり、富士山のシルエットが印象的です。


こちらは去年の2月、オーストラリアのパースに長期滞在時、
パース近郊のコッテスローの浜辺で撮った「インド洋に沈む夕陽」です。
水平線にストンと落ちた燃える夕陽が鮮やかでした。


そしてこちらは今年の2月に旅した「バリ島」のインド洋の夕焼けです。
「夕陽」「夕焼け」の違いが良く分りますね。

「タナロット寺院」

インド洋に面したバリ島には、夕陽で有名な「バリ・ヒンドゥー教寺院」があります。
インド洋の荒波が打ち寄せる海岸に迫り出した、小島のような岩山に建つ「タナロット寺院」です。
16世紀、、ジャワ島の高僧ニラルタが「神々が君臨するのに相応しい場所」として
村人達に海の守護神を祭る寺院建立を勧めたと伝えられています・

今でもこの岩島には神の化身である黒い蛇が棲みつき、
海からやって来る魔物を追い払っているとか・・・


落日の時間になると、参拝者はモチロン、大勢の観光客が対岸の高台から
タナロット寺院のはるか向こうに沈む夕陽を見ようと集まります。

近年、このインド洋の荒波で寺院の台座部分が侵食されたそうですが、
日本やドイツのODAの援助で岩礁が補強されたとか・・・
ガイドさんに感謝されました。


寺の麓の岩場で、正装したバリ人に聖水をかけてもらう事はできるようですが
原則的に異教徒はここには上れないそうです。

打ち寄せる波の音・・・
茜色に染まる空・・・
黒く浮かぶ「タナロット寺院」・・・


この日はちょっと太陽の光が弱くて、私たちは半分夕陽を諦め・・・
ディナーの場所のホテルまで、インド洋を見下ろす道を東に歩いて行きました。


ゴルフ場の中にある「ル・メリディアン・ニルワナ・リゾート」のホテルの庭から見た風景です。


突然空が輝きだしました


居合わせた人々も、自然が繰り出す壮大なドラマを見ていました。
静寂の中で、神の降臨を望む気持ちが湧き上がってくるようでした。


ホテルのレストランの窓からも、夕焼けの輝きが見えていました。

旅の4日目のこの日は、午後三時まで各自自由にホテルライフを楽しみ
それからガイドさんの案内で、バリ島で二番目に大きな寺院
17世紀に王家の寺院として栄えた「タマン・ユン寺院」を見学し
それから夕陽で有名な「タナロット寺院」にやってきました。

前日、ジャワ島の世界遺産「ボロブドゥール仏教遺跡」「ブランバナン寺院群」
一緒に見学した2組のお仲間と、このレストランで一緒になりました。


お肉とお魚のコース料理も美味しかったし
歌のサービスもあり、楽しいディナーのひと時を過ごす事ができました。

主人はチップを弾み、好きな曲を何度かリクエストしました♪
昔懐かしい、アイジョージの歌が多かったかしら・・・

「夕焼け空」から思い出した「バリ島紀行」を、今頃になって綴っています。
読んでくださった方々、ありがとうございました。

まだまだ紹介しきれない画像も残っていて中途半端です。
これからも記録保存のために時々UPする所存ですので、懲りずにお付き合いくださいね


前回は、決断力も実行力も失せて、オタオタしている私自身の心境を吐露しましたが・・・
実は昨日、歯医者さんで突然奥歯を抜かれました
歯根が割れてグシャグシャになっていたそうです

子供の頃から歯は丈夫で、歯医者さんとはあまり縁が無く、
自信を持っていただけにこの抜歯はショックでした。

今日は朝から痛くて、左頬がお多福さんのように腫れています。
思考力もなく、またまた「歳」を感じて凹んでいる私・・・
トホホホホ~


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ジャワ島の地震と「プランバナン寺院群」

2009年09月04日 | バリ島紀行
9月1日は「防災の日」でした。
1923年(大正12年)9月1日に起きた「関東大震災」の事を語れる人も少なくなってきましたね。
私の父は新橋生まれの新橋育ち・・・
以前は「震災の時に家が燃えて、家族で大八車で逃げた」という幼い頃の体験談を話していましたが、今はもうその記憶も遠い彼方に飛んで消えたようです。

先月には静岡県で最大震度6弱の地震があり、「すわ!東海地震か」とヒヤッとしました。
あの日のドッキリを教訓に、1日は各地で本番さながらの防災訓練が行われたそうです。

そして2日には、インドネシアのジャワ島で、死者行方不明合わせて100人以上の地震に見舞われたとのニュースをTVで見ました。
私たち夫婦は今年の2月に「バリ島観光」に出かけましたが、その際、お隣のジャワ島にも飛び、二つの世界遺産を見学しました。
ジャワ島は3年前の2006年の5月に、死者5700人を越える大地震で被災し、古都「ジョグジャカルタ」にある世界遺産の「プランバナン寺院遺跡」は未だにその被害が残っていたのが忘れられません。
今回このニュースを知り、被害に遭われた方々の無事を願いつつ、遺跡の被害も広がっていない事を祈りました。


ジャワ島の古都「ジョグジャカルタ」は仏教やヒンズー教などの王朝が栄え、数々の遺跡が点在しています。

世界三大仏教遺跡の「ボルブドゥール遺跡」のご紹介はこちらこちらでUPしていますが・・・
ヒンドゥー教の「プランバナン寺院群」の記録がストップしたままになっていました

私たちは早朝「バリ島」からお隣の「ジャワ島」のジョグジャカルタまで飛行機で飛び、この日の最後の観光が”細身の乙女”と称えられる優美な遺跡群「プランバナン寺院群」でした。


ジョグジャカルタの東北東12kmの所に有るプランバナンの中でも、一番の見どころはヒンドゥー教のシヴァ堂を中心とした寺院群です。

碑文によると856年ラカイ・ビンタン王が建立、そして907年にラカイ・バリトゥン王が完成させたようです。
その後、王都が東ジャワに移ると放置され、1584年の大地震により廃墟となり、1733年に発見されました。
数回にわたる大規模な発掘、修復作業を経て、1991年に寺院全体が復元。世界遺産に登録されました。


