花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

私の年末

2016年12月29日 | 日常の日記
気が付けば、今年も残す所あと二日・・・

若い頃のように、イルミネーション巡りやクリスマス会などを楽しんで、
なおかつ「エイヤ~」と大掃除に励む体力も気力もなくなったと実感ですが
年末は自分で敷いたスケジュールを最低限にこなしています。

12月28日の富士山
北風の冷たい中、スッキリと晴れ上がった夕景の空を見上げ、
カメラを抱えて、我が家から歩いて2分の通称「どんぐり公園」の一番上まで登ってみた。



富士山の見える方向の西の空がオレンジ色に染まっていました。



お彼岸の頃には富士山の上に太陽が沈む「ダイヤモンド富士」が見られるのですが
冬至が過ぎたばかりの今は、左手に並ぶ「箱根連山」の更に南側に沈みます。



住宅地の電線が邪魔ですが、暮れ行く空の群青色とオレンジ色のグラデーションに
しばし寒さも忘れて見入っていました。

一人で過ごす年末はやはり少々寂しい・・・

この日は朝から夫のお仲間さんが、玄関わきの槇の木の剪定に来てくれました。
「お正月を迎える前に、せめて玄関前の槇だけでも手入れをしないとIさん(夫)に叱られそうで」と・・・

茂った槇の木が、床屋さん行った後のようにスッキリしました。



ついでに「松飾り」も取り付けてくれました

夫のお客様だった、我住宅地の顧客先のお庭を引き継いでくれたお仲間さんは5人いますが、
いつも挨拶に来てくれて、お線香をあげてくれるのは一番若い彼だけで

半日分の手間賃を出したのに受け取らず・・・
義理人情の世界に歳は関係ないのだと思い知らされています。
お礼に「キッチン・naoママ」特製の鍋焼きうどんをご馳走しました

クリスマスイブ(12月24日)
この3~4年、私から孫たちへのクリスマスプレゼントは、彼らが欲しい物をオカータンがネットで注文して、
私はお金を出すだけだったのですが・・・

いくら安く購入できても「それってちょっと変と、同じ状況の婆仲間と話していたものです。

それを察したのか?、ネットに注文する時間がなかったのか?
今年のクリスマスは休日だったので、息子に誘われ孫たちと「山〇電気」と「トイザラス」に行きました。

お兄ちゃん孫のハー君は「プレステ4・信長の野望」



孫娘はディズニーキャラクター「マジカルポット」(ゲームができるスマホのようなものらしい)



仕事とお買い物で出かけていたオカータンも加わっで、イブの夕食は駅近のイタリアンに行きました。



それぞれ好きなものを頼んで、シェアーしました

6年生のお兄ちゃんは、大河ドラマの「真田丸」を毎週楽しみに見ていたようです。
お城も大好きな歴女ならぬ歴男子・・・

ドラマも終わって、真田信繁(幸村)さまロスの私は嬉しい限り
戦国時代の武将の物語が大好きだったじぃ~じも生きていたら、さぞかし喜んだことでしょう・・・

生ハムサラダに鶏のから揚げ、豚のリブも牛肉のトマト煮ももっぱらハー君が平らげました。
背丈も150㎝を越えて、155㎝の私ももうすぐ追い越されそうです。



ばぁ~ばのお財布は軽くなりましたが、楽しいXmasでした。

趣味の会のあとは、仲間とランチ(12月27日)
年末とはいえ、趣味の会は普段どうりありました。

コーラスでは時節柄第九の「喜びの歌」を大声で歌い
ダカーポの「BELIEVE]の歌詞に胸が熱くなりました。

♪たとえば君が傷ついて くじけそうになった時は~
♪必ず僕がそばにいて 支えてあげるよ その肩を~



ご近所仲間とストレッチ体操で身体をほぐした後は、午後空いている人だけで毎回のようにランチ&お喋りです。
今年の最後は駅前ショッピングセンターレストラン街の「さぼてん」で、豚カツと野菜の黒酢和え定食で〆ました。
3時間お喋りも楽しんで、お正月用品も買って帰りました。

外回りの大掃除(12月29日)
今日から年末年始の休暇に入った息子が、孫娘を連れて重い鉢物類を片づけにやってきました。

私は夫が遺した70~80鉢の盆栽や木々の維持はとてもできず、たくさん枯らし
それが重くて移動もできず、私の手では捨てられずにいました。

息子が畑を往復して土を捨て、15鉢以上整理しました。

夫が造った「自動散水機の装置」も解体です。
みんな処分しろと言っていた息子が「流石親父、凄い物を作ったんだ」と感心しきり・・・
シンミリと「これは便利だし、親父の思いが籠っているから使うべき」と言い出しました。



