花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

相模川を歩こう、「山中湖」をめざして(5)

2015年07月30日 | ハイキング・散策

梅雨明け10日とはよく言ったもので・・・
連日晴天の猛暑が続いて、蝉しぐれの中にいます。

家の工事の方はまだ終わりませんが、
息子は系列会社の担当者に「お袋がダウンしてしまう」と脅かし

私は請け負った先の責任者に「とにかく窓を早く開けられるようにして欲しい」と訴え
孫請けの現場の責任者には「来られない日はちゃんと連絡を下さい」と
電話したのが少し効いたのか?

一部窓が開けられるようになり、工事も少しづつ進んでいますが・・・
月末引き渡しが8月にズレ込むことは必至のようです

昨夜、会社帰りにやってきた息子に「工事費が高い上に遅れるとは何事」と意見すると
「いい加減な工事をするとウチの会社からの受注がなくなるから、手抜きはないと思うよ」
という返事でした。ホントかしら


          

私の夏風邪もようやく落ち着きましたが・・・
冷房の効いた中を出たり入ったりするだけで、なんだか頭がクラクラして
身体がだるくて疲れますね。


流石にこの時期はどこに行くにも車を使い
歩くのは防犯パトロールの1時間のみが多くなりました。

サイコーに歩いたのが、先月のワンゲルの会での35.000歩でした。

相模川歩き・「大月から三つ峠へ」(6月14日)
梅雨時のこの日は朝から小雨が降っていましたが
8時45分集合の大月駅に着いたら雨は止んでいました。ラッキー


駅舎の後ろには「岩殿山」が見えています。
前回5月9日に梁川から歩いて「猿橋」を見て、この駅で解散しましたこちらです。

リーダーの話では「今回は前回よりもずっと長く歩きますので、4万歩は覚悟願います」との事
過去の縦走登山などでは万歩計着けていなかったけど、平地でそんなに歩いた経験なし
膝は持つかしらと気になりました。


大月駅から10分歩くと大月橋で、桂川(相模川)が見えてきます。


この岸辺の家々が何とも凄い所に建っていて目を見張りました。
この日一緒に歩いた山小屋さんが詳しい画像をUPしています。

「桂川大橋」から見た渓谷美の桂川街を抜けると水も綺麗になりますね。


相模川は山梨県に入ると「桂川」と呼ばれるようになります。


歩く先々の山里には必ず神社やお堂がありますね。


この6月中旬はどこも田植えは終わっているようでした。

又この辺はリニアモーターカーの実験施設がある所で・・・
名古屋までの本コースにも入っているようです。

苔の緑の綺麗な季節でした。道路整備で道祖神たちは壁面に祭り上げられた


村を通り抜け峠を越え、桂川に沿って隣町の「都留市」を目指します。


「かわもばし」からは釣り人の姿が目立ちました。
アユ釣りが楽しめるのでしょうか・・・


「八王子神社」で一休みしました。
そろそろ「都留市」に入ったようですね。


「羽根子大橋」から桂川を眺めます。


今回の桂川は渓谷ばかりで、すぐ横の川堤を歩くことはできませんでした。


11時半を過ぎて、そろそろお腹も空きました。
この立派な村杜で昼食です。ところで村杜って?


古い「石仏」が並んでいました。
道路を整備する都度、これらの石仏が集められるのでしょうか・・・?


水の流れの音が聞こえる中、涼しい風が吹き渡ります。


緑豊かな中で食べる「おむすび」が美味しい


一休みしてから再び歩きだし、12時半に富士急の「都留駅」に到着しました。


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甘えず! 強く!

