花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

山陰旅行・「天の橋立」

2006年11月30日 | 旅日記
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股覗きで有名な傘松公園の展望台から望んだ「天の橋立」です。
ここからの眺めは「斜め一文字」と呼ばれ絶好のビューポイントだとか・・・
マウスオンで逆さまの風景もご覧下さい。
「天にかける橋」に見えるでしょうか

10月の初めに、主人と「山陰旅行」に出かけました。
以前から足立美術館を見に行きたいと口癖のように言っていた夫、個人で車で行くには遠すぎて、中々実現できずにいましたが、新聞の広告で見つけたツァーが気に入ったらしくて、即申し込んだのです。
「出雲大社正式参拝と足立美術館・日本三景天橋立」二泊三日の旅に出発です。

気に入った理由その一が、行きはノンビリ出発、新横浜からの乗車もOKの新幹線利用。
それも「のぞみ」のグリーン車
お昼のお弁当とビールを買って乗り込みました。
こういう雰囲気って、如何にも「旅」と言う感じで良いですよね
私たちには珍しくお天気はイマイチデしたが、心は浮き立つものがありました。




お昼過ぎに大阪駅に到着。
そこからバスで神戸に出て、一路、京都の北部若狭湾の西にある「天橋立」に向かいました。
私にとっては初めての道、初めてのエリアです。
霧にけぶった山々の風景も水墨画のように風情がありました。






途中トイレタイムで寄った丹波笹山のサービスエリアで、有名な黒豆が入ったパンを買いました。
さすが本場の丹波の黒豆がたくさん入ったパン、食べがいがありました。





そうこうしている内にバスは日本海側に出て、天橋立のある宮津湾が見えてきました。
傘松公園近くでバスを降り、今度はケーブルカーに乗って展望台に上ります。


「天橋立」は、松島、宮島と共に日本三景に数えられ、国の特別名勝に指定されているそうです。
宮津湾を横切る約3kmの松林の美しい景観は、対馬海流と野田川からの土砂が堆積して出来たものです。
古くから天人の通り道「天の架け橋」として親しまれていたとか。

残念ながら小雨模様のお天気で、「橋立」もボンヤリとしか見えませんでしたが、それがかえって”あの先は神様の世界かしら?”と想像力が膨らみますね。


お伊勢さまのふるさと、丹後国一ノ宮「元伊勢龍神社」(モトイセコノジンジャ)がすぐ近くにあり、ツァーのみんなでお参りしました。
ここから伊勢神宮が発祥したと言われており、歴史はあまりにも古く神代までさかのぼります。

屋根つきの囲いに中の狛犬さん、可愛いですね。
その昔、天橋立はこの神社の境内であり参道でした。
伝承によると、天にあった男神イザナギノ大神が、奥宮有名井神社の女神イザナミノ大神の元に通うためのハシゴが倒れて天橋立となったそうです。





ヨーロッパの旅行記を終えたばかりですが、今度は日本の原点のようなお話が続きます。
私にとっては初めての山陰・・・いにしえの日本と、神話の世界が満載の旅となりました。


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夏の中欧紀行28・さようなら「ブタペスト」

2006年11月27日 | 中欧三カ国旅行記
6月27日(火)


明け方、2時間程度眠ったでしょうか・・・?
中欧旅行の最終日ですが、頭がボ~っとしています。
荷物ケースを部屋の前に出してから、4人で朝食に行きました。



ホテルの部屋から見た「王宮」・・・taeさんが大感激した景色とほぼ同じだと思います。
さすがに日本を代表するカメラ会社にお勤めのNYさんの、高級一眼レフのデジカメで撮った写真は精密度が違いますね


同じくNYさんの部屋から見た「くさり橋」・・・
ホテルの部屋の窓がスクリーンのように、この2枚の写真の風景が映し出されたなんて、ナント贅沢な
私たちもこれを見て最初は「同じツァーなのにこの差はなんだ!」とショックを受けましたが、半分半分で「王宮側」「くさり橋側」と分けられたのですから仕方がありませんね
お陰でかえって「ナイトクルーズ」での感激が大きかったと思っています。
本当に立地条件の良いところにあるホテル「ソフィテル・アトリウム」でした。

