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“しなやかに、清々しく”

日常の出来事等を気ままに発信したい。

お盆休みに逗子に来るのが遅れてしまい・・・。

2025-08-17 10:41:37 | Weblog

会社は、8月13日から16日までお盆休みに入っていた。

今頃は、毎年はっきりと逗子に滞在していたが、今年は、新潟への疲れがたまっていたせいか、新宿でズルズルしていた。

家内曰く。「このお盆の時期に新宿に居るのは珍しいね」

私「15日の金曜日には出発しよう。18日には、逗子マンションの消防設備の点検があるから・・・」と言いながら、15日は、隣の木が大きくなって手に負えなくなってきていることに気を奪われてしまい、・・・。

 車庫でシートを敷いて、仕事を始めだし、隣の木を無断で拳4つの内3つを切りはじめた。

 これら3つの拳から先の枝を細かくビニール袋に整理するのに2時間30分かかってしまった。

 もう、逗子に行くどころではない。シャワーを浴びて、ベットへ。

 お墓参りのお花もママが朝、買いに行ってきた。

 土曜日、今度こそ、出発の予定 と朝早く目を覚めてしまい、7時前にはワンちゃんの散歩も終えるほど張り切っている。

 ところが暑いせいか、午前11時過ぎ ”さぁ~出発″ というときになって眠気が襲う。

 「ちょっと横になるわ」とベットに横になったら、眠り込んでしまった。暑さのせい・・・。

 何が何だかわからず、結局、15時前の出発となってしまった。

 まず、地下鉄早稲田駅近くのお寺さんへ。

清源寺 本堂。

 お墓を洗ってお花を添えた。

 7年程前に浄土宗のお寺さんということで、お坊さんを呼んで自分で建墓したもの。当時心臓バイパス手術をするなど不安定な状態だったが、現在は何とか健常な体となっている。

 この足で、逗子に向かった。午後6時過ぎに到着。

 今朝、17日(日曜日)、逗子湾は、静かでした。

 

 久しぶりの逗子海岸。砂浜を歩くと、癒されます。

夕方、散歩に海岸に出かけると

 西に太陽が沈むところ。

 海岸には、多くの人たちがまだ海岸に・・・。

 お盆休み、最後のため、皆さんのんびりしているようだ。

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佐渡旅行 その6 ふるさと佐渡からお別れ。

2025-08-12 09:00:51 | Weblog

 7月29日(火曜日)からお世話になっている国際佐渡観光ホテル八幡館とも今日8月3日(日曜日)朝10時まででおしまい。

 丸5日間、部屋をチラッカシにしたかったので、あらかじめ電話して、「床は引きっぱなしに」とお願い。 

 6階の南側奥角部屋で移動することがなかった。

 3日朝、登る太陽。(6階の部屋から)

午前5時11分。

6階部屋から望む金北山。

穀倉地帯の真ん中にある真野金丸地区。

 玄関に行き、車からレオちゃんを連れ出し、林の中をしばらく散歩。レオちゃんも6日間元気にたずなをぐいぐい引く。

 車の横に戻り、新聞を敷き、丸缶詰の餌を与える。美味しく食べる。お皿に入れた水もよく飲む。とても元気。安心。

 部屋に帰り、朝風呂に行く。自噴の温泉は皮膚にヌルヌルしている。透き通っていて気持ちよい。お客さんも気持ちよさそう。

 今回は最後なのでやや長めにのんびりし、上がった。

 部屋の布団に横になって休んだ。

 朝食は、毎朝同じ7階。真野湾の景色が素晴らしい。

 今朝は洋食にした。 久しぶりに蜂蜜をもらった。美味しい。

 「さあ、8時30分だ。出発しよう。両津出発の船は12時45分。実家によって頂き物を車にませて10時30分過ぎに出発すれば十分でしょうと・・・」。

 実家に向かう途中、今度の同級会の準備にTさんと共に頑張っていた幹事の四日町菊地さんの自宅に車を止め、おばあちゃんに挨拶をした。

 彼はまだ、入院中で動けませんが、私共は「今日、東京に帰りますので、十分静養してください」とお伝えするようお願いしました。

 この歳になってこんなに長くベット生活をすると、もう歩けなくなるかもしれません。

 実家に立ち寄ったが、兄嫁は出かけたとか・・・。仏壇に上がりお線香をあげる。

 蔵の社員にもご迷惑をおかけした旨の挨拶をする。

 甥っ子に長い間お世話様になった旨を伝え、お礼を伝えお姉さんに伝えるようお願いし、車に乗り込む。

 甥っ子、最後まで車を誘導して見送る。両津に向かって走り出す。

 両津フェリー乗り場に車を入れると、案内人が切符のチェック。通過して3ルートに並ぶ。以下、乗船を待つのみ。

 暑いので、レオちゃんを連れて待合室に行き、エアコンの効いた部屋で出発前まで休む。

 乗船のカーフェリーはおけさ丸。出航は予定通りとのこと。

 以下、予定通りに出向し、午後15時15分。新潟港着。上陸を開始した。

  東京新宿に帰るべくナビゲーターをセットし快速に走り出したが、その前に、ひとつ、長岡へのバイパス5号に乗る手前で、いつもの所でガソリンを満杯にしたい。

 ところがそのガソリンスタンドが見当たらない。あじゃ~。閉鎖されている。仕方なく。高速に上がる。 ”高速の途中で入れよう” と決める。

 ほぼ順調に走るが、長距離故、休憩を取ったりして余裕のある運転に徹した。

 日曜日故やむを得ないでしょう。自宅に到着した時刻は、午後8時30分ほど。

 早速。実家に電話を入れ、今、無事到着した旨を報告した。

甥っ子が「随分かかったね」と申したが、安心した様子だった。

 今回、ご迷惑をおかけしたことをわびて電話を切った。

 親戚の皆さん、友人の皆さん、いろいろとありがとうございました。

「楽しい佐渡旅行をさせていただきました。」

 佐渡から帰って、疲れがどっと出、エアコンのせいで熱が出てしまい、寝込んでしまう。しばらく休んでしました。

 でも、同級会でお土産を戴いたKさんには帰った翌日に、また、新町の無二の親友と説明したN呉服屋のK君(ベットに寝込んでいるK君)の奥さんが新町と四日町で採れた蜂蜜を送ってくれたので、先日、電話して御礼の挨拶を述べた。

 以上、今回の旅行の締めくくりとなってしまいました。ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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佐渡旅行 その5 帰郷前日の国仲めぐり

2025-08-10 19:18:46 | Weblog

 帰郷前日(8月2日)は、一日自由の時間としており、午前早い時間にレオちゃんにご飯を食べさせ自由の時間を造っていた。

 朝早いホテル八幡館前の状況。

 昭和天皇ご夫妻が散策されたと表記されている松林。

  レオちゃんを連れて散策した。

 部屋に帰り、最後の温泉につかり、一服後朝食。今日の行動計画を立てる。

 まず、久しぶりの長石海岸を散歩することにする。

 