孫娘はデッキブラシでタイル磨きです。
びしょびしょになって、部屋に入りストーブの前で観ていたのが、私が録画したドラマ「逃げ恥」の最終回・・・
「みくりちゃん可愛いよね。ひらまささんは歌もダンスもステキ」と

まさか孫と同じTVドラマが大好きになり、「素敵ね」などと会話ができるなんてビックリです。
彼女は「恋ダンス」も上手に踊ってくれました。

この「逃げるは恥じだが役に立つ」のドラマのお話はこちらで紹介しています。

息子と菜奈ちゃんの活躍で、玄関周りがスッキリさっぱりしました。ありがとね。



二人が帰ってから私は、買っておいたお花を植えつけました。



門や玄関周りをお花で飾りたいのですが、北側なので冬は日当たりが悪くて残念です。

私の来年の目標は「ガーデニングも趣味」と言えるようになりたい
(野菜作りはもう25年以上もしていますが)

夫を亡くしてからのこの2年半、一人で家に居るのが辛くて、兎に角出かけて毎日必死に歩いていました。
お蔭で今年も寝込むことなく元気に過ごせました。それだけでも良い年だったと思います。

皆様もどうぞ良い年をお迎えください。

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三浦アルプス「上二子山~鷹取山」を歩く

2016年12月23日 | 山シリーズ
冬至も過ぎたというのに、暖かい日々が続いています。
師走の23日朝のリビングの気温は18度、暖房もなしで済みました。

明日からはクリスマス寒波が襲ってくるのでしょうか・・・?


(12月20日、鎌倉山「雷亭」の庭に咲いていたスイセン)

我住宅地を一時間・7000歩で廻る防犯パトロールは、雨の日以外は年中無休
私も週に3回以上は出るようにしていますが・・・

ワンゲルの会の(私としての)今年最後の歩きは、12月20日(火)の「藤沢路地裏ブラ歩き」でした。

暖かい日和で、上着を脱いで歩きましたが
温暖な湘南地方はもう「スイセン」がたくさん咲きだしていました

藤沢のコースの紹介の前に、先月に行ったワンゲルの会の山歩きの模様を先にUPいたします。

三浦アルプス「上二子山」へ(11月20日)
集合はJR横須賀線「逗子駅」10時45分、駅前からバスに乗り「南郷公園」で下車



銀杏が見事な黄金色に色付いていました
これから登る「上二子山」が見えています。



砲台道を登っていきました。



12時少し前に頂上に到着です。
この展望台からの眺めは、同じワンゲル仲間の山小屋さんが紹介していますのでこちらでどうぞ

展望台下で昼食タイムです
持ってきたおにぎりを食べましたが、空からトンビが狙っていて要注意

そのすぐそばに「一等三角点」が建っていました。



晩秋のこの時期に、大きな「トネアザミ」が咲いていました

いったん下山して次の「鷹取山」に向かいますが・・・
この下りが前日の雨で滑って滑って、ひたすら下を見て腰に力を入れ膝でブレーキをかけ
慎重に行きましたので、写真は一切撮っていません。



転ばないようにゆっくり時間をかけて下り、少し開けた所で一休み
これから向かう「鷹取山」が見えていました。

更に30分行くと横須賀線の東逗子駅に出ます。
「もう疲れた」と3人がここから電車で帰ることになりました。
皆の靴もドロドロで、駅横の水道で洗います。

東逗子駅から「鷹取山」へ
「ここから40~50分で鷹取山の頂上です」とリーダーが声をかけ出発しました。
時計を見るともう2時を回っています。



この神武寺・鷹取山ハイキングコースは、5年前の2月に山仲間のYさんと歩いていて
その時の方が余裕があったので画像もたくさん撮っていますのでこちらでどうぞ



「神武寺」の表参道が「鷹取山」の登山道に通じているのです。

医王山来迎院「神武寺」
登りだしてからおよそ15分で「神武寺」の最初の小さな「山門」が見えてきました



山中で静かな佇まいを見せる「神武寺」は奈良時代の724年、
行基という僧により創建されたと伝えられる天台宗の古刹です。



モミジが色付きだしていました



「三浦半島八景」の一つに数えられている神武寺の晩鐘です。



苔生した階段を登っていくと「六地蔵」が並んでいました。



赤い楼門をくぐると「薬師堂」です。
天正十五年(1590)、豊臣秀吉の小田原攻めのときに諸堂が焼けて失ってしまいますが、
慶長三年(1598)に薬師堂が再建されたそうで、室町末期の建築様式だとか・・