シヴァ、ビシュヌ、ブラフマの三神を崇拝するヒンドゥー教の信仰は、三位一体を祭る主堂が並びます。
その中心はシヴァ堂(右側)で、高さ47mの細身の堂は、求婚を拒まれた男に石にされた伝説の悲劇の姫「ロロ・ジョグラン」とも呼ばれているそうです。

左側は太陽の光を神格化した神を祭った「ビシュヌ堂」、そしてシヴァ堂の右側には宇宙の創造神である「ブラフマ」を祭った堂が並んでいます。

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こちらが中心の「シヴァ堂」、マウスオンで外壁もご覧下さい

堂は5層からなり、リンガ(男根)と呼ばれる蓮の蕾みの様な塔が並んでいます。
基檀は欲情に包まれた下界。
二段目の身舎は人が有形から解放される世界・・・
そして屋蓋は神々が鎮座する天界を表わしているそうです。

堂内の中心部にはシヴァ神立像が祭られているとのことですが、2006年の大地震以降は危険なので立ち入りは禁止されています。


実際に、地震で落ちてそのままになっている石像があちこちに転がっていました
インドネシアは日本よりずっとずっと地震の被害にたくさん遭っている国なのですね。
私たちが行った今年の2月の数週間前にも、インドネシアの他の島で大きな地震があったと聞きました

ガイドのエフィーさんも、三年前のジャワ島での大地震を体験し、その時の恐怖を語ってくれました。
私たちにできる事は、復興の寄付ぐらいしかないのでしょうが・・・

古都「ジョグジャカルタ」の姉妹都市である京都の新聞が、大地震から三年経っても一向に復興のメドがたたない「プランバナン寺院群」を憂いた記事を載せました。
興味のある方はご覧下さい。

”ジョクジャカルタ考古学事務所は「最大の問題はシバ神殿。内部がどの程度、地震の影響を受けたか分からない」と説明。同神殿の内部構造資料が1940年代の独立戦争の際、行方不明となったためで、旧宗主国オランダに資料の有無を照会中だが、回答がないという”(京都新聞より)

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こちらは「プラフマ堂」の外壁です。マウスオンでご覧下さい

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三つの主堂群の東側にはヴィハナ(神の乗り物)の堂が設けられ、大小240もの小祠堂が取り囲んでいます。
そのうちの一つが唯一中に入れました。
中の様子をマウスオンでご覧下さい


石像が揃わず、未だに放置されたままになっている遺跡の数々・・・
ここは観光公園になっていますが、まだまだこれからも修復工事が続けられていくのでしょうね。
日本などのODAや世界遺産基金への寄付が頼りなのかもしれませんが、この世界的不況はこのような文化遺産にも暗い影を落としているようでした。

折りしも、今日も横浜は小さな揺れを感じました。
この記事を打ちながら「早々に我家の防災グッズの点検をしなければ」と、強く思っています。



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南の島での「スパ」体験

2009年08月05日 | バリ島紀行

ご近所仲間のお嬢さんがOLを退職して「エステサロン」を開きました。
オープンまでの間「慣れが必要だから」と頼まれて、私も2回ほどやってもらいました。
つまり練習台になったわけです。

シャンデリアが輝くマンションの一室で、若いお嬢さんに顔から首筋までのマッサージを受けること自体贅沢な時間で・・・
スーパーなどで調味料やティッシュの特売品に飛びついているような日常をしばし忘れました。

「甘利山&千頭星山」登山で汗をかき、首筋がかぶれてしまったのですが、それも綺麗に治りました。
お化粧のノリも良いようです。

頑張る自分へのご褒美に時々通いたいものですが、僅かな私のお給料ではそれも勿体無いような気がして・・・
結婚式や同窓会などの、ここ一番という時に行く事にしましょう。

友人母娘さんも二人三脚で頑張っているようですから、お店も是非成功して欲しいと思います。


私のエステ初体験は、今年の2月に行った「バリ島」でのスパでした。
ガイドのスーさんに「ホテルのスパは高いですよ。こちらならJTBのお客様は15%引きになりますのでお薦めです。日本語もOKですよ」とパンフレットを見せられて、行く気になりました。

ホテルまでの車の送り迎え付き、軽食と飲み物が付いての三時間コースで125us$、その15%引で日本円で1万円弱くらいでした。


最初に受付で、アロマセラピー用のオイルと、ボディーマサージ用のスクラブをそれぞれ4種類の中から選びます。
私はラベンダーオイルと、穀物パウダーをチョイス、すべて天然素材のものでした。


ここには6つのガーデンビューのヴィラがあり、各ヴィラには屋内と屋外にシャワーが完備、エスニックな雰囲気にあふれていました。
水の流れる音と、天上から下がっている大きな扇風機の廻る音だけが聴こえる静寂の中で、まずフットバスでの足のマサージから始まります。
ふっくらとした30歳代のお姉さんの弾力ある手が、疲れた足に刺激を与えてくれました。

次ぎが全身のアロマセラピーマッサージ・・・
ラベンダーオイルの香りは神経を静めてくれるらしい
そしてボディーマッサージ用の穀物パウダーは、お肌をなめらかにしてくれるそうです。

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心地よい全身マサージを受けてからシャワーで流し、お庭の一角にあるフラワーバスに入ります。
マウスオンでご覧下さい
出された紅茶は生姜入り・・・
お花のお風呂に浸かりながら、クッキーを食べ紅茶を飲むと、汗がドクドクと出てきます。
いやぁ~、贅沢!贅沢!、クレオパトラか楊貴妃になった気分です

お姉さんがお花のお風呂に入った私をカメラで写してくれました


お花の効果もあって、それなりに綺麗な画像が撮れましたが、モデルは中高年のミセスよりもやはり若い女性が好いですよね~
ここはパンフレットのモデルさんに登場してもらいました。