砂浜が若干みられる。 でも雑草が生い茂っている。沖に堤防が造られているから浅瀬になっているんだ。小さい時、一日中ここで泳いだものだ。懐かしい。

 車に戻り、自分の卒業した小中学校の校門を観ておきたいと考え、立ち寄った。

県道から観る小学校校門。

 階段を上がると右手に昔から設置されている二宮尊徳像。校舎の建て替えの時、別のところに一時保管されていたが、住民の希望により元に戻された と聞いている。懐かしい。

100mほど県道を進むと、真野中学校の校門が。

 真野中学校校舎正門。私が3年間学び育ったところ。校舎は、新しく建て替えられています。夏期間中ですので、学校内は静かでしたが、公務の先生お二人が見られ、声をかけてくれた。

 「卒業生の方ですか。今日は、夏休み中ですので誰もいませんが・・・」と。「第8回卒業生で、この7月29日に同級会があったんでふるとさに帰って来たんです。懐かしい学校ですので見に来ました」と述べました。「それはありがたい・・・」と文字が刻まれている石を説明くださった。

 御礼を言ってお別れした。

 建物の北側には、佐渡唯一の400メールの公認陸上競技場を持っています。

 

 公認400mトラック陸上競技場。「佐渡高校」のゼッケンをつけた生徒が練習をしていた。

 ここを後にして、ちょうど正午になったので、お忍びで(一昨日ご馳走になった二見の) 若い人たちが経営している佐和田店の蕎麦屋に行くことになった。

 

 駐車場もあるが、レオちゃんを倉庫辺りの涼しいところに入れておいてもらうことができるのでは??・・・との期待もあって。

 運よく玄関の隣りの倉庫の土間に新聞を敷き、休ませることができた。

 時間が12時30分を廻っていたが満杯だった。

 しばらく待って、空くのを待った。

1時ごろ、やっと開いてきた。

 若奥さんが指揮を執って走りまわっている。観ているととても繁盛している。

 私共も好きなものを注文。

 注文品が来る。

 奥さん曰く「一昨日、二見で夏野菜のいろんなものの好き嫌いをお聞きしていたので、今日は、ナスの揚げ物などをやめ、シイタケなどのてんぷらを付けてあります。どうぞ味見してください」

 ソバの量も大きなエビの天ぷら等 最近歳をとってから量が細くなっているのに、逆にすごい量。とても食べきれなさそう。

 2~3口にしていると、一昨日お世話になった甥っ子が顔を出してきた。

 「近くの会社事務所にいると電話がかかってきて、”おじさんたちがお店に来ているよ” と連絡があった」 と。「お忍びで行って、後で感想を述べようと思っていたんだ」と。

 彼も食事前だったようで、どんぶりものを注文。 一緒に食事することとなった。

 レオちゃん、粗相しなくおとなしく、待っていた。

 最後に御礼を述べ、支払いを済ませ別れた。

 佐和田から畑野の道にで、塚原山根本寺にむかう。

 南線、畑野地区を終了し新穂市街に差し掛かろうとする手前1キロほどの所、左折して根本寺駐車場に車を入れる。

 車を下りて境内を歩く。

 

長い境内を歩くのは約10年ぶりぐらいかしら。いや、もっと長いかしら??

 

塚原山根本寺は、日蓮宗霊跡本山。

日蓮聖人が佐渡配流の際、謫居された霊跡です。

私は日蓮宗ではありませんが、長い境内をゆっくり歩いていると気持ちが洗われる様な気になります。

 車に帰って、新穂市街途中から左に入り、次の佐渡トキ保護センターに向かう。

 この暑さの中、田んぼは土がカラカラのため固まってしまい、トキのエサ摂りなどできそうもない。一羽も飛んでいない。

 

入口の案内看板。

トキのはく製。

遠くの檻の中に入っているのが確認されるトキたち。

現在保護センターには 65羽が保護されているとのこと。やはり暑いのか日影の方に集まっている。

 ここでは遠くて何もわからないので、トキふれあいプラザに向かった。

 トキふれあいプラザには、現在2羽が放されているそう。

トキの方からこちらが全く見えない魔法のミラー。このミラーを通してこちらからは近くで作動しているのがわかる。

運よく2羽とも水場に現れていた。さすが運のついている人。ありがとう。

 これで、国仲関係は予定したものすべて廻った。

 明日は帰るのみ。

 ホテル八幡館に帰り、ゆっくり温泉につかろう。

 

 

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佐渡旅行 その4 小木 矢島経島方面を巡る

2025-08-09 20:24:21 | Weblog

 佐渡は大きな地図を眺めると、サツマイモを二つ並べたように見え、地元の人は、金北山側を大佐渡、国仲平野があって、南側に小さな山並のいわゆる小佐渡からできている と頭にある。

  レオちゃんは、午前6時前に近くを散歩させたのち、車の横で食事を済ませていたので、ホテル八幡館を9時過ぎに出発して、実家に立ち寄り、挨拶後直ぐに出発した。

 真野新町の街を貫き、豊田地区に入る。Tさんの代々の味噌会社工場はすべて跡形もなく取り壊され、平地となっている。

 しばらく走ると、豊田地区を外れ、長浜海岸。

ほんとうに道路から観ると人面に見える「人面岩」。小さいころ、てっぺんまで登って遊んだものだが・・・。

 ここから観る夕日の沈む美しさも素晴らしいものがあるのだが・・・。

  しばらく走りだすと、海岸から遠ざかり田んぼの中を突っ走るようになる。

 約30分ほどで蓮華峰寺。

 蓮華峰寺は、佐渡市小比叡にある真言宗智山派の寺院。大同元年、真言宗の開祖、空海の開山という伝承をもつ。山号は小比叡山。

 

 

 

 

蓮華峰寺金堂。  国指定の重要文化財に指定されている。

 私は、これから先さらに石段を下りて次の建物まで進んだ。

下から観る蓮華峰寺金堂。ママとレオちゃんが石段の上で見送っている。

 

この場所がいつも集会で使う場所のようだ。

敷地はとても広い。

 帰りは、金堂の前の石段を上がらず、右横の細道を通って駐車場に戻った。家内とレオちゃんが戻っていない。寺の入口正面に来て、本堂まで迎えに下り、声を出して呼びかけるが返事がない。車に戻ってクラクションを2度鳴らすが、音さたなし。さぁ大変。広い敷地内で道に迷っているのだろうか。

 再度、別れた金堂前まで下りていく。いない。仕方なく、重たい足を引きづって車に戻ってくると、どこから帰って来たのか車の前にいるではないか。「いゃ~心配したぞ」・・・。

 怒る気持ちも消え失せていた。

 車を走らせる。

 小木の街を通り過ぎて、矢島経島の駐車場に止める。

赤い橋の向こうの島が矢島。

 