この薬師堂の左手に「鷹取山」への登山道が通じていて、岩場や鎖場が続きます。
前回はカメラで撮りながら楽しく登りましたが、今回はそんな余裕はありません

そんな中にリュウノウギクやコウヤボウキが咲いていました。



こちらは頂上付近にたくさんあったセンボンヤリの穂綿



鷹取山の地質は大谷石と同じ「凝灰岩」、ここはまさに「岩の山」です。
その岩を利用しての「ロッククライミング」の練習場になっていました。



標高139mの頂上に建つ展望台に登ります。お昼を食べた二子山が見えていました。
左手のパラボラアンテナが建っているのが、ドロドロの中を下った「上二子山」です。

この日は暖かい日で、上着を脱ぎポロシャツ一枚で歩きました。
富士山がぼんやり見えていましたが、私のコンデジでは写りません



南側は長浦湾方面が見えています。自衛隊の船でしょうか?
反対側にはうっすらと、横浜MM21のラウンドマークタワーも見えていました。



3時半を過ぎ、京浜急行の「追浜駅」に向かって下ります。

地元の彫刻家「藤井茂氏」が昭和40年ごろに彫った磨崖仏が現れ
圧倒される思いで見上げました。

湘南鷹取の住宅地の中を30分近く歩いて「追浜駅」にようやく到着です。

駅近くの居酒屋さんでのどを潤しました。
「低山と軽く考え参加したけど、意外に疲れた」と、屈強な昔の山男が呟きました。



5時間以上(21000歩)歩いた後のビールは本当に美味しいです
私、ますます「オジサン化」していますわ

これからも月に2回(15000歩以上)のワンゲルの歩きと、
週に4~5回のパトロール(7000歩)は元気に続けて行きたいと思っています。




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MM21の夜景撮影会と、私の気になるTVドラマ

2016年12月18日 | カメラ教室
12月も半ばを過ぎて、今年も残り少なくなりました。

この春から月一だったコーラスを2回にし、今まで月二回だったストレッチ体操を今月から4回に増やしたら
2週目・3週目が大忙し、先週は連日のコミニィティーハウス通いとなりました。

でも、この土日からはいよいよ大掃除モードに突入です
カーテンの洗濯と窓のガラス磨きなど、幸い好天に恵まれはかどりました


横浜みなとみら21(MM21)で夜景撮影会・11月25日
雪と紅葉の大山での「ワンゲルの会・30周年記念食事会」を終えて、私は急いで横浜のMM21に向かいました。
小田急・相模鉄道・みなとみらい線と乗り継いて、夕方の5時前に到着



クィーンズモールからコスモワールド横の橋の上まで来ると、丁度太陽が沈んだ直後の
トワイライトの風景が広がっていました。



私はこのオレンジ色の空から群青色に変化していくこの夕景の時間が大好きです。

世話役のS氏に連絡すると、汽車道のワールドポーターズ前に居るからとの返事でした。



ワールドポーターズ前の広場で三脚を立てました。
S氏とK氏が夜間撮影用の設定を教えてくれます。「シャッタースピード優先ね」「2秒かな・・・?」
私は古いカメラのレリーズを持ってきたことに気が付いた(やっぱりボケた~
三脚使っても手押しではブレがちになりますわ。

体力は残っていても、気持ちがプッツンしてしまいました



汽車道の「ホテル・ナビオス横浜」下の飾りつけは、光のカーテンでした
二科展に何度も入選しているおじ様や私と同年輩の女性も加わって、万国橋に向かいます。



ラウンドマークタワーからクィーンズビル、そしてコスモワールドの大観覧車までが一望のもとに眺められる
「万国橋」が、みなとみらい地区の一番の撮影スポットです。

私は3時まで大山でシシ鍋のオジヤを食べていたので、この日のイタリアンのディナーはパスして帰るつもりでした。

「naoさん、暖かいコーヒーだけでも付き合いなよ」とS氏に言われ、その気になりました。
流石に手足が冷えてきて「暖」が欲しくなったのです。

この日の食事は桜木町から歩いて3分のクロスゲートビル3階の、カジュアルなイタリアンのお店こちらです。
ネットよりお借りした画像ですが、このコースで2000円足らず・・・
私は帰るつもりでしたので予約には入っていません。



お腹がまだ空いていなかったので、コーヒーだけを頼みました。
ただ、次々にワインボトルを注文する飲んべいのおじ様方のそばに座ったので、まぁ~まぁ~まぁ~と

昼はビールコップに2~3杯、夜はワイン2~3杯と良い気持ちになりました。

「今日はダブルで朝から出かけたので、お先に失礼します」と立ちあがると、
「同じ街に帰るのだから」と引き止められ、結局皆さまから廻ってくるおつまみを少し頂いて・・・