ホテル前の「ルーズベルト広場」からいつものバスに乗り、空港に向かいます。

広場の左側が「くさり橋」、右側にホテル「フォーシーズン」があります。
バスに乗って10分、突然K子さんが「デジカメがない」と小さな声で叫びました。添乗員さんが「戻ってホテルの部屋を調べましょう」と言ってくれて、バスはUターンです。
「他人事ではないわ。最近私も毎日のように神隠し現象が起こるのよね~」ぷりんさんが呟きました。

私も数日前からイヤリングが片一方、行方不明なのです
老化現象が確実に起きている!と、実感した旅でもありました。
結局K子さんのデジカメは部屋にはなかったようです。

予定より遅れて空港に着きましたが、飛行機も30分遅れているようでホッ
付加価値税の払い戻しの手続きにちょっと時間がかかるのです。
空港内のお土産屋さんで余ったハンガリーの通貨も使い切らねば・・・
チェコのコルナはバスの運転手さんがミネラルウオーターと交換してくれたけど


もともと膝が悪いnonちゃんは、今回靴擦れがひどくて辛かったようです。
見ると靴下が血に染まっていました
およそ2時間でアムステルダムのスキポール空港です。
今回も乗り換え時間に余裕が無くて、空港内のお店に立ち寄る事はできませんでした。


アムステルダムから成田までは来た時と同じように、ユーラシア大陸を横断する長い長い飛行が続きますが、前の晩ほとんど寝ていなかった私とK子さんはひたすらウツラウツラ

6月28日(水)の朝の9時過ぎに、無事成田に到着しました。
成田で税金の戻りを受け取って(約2000円)、昼過ぎには我が家に辿り着きました。
お昼にソーメンを茹でて食べましたよ。美味しかったこと
すぐに息子の腰の手術がありましたが、この日の様子はこちらでどうぞ
(もう5ヶ月も前の事なんですね~、しつこく王宮の写真が出てきてすいません)

尚、K子さんのデジカメは大型ケースの方に入っていたようで、喜んでいました。
良かったね。

帰ってきてから皆「海外旅行は体力勝負」と実感したのか、水泳教室に通ったりして体力UPに勤めています。
私もこの秋から自彊術(ジキョウジュツ)を始めました。
更に「健脚の3人に着いて行けなかった」と嘆くnonちゃんを誘って、「ヨガ体操」に通っています。

これで長い長い私の「中欧紀行」は終わりです。
根気強くお付き合いいただいた皆様には感謝申し上げます。
たくさんのコメントを戴き励みになりました。ありがとうございました

又私の写真だけでは足りない画像を、仲間の3人のご好意で使わせていただきました。
ぷりんさん、K子さん、nonちゃん、助かりました。ありがとうございます
尚、この旅行記の資料として「JTBポケットガイド・プラハ、ブタペスト、ウイーン」を参考にしたことを付け加えておきます。
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夏の中欧紀行27・ブタペスト最後の夜、其の2

2006年11月25日 | 中欧三カ国旅行記
昨夜はサムネイル・マウスオンが上手くいかず、思いがけず時間がかかってしまいました。
ドナウ川・ナイトクルーズの写真も一緒にUPの予定でしたが断念
続きをUPです。


いよいよくさり橋をくぐります。王宮もすぐそばに見えていますね
昨夜は日曜日の夜の歩行者天国で、賑やかに盛り上がっていたくさり橋ですが、今日は普通に車が通っています
川面を渡る風がすごく良い気持・・・
船内に入る人はだれもいなくて、全員が甲板のテーブル席に座って移り行く光のページェントを楽しんでいました。

私たちは飲み放題のシャンパングラスを持って船尾に行き、ちょっと気取って写真を撮り合いました。
4人ともこの夜はちょっとおめかししているんです
ここに載せられないのがちょっと残念