2015年07月25日 | 私の呟き
酷暑が続いています。

家の窓も半分だけ雨戸が閉められ、更にビニールでふさがれているのに
外壁工事の方はさっぱり進まず・・・

私の囲われの身は相変わらずで、朝から冷房を入れざるを得ません
流石に閉塞感で気が変になりそうで、「ちょっと出かけてきます」と家を飛び出しました。


行った先は桜木町からMM21へ・・・

7月22日の水曜日は、太陽光線がギラギラでしたが
風が強くて空は真っ青でした

一ヶ月前の、45周年になるはずだった「結婚記念日」にも
このラウンドマークタワーを見上げ涙しましたが
この日も何故が?涙がにじむ


昨年の7月21日の「海の日」には、山仲間3人で
賑やかに楽しくここを訪れましたこちらです。

まさかその2週間後に夫が入院し、そしてさらに2週間後には逝ってしまうなんて・・・
考えてもいませんでした。

そんなことを思い出させる暑い暑い夏がやってきました


去年と同じように「ピカチューフェアー」をやっていました。

先週近所の病院に行った時、80代とおぼしき女性が2人、私の前に座っていました。

一人の方はキリリと姿勢よく、もう一人の娘さんだかヘルパーさんだかとご一緒の方に
「もしかして同じ年頃ではないかしら?」と声をかけていました。

「私は84歳ですよ」と少し弱弱しい声でお返事があり、先生に呼ばれて
付き添いの方に抱えられるようにして診察室に入っていきました。

聞いた方の方は「あら、私は88だから4つも上だわ」とニッコリ

「お若くて信じられない、私の母は2年間寝たきりで88歳で亡くなりました。」と
私は思わず口を挟みました。

「私は15年前に夫を亡くし、子供も居ないのでずっと一人住まいよ」
「長年中学校の教師をやっていたから教え子たちが助けてくれるけど・・・」
「甘えないで、庭も家も私が手入れをしているの」と、きっぱりとおっしゃた

未だにメソメソしている私は思わず「見習わなくてはと思った次第です。


今回出かけた目的はこちらで、山岳保険の継続手続きです。
もう高い山には登らなくなりましたが、丹沢や高尾山でも遭難騒ぎがありますから
安心料と思って入っています。


職人さんが着たり来なかったりで一向に作業が進まずイライラ
息子にやいのやいのと愚痴っていますが、彼は昨日から出張でいない・・・

「naoさん、女一人だと軽く見られるから言うべきことはちゃんと言った方が良いわよ」と
ご近所さんたちにも言われ、

今日来た責任者という人に(下請けに孫請け、そして更に塗料会社と一体何人責任者がいるの~
「予定の4分の1も工事は進んでいないようで」

「窓も開けられずに閉じ込められて、それですぐに作業が進むのなら我慢できますが・・・」
「職人さんが来ないとは何事(もちろんやんわりと言いましたよ)

「申し訳ございません、雨であちこち作業が遅れてご迷惑をかけています」
「身体が大事ですから、クーラー入れて過ごしてくださいね」ですって
電気代は持ってくれるのかいと、喉まで出かかりましたよ


夫がリタイヤ後に庭師になりましたから、
この季節の職人の仕事の大変さは充分に分かっていますが・・・

夫たちは施主様との連絡は常にしていて、朝の8時前には現場に行って
お昼も1時前には戻りましたよ。

(現にこの日、斜め向かいのお宅のお庭の剪定に夫の後輩が7時45分には到着し
作業を始めていたのに、我が家に来るはずだった職人のお兄ちゃんは9時過ぎにやってきて
「午後に塗料を持ってきます」と言って帰ってしまった)

なまじ住宅関連メーカーの息子の会社の系列会社に頼んだから、
下請けに孫請けひ孫請けまであって、人も話の流れもさっぱり見えな~い

社長自ら現場をやるような、小さな所に頼めば良かったかなぁ~と反省です。
(実際に夫はそのような職人さんに惚れ込んで、昨年の入院前に見積もりを頼んでいたのです)


16畳のリビングに私一人で朝からクーラーガンガン入れるのも、電気代を考えると恐ろしくて
家で一番狭い部屋はどこかと考えました。

2階の6畳の夫の書斎です。

まだ去年の夫が入院した時のままで辛いのですが、背に腹は代えられません。
去年のカレンダーなどは整理して、パソコンや暑中見舞いの手紙などは
この部屋ですることにしました。

元息子の部屋だった私の寝室は7畳で、吹き抜けの天井に4畳半のロフト付きで
エアコンの効率が極めて悪いのです


夫が毎日仕事の現場に持って行ったバックをようやく整理しました。
中には「忘備録」と書かれたノート2冊と、ケガ用の救急箱、
そして汚れたタオルが2枚と小銭がバラで1000円ちょっと・・・