最後まで付き合い、駅から一緒にタクシーに同乗して9時半過ぎに帰宅しました。
流石に疲れはてた一日でした。


              

私のお気に入りのTVドラマ
行楽シーズンの11月は旅行にワンゲル、写真撮影会に作品展、コーラスの発表会もあり
映画も行って食事会もして、楽しくもありましたが大忙しの日々

法事も二回あり、最後の日曜日のtaeさんの一周忌に参列したら流石に頭がクラクラ。
病院で血圧を計ってもらっても異状なし・・・

疲れと季節の変わり目とが合いなって、自立神経系が乱れたようです。

TBS系ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」
夜は夫の遺影の前にビールをつぎ、私もお相伴にあずかっていますが・・・
TVを前にウトウトする日が多くなりました。

そんな中でたまたま目にしたのが、わが街横浜が舞台のこのドラマこちらです。



大学院まで出たのに就活に失敗し、父親の世話で家事代行の仕事に着いた主人公の森山みくり(新垣結衣)
父の定年で両親が故郷「館山」に引っ越すのをきっかけに、雇い主の津崎平匡さん(星野源)と契約結婚という形で同居します。

その平匡(ひらまさ)さんは自分の年と同じ35年間彼女なし、真面目で潔癖症なIT企業のサラリーマンです。
この二人が繰り広げる、漫画が原作の何ともムズムズするラブコメディーですが・・・



塩顔で「プロの独身男子」を演じる星野源って誰

雇用主と使用人と言う契約結婚もビックリですが、恋心を募らせていくみくりちゃんが積極的に出ても
その真面目な性格ゆえカラに閉じ籠ってしまう草食男子に、昭和のおばさんの私は啞然

これでは日本の少子化問題は解消しないわと、平匡さんをドヤしながら観ていますが

だんだんみくりちゃんに惹かれていく平匡さんも、勇気を出して頑張り・・・
素敵なMM21地区の高級レストランでデートをして、ついにプロポーズに至ります。

所がみくりちゃんの思いがけない反撃に合い、二人の「恋」の行方はどうなるか



紅白の出場歌手でもあるアーティストの、星野源さんの歌う曲に合わせて踊る「恋ダンス」が
エンディングに流れ、今巷でも大人気らしい・・・、
とにかくガッキー(新垣結衣)ちゃんがめちゃ可愛いです

20日の火曜日が最終回ですが、視聴率20%は行きそうな勢いで、
今期秋のドラマ部門では一番の人気ドラマですね。

ぎごちない二人が心を通わせていく姿が何とも「ムズキュン」で
今では私もウトウトせずに真剣に見ているTVドラマです。

NHKドラマ10「運命に似た恋」
南国に咲く「サガリバナ」に惹かれて観だしたこのドラマ、私はこちらで紹介しています。
毎回胸キュンキュンとさせながら見ていましたが、11月11日で最終回を迎えました。



「逃げ恥」のドラマの内容とは正反対で・・・
子供の頃の約束の「いつか迎えに行く」という言葉を信じて実現するシンデレラストーリーですが
最後は意外や意外!、命をかけた救済の物語でした。



「逃げ恥」ドラマの平匡さんとは正反対の、肉食系男子の象徴のような斎藤工さん演じる有名デザイナーのユーリが、
年上の初恋女性、バツイチで高校生の子持ちのクリーニング店員のカスミ(原田知世)にグイグイ迫ります。

「あなたは運命の人なので・・・」「僕のお姫様なので」「君でなきゃダメ」というセリフが並び
心が渇いた昭和のオバサンの私にはキュンキュンと響きます

最後は子供の頃からの癌が再発するユーリが、盗作疑惑をかけられ苦悩の末に自殺を覚悟するのですが
カスミが「死ぬなら付き合う」「でも生きない?」と言って救済します。

音楽も素敵で、サガリバナがモチーフの素敵なドラマでした



「逃げ恥」では女性のみくりちゃんがバックハグをしますが・・・
こちらの「似た恋」は大柄なガタイのセクシーな斎藤工さんが、原田知世さんを包み込むようにバックハグ
「キャァ~~~、これが昭和と平成の違いでしょうか

ラブストーリーの神様の北川悦吏子さん脚本のこの作品、40~50代には人気で掲示板も大賑わいですが
視聴率は5%と振るわなかったようです。

魂に響く恋愛物語は昭和の女性に受けても、淡白な平成の若者には受けなかったのでしょうか?

