花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

ドライブ旅行2・思い出の「清里」&「軽井沢」

2010年08月31日 | 旅日記
明日から9月だというのに、相変らずの酷暑が続いています。
東京地方は昨夜でついに48日の熱帯という新記録となったようですね。

昨夜は蒸し暑くて風もなく、私の部屋のクーラーは壊れたままなのでほとんどリビングで寝ました
ふぅぅ~

清里「清泉寮」


さて、私たちの行き当たりバッタリのドライブ旅行の続きです。

清里の「道の駅」で昼食を終えた時、主人が「温泉に入りたい」と言い出しました。

「この暑いのにとも思いましたが、
彼はずっと仕事がたて込んでいて、筋肉がパンパンに張っていたようです。

「清里と言えば清泉寮のソフトクリームが懐かしいわ。温泉に入ってから食べに行こう」


八ヶ岳の麓にはアチコチに豊富な温泉が湧き出しています

私たちはアクアリゾート清里「天女の湯」で汗を流してから
赤い屋根の「清泉寮」に向いました。

高原のリゾート地としてお馴染みの「清里」ですが、
軽井沢のように最初からリゾート地として開発された所ではありません。

昭和初期、小河内ダムの建設により半ば強制的に移住させられた丹波山、小菅村の人々が
大変な苦労の末開拓した場所なのです。


そしてもう一人「清里開拓の父」と呼ばれたポール・ラッシュ博士の存在があります。

博士は、当時教鞭をとっていた立教大学を中心とした若い学生たちと道なき道を切り開き、
材木を運び、昭和13年に念願の「清泉寮」を創設しました。

そして戦後の厳しい中で「モデル農村」を築き上げたのです。


その初代清泉寮は昭和30年に焼失してしまいましたが、
大勢の支援者の善意により、2年後の昭和32年に再建されました。

清泉寮の前に立つポール・ラッシュ博士の銅像は、大好きだった富士山の方向を向いているそうです。

私が山梨出身の友人に連れられて初めて「清里」を訪ねたのは、22歳の時でした。

その後、バブル期になって清里の駅前はメリーゴーランドのようなケバケバしい町になり
すっかり変って失望し、足が遠のきましたが
こうして昔からある「清泉寮」を前にすると懐かしさでいっぱいになりますね。


温泉に入った後に食べた「ソフトクリーム」も、昔ながらのコクのある味で満足でした。

私にとっての「清里」は、牧場、清泉寮、美しの森、八ヶ岳の登山口・・・
駅前の変貌は見たくありませんでしたね。

「軽井沢」
今回の旅の宿は、いつもの軽井沢にある会員制ホテル「オーナーズ・ビラ」
前日に申し込みました。

清里から佐久経由で、3時半にはホテルに到着しました。
部屋でビールを飲んで一休み・・・
そして上げ膳据え膳のお食事です
主婦にはこれが一番嬉しいですね。

飲み物は地元長野県産のワイン「先付」はトウモロコシのすり流し
「前菜」は鯖寿司などバラエティー豊か上品な「お造り」です

「焼物」は黒毛和牛ロースと海の幸「冷し鉢」はトロロの信州そば
フカひれ姿煮の「焚合せ」「デザート」はクリーム&フルーツアンミツです

これだけ食べればお腹がいっぱいで、とてもご飯は入りません
食後はバタンキュー8時過ぎには眠りにつきました。

時々目覚めては枕元に置いた携帯電話をチェック
前回の箱根のように、母の急変を知らせる弟からの緊急連絡がないことを確認しました。


翌朝は旧軽沢の別荘地の中を、鳥のさえずりを聞きながら散歩しました。

今年の軽井沢は、連日30度を越す真夏日が続いているそうですが、
さすがに朝の唐松林は爽やかな風が吹き渡り、コンクリートの中の都会とは違う
気持ちの良い散歩が楽しめました


「憧れの軽井沢の別荘」はとても庶民の我家には手が届きません。
夢の叉夢です・・・

江戸時代は中山道・浅間の主要な宿場町のひとつとして栄えた軽井沢ですが
雑穀しか育たない痩せた土地であったため、明治時代に入り、宿場町としての機能が消失したとたん
寂れてしまいました。

そんな軽井沢を復興させたのは英国聖公会司祭アレキサンダー・C・ショーでした。

彼は明治19年にこの地に立ち寄った際、幼い時に過した故郷スコットランドに似た軽井沢の風情に感動し、
明治21年に現在の旧軽にある大塚山に最初の別荘となる建物を建てたのです。