青空と、木々の葉を揺らす風が感じられる中、最後は30分間のココナッツミルクを使ってのフェイシャルエステです。
お姉さんのなめらかな手の温もりを感じながら眠くなりそうでした。


すべてが終了して着替えると、冷たいマンゴージュースと、シーフードのナシゴレン(焼き飯)が運ばれてきました。

一人で食べるのは少々淋しい・・・
こういう所は友人同士や母娘で来る所ですね。
お嫁ちゃんはまだまだ子育てで忙しそうだし、せめて女の姉妹がいたならば、気軽るに誘えるのにと無いものねだりの気持ちに陥りました


バリ島のローカル色にあふれたこのスパには、狭いながらもプールがありました。
他にお客さんらしき姿も見えません。
やはり100年に一度と言われるアメリカ発の不景気は、バリ島の片隅にまで響いているようでした。


水の流れる音がこんなに心癒されるものとは、可憐なお花も咲いています。


磨かれて私のお肌もピカピカになりましたが、その艶やかさは南国のお花にはとてもじゃないけど叶いません


「バリ島」紀行がまだ半分以上残っています。
夏空を見ると楽しかったあの一週間が思い出されますが・・・
最近ブログ仲間のところで、「デジブック」というスライドショーを見ることが多くなりました。
あれを使うと一度にたくさんの画像が紹介できそう
でも何やらソフトをダウンロードして会員になると年会費がかかり有料のようですね。

「デジブック」ならぬ「フォトブック」というアルバムを作ってくれるところがあります。
我家のお嫁ちゃんがカメラとフイルムで有名なF社の広告を担当している友人に頼まれたとかで、「F社のフォトブック」のCMモデルとなりました。
今、ネット上で紹介されています。
題して「私もF社のフォトブックで、親子三代で行った思い出の旅のアルバムを作りました」というもの。


その中の「オーストラリア・パースの旅」編を先日持ってきてくれました。(画像の右側のアルバム)
そして時を同じくして、私の「西オーストラリア・ドライブ旅行2000km」という文章だけの本が出来ました(画像の左側)
僅か50ページですから、本というよりも冊子ですが・・・

これは旅行会社の広告を担当している主人の後輩から頼まれて、このブログの記事をベースに4万字でまとめたもので、あくまでも試作品です。
苦労して、歯痛まで起こして、一大旅行記を書いたつもりですが、それでもたったの50ページ
これに10ページくらい写真を加えれば少しは見られるものになるかしら?


こちらはお嫁ちゃんが「F社フォトブック」で作ったとCMで紹介されているアルバムです
思いがけず、嫁と姑が同じ頃、それぞれの知り合いに頼まれて「旅の想い出作り」の作品に一役買っていたわけです。
現代人には「旅行記」よりも「フォトブック」の方が手軽で受けるような気がしますが・・・
でも紙の材質や表紙の写真印刷などは断然「旅の紀行本」の方が上等です。

それにしても何百ページもの文章を綴る、作家さんやトラベルライターの方たちの凄さを思い知った今回の「旅行記本作り」の経験でした。

とりえず私はブログ上では「デジブック」作りにトライしてみようかしら・・・
ekoさん、サイトを教えていただきありがとうございました。
明日の夜行バスで「立山三山」登山に行ってきます。どうかお天気に恵まれ「釼岳」が見えますように







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ジャワ島へ・「ボロブドゥール仏教遺跡」その3

2009年03月26日 | バリ島紀行

最上層の無色界には、72基の釣鐘状のストゥーパー(仏塔)が置かれています。

これらのストゥーパは、三重円を描くように並び、この中心塔は空洞になっていて・・・
大乗仏教の真髄である「空」の思想を強調しているとされ、ジャワ仏教の独自性が示されているそうです。

叉この遺跡は、それ自体が仏教の宇宙観を象徴する巨大な曼陀羅といわれ、一説には、須弥山を模したものとも考えられているそうです。
(須弥山とはサンスクリット語のスメール山の事、古代インドのバラモン教、仏教、ジャイナ教等の世界観の中で中心にそびえる山だそうです)



ボロブドゥールの仏教遺跡は、その形から世界最大級のストゥーパ(仏塔)でもあるそうです。
ストゥーパの釣鐘状になっている部分は、一辺23cm大の石のブロックを目透かし格子状に積み上げ、中の仏像を拝することができるようになっていて、漆喰などの接着剤の類は一切用いられていないとのことでした。



中央の大ストゥーパーの周りを「願い事」をつぶやきながら三周すると、ご利益が叶うとガイドさんに言われ、時計回りに廻りました。

風光明媚な自然に囲まれた「ボロブドゥール寺院」・・・
しばし瞑想にふけりたい所です。



ストゥーパーの中には釈迦牟尼仏が安置されていて、その指に触れるとご利益が叶うらしい。
みんな必死に手を伸ばしていました。モチロン私も・・・



この遺跡は観光客だけではなく、インドネシア国内のたくさんの児童生徒・学生達も「社会科見学」で訪れる場所のようです。

回教徒特有の白いスカーフを被った女子学生から「Can you speak English?」と声をかけられました。
きっと英語教育が盛んなんでしょう・・・
私は「A little」と答えただけで精一杯

そして彼女の許可を得て写真を撮らせてもらいました。
女子は外国人を見ると生きた英語のお勉強に熱心でしたが、男子はどこでも同じようなイタズラ坊主・・・
子供や学生達の姿は万国共通ですね。



最後はいっきに急階段を下まで降りました。遺跡めぐりは体力&脚力が必要です。
車を降りたとき「突然の雨用に」と、エフィーさんから大きな傘を皆に渡されましたが、それがいい杖となりました。
写真を撮るのには邪魔でしたが・・・


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降りてからエフィーさんが、この遺跡の全景が見えるところに案内をしてくれましたが、その前に、主人の提案で彼女を囲んで記念撮影をしました。
マウスオンでご覧下さい