私は「似た恋ロス」で、買ってきたノベライズ本(文庫本)を読んだり、録画を見たり・・・
常に頭の中でエンディングに流れる主題歌の、Cocoの「樹海の糸」が流れていましたが

今では「逃げ恥」の平匡さんが歌う恋ダンスの歌が流れ、ウキウキしています
すると男らしい感じの斎藤工君に比べて、至って地味な塩顔の星野源さんも王子さまに見えてくるのが不思議ですね

そして今日は大河ドラマ「真田丸」の最終回



夫が生きていたら毎回の録画は間違いなしのこのドラマ・・・
私は観たり観なかったりしながらも、だんだん真田信繁に魅せられていきました。
(逃げ恥で平匡さん役の星野源さんも、徳川家康の嫡男・2代将軍「秀忠」を演じています)

最後は歴史が示していますが、信繁の最期がどのように描かれるかが興味あり、しっかりと見届けたいと思います。

そして同じく今日が最終回のドラマ「山女日記」が夜の10時からあります。
これは山を趣味とする者、毎回欠かさずに観ました。



すべて現地でのロケ撮影で、私が行った山ばかりでした公式ホームページはこちらです。
最終回は上高地から行く涸沢が舞台です。うたたねしないように、こころしで観なければ・・・

アルプスのガイド役の工藤夕貴さん、BSで「百名山を登ろう」という番組をやっているだけあって
ガイド役も違和感ありませんが、昔の工藤夕貴さんのイメージと少々ギャップがありました。

キュンキュン感はありませんが、アルプスの大自然が堪能できます。

今日は「真田丸」と「山女日記」の最終回を、是非観なくてはと思っています。
">


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ワンゲルの会、30周年記念・紅葉の「大山寺」とお豆腐料理&シシ鍋の食事会

2016年12月14日 | ハイキング・散策
大山「阿夫利神社・下社」を後にして、私は12時発の下りのケーブルに乗り
途中駅の「大山寺」で下車しました。

雨降山「大山寺」(11月25日)
駅の階段を下ると、紅葉のトンネルが続きます。



先に訪ねた「阿夫利神社・下社」とは違い、こちらはお寺、雰囲気がまるで違います。



紅葉は終わりに近かったのですが、太陽が当たっている所を逆光で見るとまだまだ綺麗でした



天平勝宝7年(755年)、奈良東大寺の別当良弁僧正が開基し、聖武天皇の勅願寺となった古刹。
真言宗大覚寺派に属し、京都大覚寺の別院でもあります。

通称「大山のお不動さん」と親しまれ、関東三大不動のひとつに数えられています。
詳しいことはこちらのホームページでどうぞ

本堂の屋根から雪が大きな音を立てて落ちてきて、怖くてお賽銭箱には近寄れませんでした



鎌倉に多い禅寺の風情とは全く違い、如何にもお不動様のお寺と言う感じがしました。
リーダーに「階段下から写真を撮ると、紅葉が綺麗に入るよ」と言われていたので下ります。



紅葉を撮るには光が大事、最後のモミジは残念ながら輝きが失われていました

木々に積もった雪が融けだして、雨のように落ちてきます。
人の姿が殆ど見えない女坂を一人で下るのも、足元が不安で勇気が要りました。

すると目の前に、上の阿夫利神社ですれ違ったリーダーの姿が

食事処までの20分、私はリーダのHさんに案内され安心して下ることができました
(お正月明けの大山登山の時は、男坂の下りを誰かさんに置いて行かれましたわ

ワンゲルの会の創立の時から活躍していた理事のリーダーさん達は、
殆どの方が80歳を越えていらっしゃるのに、皆さん本当にお元気

この時ご一緒したHさんは我が家近くの大船にお住いで、山の行き帰りの乗り物で一緒になる機会も多く
奥様も高校の山岳部で活躍なさった元山ガール・・・

「こんな兄夫婦が居てくれたら私も心強いのに」と、同行するたびに思います。

大山名物「豆腐料理」のお店で、シシ鍋料理の食事会
毎年お正月に大山登山をし、ここで新年会をしていたそうですが(今年の1月7日には私も参加)
今回はワンゲルの会の創立30周年記念で集まりました。



思いがけず前日は積雪となった関東地方ですが、まだ11月・・・
お料理屋さんの玄関先の皇帝ダリアが、辛うじて倒れずに咲いていました。



猪のお肉のお鍋です。
脂身の少ない豚肉に似た感じですが、匂いが少々違います。

「精が付いて身体が温まるよ」と言われ、(この日私は夜の撮影会もあったので)しっかりと頂きました。



湧水が豊富な大山と言えば「豆腐」が有名です。
おつまみはすべてお豆腐料理でした。



お酒をたくさん飲む人は奥の舞台側、飲まない人は反対側の手前、少し飲む人は真ん中ね・・・
私の席はいずこ~

女性陣も皆さん本当にお若い
2~3歳位お姉さまかしら?と思っていたJさんは、私よりも9歳上と聞き信じられなかった
脚力も強くスリムで、お洒落な美人さんです。

「私にとっての希望の星だわ」と伝えたら、「私の希望の星は84歳のKさんよ」とおっしゃる・・・
皆さん凄いわ~~~



一人一人の挨拶では
「2年前に入れて頂き、行きたいあの山この山・5街道もすべて歩いたと言われ残念で」
「もっと早く入会すれば良かったと後悔しています」と言いました。