「ゲッレールトの丘」に立つ自由の像を仰ぎ、自由橋をくぐりベトーフィ橋の手前でUターンです。
はしゃいでいた私たちもだんだん無口になって、ロマンチックなブタペストの夜を全身に感じていました。
そして旅が終わる淋しさも味わって、ちょっと感傷的になっていました。
”息子が緊急入院して、この旅行の参加を迷いましたが、息子と主人に背中を押されて、来ることができ本当に良かった”


<

もう一度、船から見た王宮、くさり橋、国会議事堂をマウスオンクリックでご覧下さい。
再び訪れることはないであろうブタペストの風景を、私もしっかりと胸に刻みました。

明日はいよいよ日本に向かって帰ります。
ホテルに帰ってシャワーを浴びて、荷物の整理をしました。
今回はあまりお買い物をしなかったので、案外簡単に荷造りも終わりました。

一段落してからK子さんと、窓の外のくさり橋を眺めながら、日本から持ってきたミニチュアのウィスキーを開けました。
写真左上の明かりがくさり橋ですが、分りますかしら?
水割りを飲みながら、子供の頃の事、これからの生き方などを語り合いました。
この旅行中、毎日忙しくて疲れ果て、ゆっくり話す暇もなかったね。


気がついたらくさり橋が明るくなっています。
夜が明けてきた・・・時計を見ると4時近くになっていました。
早朝のくさり橋も良いものです
こうしてブタペスト最後の夜は明けました。




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夏の中欧紀行26・ブタペスト最後の夜

2006年11月23日 | 中欧三カ国旅行記
今日は勤労感謝の日、夜になって雨になりました。
山仲間と、TVで紅葉が見頃と紹介されていた「高尾山」にハイキングに行く予定でしたが、天気予報が「午後から冷たい雨」とのことで取り止めにしました
でも日中雨は降らず、曇ってはいたものの風のない日和で・・・
午前中から畑に出て農作業にいそしみました。

玉ねぎの苗150本の植え付けと、絹さやとスナックエンドウの種を蒔きました。
まだ追肥作業はありますが、土いじりは今期最後です。
いずれ大きく育ってきた野菜類をUPしたいと思っています。
その前に「中欧紀行」を仕上げねば・・・

             ☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆

今回の旅行の参加者に渡されたスケジュール冊子には、最後のブタペストの夕食は「民族音楽とダンスのフォークロア・ディナーショー」へご案内します、と書かれていて、”その後、ドナウ川ナイトクルーズより、ブタペストの美しい夜景をご覧いただきます”と印刷されていましたが・・・
これが想像以上に思い出深い感激の旅のファイナルとなりました


素朴な村のお祭りを思わせるような踊りが続きます。
やはりブドウの収穫祭の時などに、皆で楽しむ踊りなのでしょうか・・・
最後はツァーの男性も参加させられましたね。
時々コメントを寄せていただいているNYさん、ご感想は如何でしたか?




歌の独唱もあって、この旅の最後の夜は賑やかに過ぎていきました。
イタリアではカンツォーネ、スペインではフラメンコ、そしてタイでは民族舞踊を楽しみましたが、日本に観光に来る外人さんは何を鑑賞して行くのでしょうか?




最後まで音楽に酔いしれ、ワインに酔いしれました。
9時を過ぎてからいよいよ「ドナウ川、ナイトクルーズ」に出発です。
バスで船着場に行きますが、チャーターしてある船の場所が分らなくて、チェコ人の運転手さんのUターン運転が始まりました
ウィーンでもありましたね。あの時はフリーウェーをUターンしてビックリ
添乗員のMさんの説明では「ヴェテランの運転手はみんなドイツのワールドカップに駆り出されて、今回はチェコからあまり出たことがない運転手さんになってしまった」とのことでした
ワールドカップの影響って、凄いですね~

サムネイルのマウスオン、今回は何故か?何度やっても上下が離れてしまいます。原因は何でしょうか?