私と良く似た色のポロシャツを着ていて、一番背が小さいのがアラブ系のガイドのエフィーさんです。
若い2人の女性は、横浜では超おなじみの地元の銀行員さんでした。
川崎にお住まいの70歳前後のご夫妻は、ご主人が現役時代、よくインドネシアのジャカルタに長期出張で来ていたことがあり、今回は思い出の地を奥様とご一緒に周られているとか・・・



駐車場に戻る途中で綺麗なお花を見つけました。
こちらは「クジャク花」だそうです。


そしてこちらはブログ仲間の山小屋さんが、「海南島」の記事で紹介していたお花と同じです。

「アラマンダといってキョウチクトウの仲間です。
別名:アリアケカズラと呼ばれています。
日本でも時々見かけます。甘い香りがする花です」山小屋さんの記事より
女性達は皆でこのお花を耳に飾って楽しみました。
同じツァー仲間同士、歳は関係なく親しくなりました

尚、この「ボロブドゥール仏教遺跡」は日の出の時間がお勧めだそうです。
夕日の中に浮かび上がる遺跡も風情があって良さそうです。
できれば、このすぐ近くのホテルで一泊したかったですね。



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ジャワ島へ・「ボロブドゥール仏教遺跡」その2

2009年03月23日 | バリ島紀行

「ボロブドゥール仏教遺跡」は高さ31.5m、最下部の基壇は1辺約123mという威容を誇り、ジャワ様式の下部方形6層とインド様式の上部円形3層のピラミッド構造だそうです。

遠くからも見えていましたが、壁には仏龕(ぶつがん)があり、計432体の仏像が蓮の花の台座の上に据えられています。
仏像は向いた方角によって結ぶ印(両手の形と位置)が異なるそうです。

私たちは真ん中の直登の階段には行かず、まず左側に進み、下部の基壇にあるレリーフの説明を受けました。

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マウスオンでご覧下さい
因果応報を描いた160面のレリーフがある旧基壇は「俗界」を表わします。

飲酒の訓戒を物語るレリーフなどがあり、人間の欲や煩悩を因果応報で説いています。
ガイドさん曰く「男の煩悩は飲む、打つ、買う」が描かれていて、女は「噂話や悪口」だそうです。昔も今も変わりませんね。


階段を少し登ったその上の二層目は・・・
1300面のレリーフと、432体の仏像がある第一回廊から第四回廊までが「色界」です。



第2層の色界では4重に巡る幅約2mの回廊を時計回りに進み、仏教の経典などを見て廻ります。
第一回廊のレリーフにはお釈迦様の生涯が描かれていました。


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マウスオン・クリックで三枚のレリーフをご覧下さい

釈迦は現在のインドとネパール国境付近の釈迦族の出身で、家柄は王 とよばれる名門であったそうです。
シュッドーダナを父とし、隣国の同じ釈迦族のコーリヤの執政の娘・マーヤーを母として生まれ、ゴータマ・シッダールタと名づけられます。

釈迦は母親がお産のために実家へ里帰りする途中、花園で休んだ時に誕生しました。
そして、生後一週間で母のマーヤーは亡くなり、その後は母の妹、マハープラジャパティーによって育てられたそうです。
釈迦には二人の母が居たのです。

釈迦は産まれた途端、七歩歩いて右手で天を指し左手で地を指して「天上天下唯我独尊」と話したと伝えられていますね。
そこまでの「釈迦誕生」のお話を、ガイドさんは熱心に説明してくれました。



回廊の右手の壁にはレリーフが更に続き、釈迦が菩提樹のもとで悟りを開くまでのお話をユックリと見て廻りました。

正直「我が家は仏教の禅宗です」などとオージーに話していたことが恥ずかしいくらい、仏教に関しては無知でした
この「イスラム教徒」が圧倒的に多い国の遺跡で教わるとは・・・



日本人には御馴染みの「仏像」の姿です。何故か心休まりますね。

1000年近くも密林の中に眠っていたそうですが、「イスラム教徒」から破壊を免れるために、信者が埋めたという説もあるようです。



仏像の後ろ側に立つと周囲の山々が見渡せます。
この山々のシルエットが、仏が横になった「涅槃像」の姿にも見えると有名だそうです。
反対側には遠くうっすらと、煙を吐いている火山も見えました。



さていよいよ最後の急階段を登ると、正面に大ストゥーパー(卒塔婆)が現れました。
このてっぺんには以前チャトゥラ(相輪)という装飾物が備え付けられていたそうですが、カミナリで破壊され今はありません。

階段を登りきるとそこは「無色」の世界・・・
大乗仏教の世界観を表わす風景が広がっていました。 
 

                               

話は変わりますが、前回紹介した我が家の「ハクモクレン」は春の嵐に見舞われた日曜日にあっと言う間に散りました。
わずか三日の短い花の命でした。
今では少々無残な姿をさらしています。

これも仏教でいう所の「無常の世界」なのでしょうか・・・?
ふと「平家物語」の冒頭が口から出ました。

       祗園精舎の鐘の声、
       諸行無常の響きあり。
       娑羅双樹の花の色、
       盛者必衰の理をあらは(わ)す。
       おごれる人も久しからず、
       唯春の夜の夢のごとし。
       たけき者も遂にはほろびぬ、
       偏に風の前の塵に同じ。

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ジャワ島へ・「ボロブドゥール仏教遺跡」その1

2009年03月20日 | バリ島紀行

今週は暖かい春の陽射しが続き、我が家の庭の「ハクモクレン」があっと言う間に咲きだしましたが・・・
生憎「春分の日」の朝は風が強く、その上激しい雨が降りだしました。

雨はお昼過ぎに上がり、カメラを持って庭に出てみると、雨に打たれた白い花びらは全部が開ききっていました。

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前日に見たときはまだ蕾みもあったのですが・・・マウスオンで比べてみてください
これでひと風吹けば、あっと言う間に散ってしまうことでしょう


もう花びらの先が傷み始めていますね。
「花の命は短すぎる!」と、何だか私も妙に焦りました

             