「でも私も足腰衰えてきたので、無理せず楽しめればいいかなぁ~と思っています」とも・・・

最後に舞台に並んで集合写真を撮った後、
「10年後の40周年も、皆でここに集まろう」と三々七拍子で〆めて解散でした。

私は挨拶もそこそこに、3時10分のバスで次の横浜MM21での夜景撮影会に
参加するために失礼しました


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最後の紅葉と、雪の「大山阿夫利神社」

2016年12月09日 | ハイキング・散策
12月9日は南風が吹いて暖かくなりましたが、これで今年の紅葉も終わりです。
前日は北風が冷たかったものの、富士山も見えて青空が広がる気持ちの良い日でした。

カメラを抱えて最後の紅葉を撮ろうと散歩に出てみた私・・・

私の散歩道(12月8日)
我が家の真っ赤なドウダンと黄色いモミジは今週初めに散ってしまいましたが
この一週間、我が家の玄関口に立つと・・・
向かい側、三軒先のFさん宅の大きな山モミジが赤や黄色に染まっているのが見えました



奥様のU子さんとは親しくしているご近所仲間同士・・・
「紅葉の写真を撮らせて」と声をかけお庭に入れて頂きました。



ご主人さまが40代の頃に、お仕事をしながら2年かけて造ったお庭には
大きな山モミジが数本とセンダンの木、そして桂の木などが植えられています。



夫と親しかったご主人は元〇航のジャンボ機のパイロットさん。

我が家の2倍の広さのお庭には見上げるばかりに育った木々が茂っていて、まるで自然林のよう
夏はクーラいらずと聞きました。

F家の裏側は里山に続く雑木林で、犬の散歩に訪れる人がいっぱいです。
愛犬ジュン君が居た頃は毎朝一緒に走っていたこの道を、昨日はノンビリと歩いて行きました。



ススキが光って、風に揺れていました。

我が家から歩いて5~6分、雑木林が途切れると丹沢の山々が見渡せます。

一ヶ月前に山仲間と3人で、(前回ご紹介した)小田急沿線の頭高山と渋沢丘陵を歩いた時には目の前に見えた大山が
ここからはちょっと違った角度で見えていました



標高は1251m、関東平野にのぞんで突出している雄大な山容は、丹沢山塊東端の独立峰となっています。

ワンゲルの会で二週間前に行った時は思いがけず11月の降雪で
今年最後の紅葉と白い雪のコラボが見られた大山です。



中学校の校舎の左側には富士山も姿を見せていて・・・
お昼近くになったので、雲が少し湧きだしていますね。

私は息子一家が住むお隣の住宅地に下って、そのまま生協にお買い物に行きました。

この三日間、我が家の斜め前のお宅のお庭に、夫のあとを引き継いだお仲間のH君が剪定に入り
私の感情がちょっと逆戻りしています

去年ご主人を亡くされ息子さん宅近くのマンションに移り住んでいた、家主のMさんが10月にこの地に戻ってきて
「Iさん(夫)の仕立てた木の姿がお気に入りなので、それを壊さないでね」と言ってくれたり
「Iさんが作ってくれた竹の手すりが老朽化してしまった」と残念がられたりで、私は涙が出ました

息子と同年輩のH君は若いのに、近くに来たら必ず夫にお線香をあげに来てくれる好青年です。

我が家の周りには夫の顧客宅が5~6軒あり、引き継いだ他の60代の後輩の方々が何人かお庭の剪定に来ていますが
我が家に挨拶に来て、更にお線香を上げてくれるのは彼だけ・・・

「こういう気遣いができるのは、歳とは関係ないのだなぁ~」と感じ入ったりした3日間でした


                

雪の「大山阿夫利神社・下社」(11月25日)
観測史上初めての11月の積雪があった翌日、私が暮らす地域は快晴に恵まれました
前回もご紹介しましたが・・・
2週間前のこの日はワンゲルの会での、大山中腹2時間半のワンデリングと、
発足30周年祝いの「お豆腐料理とシシ鍋」の食事会でした。