海が透き通りきれい。

 たらい船を楽しむ観光客。

 この歳では矢島の先まで行くことを避け、橋の手前で引き返した。

 あまりに暑いので、ママがアイスクリームを買って来た。

 車のエアコンをかけ、レオちゃんに水を飲ませて一休み。

 (この時の時刻を写真で確認すると午後1時30分頃。何も腹ごしらえしなかったのが後にこたえて来た)

小木半島突端 沢崎鼻灯台。

ここまで来たからには、小木半島の先まで行ってみよう。「これが最後」と宿根木を素通りして沢崎鼻灯台まで駆け付けた。私もここを訪れるのは2度目ほど。ほとんど来ない場所です。

 再び小木の街方向に向かい、昨日二見での会合で話が出た「青の洞窟を観よう」となった。

 矢島と小木の街の間にあるそう。 標識があるだろうとゆっくり車を走らせたがそれらしきものが見つからず、小木の街に入ってしまった。

 小木の街に入ると、昨年弟と夕方太鼓集団「鼓童」を見学に来た時、たまたま玄関に居合わせた首都圏佐渡連合会で一緒に仕事したE元小木人会会長とばったり顔を合わせたのを思い出して、「佐渡の仕事が忙しくなって佐渡に帰ったように聞くが居るかな?」と道路の反対側だが、車を止めた。

 ドアを開けて声をかけると、懐かしい声が返ってきた。やぁ~やぁ~。元気そう。

 「青の洞窟の道を教えて」とお願いすると、車ならば、先の〇〇集落を左に折れ、海に下りると案内する人がいるかと思う。そちらに声をかけてみて・・・と。 金に糸目を付けなければ、波止場の〇〇観光のボートをチャーターすれば・・・と教えてくれた。

 まず、波止場に向かい、車の中から、〇〇観光の案内係みたいな人に青の洞窟までのボートチャーターはいくらぐらいでしょうか、と問うたら、車のナンバーが練馬となっているのを観て、15,000円と吹っ掛けてきた。一周20分ぐらいで7~8,000だったら乗ろうかと思ったがとてもとても・・・。

 陸から廻ることとした。

 車でEさんからお聞きした道順に沿って進みました。

 陸からは、現在落石があり危険のため入ることができませんでした。結局青い洞窟は諦めました。

 これで今日の予定はすべて消化。ホテル八幡館に向かって帰ることとした。

 ところが・・・。

 結果から申します。

  運転していると夢中になってしまい、食べることを忘れてしまうのです。特に最近昼食抜きがほとんどだったので、今回も上の洞窟前の写真時刻が15時49分となっていながら、そのまま、運転を続けている。

 以下、小佐渡の山を下り真野湾長浜海岸を横に眺めるようになっても運転を続けた。 危険に近づきつつあった。もうろうとしている。

 通常、家にいると昼食抜きの場合は、ミルクに蜂蜜を入れて糖分を摂っている。明らかに糖分が足りない状態だ。

 それが気づいていない。危ない。 

 何とかホテル八幡館の駐車場までたどり着いた。

 部屋に入るなり開口一番ママに「蜂蜜を水に溶かしてくれ」。

 事故を起こさないでよかった。助かった。 

 すぐに布団に潜り込んだ。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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佐渡旅行 その3 やっと落ち着いた雰囲気を取り戻して・・・

2025-08-08 23:19:25 | Weblog

 7月29日から宿泊している国際佐渡観光ホテル八幡館、同期会も無事終了し、やっと気分も落ち着いてきた。

 今日で3日目に入る。

 まず、八幡館の紹介をしてみたい。

 八幡館はホームページに紹介していますように古く、佐渡唯一の自噴温泉。高級感のあるゆったりした建物の配置。松林の中に建てられており、威風堂々。

朝、5時30分頃、車に行き、レオちゃんを松林に連れ出す。そしてすぐに車で実家に向かう。朝食のお手伝いをしようと5分ほど走る。 

 東京で食べている餌よりおいしい肉の丸環を挙げることにしている。美味しく食べる。お皿等をきれいに洗い、整理して車に戻す。3日間はこれを繰り返した。4日、5日目は、ずるして、八幡館の従業員駐車場で済ませてしまった。ごめんなさい。

 

旧皇族では、昭和天皇が宿泊されていますし、秋篠宮ご夫妻もいらしています。

 昭和天皇は、真野湾に船で入港し、上陸したと言われています。

 広いロビー。

 私共の部屋は6階でしたが、朝食は、7階で一般の方と一緒でした。

 7階に上がると、自分で好きなものを取ってテーブルに着く。

 窓側から眺める真野湾。 

 真ん中を流れる国府川。最近雨が降らず、田んぼが枯れて取水制限をする計画もありとか・・・。

 右側は二見半島。ひかりがあたってとてもきれい。

 朝食をわずかにして済ませ、部屋に戻る。

  今日の予定は、午前11時、亡き母の実家の仏壇参り。その前に実家に寄る。車の整理。

 午前11時前、N家前に到着。本人は帰っているようだ。

 車をM君の車の前に入れ、全員下りた。

 玄関の前に回り、ドアを開けた。

 「こんにちわ。暑いですね。いつまで続くんでょうか」の挨拶。

 レオちゃんは、コンクリートに新聞を引き、そこに座らせる。おとなしく座っている。

 私共は、勝手に上がらせてもらい、仏壇に手を合わせた。東京から持参のおみやげ品を仏壇の前に並べた。

 M君は、亡き母の弟が持った唯一の子供、私といとこ同士。結婚したがこどもがいない。奥さんも健在。一流大学を卒業後、しばらく東京で三菱系列の会社に勤務したのち、父の経営するガソリンスタンドを引き継ぐべく、佐渡に帰る。現在に至っている。

 M君とは、佐渡の状況をゆったりと話すことができた。水不足のようだったが、私どもが帰った後に大雨が来たようだ。幸福の雨のよう・・・。

 金丸N家を失礼したのち、相川金山に向かった。

ここまで鉱石を流して来て、選別するところ。

 

金山坑道は、私は昨年も入っている。家内も「暗い中は見えないので、避けたい」との要望があったので、坑道入口付近をみて第3展望地に行くことにした。

 駐車場で車を止め、プラプラと入場地点まで下りて観る。

坑道入口。

入口から4~50m下った所にある坑道出口。

 佐渡金山の象徴、外堀のせいで山が.頂上から真っ二つに割れている「道友の割れ戸」が見らりるのは、第3駐車場から。

 家内、レオちゃんを車に乗せ、第3駐車場まで数百メートル下りる。

良く見える。これが金山の象徴。

 第3駐車場には、他に大きな鉱山原石も展示されていた。

 金山を後にして、相川の旧街道をゆっくりと車を走らせた。なつかしいお店の名前は最後まで思い出せなかった。T元真野町長と相川の元〇〇町長。3人で真野新町で会食したことがあるんだが・・・。首都圏佐渡連合会のIさんに電話を入れたが生憎通じない。