さて「バリ島」3日目はお隣の「ジャワ島」に飛んで、世界文化遺産の「ボロブドゥール仏教遺跡」と「プランバナン寺院群」見学の日でした。

こちらが「インドネシア」の地図です
「バリ島」は、首都ジャカルタを擁する「ジャワ島」のすぐお隣にチョコンとありますね。
さてここで「インドネシア」という国のお勉強です。

インドネシア共和国の面積は日本の約5倍。
思っていた以上に広い国で、6つの大きな島と1万7500あまりの島から成り立っています。

人口は約2.28億人(2008年)で、中国、インド、米国に次いで世界第4位の人口。
大半がマレ-系で、中国系は約3%。
総人口の約6割が、全国土面積の約7%に過ぎないジャワ島に集中しているそうです。

宗教はイスラム教88.6%、キリスト教8.8%、ヒンズ-教1.7%・・・
世界最大のイスラム人口を有しますが、特にイスラム教が国教と決められているわけでもないようです。



まだ夜が明けやらぬ4時50分に、スーさんがホテルのロビーに迎えにきました。
夜半から風雨ともに強く、空港に向かう道路は川のように水が溢れていました。
こんな早朝から、ドライバーさん共々ご苦労様です。

「ガイドの仕事があるから、病気の母親を田舎から呼んで家族も養っていけるのです。ありがたい事です」と・・・
それでも世界同時不況で、日本からの観光客は3割減だそうです。

朝ごはんはホテルが用意してくれたお弁当
空港の搭乗待合室で、パンとゆで卵と果物をパクつきました。
同じように、各ホテルのお弁当を食べている日本人観光客が十数組は居たでしょうか・・・

朝の6時過ぎ、ジャワ島の「ジョグジャカルタ」行きの小型飛行機に恐る恐る乗り込みました。
幸い風雨も収まりつつあり、少しホッとしましたが・・・

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民族衣装姿のスッチーさん、上原さくらちゃん似の大きな瞳が印象的でした。
腿の上まで切れ込んだスリットスカートに、殿方はクラクラきていることでしょう
マウスオン、近づいてきた眼下の学園都市「ジョグジャカルタ」の景色も合わせてご覧下さい。


一時間ちょっとで、ジャワ島の古都「ジョグジャカルタ」の空港に到着です。
バリ島の空港よりも更に小さいローカル空港でした。
空港のトイレが和式にそっくりで、ハテナ?ハテナ?状態になりました

私と同じようなトルコブルーのポロシャツを着た40がらみの女性ガイドさんが迎えてくれました。
「私のお父さんはアラブ人、お母さんは中国人、私はマルタ諸島出身で名前はエフィー」と自己紹介。
そして私の顔を覗き込んで「インドネシア語を話してもおかしくないよ」と・・・
そう、私も情熱的な瞳の持ち主なのだ

中高年の夫婦が2組と若い女性2人連れの計6名が、案内されてバンに乗り込み出発です
車中での自己紹介で、6人全員が神奈川県民であることが分り驚きました


「古都ジョグジャカルタは日本の京都と姉妹都市で、今では大学の町と言われています。そしてこの近くにはもう一つ、奈良と姉妹都市のソロという古都もあります。ブンガワン・ソロ♪という歌でも有名ですね」
「その歌なら知っているわ」と、中高年の二組が頷きます。

エフィーさんの説明を聞きながら、バリ島と同じようにたくさんのバイクが走る車窓の風景を眺めました。
所々に自転車レーンならぬバイクレーンがありました。

ジョグジャカルタ市内から車で1時間のところに、世界三大仏教遺跡で有名な「ボロブドゥール寺院」があります。
(ちなみに他の二つはカンボジアのアンコールワット、ミャンマーのバカン遺跡)

三方を3000m級の火山に囲まれ、二つの川が合流するケドゥー盆地の観光公園内に遺跡はあります。
流石に「世界文化遺産」の施設だけあり、入り口ではウエルカムドリンクが用意され、綺麗なトイレがありました。

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公園のガイドさんに案内され着いて行くと、珍しい木が・・・
「ハンカチの木」と日本語で教えてくれましたが、日本のとはだいぶ趣が違っていましたね。
マウスオンで全体の姿もご覧下さい

そしていよいよ、密林の中に長い間埋もれていたという神秘の「仏教遺跡」が姿を現しました


紀元760~850年の間の建立と断定されたそうですが、誰が?、何故?、どのようにして建立したのか?
依然としてナゾのままだとか

シャイレンドラ朝のサマラトゥンガ王建立説が有力ではあるようですが・・・
政変により10世紀の初めに密林に葬られると、以後約1000年にわたって火山灰に覆われていたそうです。


1814年に英国のラッフルズ提督により発見され、一部が発掘されたそうです。
そしてユネスコで救済動議が採択され、1973年から大修理作業が始まり83年に竣工・・・
その後「世界文化遺産」に登録されました。
このマークが二ネスコの世界遺産のマークですね。


丘に盛り土をして、5万5000個もの安山岩を積んで建造された世界最大の仏教遺跡「ボロブドゥール寺院」
それは仏塔か?曼陀羅か?
胸の高鳴りを感じながら階段を登りました。

               
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バリの休日・「ケチャックダンス」鑑賞

2009年03月06日 | バリ島紀行

バリ島2日目最後の観光は「ケチャックダンス」(ケチャダンスともいいます)鑑賞でした。
猿に扮した約100人の男性による「チャッ、チャッ、チャッ」という掛け合いの入る大合唱の中で物語が進行します。
楽器はいっさい使いません。

「サンヒャン」というトランスダンスが原型のこの踊りは、1930年代にインドの古代神話「ラーマヤナ物語」を取り入れて現在の舞台劇になったそうです。


こちらの舞踊は「ラーマヤナ」の舞台劇の一場面ですが・・・
このあとに、童女2人が踊る伝統的な「サンヒャン・ドゥダリダンス」が披露されました。
サンヒャンは、疫病が蔓延したときなどに、初潮前の童女を媒体にして祖先の霊を招き、加護と助言を求めるものであったそうです。
サンヒャンとは神聖という意味で、ドゥダリとは天使という意味で、村人の健康と幸せを守るための神聖な儀式の踊りとか・・・