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夏の中欧紀行25・ヘレンド本店とシシィの愛したお店

2006年11月22日 | 中欧三カ国旅行記
季節は秋から冬へと移りつつありますが、私の「夏の中欧紀行」は予定を大幅にオーバーして、未だに終わりません
後が詰まっていますので先を急がなくては・・・

1851年のロンドン万博では花と蝶の絵柄の「ヴィクトリア・ブーケ」が金賞を受賞、ヴィクトリア女王に見初められ世界の注目を集めたそうです。
ヴィクトリア・ブーケの他にも、マリーテレジアが好んだ、白地にピンクのバラの絵柄の「ウィーンのバラ」、有田焼の影響があるグリーンが基調の「インドの華」が人気だそうです。


ハンガリーを愛したエリーザベト王妃(愛称シシィ)が、好んで通ったと言われるカフェ「ジェルポー」は19世紀から創業されている老舗です。

日本ではミュージカル「エリザベート」でも知られているシシィ・・・
何年か前に、私も帝劇に観に行きました。
姉が嫁ぐはずだったハプスブルグ家の「フランツ・ヨゼフ一世」に一目ぼれされ結婚しましたが、ウィーンの宮廷生活には全く馴染めなかったそうです。


外のテーブルでもお茶は飲めるようでしたが、やはり古さを感じる建物内部でシシィを偲ぶべきですよね
思ったよりカジュアルな感じのカフェで、アイスコーヒーを飲みました。
オーストラリアのパースもそうですが、西欧で飲むアイスコーヒーはホイップされた生クリームが山のように盛られていて甘いのです





絶世の美女として名高いシシィ、20代で肉食を断ちウエストは50cm前後だったそうな・・・
それでもこのカフェで甘いケーキを食べたのでしょうか?
晩年はロンドン、アムステルダム、ナポリなど旅続きの生活を送り、1898年、ジュネーブで無政府主義者により暗殺されたそうです。



そんなエリーザベトの姿を感じながら、店を後にしてホテルに戻りました。
夕食は皆揃って「民族音楽とダンスのフォークロア・ディナーショー」へバスで出かけます。
部屋でおめかしをしてから、ロビーに集合しました。

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友人の出した本

2006年11月19日 | 日常の日記
今日は冷たい雨が降る、寒い日曜日でしたね。
先日行った「越後湯沢」と同じような初冬を感じる季節となりました。


高校時代の親友から一冊の本が送られてきました。
彼女が35年間やってきた「布花」の作品を集めた写真集でした。
「私にとっては子供みたいなもの、読んでくれるだけで嬉しいわ」と・・・

夏に同窓会の案内のを受けた時に聞いた出版の話でしたが、想像以上に立派な本が出来上がりましたね。

「布花の創始者・山上るい先生に出会い、その布花作品に魅せられ、いつのまにか私は、人生の大半を布花と共に過ごすようになりました」と友人のHさんはあとがきに書いています。

とても立派な作品です
それが立派な本になりました。
わが事のように嬉しいですね。





結婚しないでこの道一筋・・・
今はご実家のビルの一室でお教室を開いているそうで、出張教室もやっているそうな・・・
頑張りましたね
「子供みたいなもの」と言う意味が良くわかりました。






綺麗な作品にウットリしますね

私は新潟で中学時代を過ごしましたが、再び父の転勤で、高校は2年生で編入試験を受けて、山口県徳山市(現在は周南市)の県立高校に通いました。

初めての西日本での生活・・・
受験受験で勉強に追いまくられる日々・・・
不安がいっぱいでしたが、Hさんと親しくなってからの高校生活は楽しいものになりました。
丁度、舟木一夫の「高校3年生」が流行った年で、我がクラスは三分の二が男子・・・
あの歌の歌詞と同じような青春がありました



3年生の夏には父が東京本社に転勤となり、卒業式にも出られなかった私ですが、Hさんがいたから私の(わずか2年間でしたが)山口県での想い出も確かなものになっています。
卒業後の同窓会の出席、2回とも泊めてもらいましたね。
助かりました、ありがとう




そんなそんな彼女の作品集・・・たくさんの人に見てもらいたいと思っています。
「淡交社」から発売となりました。
詳しい事はこちらです
又彼女のスタジオのHPはこちらです


