花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

鎌倉アルプスを目指して(その2)

2014年11月29日 | ハイキング・散策
11月27日(木)・我が家から見た富士山

三連休明けの2日間は冬を思わせる冷たい雨が降りましたが
翌日の27日は見事に晴れ上がり
我が家の2Fのベランダから、4合目まで雪をかぶった白い富士山が望めました。

雨の日は孤独感に襲われ、朝から心の中で「淋しい!淋しい!」と呟いていますが、
25日は主人の仕事集団のお仲間代表のF氏がやってきて
今年中に申告しなければならない主人の「事業の税金の申告」の作業をしてくれました。

この時期が庭師にとって一番忙しいのを知っていますから心苦しい限りですが、
雨の日は仕事ができませんものね。甘えることに致しました。

26日は午後から孫たちがやってきて大賑わい・・・
お嫁ちゃんが「お腹の風邪」にやられたとかで元気がなかったのが心配でしたが

そしてお天気に恵まれた27日&28日はご近所仲間ののんちゃんが、
我が家の和室の前の藤棚を補強し剪定してくれました。

主人の仲間たちが我が家の庭を刈ってくれた時
藤棚にキジバトが巣を作っていたので、そのままになっていたのです。

彼女は毎年見事なフジの花を咲かせる名人、器用で頼りになる友人です

こうして皆様に助けられ、何とか日々を過ごしています。


「大丸山~天園~大平山~北鎌倉」(11月16日)
さて・・・
横浜の円海山から鎌倉アルプスまで歩いたハイキング後半のご紹介です。

横浜市の最高峰「大丸山」の頂上で早い昼食をとったのち鎌倉を目指しました。


「上郷森の家」への道を右に分けると小さな分岐
左手を登ると「関谷奥見晴らし台」です。

ベンチが置かれた広場の先にはラウンドマーク方面が見えていました。


大きな横浜霊園を右手に眺めながら緩やかな道をたどると市境広場。
天園へは狭い道を進むことになります。


如何にも鎌倉らしい切通しを思わせる景色となりました。
この狭い岩溝も古い歴史が刻まれているのでしょう。

やがて天園の茶店が現れましたが、あまりの大混雑に休憩は諦めて
さらに建長寺方面を目指します。

鎌倉も秋色に染まっていました。歩いてきた稜線が見えました。




右手にゴルフ場が見えてくると、鎌倉の最高地点の「大平山」(159m)です。
大勢の人々が休んでいました。


1年前の12月6日に、ブログ仲間の山小屋さんのグループと反対側から登ってきて
ここでおにぎりを食べましたこちらです。


ファミリーで楽しめる「鎌倉アルプス」
休日は大賑わいです。


朝の9時前から歩きだした私たち、お昼を廻ってそろそろ疲れてきました。


横浜のベイブリッジ方面が見えてくると、まもなく建長寺です。


展望台から建長寺を眺めて、私たちは北鎌倉を目指しました。


モミジが赤く染まりだしています


北鎌倉に向かうコースは人が少なくて静かな感じです。


階段を下ると鎌倉らしいやぐらが現れて・・・
その先はアジサイで有名な「明月院」でした。

2時を回って流石に疲れました。
いつものお店でクリームあんみつを食べてしばしお喋り

富士山は見えなかったけど、お天気に恵まれ、
気の合った仲間と歩いた楽しい1日でした。
翌日は三人共「腰が重い」というメールが流れましたが・・・

私は喪中葉書を出した途端にあちこちからお花やお手紙・お香典が届き

主人の古い友人たちも来て下さり、再び接待に追われる日々
右目が真っ赤に充血して、ウサギの目のようになりました

疲労とストレスと精神安定剤が原因の乾燥による「ドライアイ」だそうで
PCは良くないとか

ブログ仲間の皆様の所にもご無沙汰で、ブログの更新も遅れがちになりました


コメント (22)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鎌倉アルプスを目指して(その1)

2014年11月21日 | ハイキング・散策
主人が亡くなった10日後に、山仲間の2人が我が家に来てくれて
「少し落ち着いたら気分転換に是非ハイキングに行きましょう」と
励ましてくれました。