うっかりと、カメラクラブの「横浜みなとみらい夜間撮影会」の参加も入れてしまった私・・・
蓑毛からの裏参道歩きはパスして、「食事処に直行します」と前日リーダーさんに連絡

当日は朝から三脚抱えて、雪の大山の「撮影」目的でワンゲルの会に参加しました。

小田急の伊勢原からバスで30分、終点の大山ケーブルカー駅で下車し、阿夫利神社下社までケーブルカーで行きました。
前日の雪がまだ10cmくらい残っています。



日当たりの良い所の雪はだいぶ融けていましたが、紅葉は微妙です。



「今年は秋が短かったから、色づかない葉やあっという間に染まってすぐに散ってしまった葉などがあり」
「その上昨日の雪でもう終わりです」と、雪かきをしていたお土産屋さんのおばさんが話していました。



私は雪と紅葉のコラボを探してカメラを向けましたが、「絞り」が足りなかったのか?
上手く色が出ませんでした



標高700mの所に位置する「阿夫利神社・下社」です。

関東の総鎮守様とあがめられている神社で、上社は標高1251mの大山山頂にあり
神社創立は、今から2200余年以前の人皇第10代崇神天皇の御代であると伝えられています。
詳しいことはこちらでどうぞ



私は更に紅葉と雪のコラボを求めて登山道に続く階段を登って行きましたが・・・



スニーカーでは雪の残った足元が怖くて断念、戻ります。



展望台に立つと、伊勢原の街の向こうの相模湾に浮かぶ「江ノ島」が見えました。
奥に見えるのは三浦半島と、それに重なる房総半島でしょうか・・・

270mmの望遠レンズで狙います。
我が家は三浦半島の付け根ですから左手方面だと思います。



12時近くとなり、ケーブルカー駅の近くまで戻ると、この日の歩きのリーダーさんとすれ違いました。
「風邪をひいたので、集合場所の秦野で皆を見送ってからここに来た」とのことでした。

「ここの紅葉はもう終わりのようです」と伝えると、
「途中の大山寺の紅葉が綺麗だよ。歩き組は1時頃に食事処に到着だそうだから・・・」
「大山寺から15分で食事会場に下れるから、行くと良いよ」と勧められました。

私はケーブルカーの途中駅で下車して、「大山寺」に向かいました。
長くなりましたので、そちらの紹介は次回とさせていただきます。


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私変!「ボケた?」・我が家の庭と「頭高山~震生湖ハイキング」

2016年12月03日 | ハイキング・散策
12月に入り、穏やかな日和が続いていますね。
晩秋の11月下旬から真冬の2月頃まで、我家の二階から富士山が綺麗に見えます。

ただ今年はその回数が少々少ない気がしますね。

「我が家から見た富士山」(12月2日・朝6時40分)


この日はワンゲルの会の「箱根湯坂道歩き」を申し込んでいたのですが、どうも体調がイマイチで気力が湧かず
このコースも山仲間と3人で7年前に歩いているしで、前日断りました。

忙しすぎた11月の反動がどっと出てしまったようです
でもこの富士山を見てちょっと後悔・・・



今週はご近所仲間ののんちゃんが、三日続けて我が家の庭の剪定に来てくれました。
夫が亡くなった2年前から、「藤棚は任せて」と申し出てくれたのです。

彼女の趣味は庭作りと、部屋のリフォームなどなどで・・・
庭のデッキ造りや部屋の壁紙貼りなどはお茶の子さいさい
お隣との仕切りの木の塀まで、彼女一人で作ってしまうのです

夫亡きあとの、頼もしい頼もしいお助けウーマンですわ。

今回は藤棚だけでなく、夫が使っていた庭師用の剪定バサミと小型ノコを腰にぶら下げて
「一人で勝手にやるからね、用があるなら出かけて・・・」と言いながら
脚立に上って、茂りに茂った我が家の樹木をバッサリと切ってくれた。(夫がビックリしているかも知れない)



「茂っているのを見ると切りたくなるのよ」と、ご覧の通りスッキリさっぱり
そんな彼女ですが、「今日のnaoさん、少しぼぉ~っとしている感じ」と心配してくれた。

「ノドがちょっと痛くて目が回るの、遊び過ぎが原因ね。」と私

最近の私、時々ぼぉ~としてボケが始まったのかしら?と思う事が多い・・・
神隠し現象が増えて、探し物も増えた
(庭仕事しながら二人で鋏は?、ノコギリは?と探し回ったから、のんちゃんも同じで単なる老化現象

その「ボケ」を感じた11月初めのハイキング編をUP致します。

              