ショーはその後、知り合いの宣教師、知識人、文化人にこの地の良さを宣伝し紹介しました。
今では日本で最も有名な避暑地として知られるようになりましたね。

私は会社務めを始めた20歳の夏から、もっぱら会社の保養所を利用しての軽井沢を楽しんでいました。
仕事仲間と、仕事と遊びを兼ねての軽井沢行きが毎年ありました。


今では旧軽井沢の緑の中に建つこの会員制ホテルで満足です。
何しろすべての家事から解放されますものね。

20年前に父が買い求めたもので、8年前から管理費など私が引き継いでいます。
去年手放すことも考えましたが、両親が元気だった頃、皆で軽井沢の夏を楽しんだ思い出も
たくさん残っているので、維持することにしました。

緑の中でコーヒーを飲みながらノンビリするのもよし・・・
テニスに興じるのもよし・・・

じっとしていられない私たち夫婦は、ハイキングに出かけることにして、
朝ごはんを済ませるとすぐに出発しました。


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ドライブ旅行1・明野の「ひまわり畑」

2010年08月27日 | 花シリーズ
マイパソコンがようやく復活しました。
データーも消えずに済んで、やはり専門業者にお任せして良かった

キィーボードが一部作動しなかったので、新しいのを取り付けて
完全に駄目になるまでだましだまし使うことにしました。

まずはせっせとバックアップに精を出さなくては・・・

明野「サンフラワーフェスタ・2010」


その後も我家の「壊れの連鎖」は続き、車のナビまでがおかしくなり、ディーラーに持っていったら
「バック画面用のカメラが壊れて、2~3日の入院修理が必要」との見積もりが出ました
マタマタ散財です

このままでは「私自身も壊れそう」と不安になり、気分転換のドライブ旅行に出かけました。

幸い父の「関節炎」も完治し、整形外科通いも一段落・・・
母も油断は出来ないものの、取り合えず落着いています。

主人の仕事の区切りが付いた24日、「それいけ~」と
まずは元気がもらえそうな「ひまわり畑」を目ざしました。

最初に向った先は山梨県北杜市明野。
ここでは8月31日まで「ひまわり祭り」が開催されています。


このビタミンカラーが夏らしくて好いですね

空気が澄んでいれば、目の前に「南アルプス」がドカンと見えるロケーションです。


メーンのひまわり畑はすでにお花が終わっていましたが、
明野温泉「太陽館」の廻りの畑はまだまだ見られました。
詳しい事はこちらをご覧下さい。

叉、すぐ近くにはフラワーセンター「ハイジの村」などがあり、ファミリーも楽しめるようでした。

<>

向日葵という字のとおり、みんな揃って太陽の方を向いています
ちょっと反抗している子もいるけど・・・
後姿も面白くて可愛くて、パチリと写しました。
マウスオンでご覧下さい


寄り添って咲いている姿は「姉妹」のようにも「ファミリー」のようにも見えました
この日も暑い日でしたが、バックの空がもっと青くて、雲が白かったらと残念でした。


主人のカメラではバッチリ青い空が写っているのですが・・・
性能の違いでしょうか

昔、ソフィアローレン主演の映画「ひまわり」を観た覚えがあります。
戦争で引き裂かれた夫婦の哀しい反戦映画でしたが、地平線にまで及ぶひまわり畑の
美しさと物悲しさが印象的でした。

それに引き換え明野のひまわりは、あくまでも平和で明るい中に咲いていました


道の駅「南きよさと」


前日に決めた行き当たりバッタリの二泊三日の「山梨&長野」ドライブ旅行
通りがかった道の駅で一休み

清里と言えば「高原野菜」の産地です。
ランチも地元の野菜タップリの「サラダ・ラーメン」をいただきました

<
マウスオン・クリックで三枚の農産物の画像をご覧下さい

珍しい野菜もたくさん並んでいましたが、まだまだ旅は始まったばかり
帰り道なら買ったのに・・・



この「道の駅」、もともとは「南八ヶ岳花の森公園」というフラワーパークです。

園内は、川沿いの施設(特産品販売施設、視聴覚室、レストラン、広場等)と、
山頂の施設(加工体験施設、わんぱく広場、軽食、農園、植物園等)のふたつのエリアからなっており、
それらを正面の山の斜面を登るリフトカー「こいのぼり号」(有料)で結んでいるのです。

ここもファミリーで来ると楽しめるようですね。
でも私たちは山頂には行かず、先を急ぎました。


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とことん、ツイていない夏!