三ヵ月たった今でも、私はまだ全然落ち着いた状態ではありませんが・・・
取りあえず体調不良が改善されたら、無性に歩きたくなり
早速彼女たちに付き合ってもらいました。

最初は紅葉が見頃の箱根の山に登り、温泉を楽しもうという話も出ましたが、
体重が4kg以上も痩せた私はお腹に力が入らず、苦しい登りは自信がなくて

まずは足慣らしとして、我が家近くのハイキングコースを歩くことにしました

「港南台駅~円海山~大丸山」へ(11月16日)

この日は我が家から歩いて20分の、JR根岸線の「港南台駅」に9時に集合です。

KさんYさんと一緒に、我住宅地から続く環状3号線に出て左折し
消防出張所を右に曲がると市民の森の案内板がありました。


鎌倉に近い横浜南部の栄区・港南区・磯子区・金沢区にまたがる広大な森は
緑豊かな市民の森として整備され、たくさんのコースが楽しめます。

私たちは一番ロングの鎌倉アルプスの「天園」を目指すことにしました。


瀬上市民の森公園の緑の中の舗装道路は緩やかな丘陵地帯を眺めながら
円海山へと登っていきます。

この日は日曜日、多くのハイカーの姿が見られました。


まずは「いっしんどう広場」を目指します。

やがて大きなパラボラアンテナが見えてきて、右手には箱根の山々が霞んでいましたが
この日は雲が多くて富士山は確認できませんでした。

NTTの中継塔が建つ円海山山頂は鉄棚に囲われ立ち入ることはできません。
左手にはみなとみらい方面が見えていましたので、金網の合間からコンデジで撮影しました。

畑の向こうに見えるラウンドマークタワーベイブリッジとつばさ橋をズーミング


車止めを入って進むといよいよハイキングコースらしくなります。


いっしんどう広場にはベンチが置かれ、整備されていました。


私たちは横浜で一番高い「大丸山」経由で、鎌倉の天園を目指します。


気持ちの良い緑の中を歩きながら
童心に戻ってドングリを拾ったり、歌を歌ったり・・・


私とKさんは同じ年の生まれなので、子供の頃の思い出の歌は一致しますが
3歳若いYさんは「知らないわ」が多かった・・・

でも何故か、KさんとYさんが
黒潮騒ぐ海越えて 風にはためく三角帆
めざすは遠い夢の国 ルソン 安南 カンボジア

遠く オランダ イスパニア
面舵いっぱーい オー オッオッオッオッ オーッ!

声をそろえて最後まで歌い切りました。

「ラジオで覚えたけど、何と言う題名だったっけ?」


ハイキングコースの近くには住宅地が広がっていますので
気軽に犬の散歩をする人の姿も見られます。

私たちはひたすら「鎌倉天園」を目指します。


歌は「笛吹童子」「「紅クジャク」と続きました。


横浜の最高峰「大丸山」山頂に向かう階段が現れました。
左手の階段は135段、ここまでのコースで最大の登りです。

周囲の木々が色付きだしていました。久しぶりの登りに汗が出ました。




ようやく「大丸山」頂上に到着です。

時計を見ると10時45分・・・
港南台駅から途中地区センターでトイレタイムを入れて
1時間45分でした。


目の前に広がる入江は八景島
遠くかすむ山並みは房総の山々?


頂上には大勢の人々が休んでいました。
日曜日なのでファミリーの姿も目立ちます。

私たちもここで一休み、持ってきたおにぎりやパンを食べました。
お喋りも弾み・・・
久しぶりに味わった気持ちの良いひと時に、心身ともに満足しました





コメント (27)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紅葉の高尾にお墓参り

2014年11月14日 | 日常の日記
今年も残り一ヵ月半となり、主人の仕事の依頼が多く入るようになってきました。
皆様お正月までには、お庭もさっぱりさせたいですものね。