もう一つの「サンヒャン・ジャランダンス」はトランス状態に入った少年が、ジャランと呼ばれる馬の模型にまたがって、燃え上がる椰子の塊の中で踊るダンスです。
実際にこの舞台でも、男性が炎の上で踊りました


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最後は踊り子さんたちを囲んで、観光客が一緒に写真を撮る事ができます。
マウスオン・クリックでご覧下さい



ここで遅まきながら「バリ島」についての説明です。
「バリ島」は34州からなるインドネシア共和国の1州にあたり、州都はデンバサール。
面積は東京都のおよそ二倍半・・・
クタ・サヌール・ヌサドゥアなどの有名リゾート地は、南部に集中しています。

島民の約85%がバリヒンズー教徒で、イスラム教徒の多いインドネシアにあっては特異な文化を受けついでいます。
共通語はインドネシア語ですが、バリ人同士の会話はバリ語が主だそうです、

上の地図のピンクのラインが、バリ二日目に廻った所
今回6日間滞在したホテルは一番下の「Nusa Dua」地区にあります。

この日は、朝の8時半から夜の九時過ぎまでの中味の濃い観光を堪能しました。



さて私たちは、ケチャック・ダンス鑑賞の前に、サヌール地区にある「バリ・ハイアット・ホテル」で夕食を楽しみました。これも観光コースに入っているのです。

サヌールは波穏やかな海と朝日が魅力の、1930年代から欧米人に好まれた歴史ある保養地です。
静かな休暇を好む欧米のバカンス客が多く、落ち着いた空気が流れていて・・・
目抜き通りにはお洒落なレストランやお店が並んでいました。


そんなサヌールに、いち早く建った欧米資本のホテルが「バリ・ハイアット」
5階以上は建てられないという規制が出来る前にできた古いホテルでした(このフロントの画像はお借りしました)

我々が泊まっているホテルとは同系列なので、両ホテルの間にシャトルバスが行き来しているようでした。
次回来る事があったら、街に近いこちらに泊まりたいなぁ~


ここでも、心安らぐ「ガムラン音楽」の生演奏が出迎えてくれました。

この日の夕食はこのホテルのレストランでのシーフード料理
マウスオン・クリックでご覧下さい

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最初にスープと一緒にエビセンが出てきました
前夜に食べた「焼き飯」にも乗っていましたので、ここの名物なんでしょうね。
メーンディッシュは「ロブスター」とインド洋産のタイ・・・

ビールで乾杯したあとに、白ワインを頼みました
この日のディナーは延び延びになっていた私の誕生日祝いも兼ねました。
実は・・・
午前中に寄った「銀細工のお店」で意外な展開となり、思いがけなく誕生プレゼントが手に入りました。それも2つもです


私は日本で「宝石店」に行く事は滅多にありませんが、海外ではその国の特産のアクセサリーを記念によく買います。

イタリアでは「カメオ」のブローチ、タイでは「ブルーサファイア」の指輪、ロシアではエカテリーナ宮殿の「琥珀」のブローチ等など
私のアクセサリーボックスには、旅の思い出がつまっています。

今回はスーさんに案内されたインドネシア特産の「銀製品」のお店で、普段着のTシャツやセーターにも合いそうな、ラピスラズリやアクアマリンなどの石を散りばめたペンダント(左側)を見つけて買う気になりました。
値札は120$
「JTBのお客様は15%引き」と聞いていたし、円高なので計算すると1万円を切りそうな値段です。

お店の売り子さんは拙い日本語で、私の誕生石の右側のペンダントを勧めます。倍の値段でした。
きっぱりと「ガーネットは色々持っているから要らない!」と答えると、横から主人が口を出し、あれやこれやと店員さんと交渉し・・・
この右側のペンダントを買うと左側のペンダントがタダになるという結果となりました。
「はぁ~
「俺からの誕生プレゼントだ。使わなければ嫁さんやFさん(義妹)にあげれば良いじゃないか」と・・・

帰国後、息子夫婦から届いた誕生プレゼントもネックレスだったので、私思いがけずアクセサリー大臣になりました
家族のみんな、ありがとうね~


ふと目の前の夫を見ると、シャツの下に着ているヨレヨレのTシャツがまる見えでした。
八ヶ岳の「青年小屋」で買った、古いロゴ入りの山用のTシャツです。
「では明後日のディナーでは少し早いけど、貴方の誕生日を祝いましょう。プレゼントはバリ島のTシャツ、今着ているのがひどすぎるもの」

「ケチャックダンス」が終り、スーさんとドライバーさんに送られて、9時過ぎにヌサドゥア地区のホテルに戻りました。
「明日はジャワ島に飛行機で飛び、二つの世界遺産見学です。朝の4時50分にロビーにお迎えに行きますので、今夜は早めに寝てください」
スーさんにそういわれた私たち・・・
ホテルの部屋に戻りジャグジー付のお風呂に入ったら、その後はすぐにバタンキューでした

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バリの休日・「ティルタ・エンプル寺院」その2

2009年02月28日 | バリ島紀行

私たちは黄色の腰帯をウエストに巻いてから、「割り門」をかたどった塔を見上げ、その脇から神聖なる領域に入りました。


ガイドブックによると、バリ・ヒンズー教の最高神は「サンヒャン・ウィディ・ワサ」
そしてインドのヒンズー教とも共通する三大神、シバ神(その象徴は風・白)、プラフマ神(火・赤)、ヴィシュヌ神(水・黒)がその現れの一つだそうです。

こうして三つ並ぶ祠が、それらの神様の居場所なんでしょうか・・・

そしてこの「ティルタ・エンプル寺院」の中心は「プヌンガン・トプサナ神殿」でした。


こちらがまさにその神聖なる神殿のようです
神々は、常に寺院に祀られているわけではなく、寺院祭礼(オダラン)にのみ天界から寺院に降臨するとされていて・・・
その時のために、寺院には神の座所となる祠や祭壇が建っているのでした。


反対方面から写してみました。
本堂にご本尊が祭られている日本の寺院とは趣が全然違います。

バリの宗教は建物より、お祈りの空間が重要なのではないかと感じさせられました。
ヒンズー教は、天界、人間界、地界の三界に別れていると言われます。
天界、地界とをダイレクトに交感するためには、屋根があってはいけないのでしょう・・・


私は、聖域に手を合わせ、旅の安全を祈願し、写真を撮ることのお許しを請いました。


高僧が祈る場所だけ屋根がついています。同じ目線でカメラを写しました。
正面に見えている石像は、こちらにお越しになる神様のお姿なのでしょうか?