今、夫の前に置いてありますが、底が擦り切れているので処分しましょう。

昨日TVを観ていたら、どうやらいつまでもメソメソしている私の症状は
「複雑性悲嘆」というのに当てはまるような気がする

①覚悟もできぬうちに突然相手に逝かれた人
②おしどり夫婦の片方や子供を失った人
③最後の時に後悔がある人
以上の場合がなりやすいとか・・・

②はちょっと違うけど、
夫が嫌がっていた人工呼吸器を、医者の言う通りに勧めたことに後悔の念がある。

今さら言ってもせんないことですが・・・
呼吸は苦しそうでしたが、まだ喋れたし、懸命にノートに思いのたけを記していたのに

この「複雑性悲嘆」から脱出するには
思い出の品をキッパリと整理することだとTVでは言っていました。

今回は画像とは関係のないお話ばかりになり、カテゴリーも「我街横浜」ではなく
「私の呟き」と致します。




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梅雨が明け、猛暑の日々・・・

2015年07月21日 | 日常の日記
ホテイアオイが咲きだしました

毎年夫が水盤の中で咲かせていたこの花・・・
冬が越せなくて枯れてしまいましたが、今年はご近所から戴くことができました


台風11号が去って梅雨が明けました。
そして猛暑が続いています。

私は夏風邪をひき、熱は下がったものの喉の痛みとお腹の調子は
中々良くなりません

この三連休の19日には、昔からの山仲間と3人で「大菩薩嶺」登山に
行く予定でしたが諦めました。

去年はお天気が不安定で中止したので、台風一過の晴天に恵まれた今年は
「私は夫と登っているから、2人で是非行って欲しい」とメールしたのに・・・

2人共「山は逃げないから、3人で行こう」という返事でした。


14日に足場が組まれ幕が張られ、もっかの我が家はこの様な状態・・・

今日はすべての窓がビニールで覆われました。
この暑い中、窓も開けられず一人家にこもっています。


山を諦めた19日にはついに「閉所恐怖症」ぎみとなり、我が家を脱出・・・
カメラ仲間のSさんがランチに付き合ってくれました。

駅前のショッピングセンターのレストラン街3Fの、お腹に優しいメニューのあるお店に入り
「田舎定食」を頂きました。

山仲間の2人からもSさんからも「今までの心労がどっと出たのよ」と慰められました。
「お墓のことと、家の工事のことを決めるだけでも大変だったと思うわ」と、
同じ所のお墓を買うことになったSさんにしみじみと言われ、二人して涙ぐみました

Sさん手作りのお料理の差し入れが・・・デザートまで入っていました


体調が悪かったこの一週間、すっかり栄養不足になりましたのでとても助かります。


ご飯を柔らかめに炊いて、野菜のお味噌汁と一緒に毎日食べていたのはこちら
お嫁ちゃんの実家から送られたお中元です。

体調の悪い一人身にはとても重宝いたしました。


そして昨日は防犯パトロールのお仲間さんからゴーヤチャンプルーと
シラスの佃煮の差し入れがありました。

私が作ったのはご飯とお味噌汁だけ・・・
友の愛情であふれた夕食を戴くことができました。有難いですね


お礼に配るのはもっぱら畑の野菜です。今はトマトとインゲンが毎日収穫できます。


孫を連れて工事のチェックにやってきた息子など(家の外壁工事は彼の会社の子会社に頼んだのです)
「お袋、水分たくさん摂って、外仕事はしないように」という言葉だけですものね~


              