それからもう一人、新潟の中学時代のクラスメートが本を出しているのです
先日湯沢で再会した友人達も一緒に、私は中学時代ソフトボールクラブに入っていました。
サウスポーのピッチャーでしたよ
私のボールを受けてくれていたキャッチャーのOさんが、着物のリフォーム作家になったのです。
昔から絵が好きで個性的で、桑沢デザイン学校に通っていた人でしたから「やっぱり」と納得の出版ですね。

今年の夏にtomokoさんと日本橋「高島屋」での展示即売会に行きました。
本は他に4冊出しているはずです。
詳しい事はこちらです

もうこの歳になったら、お稽古事も「先生」と呼ばれるべきですよね。
友人2人の活躍を目にしながら、この秋から始めた「裂き織り」に奮闘している私・・・

先生に手伝ってもらって、やっと縦糸を張りました。
後は裂いた布を織り込んでいくだけですが・・・
今月は5色の糸と布を使ったテーブルセンターです。
上手くできるかな

まだまだ楽しさが解らなくて、織り機に向かう時間よりもパソコンに向かう時間が圧倒的に多い日々・・・



嗚呼!私に向いているのか?疑問ですが、パースに持っていってやるのが目的なんですよ



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トンネルの向こうは「初冬」だった!

2006年11月17日 | 旅日記

写真は新潟県側から見た「谷川連峰」です。
ロープウェーを使えば初心者でも登れる「谷川岳」も、このように雪の季節になると、もうベテランアルピニストだけの世界になってしまいましたね。

昨日から、中学時代の友人と4人で「越後湯沢温泉」に行ってきました。
今日はホテルのチェックアウト後、世界最大級166人乗りの湯沢温泉ロープウェーに乗って、紅葉を楽しみ、上越国境の山々を望みました

晴天の東京を発って、新幹線の中から色とりどりに染まった赤城連山や武尊山を眺めてから、上越国境の長い長いトンネルを抜けると、そこは冷たい雨が降る「初冬の越後」でした。
新幹線を降りるなり「寒い」と、一緒に行ったT子さんと震えました。






今日は時々お日様が顔を出す日和でしたが、ロープウェーの窓には露が・・・
写真の雲の向こうは「八海山」方面です。
最後の紅葉が楽しめました。
今年はロープウェーから見る紅葉が多かったなァ~




ロープウェーの上の駅「アルプの丘」のロックガーデンはもう冬支度・・・
所々に雪が積もっていて、お花は何も咲いていませんでしたが、谷川連峰の山々が良く見える山小屋風のレストハウスで、お茶しながらおしゃべりに時間が経つのを忘れました。


三つの温泉施設が楽しめたホテル「双葉」
お部屋にも内風呂に続いて露天風呂が付いていて・・・
お食事もノッペ汁などの郷土料理も多く、とても良かったです
4年ぶりに再会した私たち4人、温泉三昧、お喋り三昧を楽しんできました。
宿の詳しい情報はこちらです

父が転勤族だった私、小学校の5年生の時に東京の中目黒から新潟市に転校しました。
環境が激変して戸惑うばかり・・・
今問題になっている「イジメ」を受けた経験者です

でも中学時代は友人に恵まれて、楽しい3年間でした。
卒業して別々の高校に入っても、私が引っ越して新潟から居なくなっても、そして就職、結婚して子供が生まれてからも付き合いは続いていて、3年に一回程度、東京組みと新潟組との中間点の上越国境で会う時間を持ち続けてきました。

この2日間は中学時代に戻って、おしゃべりに花を咲かせました。


今更気取っても、少女時代のことをお互いに知っているから、素に戻るしかないですね。
それでも水鳥のごとく、水面下の足をできるだけみせない様に、スイスイと優雅に泳ぐ自分を見て欲しい・・・
そんな気持ちが交差した2日間でした。

秋の名残のモミジが温泉街の店先に残っていましたが、もう吐く息も白くて「初冬」の風情です。
温かいおそばを食べました。








庭師さんたちが冬支度の雪ツリ作業をしていました。
温泉街の家々も窓や玄関先には板が打ち付けられて、雪への防護がなされています。
ここは日本有数の豪雪地帯ですものね。
そして多くの家々の軒下に干し柿と切り干し大根がぶら下がって・・・
冬支度を急ぐ山里の風景に魅せられました。