「頭高山から渋沢丘陵の震生湖」ハイキング(11月6日)
11月初めの小春日和の日曜日、実のお母様を介護している山仲間のYさんが
「娘が来て、母を見てくれると言うからハイキングに行こう」とのことで
GWの大山登山以来、腰を痛めていたKさんの「リハビリハイキング」と銘うって、5時間ほど歩いてきました。



小田急線の「渋沢駅」に9時集合、駅でパンフレットをもらって歩きだします。
この日は快晴に恵まれ、電車の中から白い富士山も綺麗に見えていて・・・
登山道に向かう住宅地からは丹沢連山が目の前に広がっていました。

標識に沿って「頭高山」(ずっこやま)を目指します。



大山街道は大山参りの古道ですが、東京・赤坂から続く「矢倉沢往環道」とは
秦野市内を東西に通過するのが国道246号線。市民なら誰でもが利用する大切な生活道路ですが、
その昔は江戸時代に整備された矢倉沢往還。
 


矢倉沢往還は東海道の脇街道として人と物資の往来が賑やかだったようです。
残っている古い往還は伊勢原から善波峠を越え、大山を右手に見ながら、西の出口である千村に通じますが
千村を抜けると忽然と姿を消してしまうようです。



パンフレットを片手に、古い歴史道を味わいながら半年ぶりに会った山仲間と歩きます。

40代50代はアルプスの山々を歩きまわった我ら三人も、60代はそれぞれが仕事や親の介護
孫の面倒見などで忙しくなり、中々3人揃っての山に行けなくなり・・・
70代を迎えた今は筋力も衰え、最近は低山歩きでアップアップです



このお寺を右にみて更に歩いて行くとようやく「頭高山」の登山口にたどり着きました。
これからが本番で、本格的にカメラの出番という時にバッテリーが切れ、予備電池と交換。
でも点かな~い、私は予備電池を充電し忘れていたのです

私ボケたかしら~

「頭高山」の詳しいことはこちらでどうぞ。

八重桜の広場で、おにぎりを食べて一休み・・・
登山口から30~40分で登れるこの山は、春の桜の頃に訪ねるのがお薦めです。

この頭高山から上の地図の一番右下に出て、渋沢丘陵の「震生湖」に向かいました。

2005年の11月25日に、私とYさんは小田急の秦野駅から渋沢丘陵ハイキングの経験があります。
こちらです。
今回画像がないので、その時の写真を使います。



秋の風の心地よい中、大山を始めとする丹沢連山を眺めながらのハイキングです。
畑の中の道を私たちはお喋りしながら、途中の無人販売所でミカンや柿を買ったりしながら
震生湖に向かいました。

「震生湖」


1923年(大正12年)9月1日の関東大震災でこの付近は幅約200mにわたって陥没し
市木沢(いちぎさわ)がせき止められ、震生湖は誕生しました。

前回来た11月末は紅葉が始まっていて綺麗でした。
今回はハシリでしたが、水面に映る木々の美しさに一眼レフカメラを持ってこなかったことを悔やみました。



この震生湖までのバス便は休日にはありません
二時半を過ぎていて、更に秦野駅まで歩く元気がなくなった私たち・・・

Yさんがお祭りで賑わっていた「弁天さま」に、タクシー会社の電話番号を聞きに行きました。
お祭りに参加していた信者さんが「帰り道だから送りますよ」と言ってくれたので
私たちはタクシー代の代わりに1000円をお賽銭場箱に入れましたわ。

3人のオバサンパワーに圧倒されたのか?、車に乗せてくれたおじ様は道を間違えて、
徒歩と同じ40分かけて、秦野駅まで送ってくれました

藍色の作務衣に白いおヒゲの元ジャズマンという素敵な方で・・・
チベット仏教から、琵琶を持つ弁天様信仰に至った心の軌跡をポツリポツリと語っていました。

30年近い山歩きでは今までも素敵な出会いがあり、車に乗せてもらった事も5~6回経験
そんなこんなを思い出しながら、私たちは楽しい歩きの一日を終えました。

雪の大山「阿夫利神社」(11月25日)
頭高山や渋沢丘陵から眺めた「大山」に、雪の降った翌日に一眼レフカメラを抱えて行ってきました。



観測史上初の11月の降雪があった翌日は快晴に恵まれ
ケーブルカーで登った阿夫利神社には雪が10㎝ほど積もっていました。

この日はワンゲルの会の30周年記念のワンデリングと、お豆腐料理とシシ鍋の忘年会
そして地元の写真クラブの、MM21の夜景撮影会のダブルブッキングとなりました。

昼と夜だから「何とかこなせるだろう」と、腹をくくりましたが・・・
私やはりボケたかしら~~

こちらの詳しいご紹介はいずれ又といたします。


コメント (30)
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