雨期の季節らしくて「傘」が置いてある風景が、如何にも「人間界」を現していますね。


この寺院の象徴「聖水」は今でも「プヌンガン・トゥプサナ神殿側」から、砂や小石を巻き上げながらコンコンと湧き出しています。

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「ここには主のような大ナマズがいます」とスーさんが説明してくれたすぐあとに、ナント黒い影が動きました

マウスオンでご覧下さい
主人が慌てて撮った写真には、1m位の、大ナマズというよりは大ウナギのような「主」が見事に写っていました。


この聖水の一段下が「沐浴場」・・・
そしてその先にはたくさんの鯉が泳いでいました。


寺院の出口からはお土産屋さんがズラリと並んでいました。
「みんな三枚千円よ」とたどたどしい日本語が飛び交います。
女同士で来れば冷やかしながら覗くのですが、スーさんと主人はスタスタと急ぎ足
もっともさして買いたい品物があるわけではなく、買ったら後悔するに違いありませんが・・・

世界同時不況の影響で観光客が激減し、お店の方々も暇そうでした。

「絵画や木彫りを作っている所を見たいですか?」
車に乗り込むとスーさんが聞いてきました。
午前中棚田を見たので、午後行く予定だったゾウの洞窟を意味する寺院遺跡「ゴア・ガジャ」見物をカットし、時間が少し空いたようです。

「ボクの趣味は版画だけど、あの精巧な木彫りをどのような道具を使って彫るのか見てみたい!」と主人が返事をし、急遽行く事になりました。

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超高級な作品ばかりを扱っている、立派なお店でした。
マウスオン・クリックでその店構えをご覧下さい
庶民派の私たちは入り口を見ただけで怖気ついてしまいます(笑い)

「買わなくて良いですよ~、作っている所を見たいだけとお店には言ってあります」とスーさん。
「ホッ


紫檀や黒檀、白檀などで作られた品物が並ぶ店内を通り抜けて外に出ると、中庭に面したオープンな作業場で、匠たちは作品創りに取り掛かっていました。

中庭にはお花も咲いていて・・・
私はそちらにも興味が惹かれます。

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マウスオンでご覧下さい
バリ島ではランの花を木に寄生させて咲かせる方法が多く見られます。
ここでもそうでした。

日本では鎌倉のお寺のお庭などで見られる、古木に着生した「セッコク」がこれと似ていますね。


一本の木を彫っている匠の動きにずっと見入っていた主人は「こんな簡単な道具だけで彫り上げているんだ」と驚嘆していました。

                                

今週は関東では珍しく冬の冷たい雨が続きましたね
昨日などは雪まで混じりました。
地域のお祭が終りホッとしたのもつかの間、その後片付けが山のようにあり、体力的には厳しい二週間が続きました。
もうヘロヘロです。

その上、PCの調子が悪くて中々ブログも更新できませんでした。
皆様の所にもお伺いできずに失礼しています。

主人の友人のお助けマンに来てもらい、外付けのハードディスクを取り付け、画像ファイルの整理をしたら大分PCが軽くなり、変な警告も出なくなりました。

さぁ~!今日で仕事も一段落・・・
6日ぶりに太陽も顔を出しました
明日は菜々ちゃんの「初節句」のお祝いに行ってきます。



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バリの休日・「ティルタ・エンプル寺院」その1

2009年02月23日 | バリ島紀行
今日は朝から冷たい雨の一日でした
この土日は私がスタッフとして働いている公の施設のお祭で・・・
先週は会場を盛り上げるための準備にいそしみ、当日の2日間は地元の人々が楽しめるようにとフルに動き回りました。
そんな訳で、コメントのお返事が遅れて申し訳ございませんでした。

流石に今日は疲れ果て、家でTVのアカデミーショー授賞式の模様などをツラツラと眺めて過ごしました。
日本映画の2部門受賞
大健闘ですね。



横浜市には、地域の人々が文化活動やスポーツ活動を通して交流が図れる場としての施設が、全域に80箇所ちかくあります。

私がスタッフとして働いている地区センターには、体育館や図書室、大小の会議室に茶道や踊りが出来る和室が二部屋、それに料理室、キッズルームと揃っていて、地域の方々の活動の場としてたくさんの人々に利用されています。

昨日一昨日のお祭は年に一回の発表の場でもあり、模擬店も出て、それはそれはにぎやかに開催されました。

私たちスタッフは受付やロビーをはじめ、舞台や食堂、コーヒーコーナーをセッティングし、看板を作り、切り絵やお花、風船などで飾り立てました。

都会の新興地では、これが現代のお祭なのかもしれませんね。
大人も子供も派手な衣装に身を包み、舞台で揃って踊るフィナーレの華やかなフラダンスを撮影しながら(私の担当は受付とカメラ撮影)、そう強く感じました。

                   
 
バリではデサ(村)を更に分けたバンジャールという共同体があるそうです。
冠婚葬祭は助け合い、ガムラン音楽や踊りの練習を共にして・・・
地域社会を重んじるバリの生活基盤になっているとか。
そして島の生活は、バリ・ヒンズー教が深く関わっていて、人々は祭礼に明け、祭礼に暮れる日々のようでした。

村の中心部を走っているときスーさんが、「集会所に集まって話し合いをしてますね。日本で言えば青年団のような集まりです」
車の中でそんな説明を聞きながら、食後はタンパシリンの北のはずれにある、聖なる泉の湧く寺院で有名な「ティルタ・エンプル」に行きました。