3時近くの新幹線の上りと下りに分かれて、初冬の越後湯沢を後にしました。

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夏の中欧紀行24・ブタペストでのフリータイム

2006年11月14日 | 中欧三カ国旅行記
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昼食後、一旦バスに乗りホテルに戻りました。
夕食までの間の4時間、各自自由のフリータイムです。
私たちは歩いて10分の所にある「国会議事堂」を見に行きました。
2枚の写真をマウスオンでご覧下さい。

ハンガリー人建築家シュテンドル・イムレが設計し、1902年に竣工されたバロック、ゴジックなど複数の建築様式が融合した特徴ある建物です。
この日の朝、漁夫の砦からドナウ川越しに、この国会議事堂の優美な姿を見ていましたね
イシュトヴァーンの王冠が必見と聞いています。

私たちの他に同じツァーの仲間4人も一緒でしたが、ナント警備員さんに止められて中に入れません
「月曜日でも大丈夫です」と添乗員さんやガイドさんに確認したのですが・・・
重要会議でもやっていたからでしょうか?諦めざるを得ませんでした

次の目的地の「中央市場」はホテルをはさんで反対側、2km以上もあります。
「どうしようか?」
英語のできるK子さんともう一人のツァー仲間が2台のタクシーの運ちゃんと交渉を始めましたが、なかなか話がまとまりません
「歩こう」と誰かが言い出しました。
ノンちゃん、靴擦れは大丈夫?と心配でしたが、彼女は先頭を歩いていました。





楽しそうなお店が並んでいますが、取りあえずは「中央市場」に向かって、ひたすら歩きました。
行きたいと思っている所が何件こなせるか?
時間との戦いですね~
いつもの私たちのパターンです




「ヴァーツィー通り」を通り抜けて、やっとブタペスト市民の台所「中央市場」に到着です。
サムネイル、マウスオンでご覧下さい。


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市場入り口
<
市場外観
<
市場内部
<
肉屋さん
<
香辛料店



市場内のお店にはハンガリー名物の「パプリカ」が目立ちます。
私たちはここで、チューブ入りの練りパプリカを買いました。
他にチーズや果実酒もお土産用に購入です。

1897年に建てられた中央市場の屋根は、マーチャーシュ教会と同じようですね。
ジョルナイ製でしょうか・・・

帰路、ヘレンドに次いで名高い磁器メーカー「ジョルナイ」のお店を覗いてみたいとなり、地図を片手にヴァーツィー通りを行ったり来たりと探し回りましたが見つかりませんでした



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夏の中欧紀行23・ブタペストの街と「聖イシュトヴァーン大聖堂」

2006年11月13日 | 中欧三カ国旅行記
小春日和が続いていましたが、昨日は一転、朝からカミナリが鳴り響く秋の嵐でしたね
そんな中、高尾にある霊園のお墓の前で、主人の父の三回忌の法要が催されました.
2年前、兄弟皆で義父の白寿(99歳)のお祝いの準備をしていた時に、突然舞い込んだ訃報でした。


でも、自宅で夕食後「大往生」したお爺ちゃんは幸せな最後だったに違いありません。
昨日は雨にも関わらず、子供たちはモチロン、孫にひ孫と30人近くが集まりました。
そして今日は一転、寒さがやってきました。
木枯らし一号でしょうか?






我が家近くの公園のケヤキの木が色付き始めました。
温暖な気候の関東南部も、いよいよ秋が深まってくるようです。
さぁ~私の夏の思い出「中欧紀行」も、ソロソロファイナルに向かって急ぎたいと思います。

              

                   ☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆

ブタペストの「英雄広場」から再びバスに乗って、近くの「聖イシュトヴァーン大聖堂」に向かいました。

大聖堂見学の後は昼食場所に向かいます。
バスの中からの街の風景を楽しみました。

ブタペストの交通機関は地下鉄とトラムが主流のようですが、バスは青い車体が市バス、赤い車体がトロリーバスです。
横浜にも昭和40年代にはトロリーバスが走っていて、私がまだ娘の頃、通勤に使っていたのですがね・・・