 仕方なく、二見に向かうべく七浦海岸に向かう。

 

七浦海岸夫婦岩。

 相向かいの売店に顔を出して真野新町出身のS社長に挨拶。月末のため「銀行に行かなくちゃ~」とバタバタしていたので、いつもここで土産として買い求めている ”海苔のつくだ煮” 5個をお願いした。社長曰く「水道管が古く、お店もホテルも近々締めなくてはならない。誰か東京の人で商売をやる人はいませんかね」との・・・。社長あわただしく私共と一緒にお店を出た。

 95歳になった実姉、これが最後の会う機会となることでしょう。

 甥っ子でもプリウスPHVを使っているため、自分の車に充電をお願いする。ほとんど空っぽになっている。200ワットのため会食している間に完了する。

 

 甥っ子がやり手で、元々は船を自分で所有(2~3艘⦆し、これを別の船会社に賃貸して稼いでいたが、今では、蕎麦屋、葬儀屋(3事務所)と手広くやっている。

 頼もしい限りだ。

  お寿司なんか半分以上は残してしまったんでしょう。翌日、本人に会ったので聞いたら「何とか処理したようですよ」と涼しい顔していました。

 姉は、娘の手を借りながらゆっくりゆっくりと口に運んでいた。しゃべることはしっかりしている。

 「ここまで生かしてもらった。感謝している」が口癖だった。

 私「一日でも長く生き延びてくださいね」

 「それでは・・・」

 レオちゃんは土間の大金庫の前に新聞を敷いて休ませていたので静かだった。

八幡館の駐車場の横で食事を用意し済ませた。

レオちゃん、おやすみ。また明日ね。

 

 

 

 

 

 

 

 

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佐渡旅行 その2。 中学同期会開催まで。

2025-08-06 08:55:08 | Weblog

 30日午前8時過ぎ、ドンデン山のくねくねした山道を下ると車を止め、カーナビの設定を真野の実家に合わせた。

 そしたら、わざわざ両津市街を通らなくて相川方面に向かう本線と合流することができた。

 昔、ビンチョウ坂と言われたところを駆け上がり、吉井地区→金沢地区→昔農業試験場のあった横を通り、田んぼの広がる所を通って真野金丸地区へ。

 金丸地区は実母の実家がある所。通常はここから親戚周りが始まるのだが、事前に連絡したらガソリンスタンド経営のため朝早く出かけてしまったとのこと。

 私も今日は忙しいので、明日11時に伺うこととした。

 直接実家に向かう。

 実家では、お墓参りに行くのだろうと 事前にきれいなお花を用意してくれていた。

 ただ、墓参り箇所が多いのでやや不足気味のよう。「これからスーパーに行って買ってくる予定にしているから心配しないで」と・・・。

 家内と三人で何時も欠かしたことのない順徳上皇の火葬塚「真野御料」 に向かった。

真野御料の入口。

敷地を囲む長い塀。

この地区は宮内庁管轄となっている。

火葬塚。とてもきれいに管理されている。

ママがレオちゃんに挨拶するように仕向けるが・・・。

 私は、昭和33年春高校を卒業をして、両津港で父母に見送られながら上京して以来、佐渡に帰郷時にはいつもここ順徳上皇の火葬塚をお参りしている。 数年前、順徳上皇生誕800年祭がここ火葬塚前での式典、並びに真野体育館で開催された時は、招待された。うれしい限りだった。

 帰り際、売店のSさん(経営者)に挨拶すると、左手のお店まで飛んできてくれた。

 「最近、順徳上皇云々でここまで上がってこないのよ」とこぼしていた。ご主人は、施設に入っているとか。私が首都圏真野人会の役員にいた時、大変お世話になった方・・・。家内はお土産に3~4個お願いしていたが、端数は袋の中に投げ返し取らなかった。 すみません。

 お互い元気で! とお別れした。

店舗の片隅にある佐渡赤玉。すごいですよね。

 真野新町まで走り、スーパーで墓参りのお花を3束ほど買う。

 そして、無二の親友N呉服店に立ち寄る。

 今度の幹事役Tさんの話によれば、「N君が合うのはH君以外いない。奥さんに寄れば、H君は、止めようとする前にもう上がっているから・・・」と噂されているようだ。

 しかし、今度だけは、玄関で躊躇した。

 あらかじめ実家の兄嫁やTさんから「彼はベットに寝っぱなしのようで、奥さんが面倒見るのに大変」と聞かされていた・・・。

 奥さんが扉を開けてくれた。

 「本人は、ベットに寝たままです。本人はやせた顔をSさんに見せるのがつらいと思います。ここで勘弁してください。」と奥さんが申す。

 「私もその気持ちはよくわかりますので、ここで失礼します。ただ、今まで佐渡へ渡るといつも彼に顔出ししていたので、”今回同級会があるのに、寄らなかったね、と内心思うだろう”。彼も出席したいのに・・・。こんな体になって辛いと思うよ」 と小さな菓子箱を奥さんに差し上げた。 奥さん、私の顔を直視できず、涙を流していた。

 奥さん、車まで送ってくれた。

 次いで、やはりお世話になったN建具屋さんに立ち寄った。ご夫婦共にお元気だった。

 ちょうど正午ごろの暑い時間に大願寺にある墓参りとなってしまった。

 真野四日町にある時宗のお寺さんです。

 山門は茅葺き。

本堂。

 この左手にお墓が並んでいます。風がなく気温は大変な暑さ。左手の坂道を上がるのが一苦労。

やっとたどり着き、いくつもの墓のひとつづつにお線香を立ててゆく。

代々続く墓が多くあり十数個になるかしら?

 この後がダウン寸前。親戚の墓が、山の上あったり、祖母の実家N家、と廻ったあたりで、動けなくなり、ダウン。木陰で一休み。芝生に座っていると、近くにいた大工さんが心配して「大丈夫ですか」と声をかけてくれた。

 まだ、母実家の金丸のお墓に行かなければと、力を振り絞って10m先の目的地に向かって立ち上がった。

 これでお墓参りは終わり。こんな暑い時期にお墓参りをするもんではない。つくづく思う。

 実家に帰り、しばらく横になって休む。

 休んでるとき、”東京から持参したメロンは、こんな暑い時に車の中に置いては腐ってしまうのでは・・・” と思い、急遽二見の実姉の所に今日中に届けることとした。

 同窓会の開催時間は午後6時。十分間に合う。

 午後3時ごろ、車で30分ほどかかる二見まで、急遽車を走らせる。

 姉は、この7月で95歳になったとのこと。車輪のついた車椅子でゆっくりゆっくり子供たちから横を見てもらい歩いている。 話すことははっきりしている。

 食欲は、旺盛のようだが人の助けが必要なようだ。

 「あまり時間がない。このメロンを届けに来た。明日ゆっくりと夕食をご馳走になりに来ます」と言って、あわただしく別れた。

 その足で、これから6日間8月3日までお世話になる国際佐渡観光ホテル八幡館に入館手続きを取った。

 部屋の電話で今日の懇親会会場の新町までタクシーを依頼したところ、30分もかかるとのこと。それでは開催時間に間に合わない。

 挙句の果て、「運転代行がいるだろう」と、自分の車で会場まで駆け付けた。慌てる・・・。

 そしたら、現在うるさくて・・・。方法として、「自分で自分の車を運転して八幡館まで帰ってください。そして、追っかけて行った車に乗って本人は帰って来てください」とのこと。「わかりました」といってまた、自分の車を運転して八幡館まで帰り、後から来た車に飛び乗って会場に帰ってきた。車のカギはママに預けレオちゃんのエサをお願い。

 大変なご迷惑をしましたが、その間会場は皆さん和気あいあい、始められていた。

 筆頭世話役のTさん。元佐渡市長。足が痛くて、椅子に座っていたが元気。その隣が千葉から参加のIさん。

中学3年B組の卒業写真。一応顔を防ぎました。私共はA、B、Cの3組。一クラス48名前後合計132名だったように思います。今年の卒業者男性17名、女性18名 合計35名と運例の差ですね。

 Aクラス、Cクラスの写真も回覧したんですが、「自分がどこにいるかわからない?」と真剣に探す姿は、・・・。

 「もう、自分たちの写真は息子や孫に残してはいけない。処分に困るだろうから・・・」と自分で処分した人もいました。「Hさん、良く今まで保存していたね」と 言われてしまいました。

 そして今日の記念写真。

 幹事のTさんが、自分で並んでいる順に書いたものを! わざわざ広げての記念写真です。男性7名、女性5名の参加でした。

 幹事のTさんに、耳にタコができる程聞かされた「これが最後の同級会」。開催日の2~3日前には、手足となって纏めていたKさんが突然入院。帰る日(8月3日)に四日町にあるKさんのご自宅に立ち寄り、お見舞いの言葉を述べさせていただきました。

 85~6才が12名集まることの大切さ、困難さ。身に染みて感じました。

 皆さん、お体に十分お気を付けくださいますようお願いします。

  八幡館までは、女性で佐和田地区まで帰る方(Fさん)がいたので、お酒の入っていないことを確認し、送ってもらった。Fさんは出席者全員に「たらみのどっさり白桃(6個入り) 」 をお土産として配っていた。そう容易くできることではない。ありがたい。東京に帰った翌日、佐渡にいる本人に御礼の電話を差し上げた。ありがとう。

 

 

 

 

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昨日8月3日夕、ふるさとから無事帰京しました。

2025-08-04 21:58:10 | Weblog

 7月29日午前9時50分、“ふるさと佐渡へ” と車で自宅を出発してから6日間。

 長かったふるさと帰り、無事昨日東京に帰って来ました。

 今日は家族一同、ほっとして過日を振り返り一日を過ごしました。

 今日から6日間に渡って、いやそれより長くなるだろうか、気の進むままに過日を振り返り、私共の動向を、またふるさとの状況等をお伝えしようと思います。

< 佐渡旅行 その1>

 先ほども書きましたように、私共は佐渡汽船新潟港発16時05分のカーフェリーに乗船の予定。

  何か嫌な予感が当たったようで、関越高速道路鶴ヶ島インターあたりからノロノロが始まり数十キロ続く。事故らしい。結果として約1時間の遅れが。余裕見てよかった。

 清水トンネルを通過し新潟県に入ったパーキングで一休み。

 通常2時間弱で着くところを、3時間かかってしまった。レオちゃん、パンツをはかしているが用をしたく外に出たい様子が手に取るようにわかる。20~30分休憩とする。

 休憩後、新潟港までは順調に走る。新潟港着 15時10分。 

 隣の建物で予約書類を機械に照らし切符を購入。支払いはカード払いとなっているので往復の切符が自動的に発行されてきた。

カーフェリーは、おけさ丸。 乗船15時40分から始まる。

 私共は、おけさ丸3階のペットルームに行く。

ペットルームでの家内とレオちゃん。

 16時05分出航。

新潟港を離れる。 高いビルは、朱鷺メッセ。

 おけさ丸船尾の航跡。

 両津港に入るまで私は、運転の疲れを取るため、近くの二等船室に行き、足を延ばして横になって一時間ほど眠った。

 両津港到着はいつもと反対側の北岸壁に着いた。 カメラ写真は車をおけさ丸から出ししばらく走った橋の上から撮ったもの。

夕方18時45分過ぎですので、もう辺りは暗くなっていました。電柱の向こうに見える山が、佐渡一高い金北山です。(写っている車は私の初代プリウスPHV)

 これから今日一泊する予定のドンデン山に向かいます。 車に装置されている外気温測定器によると、現在の外気温は33℃。

 30年ほど前に、子供たちと朝3時ごろ両津に着き、ドンデン山に上がり、星空を眺め感激したのが忘れられず、“その思い出をもう一度“ と  今回計画したものです。今回は宿舎に一泊する予定です。

 ナビゲーターに従い山道に差し掛かるともう道路は真っ暗でした。

 道路は曲がりくねっている。ゆっくりゆっくりと走る。外気温もぐんぐん下がる。

 約40分ほどで目的の宿舎までたどり着きました。外気温24℃。

 早速、受付で予約申し込みの手続きを済ませ、独立角部屋に入る。

 ここは、標高890メートル余りとのこと。部屋から観る下界。左側の明るいところが両津あたり。その右手の青いランプは加茂湖に浮かぶ船の明かりと思う。

 そして、念願の星空。持参してきた大型一眼カメラと三脚を車から降ろす。

 北斗七星のシャモジの外枠の5倍に位置する北極星を探す。北斗七星はもうすぐ林の中に隠れそうだった。

 地球から観て天体は、北極星を軸に廻っているので、カメラを北極星に向けて、BULBで3分間ほどシャッターを開けた。

 北極星がどれか判るかしら?? 右側の中心辺りに大きく光っています。北斗七星はバラバラになってしまいました。

 今回この写真には入っていませんが、人工衛星も飛んでいるのがみえました。

  天の川は、天候が澄んでいなかったせいかよく見えませんでした。やや残念。30分ほど星空を眺める。

 

 夜が明け、下界を覗くとこれまた素晴らしい風景でした。

部屋から望む両津港方面。

遠く真野湾方面。

宿舎のドンデンロッジ。

ロッジ東側広場にあるテント広場。当日は3テントが張られ宿泊していた。

 夜の星座写真は、この広場の奥で撮影しましたが、ロッジの光がここまで明るく照らし、テントの陰を利用しましたが・・・。

 眠たそうなレオちゃん。

 レオちゃんに朝食を上げ、私共も7時過ぎには食事を済ませ、8時前にはロッジを出発、下山しました。

 出発した直後、ほんの数分後に一面に霧がかかってきた。車をゆっくり走らせた。

 しばらくは走ったら、霧から抜けられた。下に降りてき、気温が上がってきたのでしょう。

 真野の実家に向かう。

 今日30日夕方には、ふるさとに帰る主目的の中学同級生同級会開催される。懐かしい顔が見られそう。楽しみ。

 

 

 

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明日から佐渡へ!!

2025-07-28 09:51:06 | Weblog

 7月30日、ふるさと佐渡での中学同期会招集の声がかかってから半月、待ち遠しかったが、いよいよ明日出発の時が来た。

 私は昨年、一人しかいなくなった弟が久しぶりにふるさとに帰りたいというので、同行して車で帰り親戚周りをしたが、今回は同期会としては “これが最後かな“ との触れ込み故、家族で帰ることとしている。しかし、今回は、昨年と異なり、初日にドンデン山に上がることにしている。

 天気には恵まれそうだが、何分夜空を観たいとの希望。どうなることかしら?

 ここ一週間、PCの具合が良くなく、インターネットが外部とつながらなかった。やむなく、一昨日NTTから修理に来てもらい、古くなったモデムやその隣りのやや背の高い機器の二つを交換してもらった。そして外部との接続をしてもらった。

 いや素晴らしい速さ。今まで同じ金額を支払っていてあんな程度だったのかと思うと残念。技術の進歩は素晴らしい。

 PCは、旅行に一応持参していくが使用できるかわかりません。星空を流せたらいいのですが・・・。

 

  2021年10月、 佐渡汽船の船上から望む両津港と金北山。

 

 

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一昨日の油断を取り返したく、隣りの夢庵へ・・・。

2025-07-14 21:39:20 | Weblog

 一昨日夜の丁字路での自らの横転事故、心配をおかけしました。頭は打っていないので大丈夫。顔の擦り傷は、大きなかさぶたとなっていますし、足、腕の痛みは曲げると未だ痛みがありますが、骨には異常ありません。

 昨日は、部屋から動かず休んでいました。

 しかし、一昨日のレストランでのエアコン調整による食事環境には不満が残ってしまい、「こんなことでは逗子レストランが・・・」と、今日14日午後2時過ぎ車で、数軒先のレストラン「夢庵」に、わざわざレストラン環境視察のため出かけた。

 レストランの駐車場入口には以下の「由 来」板がある。

 レストラン「夢庵」の位置は、大正から昭和の初めにかけて湘南唯一の様式ホテルとして有名な「逗子なぎさホテル」が存在したところであり、皇族はじめ一流の人たちが利用されたホテルのあったことは有名なこと。

「夢庵」の入口。

 南西角の席から撮ったもの。天井に梁が見えない。和風でとても落ち着いている。 

しばらく居たが、室温もそれほど低くない。

奥の方には個室が並んでいるようだ。

かき氷を注文した。

甘さがちょうどよく、アイスクリームが底に多くあり、とても美味しかった。

 椅子席の雰囲気と言い、流石申し分なかった。

 〇〇〇レストランさん、ちょっと見習ったほうが良いようですよ。

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逗子に来て、ちょっとした油断が・・・

2025-07-13 12:55:16 | Weblog

 7月11日(金)のんびりと新宿を出発し、午後4時前に逗子に着いた。 

 当日は、朝から天候がすぐれずどんよりとした曇り空だったが、天気男と言われるように雨には合わなかった。別に急ぐ用があるわけでないため、慌てずゆっくり車を走らせた。

 翌日、午前10時ごろ、犬の散歩に出かけ、なぎさ橋に差し掛かった時、レオちゅんが、大きい方を地に落とした。

 ここからが悪夢の一日の始まり・・・。

 いつものレオちゃんは、尻尾を持たせてチリ紙でお尻をふき取っても別にどうこう言わないのだが、今日は.私の中指に “がぶり“ と来た。約1cmほどが切り裂かれた。血がどっと・・・。気が立っているようだ。

 家内が絆創膏を持っていたので、応急処置をしたが、血が止まらない。

 私は、家に引き返し、引き裂かれた中指の外側をアルコールで消毒し、広がっている皮膚を広がらないよう抑えて様子を見た。

 何とか収まっているようだ。

 レオちゃんが散歩から帰って来たので、手の治療跡を見せて注意するが、テーブルの下に入ってう~う~とうなるばかり。しばらく、テーブルの下から出てこなかった。

 夕方、3人で、海岸に散歩に出かけた。土曜日のせいか人が多い。

 

 

散歩から帰って来て、しばらく休憩したのち、久しぶりに食事に出かけた。

 あれ?「ステーキ宮がなくなっている」 「カンテーナはやっているが改築されている」

 

「へェ~、最近来ていないから変わっているね」「向こうのなぎさ橋珈琲ばかりをつかっているから・・・。」

 まあ、ここまで来たんだから、入りましょう。

 受付で、コロワイドの株主優待カードを使用できるかを確認する。OKとのこと。

 ベランダ席は満員とのことで室内席に案内される。

 エアコンが効きすぎている。寒い。上着を持ってきてよかった。

 料理を注文する。

 

 

 食べていても、部屋が寒すぎて、鼻水が出てくる。エアコンの温度を下げてもらうがダメ。

 とうとう、ベランダの席が空いたので、アイスクリームと珈琲が来るのを待って、席を代わってもらう。

 

やっと、鼻水も止まり、落ち着く。 

 もう、ダストオーダーを取りに来た。そんな時間になっていた。

 そそくさとアイスクリームを食べ、コーヒを飲み,席を立つ。 

 今回は、ただ、寒さばかりが印象に残ってしまった。

 そして、カンテーナを後にして、15メートルほどの交差点での出来事。

 信号が青の点滅を始めた。

 私が、「青の点滅が始まったから、渡ろう」と駆け出した。そして、道路に飛び出したその時、つまづいて道路の中ほどの手前で転んでしまった。

 立ち上がれない。頭を打っていないようだが、右顔をすりむいている。右腕と右足が痛い。家内と若い青年が、道路の端に担ぎだし、座らせる。「救急車を呼ぼうか?」と家内が言うのが聞こえるが、断わる。「足と腕の骨が折れていないようなので、とりあえず、タクシーを止めてくれ」

 道路に座り込んでいる私を観て、家内が一生懸命手を挙げている。予約に向かうタクシーが止まってくれた。「まっすぐに300mほど行った所までで結構なんですが、運んでくれませんか」と申したら、予約先に向かうタクシーがドアを開けてくださった。「どうぞ」「ありがとうございます」 500円。ありがたかった。

 今日一日、家で様子を見ているが、腕、足は打撲だけで骨には異常がないようだ。頭も異常がない。顔の頬の傷は、2~3㎝ほどですので、化膿しないよう気を付けている。

逗子湾は、今日もにぎわっている。事故がないよう気を付けてください。

 この29日からふるさと佐渡へ帰る予定にしている。

 

 

 

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庭の百日紅の花がとてもきれいなので・・・。

2025-07-05 14:11:47 | Weblog

  この数日間、天候はあまりパっとしませんが、庭の百日紅の花は満開です。

あまりに咲き乱れているのでついパチリ・・・。

 先日の写真を観ましたら、灯篭の傘にカビが来ているので、先日強い洗剤で洗いました。

  五葉松も新芽が青々としてとてもきれいです。

 マンション内のシュロチクは、株が多すぎて枯れかかったので、昨年暮れ株分けして分散、各階に置いてみた。

 2階の踊り場にあるもの。

3階の踊り場にあるもの。

4階に於いてあるもの。(左端はシュロの木)

1階ロビーには、観音竹について株分けしなければならないのですが、分割したものの置き場所がなく、そのままとなっている。かわいそう。

 

 

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本年は、庭の梅の木から梅ジャムが・・・。

2025-06-25 18:49:28 | Weblog

 庭の梅が昨年、ひとつ残らず取られてしまったこと、本年は、熟す数日前に写真のように紐を張ったことはお伝えしました。

 紐を張った2日後辺りから熟した梅の実が落ちてきた。

 6月13日には、熟したものだけで二皿ほどになった。

 

 15日頃昼から家内が大鍋でジャム造りを始めた。私は会社に用事があって行き、あまり見ていなかった。

 2日間程かかって大鍋で煮詰めていたのを観ている。

 出来上がって、瓶詰したのが次の写真。もう、子供に一つ上げたとのこと。

 大瓶一つ、小瓶4つだったとのこと。まだ、一つ皿ほどあるが、これは生で食べようと思う。先日一つかじってみたが、思ったよりおいしいよ。蜂蜜を掛けると美味しく食べられそう。

 台風の上陸予報があったので、一日早く昨日24日逗子から帰ったが、夕方雨がひどく外に出ることができなかった。

今日25日、庭に囲っていた紐を取り除き、すっきりした。

スッキリした庭。

 

 駐車場の横にある花壇にあるサボテンが数本花を付け満開。

 このサボテンは、17年程前に亡くなった(山本真帆遺作集「故郷へ」で確認)高校同期放送作家・山本真帆さんから20年ほど前にもらったもの。彼女も遠い天国から眺めていることでしょう。

 <追記>

 梅の実も終わって、木が大きくなると手が届かなくなると思い、昨日(6月30日)思い切って上の枝を詰めてしまいました。

 来年は、実がなるでしょうか。心配です。

 

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横浜での法事を終えて・・・

2025-06-22 08:35:36 | Weblog

 昨日、親戚の法要がJR保土ヶ谷駅近く久保山のお寺さんで行われた。

 私、親戚の皆さんにお会いできるのが楽しみなのか、お寺の法要が午前11時始まりというのに、午前5時には、目を覚まして6時には海岸にレオちゃんの散歩を済ませた。

 そして、自宅出発時間を1時間違え、8時40分には出発。逗子発9:01発の千葉行きの電車に。JR保土ヶ谷駅に早く着きすぎ、開始までまだ、1時間30分余りある。

 お寺さんも別の行事で控室も開いていないだろうと。 <駅からお寺さんまで歩こう>と。

 テクテクと歩きだす。家内が行く道を良く知っている。

 久保山のお寺に上がるには、良いルートがあるようだ。途中から〇〇病院のエレベーター利用。

 病院の玄関を入るとすぐにエレベーターがある。最上階4階まで上がる。駐車場を横切りさらにエレベーターで3階上がる。屋上に出ると、目の前が、目的のS寺の塀。

  

 久保山の〇〇寺正門。

素晴らしい五葉松。一本の松が枝を伸ばして背が低く、こんな形になっている。

 やはり早くて、予定の30分前まで控室に入れなかった。

 家内の親戚11名が集合。定刻に法要が始まった。お坊さんのお経後、隣の久保山横浜市営墓地の一角にある家内の実家墓地(家内の亡父が戦前に建墓したという。寺から4~5分)に足を運ぶ。

立派なお墓。聞くと、祖父の時代から横浜で絹織物の取引をしており、羽振りが良かったようで、祖父が亡くなった時に父が横浜から借りて建墓したとか。戦争により、横浜の家屋は全部燃え尽き、商売もたたみ、市川に引っ越ししたとか。・・・。

 お線香をあげ一礼したのち、全員で、JR横浜駅に移動した。

 JR横浜駅に降り立つのは何年ぶりだろう。何と人が多いこと。

 地下を通って海岸側に歩いているように考えられたが、人が多くて・・・。

 そのうちに、ビルの一角に入った。スカイビル。

奥の入り口にあるエレベーターで29階に上がる。

エレベーター最上階29階を下りてすぐ右の窓から下をパチリ。下に高島屋デパートのビルが見える。

 右側の奥に和風レストラン「梅の花」。今日の法事宴会の場。

 十年ほど前にもここで法事を行ったことがある場所である。

子供2名を含む13名全員が一番奥の部屋に着席する。

未だ、居る場所が良くつかめられていない。川、高速道路、近くに高いビル、海側は正面よりもどうも左側のようだなんて・・・。

懐石料理は次から次と並びられるので、食べるのに忙しく、・・・。等々、最後のおこわは満腹となって食べられなかった。

 最後の挨拶に、家内の弟が立った。

 「父母の法事が皆さんのこうした集まりで無事行われましたこと、大変喜んでいることと思います。ありがとうございます。こうして行われる法事は、私の代では、これが最後かと思います。皆さんのご協力ありがとうございました。くれぐれもお体にお気をつけてお過ごしください」との挨拶で終了した。

 私どもは、混みあうJR横浜駅をウロウロして逗子駅どまりのJR千葉線に乗り、無事マンションに帰った。

 レオちゃんが、玄関に飛び上がって迎えてくれた。

 しばらく休憩して、レオちゃんの散歩に出発した。

 久しぶりに富士山が顔を出していた。とてもきれいだった。

(注)

 今日は都議会議員選挙投票日ですが、私共二人は、先日17日不在者投票を済ませてきました。

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逗子海岸と葉山・森戸海岸など一巡。

2025-06-20 21:08:51 | Weblog

 昨日午後、「明日午前に、新宿を出発するよりも夜出発したほうが賢明だろう」ということになり、午後9時過ぎに、首都高に上がった。

 最近、夜間に高速道路を走ったことがなかったので緊張したが、予定よりやや遅れ、無事逗子に到着した。

 朝、逗子海岸に散歩に行くと、久しぶりに同じトイプードルのマイちゃん、カイちゃんに会った。

2~3か月ぶりだ。

 

いゃ~、海岸はいいね・・・。

レオちゃんも気持ちよさそう・・・。

 海岸には、海の家が多く立ち並んでいる。

 朝食を摂ったら、疲れが出て一服せざるを得なかった。ベットに潜り込む。

 夕方、ママは買い物に出かけたので、レオちゃんと私は、車で久しぶりに葉山御用邸方面まで夕景を撮りに出かけた。

車をパーキングに入れる。 一色海岸には、海の家は一軒もない。さすが、御用邸近くだからでしょうか。

一色海岸。右側の白い塀辺りが御用邸となる。

車を御用邸交差点前の葉山警察署の建物前に止め、窓からカメラのシャッターを切る。

葉山御用邸前。

この前を通り、しばらく行き、右折。細い通路を海岸に向かって走り葉山公園駐車場に車を入れる。

 

葉山公園駐車場の海岸側にある広場。もう6時前だったので、海岸へ降りている人以外は誰もいなかった。

公園広場から望む山側の高級別荘地区。

駐車場は18時で閉鎖となっていたので、1分前に脱出した。

 次いで、森戸神社に入った。

森戸神社の入口。奥の駐車場に車を入れる。

森戸海岸に渡る「みそぎ橋」。

森戸海岸。

森戸神社 本殿。

本殿の横から海岸側へ。

石原裕次郎の碑。

左側には、裕次郎灯台が遠くに見える。見えるかしら?

岩の上の松は「千貫松」と言われている松がすくすくと生き延びている。

ここ裕次郎記念碑の前で落日となった。

 富士山の姿が見えなかったが素晴らしい夕景だった。

 レオちゃんが最後まで付き合ってくれた。ありがとう。

 夕方の運転は危ないので、ゆっくり、ゆっくりとマンションまで帰ることとした。

  明日は、横浜・保土ヶ谷駅近く(タクシーで10分ほど、丘の上)のお寺さんで、家内の父母の合同法要が午前11時から行われる。その後、横浜駅近くの飲食店で親戚一同が集まり、会食とのこと。楽しみです。

 レオちゃん一人、お留守番。もう、慣れているから大丈夫だよね。

 

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首都圏真野人会総会・懇親会が開かれた。

2025-06-15 14:41:02 | Weblog

 6月14日(土)午前11時30分から、庄や目黒408店に於いて、首記総会・懇親会が開かれた。

 ご来賓を含め総勢60数名が一堂に会し、定刻に始まった。

  その模様の概略を写真を中心にお知らせします。

 第1部 総会は、常任幹事のH氏が司会を務め、開会挨拶から始まり、N会長挨拶、ご来賓祝辞、ご来賓ご紹介、そしてN会長が議長席について議事に入り、各担当者から議事報告、そして新会長の選出提案、新会長挨拶、最後に第1部 閉会の辞が述べられ、終了した。

 それらについては、写真の中で・・・。

 始まる前の会場スクリーン。

真野海岸・長浜からの夕景。手前の岩、立岩(別名、人面岩)。

 開会宣言は、真野人会K副会長が、体調がすぐれないため自席で宣言した。

 次いで、真野人会N会長が指名されて壇上に上がり、短い会長挨拶をした。

 ご来賓の挨拶に移り、まずK佐渡副市長が出席の予定だったが、急に体調を崩して検査入院とかで上京できず、W佐渡市長のお祝い電報が司会者から披露された。

 続いて、東京新潟県人会Y副会長の祝辞が始まった。

 東京新潟県人会副会長Yさんの祝辞風景。Yさんは、我が真野中学校卒であり、父親は、真野中学校校長だった。懐かしい昔話も飛び出していた。また、県人会の今年のスケジュール等をお話しし、皆さんの参加を呼び掛けていた。

 引き続いて、首都圏佐渡連合会I会長の祝辞。

 I連合会長の出身は隣の金井地区。真野地区の印象を述べられていた。また、ふるさと納税への協力を呼びかけられた。

 事務局から、今日のご来賓の方々がお一人づつ読み上げられご紹介、紹介された方は立ち上がり、挨拶された。

来賓の紹介に耳を傾ける出席者たち。左手相向こう側は各郷土会会長たち。

 奥側は、今回総会出席の若い真野人会会員たち。

 司会者から、議事進行に入りたい旨が述べられ、議長に例によりN会長を選出、壇上の議長席に着く。

 議事に入り、活動報告、会計報告などが手際よく報告された。

T会計担当の報告。

 4号議案の新会長の選任の所に来た。確かに議事にはN会長が進めることとなっているが、どうしたことか、規約に則っての選出に入らず、自分の指名のような発言をし、「よろしいでしょうか」と諮ってしまった。

 私が司会者の所に飛んで行き、「規約に則って、【会長】は、今日の総会に会長候補を提案して総会で審議決定するものだよ」と申す。その時には指名されたK新会長の挨拶が始まっていた。新会長の挨拶ののち、司会者から改めて、真野人会規約第9条を説明して「今日は、皆さんに新会長候補を提案して審議していただき、決定していただかなければならないものですが・・・。K新会長でよろしいでしょうか」と拍手をもらったという次第。大変お粗末なものでした。

K新会長のあいさつ。K新会長は、今までのことにとらわれず、ふるさととも交流の幅を広げてゆきたい。皆さんの協力をお願いしたいと述べられていた。

 第1部の閉会の辞をH顧問が。

  H顧問は、一つ付け加えられ、このままでは真野人会の行く末を心配、若い人たちの真野人会役員への加入推薦を皆さんにお願いしていた。

 5分間の休憩ののち、第2部が始まった。

 佐渡国仲商工会O会長(畑野出身)のあいさつ。昨年4月、国仲4地区(金井、新穂、畑野、真野)の各商工会が合併し、本部を畑野に置き、3支部があること等の説明が行われた。

佐渡市真野行政サービスセンター長K氏のスライドを使っての「佐渡島の金山・西三川砂金山」を解説。

西三川砂金山を解説。非常に内容の濃いものだった。 

 乾杯のビールが配られている間、元佐渡市長Tさんが、佐渡市合併の裏話を書いた小説を説明し、乾杯の音頭に入った。

カンパイ。乾杯。

 H司会が、どうしてかステージに飾ってある今日の総会・懇親会への祝い品のご紹介を、忘れたように今になって出席者の皆さんに紹介した。

                                                      写真は、今回の総会・懇親会に、ご来賓としてご参加くださいました東京赤泊会副会長Mさんの提供によるものです。 

遠くふるさとからお持ちくださった国仲商工会O会長・T副会長、(株)大庄経営者T会長、首都圏真野人会C事務局長そしてH顧問らによる日本酒。皆さん、ありがとうございました。

 いよいよ本番に入った。

 会場では、「やっと・・・」という声も聞こえた。

 そのあと、私は、ふるさとから送って来たお酒を皆さんに注いで歩いていたので、余興はあまり見ていない。

 ステージでは、

佐渡おけさも行われていた。

 ビンゴインには全員参加した。 私は出だしが全くダメ。 参加賞。

 でも、やはり、久しぶりに会うみなさん。楽しいものだ。

 あちこちで、新しい方には名刺交換。 同じ集落の人には、「あんた、おかあさん、そっくりだね」などなど。

 次回も出席してね、と握手して・・・。

 

 

 

 

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