雨の日は淋しくて辛くなる私、梅雨時をどう過ごそうかと不安でしたが・・・
ようやく時間ができた息子とお墓探しに奔走し、家の工事の件で息子に折衝を頼んだり

2件の事の決断と契約書の取り交わし、そして私にとっては大金の支払を
数度にわたっての振込みで緊張し、結構慌ただしい日々でした。

それでも雨続きで淋しくなったり、気分転換がしたくなったりで
ご近所の仲間に付き合ってもらった事が2回ありました。

6月上旬・川崎「チネチッタ」で映画鑑賞

この地に住むようになって、もう25年以上のお付き合いが続いているご近所仲間
夫婦ともども親しくなって、新年会や忘年会・お花見や温泉旅行などに良く行きました。

夫が去年の夏に急逝した時も、唯一ノンちゃんにお知らせしたら
お仲間の4組のご夫妻が告別式に参列、主人を見送ってくれました。

女同士は映画や歌舞伎・美術館にもしょっちゅう行ったものです。
海外旅行も7回
イタリア・スペイン・タイ・北京・中欧三国・ロシア・エジプトと楽しみましたね。


梅雨時の遊びは映画かしら?と、映画に造詣が深いぷりんさんにお任せしたら
4人で川崎のチネチッタまで行くことになりました。

それも2本の映画のハシゴ、そしてディナーも楽しもうと
私たちは昔から遊ぶ時は精力的に遊んだものでした。


外国のような風景の中にある映画館「チネチッタ」
ここでは去年のGWにお嫁ちゃんに誘われて「オペラの夕べ」を楽しみましたこちらで紹介しています。

あの時は夫がスポンサーになってくれましたが、その夫はもういない・・・

映画「リピーテッド」

ニコール・キッドマンが過去を忘れたヒロイン役で、英国王のスピーチのコリン・ファースが
相手役ですからちょっと期待しましたが・・・

朝私は精神安定剤を飲んでしまいましたから、眠くて眠くて内容はよく覚えていないのです
というかこういう深刻な映画は今の私にはちょっとシンドイ

詳しい内容はこちらでどうぞ

映画「ランオールナイト」

殺し屋が息子を守るために全てを投げ打つと決意
瞬く間にマフィアや警察から追われる身となり、夜を貫く決死の逃走劇が幕を開けることに・・・

ピストルドンパチのハリウッドらしい映画です。
見終わった時、お隣の席のK子さんが「ああ、面白かった」と呟いていました。

私も居眠りすることなく画面に見入りましたが、今の私の神経には刺激が強すぎた感じです。
詳しい内容はこちらでどうぞ

ディナーはステーキハウスに入りました。おつまみも3皿頼んで乾杯です


我らは肉食系女子(おばば)ですわ。

雨続きの7月上旬はご近所で「ランチ&お喋り」
趣味の会のない7月の第一週目は、夫の部屋の押し入れを整理しましたが
流石に続くと切なくなり・・・

その上、連日の雨で気持ちがブルーになりました。
そんな時はご近所仲間とのお喋りが気分転換になります。

声をかけたらノンちゃんとK子さんが付き合ってくれました。

インド人が経営する近所のカレー屋でランチそして甘味処でお喋り・・・


このカレー屋さん、我が家と息子の家の中間にあり時々利用しますが
ランチは初めてでした。

このナンがもちもちで美味しくて、カレーは鳥・野菜・キーマカレーと頼んで3人でシェアー
サラダとコーヒーが付いて700円でした。

ここも5軒手前のカフェも私たちだけの貸し切り状態・・・
ミシュランガイド一つ星のフランス料理屋さんもあり、一時は「グルメ通り」と言われた
我住宅地近くのお店も火が消えたみたいに静かでした。

そんな中で私たち3人は11時から夕方の5時まで食べて喋って、梅雨時の憂さを晴らしました。
ノンちゃんにK子さん、突然の誘いに付き合ってくれてありがとう

その一週間後・・・


ノンちゃんが「私の作ったタイカレーも食べてみて」と、届けてくれました。
竹の子やエリンギが入ったカレーは初めてです。
とても美味しかったけど、飛び上がるくらい辛かったわ

写真仲間との撮影会や、ワンゲルの会でのハイキングにも行って
案じていた梅雨もどうにか終わりましたが・・・

これからは猛暑の中をどう過ごすかが問題です



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速報!・日光霧降高原・丸山~小丸山へ!(その2)

2015年07月16日 | 山シリーズ
大型台風11号は西側のコースをたどり、四国に上陸のようですが
遠く離れたここ関東も、どしゃ降りの雨になったり晴れたりの変なお天気です。

土砂災害などの被害がないことを祈るのみですね。

「丸山頂上へ」(7月10日)