車から降りたとたん、立派な「貴公子」が出迎えてくれました
初めて訪れるヒンズー教寺院に興味がわいてきます。
スーさんに、守らなくてはならないオキテを聞いたところ「生理中の女性は不浄なので入れない」との事でした。


寺院の周りには「ガジュマル」の大木があちこちに見られます。
そして、この大きな実は「ナンカー」というジャケット・フルーツで、大きな物になると20kgもあるそうです。


さぁ~いよいよ「割門」をくぐります。
このお寺はバリ島内の大きな寺院六つの内の一つに数えられるとか・・・

伝説によると、魔王マヤ・ダナワと戦ったインドラ神が、大地を杖で叩き不老不死の水を湧き出させた場所とされているそうです。


中に入ると、広場のようになっていて、右手に休憩場のような建物がありました。
ここはジャバ・シシ(外の広場)といい、村人の集会所でもあり、闘鶏場でもあり、ガムランの演奏場所でもあり、オダラン(寺院の建立祭)のお祭会場でもあるという。

この写真は主人が撮ったもの・・・
赤い麦藁帽子姿の私も写っています。


左側には何やら立派な塔が建っていました。

ガイドブックによると「バリ・ヒンズー教の神様は山の頂に住まう」らしい・・・
そして海には魔物が住むという・・・
寺院でも神聖な領域は山側にあり、門は海側に建っているそうです。


二つ目の「割れ門」チャンディー・ブンタールが見えています。
扉を開けてここをくぐって行くと・・・

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そこは聖なる泉をひいた「沐浴場」でした
ヒンズー教徒の多いインドでは「ガンジス川の沐浴」が有名ですが・・・
マウスオンでご覧下さい

泉が発見されたのは962年と言われ、この寺院の古い歴史を感じ取る事が出来ました。


さて、ここから先は神々が降りてくる最も神聖なる領域に入ります。
スレンダンという腰帯を巻かなければいけません。
短パンやミニスカートの人は、肌を隠すためのサルンも巻きます。


すぐ横の丘の上に、スカルノ元大統領が建てた瀟洒な別荘がありました。
あの○○夫人も来たようです。

今では政府のゲストハウスだそうですが・・・
聖なる場所を見下ろす所に建っていて、神様の怒りに触れないのでしょうか?
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バリの休日・キンタマーニ高原

2009年02月21日 | バリ島紀行

午後1時過ぎにようやく「パトゥール山」がよく見えるキンタマーニ高原・ペネロカンの展望レストランに到着しました。

巨大なクレーターをもつパトゥール山(標高1717m)は、1917年と1926年に大噴火したそうです。
手前に黒々とした溶岩流の痕跡が見えますね。

ブログ仲間の「山小屋さん」のお話では、この山は5時間で登れるらしい・・・
ガイドブックを読むと、ここの頂上で見る「日の出」が特にお勧めとか
でも「乾期にガイド付きで行く事!」と書かれていました。
過去に遭難騒ぎを起こした日本人とか、有毒ガスで死亡したドイツ人がいるそうです


こちらがパトゥール山を正面に、湖を眼下に見下ろす展望レストラン&ホテル「レイクビュー」の入り口です。


バリ島の音楽と言えば心癒される「ガムラン音楽」が有名です。
多くのホテルやレストランで、おじさんたちが奏でる鉄琴などの生演奏が出迎えてくれました♪♪


外輪山の崖の上に建つレストランからは、バリの水源「バトゥール湖」を中心に、西に「バトゥール山」、東に「アバン山」(標高2153m)がそびえる大パノラマが楽しめました。
雲が多くてちょっと残念!


パトゥール山の噴火でできたこのカルデラ湖は周囲約11km、透明度が抜群だそうです。
湖畔から仰ぐ「パトゥール山」はさぞかし凄い迫力でしょう・・・
時間があれば下の湖まで降りてみたかった!
(上の写真の横に並べて貼りたい所ですが、技術が伴いませんでした


ここでのランチは、インドネシア料理のビュッフェです
野菜と肉の炒め煮が多い感じで、「ナシ・ゴレン」(焼き飯)と「ミ・ゴレン」(焼きソバ)はどこでも定番のお料理でした。


前の晩にホテルのレストランで焼き飯を食べたので、今度は焼きソバをいただきました。
柔らかめの麺で、昔食べたインスタント焼きソバ「UFO]の麺に似ている感じでした。

焼き鳥好きの主人がスパイシーな串焼きを10本くらい持ってきたので、それも一本いただき~
朝もホテルでビュッフェだったし、これだけ食べれば太るわねぇ~
ビールはどこでも星のマークのビンタン
スッキリとした喉越しの美味しいビールでした。


欧米人(主にオージー?)が六割、日本人が三割、中国人が1割くらいの比率でしたが、何故か、欧米人は外のデッキがお好きなようです。
日本人は「突然雨が降ってくるかも・・・」なんて心配するから、我々も含めてほとんどの人が室内でのお食事でした。


そしていつも思うのですが、白人女性のリゾートウェアーは実に開放的ですね
特にこの方のスタイルには目を見張りました

この日の私は「海ではなく、高原に行くのだから」と、インディゴブルーのジーンズにボーダー柄のポロシャツ姿です。
これだけではちょっと味気ないので、ハワイで買った真っ赤な麦藁帽子をかぶり、珊瑚のイヤリングをぶら下げましたが・・・
いくらあがいても、スタイルの良い白人女性の大胆さに、小柄な日本のオバサンは到底敵いませんわ

バリ島のイメージは「海辺のリゾート」が圧倒的に強いのですが、田んぼや渓谷、そしてこのような高原の風景も楽しめるとは、一粒で二度美味しいグリコみたいな島でした。
いえいえ、更にオリエンタルな雰囲気のヒンズー教のお寺見物も趣があって・・・
「バリ島」は3つの顔が楽しめる面白いところでした。


コメント (27)
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