「主人は八月に突然亡くなりました」というと
相手さまはビックリして、中にはお線香をあげに来て下さる方もいます。

涙を流してくれる顧客様を見るにつけ、主人は良い人間関係を作っていたのだなぁ~と
私も一緒に泣いてしまいます

そんな合間に、あれもしなくてはこれもしなくてはがあり・・・
今週は「喪中葉書の発送」を自分自身に義務付けました。

ネットで全部申し込んでくれたお嫁ちゃんが「出来上がりました」と
130枚の喪中葉書を持ってきてくれた翌日

11月13日(木)は朝から晴れ上がり、素晴らしい秋日和となりました

そんな中、家にこもっての宛名の印刷作業をする気にならず・・・
急きょ、気になっていた主人の両親のお墓参りに行くことにしました。


お墓は高尾の「東京霊園」近くにあります。

JRの「高尾駅」前の甲州街道の銀杏並木が黄金色に色付いていました


桜で有名な「多摩森林科学園」の前を通って行きます。


春には緑の桜の「御衣黄」が咲いていた道沿いに、秋咲の桜が咲いていました

こちらの八重は「子福桜」、青空に映えて綺麗でした


こちらの楚々とした一重の桜は「十月桜」


モミジも赤く染まりだしていました。

本当は「偲ぶ会」の前に「さっさとそちらに逝ってしまった慌てん坊の次男を宜しく」と
主人の両親にお願いしたかったのですが、私の体調が悪く延び延びになってしまいした。


朝9時に家を出て「高尾駅」に着いたのは11時過ぎ
八王子で乗り換えた普通電車の乗客はほとんどがザックを背負ったハイカーたちでした。

近くの高尾山の紅葉も見頃だったと思います

こんなに気持ちの良いお天気の中、高尾山を歩いたら
さぞかし素晴らしい紅葉と富士山が楽しめたことでしょう。


でも今の私は主人の実家のお墓参りが優先です。

突然の私の申し出に、高尾に近い京王線沿線の主人の実家に住む兄嫁と
そのすぐ近くに住んでいる上の義姉も付き合ってくれました。

3人でお墓を掃除してお花を飾り主人の両親と長兄が眠るお墓にお参りです。


僅か半年で揃って未亡人になってしまった義理の姉妹同士3人で
紅葉と落ち葉の道を歩いて戻り、高尾駅前でお食事をしてお茶して
4時まで語り合いました。

「毎週木曜日は2人で会って走ったり唱を歌ったりしているのよ」
月に一回は松戸に住む下の義妹も加わって
「メリーウィドーズの会を開いているからnaoさんも是非いらっしゃい」と誘われました。

夫を亡くした者同士しが共通して持つ「心情」を、互いに感じ
慰め合いました。

前回お墓参りに来たのは1年以上も前のことこちらです。
主人と車でブログ仲間のラッシーママさん宅に寄ってからでした。

今年の春のお彼岸は父が亡くなり、秋のお彼岸は主人が亡くなったあとで
中々来ることができませんでした。

胸につかえていたことを果たして少しほっとしました。


          

先週バタバタしたのは主人が生まれてからの記録が載っている
「戸籍謄本」を全部揃えること・・・

これがとても大変でした

我々夫婦が結婚した時の本籍地は主人の実家の世田谷区
主人の父が亡くなった時に今の我が家の住所に移しました。
でも、主人が生まれた時の本籍地が分からない

2月に夫を亡くした兄嫁に聞いても「まだ何もやっていないので調べていない」とのこと
我が家は車の名義書き換えで早急に必要になったのです

11月5日

実家の世田谷で取った謄本に「王子区で出生届」と記されていたので
水曜日の孫娘がやって来る前の午前中に取ってこようと、思い切って行ってきました

我が家から京浜東北線一本で1時間15分

「王子駅」で区役所→と書かれた札に沿って行くと
風情ある公園の中を歩いているような道が続いていました。


この近くには桜で有名な「飛鳥山公園」がありますので、
そこに通じる道でしょうか?