私たちは一休みした後、整備された気持ちの良い登山道を進みます。


リフト乗り場と書かれた表示板が建っていました。
リフトは5年前に取り外されたようですが・・・


登りだして30分、丁度正午に「丸山頂上」(1689m)に到着

頂上にはバスツァーの御一行様が50人もいて、満杯状態でしたが
その内いなくなり、私たちもゆっくりと昼食にします

この日は晴れていましたが、流石に霧降高原という名前だけあって
時々霧が流れて見晴らしはイマイチでした。


今回新人会員さんの初参加があり、リーダーと山小屋さんが
「良い人ばかりの会だよ」と言いながら?、サービスに務めていました。

この後全員そろっての記念写真を撮り、八平ヶ原に向かいます。

八平ヶ原(はっぺいがはら)へ

登山道には胸までの背丈の笹が茂っています。
かき分けながら下っていきました。


白樺の木々の幹が眩しい・・・


「八平ヶ原には花は何もないよ」と、リーダー・・・


一面緑のミヤコザサに覆われている所でした。


高原ハウス方面を目指します。

ここから先はうす暗い森林地帯となり、雨で滑りやすくなった登山道を下ります。


大きなブナの倒木に、苔や木の子、サルノコシカケなどが付着していました。


下り始めて丁度一時間で、行きに天空回廊から
鹿除けの柵を抜けて入った登山道の分岐に出ました。


少し遅れた年配の会員さんも元気に姿を現しました。
その後ろを若くて健脚の山小屋さんと副リーダーがフォローしています。

私よりも10歳近く上の方々の元気な姿に、いつも刺激をいただきますわ

キスゲ平園地

再び天空回廊に入りました。
登って来た「丸山」が見えていました。

ここでゆっくり休憩時間を取りました。ちゃんとベンチも設置されています。


レストハウス前発15時40分のバスまでは充分に時間がありました。


ここは昔スキー場だったところのようです。
今ではリフトも取りはずされ、天空回廊の1445段の階段になりましたが
所々に展望台がしつらえられているようでした。


ニッコウキスゲもそろそろ終わりで、群落は上部に残るだけのようでしたが、
ここでも探せば辛うじて見られました。

トリアシショウマだそうです。そしてこちらがアカショウマの蕾


山小屋さん、ありがとうございます。

クガイソウのようです。こちらは「シュロソウ」と山小屋さんが呟きました


他にもピンクと白いヨツバヒヨドリなども咲いていましたが
小さなコンデジでブレました

見事な大株!、アカショウマだそうです。丸山頂上付近でも咲いていたコメツツジ


リーダーの配慮でできるだけ階段は避け、主に散策路を歩いて
最後に階段を下りレストハウスに到着しました。

バスの時間までまだ一時間近くあります。
ソフトクリームを食べお喋りをしながらバスを待ちました。


レストハウス前には広い駐車場がありますから、多くの人々が身軽な姿で訪れる霧降高原です。
ウィークデーなのでバスも空いていました。

東武日光駅で解散です。
殆どの人が行きと同じ「快速電車」に乗りこみました。

この日の懇親会は売店で購入した缶ビールで、電車の中で盛り上がりました


          

この「日光・霧降高原」に行った日から、こちら関東地方は30度を越える
真夏日が続いています。

ベッド横の高窓を開けて寝たら「寝冷え」したのか
今週に入って下痢に苦しみ、病院に行ったら7度3分の微熱もあり
ノドも赤くなっていて夏風邪


お墓の契約と屋根と外壁工事の契約が同時期となり、緊張も多々ありました。
疲れも出たのでしょう・・・

暑さの中、何をする気にもなれずにいますが
夫の新盆の時期でもあり、あちこちから電話も入ります。

昨日は両親のお墓参りにも行ってきました

一昨日から家の工事が始まり、足場が組まれ幕が張られ、
暑い中、窓も開けられない日々

一人身での体調不良は不安だらけです

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速報!・日光霧降高原・丸山~小丸山へ!(その1)

2015年07月11日 | 山シリーズ
7月に入って、、関東南部は連日雨が続きました

私も自律神経が失調気味となり、友人たちを誘ってランチをしたり、お茶したりして
お喋りし、気分を紛らわしましたが・・・

この一週間、歩けなかったのが辛かったです。



そんな中、ワンゲルの会では「相模川歩き最終章」の予定が、暑さ対策で9月に延びて
代わりにニッコウキスゲで有名な「霧降高原・丸山ハイキング」が催されました。

参加申し込みの〆日も一日中雨、三つの台風が日本列島を目指していて

日光は何度も行っていますが、いつも夫と車でしたから
9時40分の東武日光駅集合も、どのようなルートで何時に家を出れば行けるのか?

PCの路線図を検索しても行ったことがないルートばかりが出て
「一応参加する気ではいますが、雨の様子と時間に間に合うかどうか次第です」と
リーダーには話しておきましたが・・・

日光「霧降高原」へ(7月10日・金)
幸い当日は雨が上がって晴れだしました

そして前夜営業車で帰宅していた息子が、翌朝は早朝出勤の予定とのことで
6時前に車で戸塚駅まで送ってくれて

7時前には東武浅草駅にたどり着き、仲間の皆様と合流できました


7時10分発の快速電車に乗りこみ、東武日光駅からバスに乗り、10時には霧降高原に着きました。
参加者は男性5人、女性7人の計12人

レストハウス前に一堂集まって、ストレッチ体操をしてから歩きだしました。

以前はリフトに乗ってキスゲを見たようですが今では歩いて階段を登って行きます。


リフトは平成22年にすべて廃止されたそうです。

現在は遊歩道と天空回廊と呼ばれる階段が整備され、
ゆっくり眺望や草花を楽しみながら歩いて園内を散策できるようになっています。
それにしても1445段とは


キスゲ平の下の方はキスゲも終わっていました。
詳しい花情報はこちらをご覧ください。


オトギリソウがたくさん咲いていました。
蕾の赤が可愛いですね。

この時期、キスゲの大群落は上の方でしか見られなかったようですが
代わりにたくさんの高山植物が楽しめました。

葉っぱが車輪の形のクルマユリこちらはコバギボウシ


キスゲ平は赤薙山の中腹、標高1,300m~1,600mにかけて広がる高原です。

3月下旬のマンサクから始まり、4月~6月にかけてはカタクリやツツジ類など、
100種類を超すたくさんの種類の花が春から秋まで楽しめるようです。

その中でも6月中旬から7月にかけて咲くニッコウキスゲの群落は有名ですね。


白いカラマツソウも見事でした


元スキー場のリフトに代わって、階段の天空回廊が「小丸山展望台」まで続きますが・・・


ワンゲルンの会の我々は皆、トレッキングシューズを履いた山スタイルです。


青〇印の所から登山道に入り、八平ヶ原経由で「丸山」を目指す予定のようでした。


天空回廊の途中から、鹿除けの柵の外に出て、登山道を歩きます。


登山道は熊笹が茂り荒れていて、長期の雨でとても滑りやすい状況でした。


風も通らず蒸し暑くて、一同汗だく・・・

それにしてはすぐそばに天空回廊が見えて、人声も聞こえるよ
どうやら八平ヶ原には向かわずに、地図上の点線部分を登って来たらしい・・・


結局天空回廊の最後の「小丸山展望台」(1582m)の先の「キスゲ平」と書かれた所に出ました。


ズボンや靴は泥で汚れたけど、階段を登るよりも面白かったわ・・・


ここから先は整った登山道が続きます。

私たちは爽やかな高原の風が気持ち良い中、歩いて30分の
標高1689mの「丸山」頂上を目指しました。


6月に歩いた「相模川を歩こう」(大月~三つ峠)編
いまだにUPしていませんが・・・

梅雨の晴れ間の真夏日に、霧降高原の爽やかな風を感じたくて
昨日行ってきた「霧降高原・丸山」ハイキングの様子を、速報版で更新致しました。


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映画「海街diary」と、鎌倉の大正ロマンと鎌倉文学を訪ねて(2)

2015年07月05日 | 鎌倉散策
連日の雨模様に、中々歩く機会がありません。
アウトドァー派の私は心身ともに固まって、肩こり腰痛に悩まされ、胃腸の調子までイマイチです


月末と月初めの週は趣味の会の集まりもなく、お墓の件や外壁工事の件での打ち合わせもあり
友人との約束もできず・・・

雨の中、一人で家にいるのも淋しくて、小雨を見計らって駅前のシネマまで傘をさして歩いて行き、
鎌倉を舞台にした映画「海街diary」を観てきました。、


”鎌倉で暮らす、幸(綾瀬はるか)、佳乃(長澤まさみ)、千佳(夏帆)。
そんな彼女たちのもとに、15年前に姿を消した父親が亡くなったという知らせが届く。
葬儀が執り行われる山形へと向かった三人は、そこで父とほかの女性の間に生まれた
異母妹すず(広瀬すず)と対面する。

身寄りがいなくなった今後の生活を前にしながらも、気丈かつ毅然と振る舞おうとするすず。
その姿を見た長女幸は、彼女に鎌倉で自分たちと一緒に暮らさないかと持ち掛ける。
こうして鎌倉での生活がスタートするが……”


美しい鎌倉の四季を通じて、次第に心を通わせていく美人3姉妹と、中学生の健気な異母妹すずの
本当の家族になっていく1年が淡々と綴られていきます。

何気ない場面でもジンワリと涙が出ました


天然ボケのイメージが強い綾瀬はるかさんが、しっかり者で多少ユーズーのきかない・・・
それでもすずを一番心配している長女を熱演。

お酒が好きで男運も悪い、信用組合勤務の次女役の長澤まさみさんのスタイルの良さに感動!
ほんわかとした雰囲気で場を和ませる、スポーツ店で働く三女夏帆さんの存在感が良かったですね。

そして何と言っても一番は広瀬すずさん演じる主人公の、きらりと光る気丈な健気さが心打ちます。
今後の活躍が楽しみな女優さんですね。

鎌倉名物のシラス丼、シラストースト、アジフライ、アジの南蛮漬け、シーフードカレー、ちくわカレー
そして梅酒造り・・・
それらを食べ、飲んでみたくなるような映画でした。

家族とは、一緒に食卓を囲んで同じものを食べ、季節の行事をこなして
心が通うようになるものなのですね


そしてロケ地になった場所も、殆どが知っている場所でした。
4姉妹が住む祖母が残した古い日本家屋は、江ノ電の「極楽寺駅」周辺に建つらしい・・・

関東の駅100選にも選ばれたこの駅がふんだんに出てきます葬儀や法事が行なわれる場面は「極楽寺」境内


4姉妹が浜辺で戯れるシーンも多々出てきます。
由比ガ浜や材木座海岸、七里ヶ浜や稲村ケ崎など見覚えある浜辺ばかりでした。

こちらは稲村ヶ埼から見た江ノ島幸とすずが思いのたけを叫ぶ衣張山からの眺め


すずがジュニアサッカーのチームメイトの風太に連れられて、自転車で走る桜のトンネルの場面が美しくて
「あれはどこだろう?、桜で有名な高級住宅地のハイランドにしては家が見えない」と気になり調べてみました。

ナント、沼津の愛鷹広域公園でした。
ロケ地の詳しい情報はこちらでどうぞ
パート1・パート2・パート3・パート4と全部が見られます。

迫力満点の外国映画が好きで、日本映画はあまり観なかったのですが・・・
今の私は、大好きな鎌倉が舞台の淡々とした中にも温かみが感じられる
是枝裕和監督の映画に心癒されました。


              

6月27日に歩いた「鎌倉の大正ロマンと鎌倉文学を訪ねて」の後半をご紹介いたします。

「文学館」を出てすぐに見えてきたのが鎌倉市長谷子ども会館(旧諸戸邸)


この建物は、鎌倉に残る明治期の建造物として非常に貴重な存在です。

明治期の建物は、それ以降の建物と比較して外観の造形が華やかなのが特徴ですが、
この建物はその中でも秀逸なものと高く評価されているようです。

甘縄神明神社(長谷)

この辺りの豪族、染谷太郎時忠が創建した鎌倉最古の神社
創設は8世紀初めだそうです。平城京の時代


正面の階段を登りお参りしました。
御祭神は「天照大御神」

神社の前には大きな洋館が・・・


加賀谷邸は和洋折衷のお宅で、まだ家族がお住いのようでした。


この説明板を読んで失礼しました。

そしてその右奥が「川端康成邸」です。


1968年、日本人として初めての「ノーベル文学賞」を受賞。
1972年4月16日、逗子マリーナのマンションでガス自殺しました(72歳)

私たちはそのままバス通りに出て、長谷寺近くのお店で各自ランチにするつもりでしたが
土曜日のアジサイ寺近くとあって、凄い人出

コンビニでお弁当を購入して甘縄神明神社に戻り、静かな境内で食べました

「鎌倉彫工芸館」
江ノ電の「和田塚駅」近くのギャラリーでは鎌倉彫の製品の展示販売をしておりました。


土曜日の午後には鎌倉彫の職人が在館し、質問に答えてくれるようです。

リーダーが前もって予約をしていたそうで、私たちは2Fの会議室でビデオを見て
鎌倉彫の説明を受けました。


鎌倉彫は木地造りから始まって、彫りも漆塗りも手間暇かかる細かい作業の連続
物によって違いますが、30㎝位のお盆で一ヶ月から1.5ヶ月くらいかかるそうです。
お高いはずですね~

800年の歴史を誇る伝統工芸・・・

原料の木は桂の木だそうですが、これがなかなか手に入らなくなったとか
そして漆は中国産が殆どだそうです。

「川喜多映画記念館」
和田塚駅から一駅だけ江ノ電に乗り、鎌倉駅に出ました。

これがラッシュ時の通勤電車よりも混んでいて
必死で乗りましたわ

やはりまだまだアジサイ目当ての観光客が殺到し、小町通りも仲間の姿を見失うような大賑わいでした。


この日最後の目的地「川喜多映画記念館」です。

川喜多長政はヨーロッパ映画を日本に紹介した映画事業家。

昭和3年に「東和商事」を設立し、社員だった「かしこ」と結婚。
妻とともに「自由を我等に」「巴里祭」「会議は踊る」などを紹介しました。


1994年、かしこの遺志によって川喜多邸は鎌倉市に寄贈され、川喜多映画記念館として再建。
2010年4月1日開館となりました。
 
館内には映画資料が展示され、映画の上映も行われています。詳しい情報はこちらでどうぞ


私たちも200円を払って中に入りました。

この日の催しは、昔懐かしいスターたちのパネル写真がズラリと展示されていました。
「原節子や田中絹代の全盛期はあまり知らないわ」Sさんとそんな話をしながら見学

そして前日のNHKの朝の番組に出ていた岸恵子さんの話になりました。
「82歳とは思えない若さと美しさにビックリ」

「映画はあまり観ていないけど、その後の作家としての活躍は印象的ね」
「今度の小説は68歳の女性と50代の男性の恋物語だそうよ」etc・・・

取りあえずワンゲルの会としての鎌倉散策はここで解散となりました。
混んでいる鎌倉を避けて、懇親会は横浜でするらしい


私はSさんと乗換駅の大船で下車し、2人でお寿司をつまみ、を飲んで帰りました。

雨は降りませんでしたが、梅雨空の中歩いたこの日の歩数は15000歩・・・
生ビールがとにかく美味しかったです

コメント (24)
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鎌倉の大正ロマンと鎌倉文学を訪ねて(1)

2015年07月02日 | 鎌倉散策
7月に入りました。今日2日は「半夏生」(はんげしょう)
一年のヘソということで、今年も後半に突入です。そして梅雨も後半ですね。