2010年08月22日 | 私の呟き
この8月は猛暑と両親の病院に付き添っての忙しさで、
ゆっくりデッキでお茶をすることも出来ませんでしたが、
昨日久しぶりにデッキに出てみると、何やらかぐわしい香りが漂ってきました。
「月下美人」の花の香りのようです。

6月に、家の中から玄関横のデッキに出した「月下美人」
ナント三輪もの白いお花が咲き終わった姿で首をたれていました


(こちらの画像はネットよりお借りした、満開の月下美人の花です)

3年前に自彊術のお教室の仲間に「株分けしたから」といただいた
高さ30cm程度の月下美人の鉢。

我が家のリビングの出窓に置いたままにしていたら、脇芽がヒョロロ~ンと伸びて、
天井に届く高さになりました。
今年初めて外に出したら、早速お花を咲かせてくれたようですが・・・
私見損なってしまった!ガックリ
実は私、「月下美人」のお花を、まだ生で見たことが無いのです。


こちらが満開を見損なった、我が家の月下美人の残骸です。

月下美人といえば、ブログ仲間の紅さんが毎年ご自宅で咲かせたお花を素敵にUPしていますが、
もう一人思い出す女性がいます。

オーストラリアのパースで知り合った60代後半の「R子さん」
パースの借家に2鉢、私の背丈ほどの大きさの「月下美人」の鉢を持ってきてくれました。

タバコの煙をゆらしながら、問わず語りに話し出した彼女の半生・・・
「私は夫と離婚して、昭和40年代にスーツケース一つ抱えてこの街に来たのよ」

皿洗いから始まって、必死で働いて、その後日本に置いてきた息子さんを呼び寄せたとか。
今では食べていけるだけの年金もオーストラリア政府から支給されていて
「息子夫婦と一緒に民宿を経営し、もっぱら私は孫の子守よ」とのこと。

何でも下のお孫さんが自宅のプールに落ちて、命は助かったけど障害が残ったらしい・・・


キングスパークから望んだ「パース・中心街」

「月下美人」を見ていたら、異国で逞しく生きていた日本女性を思い出しました。
彼女は主人の知り合いの知り合いで、何かとパース生活の面倒を見てくれたのです。

ヘビースモーカーの彼女にいつも日本製のタバコのお土産を持って行きました。
そのお礼にと戴いた「月下美人」でしたが、我々はその年でパース行きをやめましたので
ついにパースで月下美人のお花を見ることは出来ませんでした。

パースの逞しい「月下美人」から見れば、いまだにヒョロリ~ンと貧弱ですが、
いただいて3年目で三輪ものお花を咲かせた我が家の月下美人
そしてそれを見逃した私、今夏はトコトンついていませんわ


      


ツイていないといえば、私の部屋のクーラーが壊れました
この時期、電気屋さんも来てくれなくて・・・
今年の夏の異常な暑さの中、私は熱中症の心配をしながらの睡眠です

そして今一番のショックは、マイパソコンが起動しなくなった事

富士通のアシスタントナビに電話して、いろいろやって見ましたがダメでした。
「初期化して、リカバリーしないと無理ですね」
「買った時に付いていた諸々のCDを揃えてから、連絡ください」
「二週間以内なら無料でナビします」

キャ~!、初期化と言うことは今までの保存がすべてぱぁ~
この暑くて忙しい中で、わけの分からないPC相手に「初期化」&「リカバリー」
考えただけでも頭が痛くなります

相談した周りの方々は「丸5年使ったXPならそろそろ替え時だよ。セブンを買ったら」と
気楽に言って下さいますが、決心が付きません。
「嗚呼!、どうしよう?」

と言うわけで、コメントなどは主人のPCからもできますが、
しばらくは画像のたくさん入ったブログの発信は不可能となりました。

このブログを見てくださっている友人たちへもお知らせです。
パソコンのメールも、仲間内で持っている「BBS」も見られません。
緊急連絡事項は「携帯メール」か直接の電話でお願いいたします

せっかく「エジプト紀行」に取り掛かる気力が湧きましたのに、
しばらくは私の「つぶやき」の記事にて失礼いたします。

エジプトの写真は幸いカメラのチップが残っているので無事ですが、
それにしても今年の夏は何もかもツイていませんわ




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エジプト紀行その13・アスワンの街

2010年08月17日 | エジプト紀行

旧盆も過ぎて、八月もはや後半ですね。
そろそろ朝晩の風に秋の気配が感じられる頃ですが、今年の夏の異常な暑さはまだほんの折り返し・・・
「日本は亜熱帯地方になったのか?」と思えるような猛暑が続いていますが
皆様、元気にこの夏を乗り越えましょうね。