こちらは日本式に言うと「マンション」でしょうか・・・
おばぁさんがベランダで日向ぼっこをしていました。
暑い日なのに
彫刻が施された重厚な建物の中で、普通の生活が送られている事にビックリです。







この日の昼食は中華料理でした。
真夏の暑さが続いているブタペストですが、クーラーがある建物は少なくて、このお店も扇風機のみでした
そこそこ立派な中華料理店でしたが、ナント!トイレの電気が付かない!
一箇所真っ暗でした。
ぷりんさんは携帯電話の灯りで入ったようですが・・・



イタリアのベニスでもトイレに入っている時に停電になった事がありました。
ロシアでは食事中に停電で真っ暗になりましたっけ
海外旅行に必要な物のリストに「懐中電灯」を入れたほうが良いかもしれませんね。


こちらがメニューです。チャーハンが美味しかったでしょうか・・・
最近は寿司レストランも増えましたが、中華料理店は世界中にあって、洋食に飽きて、お醤油味が恋しくなった時は助かりますね

主人はスイスのツェルマットでお腹を壊して、ハイキングをパスし一日寝ていたことがあります。
ガイドさんの勧めで、その日の夕食は中華料理店に行って、ご飯に野菜スープをかけた「猫マンマ」でした


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夏の中欧紀行22・ブタペスト「英雄広場」

2006年11月10日 | 中欧三カ国旅行記
この所、気持ちの良い秋晴れが続いています。
我が家の2Fの部屋から、雪をかぶった富士山が綺麗に見える日々・・・
日が短くなって夕方には晩秋の淋しさも感じられますが、日中は「小春日和」と言われる穏やかな気候で「関東南部に住んでいて良かった」と、つくづく実感できる季節ですね


そんな中、この夏中欧旅行に一緒に行ったご近所仲間のK子さんが、ご主人とタイのチェンマイに4ヶ月間のスティに出かけて行きました。
10月始めには「ちょっと星を見てきます」と、2週間ほどハワイ島に行ったばかりでした。
日本が世界に誇る「スバル天文台」のお話を、鎌倉でお食事をしながら聞いたのはつい先日でしたね。

中欧旅行から帰った7~8月は、四国のご実家で過ごし、自転車で四国八十八箇所めぐりを達成したとのこと、ついでに「石鎚山」も登ってきたとか・・・
元気なK子さんご夫妻のことは、2月にもUPしましたがこちらです
とにかくそのフットワークの良さには、皆タダタダ脱帽です

定年後毎日ご夫婦で、自彊術を30分、散歩を1時間やって体力維持に努めているようですが・・・
ご両親は彼女の妹さんが引き取り、留守宅は息子さんが守っているし、その手かせ足かせが何もない気軽な身が、とにかく羨ましい限りです。

私もせっせとヨガ体操&自彊術&アクアエクササイズと、体力強化に励んでいるのですがね~
気力、財力、時間など、足りないものだらけでした
せめてこの夏に行った、中欧旅行の写真を見て懐かしむ事にいたします・・・

              ☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆

ブタペストの街
こちらは「旧秘密警察」の建物だそうです。
ガイドのブタイさんは、ここの説明の時「嫌な時代でしたね。思い出したくありません」と付け加えていたのが印象的でした。
普通の市民も、それぞれに心の傷を抱えているのでしょうか?
「共産主義時代」って、一体何だったんだろう?
チェコで感じた疑問が、ここでも湧きました。



まもなく「英雄広場」に到着しました。
マジャル民族による国土征服1000年を記念して、1896年に造られた広場です。
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広場中央に立つ建国記念塔は高さ35m、頂上には大天使ガブリエル、台座にはマジャル7部族の長が飾られています。
マウスオンでご覧下さい。


塔を囲む列柱には歴代の王や貴族の像、14体が収められています。
一番左端が初代国王イシュト・ヴァーン

広場に面して「西洋美術館」、そして右手向こうには絶世の美女としても名高いハプスブルグ家の名花エリーザベトがこよなく愛したと言われる「グテレー城」も見えていました。



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