私にとって東京の北区は全く縁のない土地ですが
主人の5人兄弟は全員「赤羽生まれ」と聞いています。


区役所の方が言うには出生届はここでも、本籍地ではないという・・・

どうやら北区は主人の母の実家のあった所らしい。
「もう一度世田谷の区役所で調べるように」と言われてしまいました

往復3時間かけて、電車賃2300円かけて空振り

結局全部の戸籍謄本を取るのに2週間以上もかかってしまいましたわ

何もかもが大変で頭がパニックになるような日々が続いています。



コメント (26)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

主人の「偲ぶ会」を終えて私は・・・

2014年11月07日 | 日常の日記
11月初めの3連休中日の2日(日)、中華街入り口近くの「横浜スタジアム」横にある
ホテル横浜ガーデン11Fの中華料理店「上海酒家」を借り切って
主人の「偲ぶ会」を無事に済ませました。

亡くなって丁度2ヶ月半になりました。


予報ではマークがずっと付いていたお天気も、温かい薄日のさす日和となり
主人の兄姉一家や私の弟一家、姪や甥の家族、お嫁ちゃんのご両親など
親族26名が集まり故人を偲びました。

主人の上の姉一家が、北海道の親戚の法事とダブり参加できなかったのが残念でしたが・・・

私も息子一家ともども孫のハー君の強力な風邪菌にやられ、この日は声がガラガラでしたが
幸い皆熱も下がり、我が家全員が参加できて良かったです。


当日は主人の遺影はじめ、額に入れた写真を3枚持って行き
用意された影膳席に花々と一緒に飾りました。

献杯の音頭は、告別式の斎場での精進落としの時と同じように主人の弟に頼みました。

2月に長兄を、そして半年後の8月に次兄(主人)を亡くした義弟のショックも大きく
特にすぐ上の主人との子供の頃の思い出はたくさんあり
「いつも下の兄きの後ろにくっついて遊んでいた」とシンミリ語っていました。


主人は男3人女2人の5人兄弟の4番目・・・

男で最後に残った末っ子の義弟はこの春心臓の手術を受けましたが
今は元気に回復し、最近はゴルフも楽しんでいるそうな

主人と同じサイズの彼に、息子が着そうもない明るい色のゴルフウエァーを形見分けしました。
私と同じ歳の義弟には長生きして欲しいです。

息子もこの叔父の中に父親の面影を見ているのですから・・・


円卓を囲んでの中華料理ですから、至ってカジュアルに今回は平服での参加をお願いしました。
私と息子夫婦は各テーブルを廻りホストに徹し、主人にふさわしく陽気に会は催されました。

主人の両親が健在な頃、お正月は必ず元旦に主人の実家に全員集合

夏は息子が3歳の頃から札幌に転勤するまでの5年間
主人の会社が契約していた千葉の富浦の民宿を借り切り、主人の親兄弟一家全員参加の
合宿のような二泊三日の海水浴に行っていましたから

息子と従妹同士のつながりは強いものがあります。


バックミュージック用に主人の好きな「ビリーボーン」のCDを持ち込みました。

♪波路はるかに・♪真珠貝の歌・♪虹の彼方に・♪峠の幌馬車・♪カプリ島
♪夕陽に赤い帆・♪わが心のサンフランシスコ・♪砂に書いたラブレター
♪小さな花・♪ブルーハワイ・♪夏の日の恋・♪白い渚のブルース

接待をしながら息子が時々「懐かしい・・・」と呟いていました。

大勢の兄弟の中で育った主人はとても寂しがり屋で
TVが付いていない時は必ずラジオか音楽が流れていましたね

横浜らしく中華のお店での「偲ぶ会」兄一家のテーブルは兄嫁と姪夫婦、甥家族


2月に夫を亡くした兄嫁はとても元気そうでした。

義兄は肺がんの末期で入院三週間で78歳で亡くなりましたが、
その前には10年間以上の車椅子生活がありました。

義兄が車椅子になった時に甥一家と二世帯住宅を建て同居していますから
兄嫁は淋しさもなく、むしろ長い介護生活からようやく解放された感があり
今では自分の姉妹たちと旅行を楽しむ日々・・・