青い空、青い海、爽やかな風を受けて疾走する白いヨット

上の画像は加山雄三の歌声が聞こえてきそうな(古い!)、眩しい真夏の「海」の風景ですが、
我家から近い「湘南の海」ではありません。

エジプト・アスワンの街

ナイルに浮ぶ帆掛け舟「ファルーカ」

1月末にご近所仲間と出かけた「エジプト旅行」
悠久の歴史に触れて驚嘆し、イスラームという異文化に触れて興味の尽きない旅となりました。

帰国してからすぐの父の発病、母の入院とバタバタしていて
ユックリ「エジプト」を振り返る暇もありませんでしたが・・・
海も山も行けない今年の夏は「花と緑を追いかけること」もできませんので
途切れたままになっている「エジプト紀行」を続けたいと思います。

※今まで綴った「ピラミッド」や「アブシンベル宮殿」の記事は、
このブログ画面左の「カテゴリー」の中の「エジプト紀行」をご覧下さい。



アブシンベルに一泊し、水没を免れた「ラムセス二世の大神殿」の昼、夜、早朝の日の出と堪能した私たちは
再び「砂漠街道」をひた走り、「アスワン」の街に戻ってきました。

アスワンから南のスーダンの国境のあたりをヌビア地方といい、そこに住む人々はヌビア人と呼ばれ、
彼らは肌の色が濃く、プライドを持って独特の文化を育んできており、人柄も穏やかな人が多いと言われています

「アスワン」の街は古代からエジプトの南の玄関口であり、
ヌビアの金や、さらに南の国から運ばれてきた香油、黒檀、象牙などが集まる街として栄えてきました。

マウスオン・クリックで3枚の画像をご覧下さい

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帆掛け舟を操作するのはヌビア人の彼でした。
風を読んで帆を操作した後、タンバリンを打ちながら歌い踊り出しました
我々も一緒に手拍子を合わせます。

ミュージシャン魂に火がついたのか、同じツァーに参加していた泉アキさんも楽しそうでした。
エジプトの旅も4日目、皆顔馴染みになってきて、貸切のファルーカの中は楽しい雰囲気であふれていました


エジプトの4日目の宿は、エレファント島に浮ぶホテル「モーベンビック・アスワン」です。
街を見学した後、ナイルを渡るファルーカに乗って向いました。

アスワンのスーク(市場)
旅の楽しみの一つに「お買い物」があります。
イタリアやフランスなら「ブランド品」のお店めぐりでしょうが、エジプトではスーク(市場)が楽しい
アスワンに到着して昼食を済ませた後はお買い物タイムでした。


アスワンのスークは細長い通りに店がぎっしり並んでいて、
生活雑貨を求める地元の人々に混じって多くの観光客も訪れます。

「スークでのお買い物にカードは使わないで下さい。エジプトポンドか米ドルのみです」
と添乗員さんの注意を受けてから、ガイドのモモちゃんに、値段の交渉の仕方を教えてもらいました。

「高い!高い!という言葉はガーリ!ガーリー!です」
「お店の人の言い値の半分から交渉してください」

香辛料を売るお店が目立ちます私たちはハイビスカス茶を買いました
色とりどりの胡椒にターメリックなど・・・民芸品も並びます

私たちは「ガーリ!ガーリ!」を連発しましたが、
観光客慣れした店側も手ごわくて、とても半額にはなりません

マグネットを選んでいると「2ダラー」という・・・
「1ダラー、プリーズ」と言っても「ノン」と言うのでお店を立ち去ると追いかけてくる・・・
そんな事の繰り返し、まさに心理戦のゲームですね

私たちは、ホテルのウェルカムドリンクでよく出る「ハイビスカスティー」を買いました。
乾燥した赤いハイビスカスの花びらのカルカデです。
エジプトでは、これを煮出して飲むポピュラーな飲み物で、どこでも買えるのですが
特にアスワンのものが有名のようです。

他にも「黒胡椒」「シナモン」など、この市場では10ドルくらい使いました。

サフランはそれなりに高価で100g1000円以上します。
「これは本物です。安物はトウモロコシのヒゲに色をつけたものだからね」と言って
まけてくれませんでした

「香水&香水瓶」のお店
1年中お花が咲き乱れる「アスワン」はアロマオイルの産地でもあります。
アスワンではスークの他に「香水店」にも立ち寄りました。

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マウスオンでご覧下さい

こちらはダイアナ元英皇太子妃の恋人、エジプト人のドディ・アルファイド氏の父親、
ロンドンの「ハローズ」の経営者で有名だったモハメド・アルファイド氏のお店だそうです。

今でこそ、エジプトの主要産業は「観光」ですが、その昔は香水と綿花が主要産業でした。
特に香水の原料となる花の産地として有名です。

まず最初に香水ビンの作り方の実演がありました。

香水瓶つくりの実演が始まりますあっと言う間に出来上がり!

エジプトの香水はアルコールの入らないエッセンス(油)のみの原液。
フランスの有名香水店の香水もこのアスワン産が使われているそうです。

数種類の香りが披露されました。
私は「オーデコロン」は時々使いますが、香水はほとんど使いません。

その代わり、可愛い「香水瓶」を買いました。
自分用に買った香水瓶、実物大です♪息子宅にはラクダの形の香水瓶♪

ラクダの瓶には「アスワンの砂漠の砂」を入れてお土産としました。
両方とも20ドル弱のお値段でしたが・・・
お店の若い女の子の凄まじい売込みにはタジタジとなりました

このお店では無料で「トイレ」の利用ができましたが、
近くにいた女性の店員さん数人から「ジャパニーズ・ティッシュ」をねだられました。

私は郵便局で年賀状を買った時にもらったポケットティッシュを配りましたよ。
「日本製のティッシュペーパー」は世界一滑らかでビロードのような肌触り・・・
彼女たちもよ~くご存知でした。



母は退院3日目で再び血圧が下がり意識不明の状態で、病院の救急外来に運び込まれましたが
幸い点滴で意識が戻り、入院せずに済みました。
今のところ辛うじて食事も口からとれている様で、落着いています。

ところが今度は父が「変形性手関節症」とかで発熱し、手首の関節が腫れあがりました

週に何度も突然の呼び出しで、両親の病院に付き添い、流石に私も暑い中ヘロヘロですが・・・
倒れることもなく元気でおりますので、ご心配いただいている友人やブログ仲間の皆様もご安心ください。

とは言え、歯に疲れのしわ寄せが来て、またまた歯医者通いですが
いろいろご心配いただきありがとうございました


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「盛夏」・我家の花々を見ながら思うこと・・・

2010年08月12日 | 日常の日記

毎年、真夏の到来と共に咲き出す我家の「ハイビスカス」が、遅まきながらようやく咲きました

今年は4月が寒かったり、梅雨が遅れたわりには早くから猛暑が続き、ハイビスカスも混乱を起こしたのでしょう。

夏はやっぱりこの真っ赤なお花を見なくては始りません。
何しろ結婚当初からあったハイビスカス・・・
息子の歳よりも古くて、接木などで命を長らえてきた年代物なのですから・・・


「ド根性フヨウ」も咲き出しました。

毎年、夏の終わりにUPしている我が家の「ド根性フヨウ」
今年も駐車場脇のコンクリートの隙間から枝を伸ばし、健気に咲き出しました

デッキを作るために掘り起こした「フヨウ」が、下の道路の隙間にタネを落として子孫を残したのです。


こちらも毎年UPしている我家の「ムクゲ」
植えた覚えもないのに庭に根を張りお花を咲かせています。

お隣の庭のムクゲとお花の色が同じですから、多分そこからタネが飛んできて、
我家の庭に実生で芽を出して、お花を付けるまでに成長しました。

これらの逞しいお花達に元気をもらっている私ですが・・・
頭がクラクラとしていて、低血圧気味です(上が100に届きません)

最近眠くて眠くて、何をする気にもなれず気合が入らないのです。

一昨日、母が退院しました。
地域の機関病院での入院は3週間が限度のようで、母は完治したわけではありませんが
施設側が尿道にバルーン(管)を入れたままの状態での母を受け入れてくれたので
取りあえずは父の居る施設に戻っての様子見です。

いつ叉病院に舞い戻るか?
ハラハラしていますが、やっと毎日の昼食の介護と洗濯物がなくなり、
私もホッとすると同時にドッと疲れが出てしまいました


畑に出てみると、草がぼうぼうで酷いことになっていました
そんな中で、オクラの花が可憐に咲いています。

お花の感じが何となくフヨウに似ていますね。

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収穫物だけ採って、雑草は見て見ぬふり

怠け病にかかったような自分にカツを入れ、暑い中外で働いている夫のために食事を作らねば・・・

今日のお昼はゴーヤチャンプルー冷たい素麺です。
採ってきたばかりの、アオジソ&ミョウガの薬味をタップリと利かせましょう。

マウスオンでご覧下さい
冷やしたトマトサラダにも玉ねぎ、青ジソ、ミョウガを山のように乗せました。

      

連日バタバタと、お昼近くになると母の入院している病院に駆けつけ、昼食の介護をしていましたが
施設ではスタッフさんが時間をかけてちゃんと食べさせてくれます。

私はノンビリソファーに寄りかかり、TVを見て過ごす時間ができました。


スイスの氷河特急の脱線事故もまだ記憶に新しいというのに、またまたツァーでの事故が起きましたね。

今度はアメリカのユタ州での小型バス横転事故
日本人3人が死亡し、12人が重軽傷を負ったようです

6月のエジプト砂漠街道のバス横転事故と、7月のスイス氷河特急の脱線事故は、
私自身もそれと同じ様なツァーの参加経験があるだけに、他人事とは思えず、
ニュースなども注意深く追っていました。
(エジプトの事故に関しては、詳しい情報はほとんどありませんでしたが・・・)


私が乗った10年前の「氷河特急」は、ごく普通の電車でした。

TBS系の「報道特集」では、パックツァーで海外での事故にあった場合の保証として
旅行傷害保険の「180日の壁」を強調していました。

事故による大怪我は、皮膚移植など何年にもわたっての治療が必要となり、
保険で決められている180日の保障期間内では完治しない場合が多いそうです。

テレビ朝日系の「スクランブル」では「2500万円の壁」を特集していました。
国土交通省が決めた約款では、パック旅行の特別保障は2500万円が限度だそうです。

海外で骨折や病気などで入院し、医師の付き添いで搬送された場合、1000万円や2000万円は
ごく当たり前にかかるとか
手術が必要な大怪我などは、2500万円では当然足が出るようです。

そのような場合の治療費の保障は、旅行を企画遂行した日本の旅行会社には責任がなく、
「事故を起こした現地の会社が負おうもの」として
個人が各自で現地の事故を起こした会社と交渉しなくてはならないそうです
そんなのありですか、個人でそんなことが出来るとも思えません

TVのインタビューでは、どの旅行社も「我々も被害者なのです」という弁明に終始していました

イギリスやフランスなどでは、旅行会社が全額保障する制度が一般的だそうですが
その分、旅行代金が高くなるのは必至。
安売り競争をしている日本の旅行社は残念ながら、ぶ厚い保障はしてくれないようです。


私は今年の3月で切れていた「山岳保険」の申し込みを今頃になってしています。

山での遭難や落石などで、他人様に迷惑をかけたときの費用は多大なものになります。
救助のヘリコプターも地域によっては10分で40万円と聞いています。
自分の身は自分で守らなければなりません。

完璧ではないものの、入っていないよりはマシと毎年手続きしていましたが
今年は両親の病気のことで、春先からバタバタしていて忘れてしまいました。
もっとも、当分山には行けない状況なのですが・・・

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玄関先の水盤の中で「ホテイソウ」が咲きだしました。
マウスオンでご覧下さい

今日は父の三ヶ月に一度の「検診の日」でした。
幸いガンの腫瘍マーカーも下がり、注射と薬が効いているようです

母も完治は無理としても「安定した日々がきっと来る」と祈るような気持ちで、
私は心地よい水音を聞きながら、涼しげな色の「ホテイソウ」を、ぼぉ~っと眺めていました。



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みなとみらい21で「花火見物」

2010年08月08日 | 我が街・横浜

この週末も日本全国あちこちで、夏の夜空を彩る「花火大会」が行われたことでしょう。

さきほどまで、ズトン!ズトン!という音が我家にも響いてきましたが、
午後10時を過ぎた頃からは激しい雨音に変りました

浴衣姿の若い娘さん達は濡れないで済んだでしょうか?

私は先週、創業120周年記念「第25回神奈川新聞・花火大会」に行ってきました。
この花火大会は毎年8月1日に横浜港で打ち上げられるのです。


6月に主人が「久しぶりに花火を見に行こう!」と新聞販売店に電話して、
一人6000円の桟敷席を予約しました。

今年はみなとみらい地区臨港パーク内の特別招待席で鑑賞です。
正面左手には「ベイブリッジ」が見えました。

冷えたビール2本とアンパンマンの袋に入ったおツマミ付き
18時前に行った私たちは、デパ地下で買ったお弁当を食べながら
19時15分から始まる打ち上げを待ちました。


日曜日と好天が重なって、過去最高の31万人(新聞報道)が見つめる中、
約8千発の花火が真夏の夜空に舞い上がりました。

色とりどりの光の競演に、会場内の家族連れや浴衣姿の若いカップルから拍手と歓声が・・・
「たまや~」と掛け声を上げる子供たちもいましたね

間近かで見る花火は音が命!。
ビル群に囲まれた反響音はずっしりとカラダに響きました。

それにしても背後の高層マンションから見る眺めは最高だろうなぁ~


この神奈川新聞の花火大会は意外にも首都圏で一番大きな「20号玉(2尺玉)」が打ち上げられるのです。
流石に迫力がありますね。

前日に行われた伝統ある隅田川花火大会は「川幅(約140m)を超えてはならない」
と言う規制があるため、4号玉までしか上げられないそうです。

ちなみに世界最大の大きさの花火は40号玉(4尺玉)で、
新潟県小千谷市の片貝まつりで打ち上げられるとか


フィナーレのスターマインの120連発も見事でした

私にとっては初めての「花火撮影」ですが、あの迫力がうまく出せなくてとても残念です


みなとみらい地区は人で埋めつくされていましたが、流石に有料の見物場所はゆとりがあり
端っこに三脚を立てることが出来ました。
でも、肝心のカメラの技術が伴いません

ドロナワ式で読んだ「デジカメ一眼レフを30日でマスターする」という本では、花火の写し方として
★絞りはF11かF8、★シャッターはバブル、★ISO感度100、★ホワイトバランスは太陽光
とマニュアルで指定し、その上黒いウチワを用意してレンズを覆うと書かれています。
「何のコッチャ~、意味が分りませ~ん」

< < < < <

結局オートフォーカスで、TVのシャッター速度優先で・・・
花火の色と明るさによって3秒から20秒までいろいろ変えて撮りました。

辛うじて見られる画像だけをnon_nonさんのソースをお借りしてまとめましたのでご覧下さい


「この席ならトイレも付いているし、来年は息子一家を招待しても良さそうだな~」と
主人は呟いていましたが、花火の終わった後の、駅までの大混雑は凄まじいものがありました。

明石駅の歩道橋・圧死事故も小さな子供が犠牲になったことだし、
私はすぐにウンとは答えられませんでした。

私の花火の思い出は、子供の頃、夏休みに何回か遊びに行った佐渡の真野湾の花火です。
伯母家族と一緒に砂浜にノンビリ寝転がって、眺めたものでした。

それがこの横浜の地に住むようになり、
鎌倉や逗子の海岸で打ち上げられる花火を見に行く機会がありましたが
その人出の多さに驚き、早くからの場所取りに疲れて、近年は足が遠のきました。

久しぶりに間近で見た花火、夏に相応しいイベントで楽しめましたが、
やはり、暑さと人混みに疲れ果てました。

        

ところで昨夜(土)、映画「釼岳・点の記」がTVで放映されましたね。
私は去年、映画館でこの映画を観てその映像美に感激し、実際の釼岳が見たくなり
山仲間と「立山」に行きました。

映画を観ていなかった主人に付き合って、今回TVも観ましたが・・・
立山周辺の四季折々の自然の風景などが大幅にカットされ、
後半は15分ごとのCMが入って集中できず散々でした


やはりあの雄大な山岳美を堪能するには、映画館で観るべきと実感しましたね。

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つかの間のグルメと温泉三昧

2010年08月03日 | ドライブ
毎年、夏と冬に息子一家とお嫁ちゃんの両親と皆で一泊旅行を楽しんでいました。
その時の模様はこのブログでも何度か取り上げましたが・・・

去年の夏は息子が我が家近くに家を新築し、八月下旬が引越しで旅行どころではありませんでした。

そして今年の冬は息子一家は家族でグァム旅行、私はエジプト行きで忙しくて・・・
元旦に皆で息子宅に集まっただけでした。

今年の夏は久しぶりに孫の海水浴方々伊豆のホテルに集合との話しが二ヶ月前に決まり、
7月30日のその日を、我々も楽しみにしていました。

私たち夫婦は前日から休み、7月29日は箱根に宿を取っていたのです。

箱根・仙石原「CAFE & RESTAURANT LYS(リス)。

晴天の暑い日々が2週間以上も続いていたのに、この日はナント朝から雨模様でした
箱根は我が家から近くて1時間半で行けますから、午前中に母を見舞ってから、ノンビリと出発しました

お天気が悪ければ、旅のお楽しみはグルメと温泉しかありません。
最初に目ざしたのが仙石原の「箱根ラリック美術館」内にある「CAFE & RESTAURANT LYS(リス)」
LYSとはフランス語で「ユリ」のことだそうです。

そういえば、この時期の箱根はアチコチに白い「ヤマユリ」が咲いていました


美術館のまん前の第一駐車場に車を入れました。ここは有料です。
少し離れた第二駐車場ならレストラン利用者は無料のようですが、大粒の雨が降っていたので300円支払いました。

入り口で「美術館に行くのか?レストランに行くのか?」と聞かれます。
この4月から無料でレストランに直行できるようになったそうです


店内は箱根に相応しく、アダルトな雰囲気で落着いていました。
外の緑のシャワーが、庭に面した三方のガラス張りの窓から眩しいばかりに注がれます


メニューはお肉コースとお魚コースの他に、サンドイッチやランチプレートもあります。
私たちはお魚とお肉の両方が少しづつ乗っているプレート料理(1900円)を頼みました。

地元湘南の朝採れ新鮮野菜のサラダに、天然酵母(じゃがいも)で作った自家製パン。
これが柔らかくてモッチリしていてとても美味しかったです

添えられていた自家製のバターにはハーブが入っていて、爽やかな香りも楽しめました。


この日はシャケのフライにチキンの燻製が盛られていました

またドリンクはホットコーヒーかアイスブレンドティーの2種類から選び、お代わり自由。
いちいちお願いしなくても、カップが空になると必ず注ぎにきてくれました

従業員の皆さんのきびきびした動きも申し分なかったですね

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マウスオンでご覧下さい
店内は約100席。テラス席で約20席、思った以上に広いレストランです。

この日は本格的な雨でテラス席は開放されていませんでしたが、普段は人気のテラス席の方からうまるそうです。
次回は是非お天気の好い日に訪ねたいレストランでした。

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反対側の窓の向うには何故か?「オリエント急行」の車輌が見えています
本物だそうで、こちらは喫茶のみの営業だとか・・・

雨はますますひどくなり、希望していた「ガラスの森美術館」行きを諦めました。

ここの「ラリック美術館」はアール・ヌーヴォー様式を極めた宝飾作家の「ルネ・ラリック」の宝飾作品を、
日本最多数の規模で常設展示しています。

※このルネ・ラリックが「オリエント急行」の車体の窓を設計した関係で、ここにこうして車体があるそうです。

主人は宝飾品見学よりも断然「温泉」が希望です。

日帰り温泉「南甫園」

レストランで近くの温泉「せりざわ荘」を紹介してもらい行きましたが、この日(木)は生憎定休日・・・

しかたなく3~4年前の古い「るるぶ」を参考に行った所が「南甫園」(入浴料・1000円)
大涌谷から直接ひいている白濁の露天風呂が魅力でしたが、施設が古いのが難点でしたね。

これだけの立派な日本庭園があるのに、整備されていないのが何とも勿体無い
主人は「思わず自分で草を刈りたくなった」と・・・
でも涼しい雨の中の温泉は気持ちが良かったです

「宿」の夕食
この日の箱根の宿はいつもの会員制ホテル、ナント、我々だけの貸しきり状態でした。
露天風呂はないけど温泉と料理が自慢の宿です。

もう一度夕食前に宿のに入り、冷酒を飲みながらのお料理に舌鼓を打ちました。
満足満足

前菜とお造りと冷たい茶碗蒸しキンメと野菜の煮物&陶板焼きのステーキ
天ぷら鯵の南蛮あげサラダと冬瓜の葛煮

食事の後はカラオケルームを貸切、夫婦二人で声を張り上げて、日頃の憂さを晴らしました。

翌日は朝からカミナリがとどろく生憎のお天気です

せっかくの「箱根&伊豆」ドライブ旅行が雨とは、ナント運が悪いこと・・・
でも考えようによっては「ユックリ休め」という神様の思し召しと思うことにしました。

朝風呂から出てきたら弟からメールが届きました

「昨夜から母の血圧が低下して、この2日間が峠」との連絡が主治医から入ったとの事

私は全員集合のこの日の「伊豆・伊東温泉行き」を諦めて戻ることにしました

「今ば~ちゃんの病院に行って見舞ったけど、俺の事も分ったようで案外元気だった」
とのTELが息子からありました。

息子一家は我が家とは逆に、伊豆の次の日に箱根泊りを予定していたようで、
私が母の急変を告げ、伊豆のキャンセルを頼んだ時はまだ出発前で家にいたのです。

「それならお父さんだけでも連れて行って」と
途中で息子一家と落ち合い、主人は息子の車に同乗し孫達と一緒に伊豆へ向いました。

携帯電話が普及した今の世の中は、本当に便利ですね。

私は病院に駆けつけましたが、思いのほか母は元気でホッとしました。
これからもこのような騒ぎが何度か繰り返されるのでしょうね

その後毎日私は昼食時、弟夫婦が夕食時に病院に通い、必至で母の食事の面倒を見ています。
完食できて喜んだのもつかの間、今度は吐いたり熱を出したりと
母は一進一退を繰り返し、私はその度に一喜一憂しております。



コメント (18)
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