連日鬱陶しいお天気が続いていて
防犯パトロールの仲間たちと、歩けないのが辛いです。


我が家の玄関前の3つの大きな水盤に「スイレン」が咲きだしました。
蕾も三つ見られます。

仕事から帰ってきて、1時間ほどメダカの世話や鉢植えの手入れをして
心癒していた夫の姿が思い出されます。

先月、彼が育てていたメダカの姿を見つけた時は嬉しかったですね。
「絶滅していなかったんだ~」と・・・

植えた覚えもない「ネジバナ」とヒオウギスイセンも自然に増えました。



さて・・・
ワンゲルの会主催の鎌倉歩きに、写真仲間のSさんを誘って参加してきました。

鎌倉の大正ロマンと鎌倉文学を訪ねて(6月23日・土)
前夜からまとまった雨が降り参加も危ぶまれましたが
「雨の鎌倉も情緒があって良いかも」と行く気になっていた私・・・

幸い朝には雨も上がって、9時半の鎌倉駅西口集合には男性7名、女性6名の合計13名の顔が揃いました。

御成通りを3分行くと、古い洋館が現れました。
鎌倉市の景観重要建物に指定された旧安保小児科医院です。

車の往来が激しくて写真が上手く撮れませんでした。
興味がある方は上のURLをクリックしてご覧ください。


更に7~8分歩いて行くと立派な門が現れました。鎌倉市立御成小学校です。

校名の看板は高浜虚子筆によるものとのこと・・・
この門は1931年に廃止された鎌倉御用邸で使われていたものだそうです。

正門前にはかつて鎌倉時代に問注所があった事を示す石碑が建っていて、
学校の敷地ほぼ全域が鎌倉郡の郡衙跡(今小路西遺跡)であると推定されており
敷地内では度々考古学調査が行われているそうです。

「吉屋信子記念館」

作家 吉屋信子さんの遺志により土地・建物などが鎌倉市に寄贈されたもので
ありし日のままに保存されています。


600坪の土地に建つ、平屋の近代数寄屋建築が粋でモダンです。
入館料はかかりません。

和室の感じもやはり粋でモダン和室から広いお庭が望めます。


我が家近辺はそろそろ終わりのアジサイですが、鎌倉ではまだまだ綺麗に咲いていました。

手前の洋室も窓が広くて天井に特長があるとか北側の簡素な書斎は撮影禁止、窓から鮮やかな緑が見えていた


吉屋信子と言えば、子供のころに読んだ雑誌の少女小説の印象が強いですね。
その後「徳川の夫人たち」や「女人平家」などの、女性の視点で見た歴史小説で成功を収めました。

自筆の原稿類などは「文学館」に収められ、ここにはありません。


木目が目を惹く外塀が印象的でした。

吉屋信子がこの閑静な鎌倉の地で過ごしたのは67歳からの10年間・・・
最後はガンで鎌倉の病院で死去、77歳の生涯を終えました。

尚、この「吉屋信子記念館」は一般公開していない時もありますので
事前に調べてから行かれることを勧めますこちらでどうぞ・・・

ヤマボウシの花がまだ咲いていました。セイヨウニンジンボク、同行の山小屋さんが教えてくれました


庶民とは無縁の大邸宅が並ぶ中、次は「笹野邸」を訪ねる予定でしたが
この日は土曜日、結婚式が入っていて中止

鎌倉市の景観重要建物に指定された御屋敷は、結婚披露パーティーに使われているようでした。

「鎌倉文学館」

5月15日に役員仲間の女子会で来ている「鎌倉文学館」、入り口に向かう道の緑がいっそう濃くなっていました。


加賀百万石の前田家の別荘だった所です。
すぐお隣に「前田」と書かれた表札のある一軒家がありますが・・・
今は人が住んでいる気配が感じられませんでした。


5月15日に来た時は丁度見頃のバラでしたが、驚いたことにまだまだ咲いていて・・・
我々を喜ばせてくれました。上のバラは「アルデス75」

この日の梅雨空に合わせて「露狙い」で撮りました


こちらは前回も咲いていた「プリンセス・ドゥ・モナコ」
花期が長いようです。興味がある方は一ヶ月半前と比べてみてくださいこちらです。

今、我が家でも咲いている「クィーンエリザベス」花弁の裏側が黄色い「希望」という名のバラ


この日は朝方に雨がやみ、とても蒸し暑い日でしたが・・・


文学館のデッキに出ると海からの気持ちの良い風が吹いていました。
正面の垣根の向こう側の一段下がった所がバラ園で、ここから見えないのが残念

催し物は5月に来た時と同じだったので、私はノンビリデッキに佇んで海を眺めました。
(空と海とが同じ色で、画像に写らなかったのも残念です


なでしこジャパン決勝進出
あと一勝、頑張って~


コメント (18)
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