とても若々しくなりました

私とは対照的で・・・
でも同じ未亡人同志、そんな姿を見るのも嬉しいものです

こちらは下の姉一家と義弟一家のテーブル同じ松戸住まいですから、和気あいあいと賑やか


兄一家の皆からは「いつまでもメソメソと悲しんでいると、叔父さんも昇天できないですよ」
「まずは叔母さんが元気に生き生きと生活しなければ」と言われ

義弟や下の姉からは「マーチャンのことはnaoさんの胸の中でちゃんと覚えていてね」と頼まれ・・・
その両方と、主人の仕事の後片付けが私の役目なのだと思っています。


今回の「偲ぶ会」は、告別式に流した主人の71年間のスライドショーをもう一度ゆっくり観たいという希望が
主人の姉弟から出て、それに応え企画しました。

主人の少年時代の写真を、中学時代の仲間や兄嫁にも協力してもらい加えました。

主人の3兄弟、今ではもう弟しか遺っていないのですね


そして16年前、広告会社を早期退職し庭師になった主人が、
さるTV局のドキュメンタリーで取り上げられました。

その時のビデオも流しました。
50代中頃の、まだまだ若い私たち夫婦が画面に写し出されていましたよ

私は最後のあいさつで
「まだまだやらねばならない事がたくさんあり、自律神経が乱れて不安な日々ですが・・・」
「今日を節目に、自分の生活を取り戻していくようにします」
涙声になりましたが、自分自身に言い聞かせるように〆ました。


宴の後の一人は淋しいものです。
「Mさんはまだ我が家の和室におりますので、いつでも会いに来て下さい」というと
62歳で夫を亡くした下の姉が「naoさんの淋しさが良くわかる」と言って
息子の車で帰る私と一緒に我が家に来てくれました。

床の間横の出窓にいる主人の前で、義姉はしばし「号泣」
この姉も血を分けた弟の死をとても悲しんでいるのでした。

本当は我が家に泊まって頂き主人の子供の頃の話をまだまだ聞きたかったのですが
「薬を持ってきていない」とのことで諦め・・・

夜は義姉を送る方々上大岡に出てお蕎麦を食べながら3時間のお喋りしました

膠原病という難病を抱えながらも義姉は7年間一軒家で一人で生活し
その後の5年は未婚の次男と同居しています。

「T男が食事まで作ってくれるのよ」と嬉しそうでした。
最後に義姉を見送って帰ったこの日の夜は、私も興奮して殆ど眠れませんでした。



          



関東南部の紅葉も山から里へと下りてきたようです。
翌日の「文化の日」も暖かい日和に恵まれました。

前日の「偲ぶ会」で使用したプロジェクターを返却しに
以前勤めていた地区センターまで往復1時間10分を歩いていきました。


我住宅地に通じる環状線の街路樹も色付きだしています。

体重も4kg痩せて、筋肉がすっかり落ちました

健康と経済性を考え、買い物やお出かけもできるだけ歩け歩けで行こうと思っています。

4日の火曜日は久しぶりに「女子会」です。
この日も会場の駅近くの和食屋さんまで、20分歩いていきました


2年前の自治会役員の部長をやった女同士4人・・・

40代で未亡人となったAさんは去年一人住まいだった一軒家を売り、
娘さん一家の住まい近くの藤澤駅前のマンションに引っ越し

Sさんは私の夫が亡くなった8月に、ご主人に「脳腫瘍」が見つかり手術
ようやく来週退院だそうで、その前に皆に会いたいと急きょ決まった食事会

あれから皆色々あり過ぎましたね。
私など役員をやっていた2年前に母を亡くし、今年は父と夫を亡くしたのですから
そういう歳になったということでしょう・・・


「カニ御膳」を戴きながら3時間のお喋りで息抜きを致しました。

「一軒家での一人暮らしはとても不便で不経済」
「70歳を過ぎたら駅近くのマンションがとても便利で良いわよ」
「引っ越すのなら体力的にも、今の私の歳の70歳が限界よ」

Aさんの話を聞きながら、今後の私自身の事を考えました




コメント (34)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする