30日午前8時過ぎ、ドンデン山のくねくねした山道を下ると車を止め、カーナビの設定を真野の実家に合わせた。
そしたら、わざわざ両津市街を通らなくて相川方面に向かう本線と合流することができた。
昔、ビンチョウ坂と言われたところを駆け上がり、吉井地区→金沢地区→昔農業試験場のあった横を通り、田んぼの広がる所を通って真野金丸地区へ。
金丸地区は実母の実家がある所。通常はここから親戚周りが始まるのだが、事前に連絡したらガソリンスタンド経営のため朝早く出かけてしまったとのこと。
私も今日は忙しいので、明日11時に伺うこととした。
直接実家に向かう。
実家では、お墓参りに行くのだろうと 事前にきれいなお花を用意してくれていた。
ただ、墓参り箇所が多いのでやや不足気味のよう。「これからスーパーに行って買ってくる予定にしているから心配しないで」と・・・。
家内と三人で何時も欠かしたことのない順徳上皇の火葬塚「真野御料」 に向かった。

真野御料の入口。

敷地を囲む長い塀。

この地区は宮内庁管轄となっている。

火葬塚。とてもきれいに管理されている。

ママがレオちゃんに挨拶するように仕向けるが・・・。
私は、昭和33年春高校を卒業をして、両津港で父母に見送られながら上京して以来、佐渡に帰郷時にはいつもここ順徳上皇の火葬塚をお参りしている。 数年前、順徳上皇生誕800年祭がここ火葬塚前での式典、並びに真野体育館で開催された時は、招待された。うれしい限りだった。
帰り際、売店のSさん(経営者)に挨拶すると、左手のお店まで飛んできてくれた。
「最近、順徳上皇云々でここまで上がってこないのよ」とこぼしていた。ご主人は、施設に入っているとか。私が首都圏真野人会の役員にいた時、大変お世話になった方・・・。家内はお土産に3~4個お願いしていたが、端数は袋の中に投げ返し取らなかった。 すみません。
お互い元気で! とお別れした。

店舗の片隅にある佐渡赤玉。すごいですよね。
真野新町まで走り、スーパーで墓参りのお花を3束ほど買う。
そして、無二の親友N呉服店に立ち寄る。
今度の幹事役Tさんの話によれば、「N君が合うのはH君以外いない。奥さんに寄れば、H君は、止めようとする前にもう上がっているから・・・」と噂されているようだ。
しかし、今度だけは、玄関で躊躇した。
あらかじめ実家の兄嫁やTさんから「彼はベットに寝っぱなしのようで、奥さんが面倒見るのに大変」と聞かされていた・・・。
奥さんが扉を開けてくれた。
「本人は、ベットに寝たままです。本人はやせた顔をSさんに見せるのがつらいと思います。ここで勘弁してください。」と奥さんが申す。
「私もその気持ちはよくわかりますので、ここで失礼します。ただ、今まで佐渡へ渡るといつも彼に顔出ししていたので、”今回同級会があるのに、寄らなかったね、と内心思うだろう”。彼も出席したいのに・・・。こんな体になって辛いと思うよ」 と小さな菓子箱を奥さんに差し上げた。 奥さん、私の顔を直視できず、涙を流していた。
奥さん、車まで送ってくれた。
次いで、やはりお世話になったN建具屋さんに立ち寄った。ご夫婦共にお元気だった。
ちょうど正午ごろの暑い時間に大願寺にある墓参りとなってしまった。
真野四日町にある時宗のお寺さんです。

山門は茅葺き。

本堂。
この左手にお墓が並んでいます。風がなく気温は大変な暑さ。左手の坂道を上がるのが一苦労。
やっとたどり着き、いくつもの墓のひとつづつにお線香を立ててゆく。

代々続く墓が多くあり十数個になるかしら?
この後がダウン寸前。親戚の墓が、山の上あったり、祖母の実家N家、と廻ったあたりで、動けなくなり、ダウン。木陰で一休み。芝生に座っていると、近くにいた大工さんが心配して「大丈夫ですか」と声をかけてくれた。
まだ、母実家の金丸のお墓に行かなければと、力を振り絞って10m先の目的地に向かって立ち上がった。
これでお墓参りは終わり。こんな暑い時期にお墓参りをするもんではない。つくづく思う。
実家に帰り、しばらく横になって休む。
休んでるとき、”東京から持参したメロンは、こんな暑い時に車の中に置いては腐ってしまうのでは・・・” と思い、急遽二見の実姉の所に今日中に届けることとした。
同窓会の開催時間は午後6時。十分間に合う。
午後3時ごろ、車で30分ほどかかる二見まで、急遽車を走らせる。
姉は、この7月で95歳になったとのこと。車輪のついた車椅子でゆっくりゆっくり子供たちから横を見てもらい歩いている。 話すことははっきりしている。
食欲は、旺盛のようだが人の助けが必要なようだ。
「あまり時間がない。このメロンを届けに来た。明日ゆっくりと夕食をご馳走になりに来ます」と言って、あわただしく別れた。
その足で、これから6日間8月3日までお世話になる国際佐渡観光ホテル八幡館に入館手続きを取った。
部屋の電話で今日の懇親会会場の新町までタクシーを依頼したところ、30分もかかるとのこと。それでは開催時間に間に合わない。
挙句の果て、「運転代行がいるだろう」と、自分の車で会場まで駆け付けた。慌てる・・・。
そしたら、現在うるさくて・・・。方法として、「自分で自分の車を運転して八幡館まで帰ってください。そして、追っかけて行った車に乗って本人は帰って来てください」とのこと。「わかりました」といってまた、自分の車を運転して八幡館まで帰り、後から来た車に飛び乗って会場に帰ってきた。車のカギはママに預けレオちゃんのエサをお願い。
大変なご迷惑をしましたが、その間会場は皆さん和気あいあい、始められていた。

筆頭世話役のTさん。元佐渡市長。足が痛くて、椅子に座っていたが元気。その隣が千葉から参加のIさん。

中学3年B組の卒業写真。一応顔を防ぎました。私共はA、B、Cの3組。一クラス48名前後合計132名だったように思います。今年の卒業者男性17名、女性18名 合計35名と運例の差ですね。
Aクラス、Cクラスの写真も回覧したんですが、「自分がどこにいるかわからない?」と真剣に探す姿は、・・・。
「もう、自分たちの写真は息子や孫に残してはいけない。処分に困るだろうから・・・」と自分で処分した人もいました。「Hさん、良く今まで保存していたね」と 言われてしまいました。
そして今日の記念写真。

幹事のTさんが、自分で並んでいる順に書いたものを! わざわざ広げての記念写真です。男性7名、女性5名の参加でした。
幹事のTさんに、耳にタコができる程聞かされた「これが最後の同級会」。開催日の2~3日前には、手足となって纏めていたKさんが突然入院。帰る日(8月3日)に四日町にあるKさんのご自宅に立ち寄り、お見舞いの言葉を述べさせていただきました。
85~6才が12名集まることの大切さ、困難さ。身に染みて感じました。
皆さん、お体に十分お気を付けくださいますようお願いします。
八幡館までは、女性で佐和田地区まで帰る方(Fさん)がいたので、お酒の入っていないことを確認し、送ってもらった。Fさんは出席者全員に「たらみのどっさり白桃(6個入り) 」 をお土産として配っていた。そう容易くできることではない。ありがたい。東京に帰った翌日、佐渡にいる本人に御礼の電話を差し上げた。ありがとう。